8-5
ー/ー
「まったく。武蔵さんに家賃を払わせるなんて、どうかしてるよ」
「言い出したのは武蔵だぜ。アイツ社長だから、コレも持ってるんだろ? 安芸だって、これで少しはバイト減らせるじゃん」
練習室に向かいながら、呆れ果てて溜め息を吐く安芸に、近江が右手の親指と人差し指で上向きに丸を作って答えた。確かにホテルに連泊できるなんて、俺たちよりか懐は豊かであるに違いない。
だが資金繰りは安芸の頑張りに頼りっぱなしだったから、近江の言うとおり奴の苦労が少しでも軽減するのは有り難いことだ。近江は単に、給料の半分が家賃に当てられることを回避できて、嬉しいだけだろうが。
「バカ、急にシフトを減らせるわけないだろ? ……ごめんね、和泉。見苦しいところを見せて。お家のほうは大丈夫だった?」
容赦なく近江へ冷たい目線を向けて一掃した安芸は、対照的に和泉へ優しく問いかけた。その寒暖差に近江が小さく眉を潜めたのを、和泉はチラチラと気にしていたが、安芸に礼の言葉を述べた。
「ありがとう、心配かけて私こそごめんなさい。少し怒られたけど…….もう社会人なんだし、自分のことは自分でちゃんとする、ってことで落ち着いたから」
「そっか。でも、何とかなって良かったよ。補聴器の調子も良さそうだね」
「うん。安芸君を始め、武蔵さんや和矢君、それに皆のお陰だよ」
相変わらず和泉にだけは極甘な安芸。和泉の嬉しそうな顔を見て、奴は満足げに微笑んだ。
三人が他愛なく会話する背後を覗きつつ、練習室まであと少しというところで俺は急に足を止めた。何故なら、これ以上進むことを憚れる光景が、目の前に広がっていたからだ。
俺の後ろを歩いていた三人は不思議に思ったことだろう。だが、身を乗り出して前方の様子を伺った奴らも、思わず「うっ……」などの呻き声を上げた。
練習室前の道を埋め尽くす、人、人、人……。
なんだありゃ。楽団の奴らじゃないよな。
「すっごい人集り……何だろう、あれ」
「なんか、色紙とかカメラとか持ってないか? 誰か有名人でも来てんじゃね?」
「あちゃ~ッ! 予想以上に人が集まってしもたなぁ」
安芸と近江の会話に混ざり、強烈な関西弁が鼓膜を震わせた。
突然の声に俺たちは驚き、一斉に後ろを振り返った。そこにいたのは想像どおりのあのオッサンだ。
「団長……。ってことは、もしかして」
「せや。君たち『ルミナス・カルテット』を待つ、ファンの集団やで!」
まるでウインクでもしそうな勢いで、団長は活き活きと和泉に応えた。確かによく見れば『Luminous Quartet 推し』と書かれたハート型の団扇を持っている女や、和泉に渡すらしき花束を持っているヤローの姿が見えた。中には配信をしているのか、スマホを練習室に向けて撮影しながら喋ってる奴もいる。
まさかオッサン……、昨日のライブの後にずっと楽団の宣伝を続けてたんじゃねぇだろうな。だとしたら昨日の時点でシメておくべきだったか。
和泉は苦笑しているが、安芸は完全に頭を抱えていた。このまま直進すれば、昨日を上回る混乱を招くことは明らかだ。
「すみません。僕たち、売れるつもりでライブをしたんじゃないんですよ」
「え、そうなん? ええやん、自分らごっつ美男美女やさかい、もっとPRすれば……」
いまいち危機感がないオッサンに対し、安芸の表情が更に曇る。それもそうだ。安芸にとってあのライブは、他でもない和泉のために行ったのだから。観客を楽しませるなど二の次。
だが奴よりも早く、オッサンの反応に堪忍袋の緒が切れたのは……俺のほうだった。
「おいオッサン、いい加減にしろよ!? 俺たちを利用して楽団の宣伝をするのは構わねぇが、過剰なPRで変な奴に目ぇ付けられたら危ねぇだろうが! 俺らはともかく、大事な和泉に何かあったら困るのはアンタもだろ!? もしそうなったらテメ、タダじゃおか――」
「っわぁあ!? 日向、気持ちは分かるけどストップ! ストーーップ!!」
オッサンの胸ぐらを掴み、怒鳴り散らす。自分より頭に血が上った人物を前に、安芸は我に返ったのか俺を羽交い締めにして止めにかかった。だが俺は構うことなく真っ青になったオッサンの顔面に己の顔を寄せ、文字どおり目と鼻の先で睨みつけた。
