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8-4

ー/ー



 朝8時を過ぎた。土曜日の今日は楽団の練習日となっている俺たちは、あと1時間ほどで出発をしなければならない。
 やむを得ないと言えど無断外泊をさせてしまった和泉は、そろそろ帰らなければ親がまた心配するということで一旦帰宅させた。

 去り際に広が『あまりお話しできてないのだ!』と駄々をこねたが……いつもの明るさを取り戻したアイツは優しく宥め、俺がここへ運んだ時と違って笑顔で出て行った。
 それは他ならない、まだこの家に残っているコイツらのお陰だ。

「なるほど、3%の音のズレですか」
『はい。僕が解析したデータによればD3()G3()も、基準周波数から3%下がったポイントで消失しています。恐らくこの〝3%〟という低下数値こそ、メストが音を奪う条件になっているのでしょう』

 和矢の見解に、武蔵は顎に指を添えて思考を巡らす。こうして真面目な顔を見ていると〝やはり副長だな〟と思うのだが、自分の容姿に異様な自信があるところは、前世とはえらい違いだ。

 とはいえ、このナルシスト社長と天才少年が制作した補聴器は、俺たちには聞こえない音の不具合を補正し、和泉の不快感を見事に解決した。
 和矢の指示でテストとしてテレビを付けた後、音が正常に聞こえた瞬間に和泉は嬉し泣きをしていた。俺たちと会う随分前から音のズレは発生していたのだから、何の違和感もない日常の音はアイツにとって久しぶりだったことだろう。嬉しくないはずがねぇ。

『以前に安芸さんへお伝えしたとおり、奴らは音の周波数を下げるための妨害電波を発生させています。この電波は僕たちには感じられませんが、ソプラとテナーが感知できるみたいです』
『えっへん! さすが、僕の相棒なのだ!』

 和矢の説明に、広が得意げな顔をして口を挟む。……さっきのワガママ坊主はどこへやら。
 だが兄貴分の和矢は嫌な顔をせず広を撫でて褒めると、話を続けた。

『ソプラはD3()G3()が消失した後から、妨害電波とは別の電波が発生したと言っています。これは僕の推測ですが、新たな電波は消失した音に偽装し、人間に気づかせないためのものかと思います』

 つまり今、地上には音の周波数を乱す妨害電波と、奪った音に擬態する偽装電波の2種類が溢れているということだ。そのせいで俺たちには、どのパターンも変わらず普通に聞こえ続けている。ただ一人、和泉だけを例外として。
 ――アイツもずっと一人で戦ってきたんだよな。

「フン。奴らにしては、随分と丁寧な仕事をしてくれてるじゃん」
「けれど、これ以上音を奪われ続けるわけにはいかないよ。僕らの力のためにも、和泉のためにも。……武蔵さん、何か策はありますか?」

 皮肉そうに鼻で笑う近江を横目に、安芸が武蔵に問う。いつの間にか安芸は、すっかり武蔵を頼りにしているようだ。
 脳内で情報を整理しているのか、いつの間にやら目を閉じて会話を聞いていた武蔵は、ゆっくりとその漆黒の瞳を開いた。

「和矢君。その電波の出所を探ることはできますか?」

 その一言で、武蔵が何をしようとしているかすぐに分かった俺たちは、僅かに目を見開いた。思わず俺は椅子から立ち上がる。

「まさか電波を辿って、メストの潜伏先を暴く気か? 奴らがそんな簡単に尻尾を掴ませるとも思えねぇが」
「でしょうね。しかし他に手がかりがない以上、可能性のある方法を潰していくしかありません。我々も攻められるばかりではいられませんから。……和矢君、どうですか?」

 副長の期待を込めた視線に、和矢は一度大きく息を吐いた後、力強く『やってみます』と応えた。


 リモート会議を終えた頃、シェアハウスにチャイムが鳴り響いた。
 どうやら和泉が戻ってきたようだ。軽快な足取りで出迎えたのは、もちろん安芸だ。

「和矢君と広君、まだ繋がってる?」
「ごめん、ついさっき終わっちゃったんだ。二人とも和泉によろしくって言ってたよ」

 安芸が伝言を伝えると、和泉は残念そうに「そっかぁ……」と呟く。

「大丈夫、また近いうちに話す機会があるよ。少し待ってて、僕たちもすぐ準備するから」

 時刻は9時少し前。楽団の練習所はここから徒歩20分ぐらいの距離にあり、10時からの合奏には十分間に合うが、それまでに準備とウォーミングアップが必要だ。そうなると30分前までには着いておきたい。
 出掛ける準備を始めた俺たちだが、この部屋の住人でないはずの武蔵は何故か片付けをしていなかった。奴はクラリネットを手にした安芸を呼び止め、意外な要求をする。

