緊張で口から胃が出そうだった。
映研では学園祭などのイベントとは関係なく、半年に一度映画を土曜日に公開する習わしがあるらしい。午前中は部活がある生徒も、わざわざ昼ご飯を持って学内に待機するほどの人気ぶりだそうだ。
予定では三十分の上映、十五分の舞台挨拶、そして次の上映準備の合計一時間のスパンを十七時まで続けることになっている。
如月さんと水上先輩は上映でイレギュラーが起こった時の為に視聴覚室に待機していて、私と監督は生徒に整理券を渡す係だった。
「何で私が外なんですか! まだ完成した映像見せてもらってないのに」
私がキャンキャン吠えると、監督は「ちょっ、中は上映中だから静かにしなさい」と慌てながら「だってもし自分の演技を見て『やっぱり公開しないでください~』って言われても困るから」と言いながら、いつかの泣き真似をして見せた。少なくともこの人の演技よりは上達した自信がある。
私は今日、金髪と眼鏡をセットしていた。こうしていると、背筋を丸めてはいけないと思う。初めてカメラの前という世界を飛び出して、ニイカワがここにいる。
「大丈夫です。私はただの端役だけど、ニイカワは違うから」
私がそう言うと、監督は大きく息を吐いた。
「如月の名演技でも伝わらないなんて、筋金入りだね葛西さんは……。いいかい? 君は変わる必要はない。必要なのは、自覚だけだ」
え? と振り返る前に、トンと背中が押された。私は暗幕に吸い込まれるように視聴覚室へ入る。背後から監督の言葉が聞こえてきた。
「今日、葛西さんは葛西さんのままで“化ける”んだよ」
そこまで勢いがなかったので、光が入らないように暗幕の裾を掴んですぐに閉じる。観客を背中から見る経験は初めてだった。画面の向こうのキサラギを食い入る様に見つめる親衛隊。椅子に背中をつけて腕を組んでいる人も、その横顔は楽しそうな笑みを讃えている。
『――お前ら、もういい加減にしとけ』
ニイカワの声が響き渡る。私は初めて映像を見て、愕然とした。
スクリーンの中、金髪でもない、メガネもかけていない、ありのままの葛西新菜がそこにいた。
『くだらないもしもの可能性にすがって妬むのはやめろよ気持ちわりぃ』
なんで。金髪は? 眼鏡は? 一回目は練習って監督言ってたよね。
頭が混乱して状況をまるで飲み込めない。飲み込めないけれど、スクリーンから目をそらすこともできない。画面の中にいる私は、それでも……。
「葛西新菜なのに、誰よりもニイカワに見えるでしょ?」
いつの間にか監督が隣に来ていた。私はその言葉に頷く。でも、ちょっと待って。監督の肩を音に配慮しながら拳で叩く。これは、これは、どういう!
監督は「ちょっ、だから上映中」と小声で言いながらもにやついていて、その横顔はシーンが変わる度にぴかぴかと光った。
「最初に言ったはずだよ。最後のピースは君しかありえないって。葛西さんはあの時、金髪で眼鏡を掛けていたかい?」
私は首を横に振る。じゃあ、本当に私が欲しくて声を掛けてくれたってことですか。声が出せないから目だけで訴える。監督は読み取ってくれたようで、
「別人を演じる才能なんて後から付いてくる。僕は自分を端役だと思い込んでる人が、主役でもあったと自覚する瞬間がとてもすきなんだ。見ていてわくわくする。如月も、水上もそうだった」
と、本当に嬉しそうに笑った。
監督が外へ出ていくので、私も付いていく。まだまだ多くの人に私のデビュー作を見てもらうために、整理券を配らなければならない。
「ところで葛西さん、次に撮る映画の相談なんだけど」
「気が早くないですか。ニイカワは私のままでいけましたけど、次は最初っから全くの別人をやるんですよね? 自信ありませんよ」
私がそう言うと、監督はもう舞台挨拶で必要なくなった金髪と眼鏡を私から外した。
「大丈夫、安心してくれたまえ。実はすでに、君が自然に演技しやすいように手は打っている。なんたって」
監督はおもむろに私の手を握った。リングのような感触が手のひらに伝わり、背筋に悪寒が走る。
これは、まさか。
おびえながら監督の目をのぞき込むと、彼は悪びれもしないで言った。
「金髪と眼鏡は、次に演じてもらう役用の小道具だったからね」