「他の楽団メンバーだって迷惑に決まってんだろ。責任持って収拾しろ、それまで俺らは練習室には近づかねぇからな」
「わ、分かった。何とかしてみるわ……。だから堪忍してや、日向君」
いつもの大声が一転して蚊のような声を発し、小便でも垂れそうなほど怯えているオッサン。俺はその胸ぐらを掴んだ手を放し、「行くぞ」と安芸たちに移動を促した。勢いで俺が叫んじまったお陰で、ファンの数人がこちらに気づき、スマホを向けたりと騒ぎ始めている。
近江は鼻で笑ってすぐに付いてきたが、和泉はオロオロと俺と汗だくのオッサンを見比べた後、顰め面の安芸と共に逃げるように俺を追った。
とりあえず駅方面に向かい走っていたが、後ろに連中が追ってこないのを確認して俺は足を止めた。オッサン、何とかアイツらを引き止めることはできてるみてぇだ。
駅周辺にも奴らの一味が待機している可能性を踏まえ、それより手前の閑静な駐車場で一時滞在することにした。にしても、オッサンのせいで折角のライブが、とんだ災難になっちまった。
「和泉、ごめん。僕がライブをやろうなんて言ったばかりに……。こんなことになるとは思わなくて」
「安芸君のせいじゃないよ。それに皆でライブができて本当に嬉しかったんだから、そんなこと言わないで」
責任を感じて落ち込む安芸だが、和泉の言葉に強ばった表情が和らぐ。安芸にとっては、彼女がそう思っていてくれるのが救いだろう。
しかしそれは、俺にとっても同じだ。本当は俺にはオッサンのことを攻める資格なんてねぇ。武蔵の襲撃を見過ごし、余韻の雰囲気をぶち壊しにした俺には――。
すると、まるで俺の胸中を読んだかのように、和泉が俺に視線を向けた。
気まずいと思うのに、その温かさから目が反らせずにいる。
「高杉君も、さっきはありがとう。私のことを心配してくれて」
彼女の微笑みにはやはり、胸の奥の重さをそっと解く不思議な力があると思った。
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「言い出したのは武蔵だぜ。アイツ社長だから、|コ《・》|レ《・》も持ってるんだろ? 安芸だって、これで少しはバイト減らせるじゃん」
練習室に向かいながら、呆れ果てて溜め息を吐く安芸に、近江が右手の親指と人差し指で上向きに丸を作って答えた。確かにホテルに連泊できるなんて、俺たちよりか懐は豊かであるに違いない。
だが資金繰りは安芸の頑張りに頼りっぱなしだったから、近江の言うとおり奴の苦労が少しでも軽減するのは有り難いことだ。近江は単に、給料の半分が家賃に当てられることを回避できて、嬉しいだけだろうが。
「バカ、急にシフトを減らせるわけないだろ? ……ごめんね、和泉。見苦しいところを見せて。お家のほうは大丈夫だった?」
容赦なく近江へ冷たい目線を向けて一掃した安芸は、対照的に和泉へ優しく問いかけた。その寒暖差に近江が小さく眉を潜めたのを、和泉はチラチラと気にしていたが、安芸に礼の言葉を述べた。
「ありがとう、心配かけて私こそごめんなさい。少し怒られたけど…….もう社会人なんだし、自分のことは自分でちゃんとする、ってことで落ち着いたから」
「そっか。でも、何とかなって良かったよ。補聴器の調子も良さそうだね」
「うん。安芸君を始め、武蔵さんや和矢君、それに皆のお陰だよ」
相変わらず和泉にだけは極甘な安芸。和泉の嬉しそうな顔を見て、奴は満足げに微笑んだ。
三人が他愛なく会話する背後を覗きつつ、練習室まであと少しというところで俺は急に足を止めた。何故なら、これ以上進むことを憚れる光景が、目の前に広がっていたからだ。
俺の後ろを歩いていた三人は不思議に思ったことだろう。だが、身を乗り出して前方の様子を伺った奴らも、思わず「うっ……」などの呻き声を上げた。
練習室前の道を埋め尽くす、人、人、人……。
なんだありゃ。楽団の奴らじゃないよな。
「すっごい人集り……何だろう、あれ」
「なんか、色紙とかカメラとか持ってないか? 誰か有名人でも来てんじゃね?」