「安芸君。もし良かったら、このままここで作業をさせてもらえませんか? いつもこの時間はカフェなどを探して使っているのですが、同じ場所を頻繁に使うわけにもいかず選ぶのが難しくて」
「えぇ、僕は別に構いませんが……」
「オイ待て本気か、部屋に入られたらどうすんだよ! 俺は反対だからな」

 勝手に許可しようとする安芸を、慌てて近江が止めた。俺も仲間といえ、住人以外に留守を任せるのはどうかと思うが。
 ところが、次の武蔵の提案で俺と近江は即刻意見を塗り替えた。

「野郎の部屋なんて、興味ないですから入りませんよ。夜はちゃんとホテルに帰りますし、なんなら日中に使わせてくれればここの家賃、僕が支払ってもいいで――」
「よろしくお願いしますッ!!」

 武蔵が言い終わらないうちに、俺たちは綺麗に頭を下げた。その素早さに武蔵はもちろん、玄関先で待っている和泉もキョトンと目を丸めて呆然としていた。
 実はシェアハウスの家賃は、その多くを安芸のバイト代で賄っている。アイツがしょっちゅうバイトで不在なのはそのためだ。俺も家庭教師のバイトをしているが、最近始めたばかりでまだ依頼は多くない。就職組の近江はバイトなんてするわけにいかねぇし。無論、収入ができれば家賃に当てるつもりだったが、それも1ヶ月くらい先になるだろう。

 要するに、俺と近江が安芸に頭が上がらないのは、この理由がデカいっつーわけ。

「あぁ……そう、ですか」

 半分冗談だったのか、まさか提案が飲まれると思っていなかっただろう武蔵は、動きが固まり明らかにたじろいでいた。
 奴の気が変わらないうちに近江の鍵を武蔵に預け、俺たちは楽団の練習へ足早に出発したのだった。