「あちゃ~ッ! 予想以上に人が集まってしもたなぁ」
安芸と近江の会話に混ざり、強烈な関西弁が鼓膜を震わせた。
突然の声に俺たちは驚き、一斉に後ろを振り返った。そこにいたのは想像どおりのあのオッサンだ。
「団長……。ってことは、もしかして」
「せや。君たち『ルミナス・カルテット』を待つ、ファンの集団やで!」
まるでウインクでもしそうな勢いで、|団長《オッサン》は活き活きと和泉に応えた。確かによく見れば『Luminous Quartet 推し』と書かれたハート型の団扇を持っている女や、和泉に渡すらしき花束を持っているヤローの姿が見えた。中には配信をしているのか、スマホを練習室に向けて撮影しながら喋ってる奴もいる。
まさかオッサン……、昨日のライブの後にずっと楽団の宣伝を続けてたんじゃねぇだろうな。だとしたら昨日の時点でシメておくべきだったか。
和泉は苦笑しているが、安芸は完全に頭を抱えていた。このまま直進すれば、昨日を上回る混乱を招くことは明らかだ。
「すみません。僕たち、売れるつもりでライブをしたんじゃないんですよ」
「え、そうなん? ええやん、自分らごっつ美男美女やさかい、もっとPRすれば……」
いまいち危機感がないオッサンに対し、安芸の表情が更に曇る。それもそうだ。安芸にとってあのライブは、他でもない和泉のために行ったのだから。観客を楽しませるなど二の次。
だが奴よりも早く、オッサンの反応に堪忍袋の緒が切れたのは……俺のほうだった。
「おいオッサン、いい加減にしろよ!? 俺たちを利用して楽団の宣伝をするのは構わねぇが、過剰なPRで変な奴に目ぇ付けられたら危ねぇだろうが! 俺らはともかく、|大《・》|事《・》|な《・》|和《・》|泉《・》に何かあったら困るのはアンタもだろ!? もしそうなったらテメ、タダじゃおか――」
「っわぁあ!? 日向、気持ちは分かるけどストップ! ストーーップ!!」
オッサンの胸ぐらを掴み、怒鳴り散らす。自分より頭に血が上った人物を前に、安芸は我に返ったのか俺を羽交い締めにして止めにかかった。だが俺は構うことなく真っ青になったオッサンの顔面に己の顔を寄せ、文字どおり目と鼻の先で睨みつけた。
「他の楽団メンバーだって迷惑に決まってんだろ。責任持って収拾しろ、それまで俺らは練習室には近づかねぇからな」
「わ、分かった。何とかしてみるわ……。だから堪忍してや、日向君」
いつもの大声が一転して蚊のような声を発し、小便でも垂れそうなほど怯えているオッサン。俺はその胸ぐらを掴んだ手を放し、「行くぞ」と安芸たちに移動を促した。勢いで俺が叫んじまったお陰で、ファンの数人がこちらに気づき、スマホを向けたりと騒ぎ始めている。
近江は鼻で笑ってすぐに付いてきたが、和泉はオロオロと俺と汗だくのオッサンを見比べた後、顰め面の安芸と共に逃げるように俺を追った。
とりあえず駅方面に向かい走っていたが、後ろに連中が追ってこないのを確認して俺は足を止めた。オッサン、何とかアイツらを引き止めることはできてるみてぇだ。
駅周辺にも奴らの一味が待機している可能性を踏まえ、それより手前の閑静な駐車場で一時滞在することにした。にしても、オッサンのせいで折角のライブが、とんだ災難になっちまった。
「和泉、ごめん。僕がライブをやろうなんて言ったばかりに……。こんなことになるとは思わなくて」
「安芸君のせいじゃないよ。それに皆でライブができて本当に嬉しかったんだから、そんなこと言わないで」
責任を感じて落ち込む安芸だが、和泉の言葉に強ばった表情が和らぐ。安芸にとっては、彼女がそう思っていてくれるのが救いだろう。
しかしそれは、俺にとっても同じだ。本当は俺にはオッサンのことを攻める資格なんてねぇ。武蔵の襲撃を見過ごし、余韻の雰囲気をぶち壊しにした俺には――。
すると、まるで俺の胸中を読んだかのように、和泉が俺に視線を向けた。
気まずいと思うのに、その温かさから目が反らせずにいる。
「高杉君も、さっきはありがとう。私のことを心配してくれて」
彼女の微笑みにはやはり、胸の奥の重さをそっと解く不思議な力があると思った。