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 朝8時を過ぎた。土曜日の今日は楽団の練習日となっている俺たちは、あと1時間ほどで出発をしなければならない。
 やむを得ないと言えど無断外泊をさせてしまった和泉は、そろそろ帰らなければ親がまた心配するということで一旦帰宅させた。
 去り際に広が『あまりお話しできてないのだ!』と駄々をこねたが……いつもの明るさを取り戻したアイツは優しく宥め、俺がここへ運んだ時と違って笑顔で出て行った。
 それは他ならない、まだこの家に残っているコイツらのお陰だ。
「なるほど、3%の音のズレですか」
『はい。僕が解析したデータによれば|D3《レ》も|G3《ソ》も、基準周波数から3%下がったポイントで消失しています。恐らくこの〝3%〟という低下数値こそ、メストが音を奪う条件になっているのでしょう』
 和矢の見解に、武蔵は顎に指を添えて思考を巡らす。こうして真面目な顔を見ていると〝やはり副長だな〟と思うのだが、自分の容姿に異様な自信があるところは、前世とはえらい違いだ。
 とはいえ、このナルシスト社長と天才少年が制作した補聴器は、俺たちには聞こえない音の不具合を補正し、和泉の不快感を見事に解決した。
 和矢の指示でテストとしてテレビを付けた後、音が正常に聞こえた瞬間に和泉は嬉し泣きをしていた。俺たちと会う随分前から音のズレは発生していたのだから、何の違和感もない日常の音はアイツにとって久しぶりだったことだろう。嬉しくないはずがねぇ。
『以前に安芸さんへお伝えしたとおり、奴らは音の周波数を下げるための妨害電波を発生させています。この電波は僕たちには感じられませんが、ソプラとテナーが感知できるみたいです』
『えっへん! さすが、僕の相棒なのだ!』
 和矢の説明に、広が得意げな顔をして口を挟む。……さっきのワガママ坊主はどこへやら。
 だが兄貴分の和矢は嫌な顔をせず広を撫でて褒めると、話を続けた。
『ソプラは|D3《レ》と|G3《ソ》が消失した後から、妨害電波とは別の電波が発生したと言っています。これは僕の推測ですが、新たな電波は消失した音に偽装し、人間に気づかせないためのものかと思います』
 つまり今、地上には音の周波数を乱す妨害電波と、奪った音に擬態する偽装電波の2種類が溢れているということだ。そのせいで俺たちには、どのパターンも変わらず普通に聞こえ続けている。ただ一人、和泉だけを例外として。
 ――アイツもずっと一人で戦ってきたんだよな。
「フン。奴らにしては、随分と丁寧な仕事をしてくれてるじゃん」
「けれど、これ以上音を奪われ続けるわけにはいかないよ。僕らの力のためにも、和泉のためにも。……武蔵さん、何か策はありますか?」
 皮肉そうに鼻で笑う近江を横目に、安芸が武蔵に問う。いつの間にか安芸は、すっかり武蔵を頼りにしているようだ。
 脳内で情報を整理しているのか、いつの間にやら目を閉じて会話を聞いていた武蔵は、ゆっくりとその漆黒の瞳を開いた。
「和矢君。その電波の出所を探ることはできますか?」
 その一言で、武蔵が何をしようとしているかすぐに分かった俺たちは、僅かに目を見開いた。思わず俺は椅子から立ち上がる。
「まさか電波を辿って、メストの潜伏先を暴く気か? 奴らがそんな簡単に尻尾を掴ませるとも思えねぇが」
「でしょうね。しかし他に手がかりがない以上、可能性のある方法を潰していくしかありません。我々も攻められるばかりではいられませんから。……和矢君、どうですか?」
 副長の期待を込めた視線に、和矢は一度大きく息を吐いた後、力強く『やってみます』と応えた。
 リモート会議を終えた頃、シェアハウスにチャイムが鳴り響いた。
 どうやら和泉が戻ってきたようだ。軽快な足取りで出迎えたのは、もちろん安芸だ。
「和矢君と広君、まだ繋がってる?」
「ごめん、ついさっき終わっちゃったんだ。二人とも和泉によろしくって言ってたよ」
 安芸が伝言を伝えると、和泉は残念そうに「そっかぁ……」と呟く。
「大丈夫、また近いうちに話す機会があるよ。少し待ってて、僕たちもすぐ準備するから」
 時刻は9時少し前。楽団の練習所はここから徒歩20分ぐらいの距離にあり、10時からの合奏には十分間に合うが、それまでに準備とウォーミングアップが必要だ。そうなると30分前までには着いておきたい。
 出掛ける準備を始めた俺たちだが、この部屋の住人でないはずの武蔵は何故か片付けをしていなかった。奴はクラリネットを手にした安芸を呼び止め、意外な要求をする。
「安芸君。もし良かったら、このままここで作業をさせてもらえませんか? いつもこの時間はカフェなどを探して使っているのですが、同じ場所を頻繁に使うわけにもいかず選ぶのが難しくて」
「えぇ、僕は別に構いませんが……」
「オイ待て本気か、部屋に入られたらどうすんだよ! 俺は反対だからな」
 勝手に許可しようとする安芸を、慌てて近江が止めた。俺も仲間といえ、住人以外に留守を任せるのはどうかと思うが。
 ところが、次の武蔵の提案で俺と近江は即刻意見を塗り替えた。
「野郎の部屋なんて、興味ないですから入りませんよ。夜はちゃんとホテルに帰りますし、なんなら日中に使わせてくれればここの家賃、僕が支払ってもいいで――」
「よろしくお願いしますッ!!」
 武蔵が言い終わらないうちに、俺たちは綺麗に頭を下げた。その素早さに武蔵はもちろん、玄関先で待っている和泉もキョトンと目を丸めて呆然としていた。
 実はシェアハウスの家賃は、その多くを安芸のバイト代で賄っている。アイツがしょっちゅうバイトで不在なのはそのためだ。俺も家庭教師のバイトをしているが、最近始めたばかりでまだ依頼は多くない。就職組の近江はバイトなんてするわけにいかねぇし。無論、収入ができれば家賃に当てるつもりだったが、それも1ヶ月くらい先になるだろう。
 要するに、俺と近江が安芸に頭が上がらないのは、この理由がデカいっつーわけ。
「あぁ……そう、ですか」
 半分冗談だったのか、まさか提案が飲まれると思っていなかっただろう武蔵は、動きが固まり明らかにたじろいでいた。
 奴の気が変わらないうちに近江の鍵を武蔵に預け、俺たちは楽団の練習へ足早に出発したのだった。