表示設定
表示設定
目次 目次




2

ー/ー



「楓さぁ、あの子と関わるのやめたほうがいいよ」
「……え?」
「七南ちゃん」
「あぁ……うん……」
 あぁ、また。
 また、こうやって犠牲者が生まれる。あの日の私が、生まれる。
 でも、仕方ない。学校とはそういうものだ。標的が私じゃないんだから、いいじゃないか。
 心の中に棲むもうひとりの私が、低い声で囁き始める。
 みんなが七南をウザがる理由も、はぶりたがる理由も分からなくはない。
 私だって、関わりたくない。だって、仲間はずれにされたくないから。
 でも……。
 でも、本当にそれでいいの? 私が関わりたくないのは、本当に七南のほう?
 ……いや、違う。私は、七南のことが好き。素直で可愛くて、大好き。
「…………」
 奥歯を噛み締めた。
 ここで引いちゃダメだ。きっと、一生後悔する。
 ……だから。
 頑張れ、私。
「……でも、七南は嘘はついてないよ」
「え?」
「周りに合わせて自分に嘘ついて、思ってもないことを言い合ってる私たちなんかより、ずっとマシじゃないかな」
 空気が凍りつく音がした。
「……は?」
「なにそれ。どういう意味?」
「…………あ、いや……」
 ふたりの気迫に目が泳ぐ。
 怖い。
 沈黙が怖くてたまらない。でも、今引いちゃダメ。絶対、ダメ。
「楓、今あたしらのことバカにしたよね?」
「最悪。何様?」
「ち、違うよ。そんなつもりはなくて……」
「まぁいいけど。幼なじみは幼なじみ同士、仲良くしてたらいいんじゃん?」
「だねー。うちらには関係ないから」
「…………」
 冷ややかな声に、私は黙り込んだ。
 あぁ、と下を向く。
 やっぱり、こうなるんだ。
 みんなと違う意見は、弾かれる。ただ自分の意見を言っただけなのに。
 敵だと認識される。
 どうして? 自分の意見を言うことって、そんなにいけないことなの?
 七南があんたらになにをしたっていうの?
 七南はいい子だ。嘘がなくて、明るくて。七南はあんたたちになにかを言われるようなことなんて、なにひとつしていない。
 だから私は腹が立ったんだ。私の大切な七南を陥れるようなことを言うから……。
 私は、顔を上げてはっきりと告げる。
「私はただ、事実を言っただけだよ。あんたらこそ寄って集って七南を悪者にして、バカじゃないの? どうせ、七南が羨ましいんでしょ。可愛くて男子に人気があって、好き勝手に生きてるから」
「はぁ?」
「なんで私たちが」
「羨ましいなら、あんたらもああいうふうに生きればいいじゃん。女同士で足の引っ張り合いなんかしてないで、影から媚び売ったりしてないでさ。言っておくけど私、あんたたちと一緒にいるより、七南といるときのほうがずっと楽しいから! あんたたちにはぶられても、ぜんぜん痛くも痒くもないんだから」
 早口で言い捨てると、奈緒たちはしばらく私を睨みつけたあと、小さく舌打ちをした。
「……ウザ。行こ」
「……だね」
 ふたりは、私を無視して行ってしまった。 
 ふたりの後ろ姿を見つめたまま立ち尽くした。ため息が漏れる。
 あーぁ。やってしまった。
 今さらになって、私は自分が犯してしまった罪を自覚する。
 奈緒と千聖に嫌われたら、私はもうあの教室では生きていけない。
 きっと明日からまたいじめが始まる。あの日々が戻ってくる。
 どうしよう、どうしよう……。
 冷や汗をかきながらぐるぐる考えていると、突然背中に衝撃が走った。
「楓ちゃん! やっほ!」
「わっ」
 顔だけ振り向くと、七南が私の背中に抱きついていた。
「……七南。なに?」
「…………」
 七南はなにも言わず、私にぎゅっと抱きついた。七南の手は少し、震えていた。
 もしかして今の話、聞いていたのだろうか。
「……七南、えと、今のは……」
 口を開いた瞬間、七南がパッと私から離れた。
「……なんでもない! ね! お昼食べに行こーよ」
「……あ、うん。じゃあ、購買行く?」
「行く!」
 にっと笑う七南を見て、どこか心が軽くなった私がいた。
 やっぱり私がさっきした選択はきっと、間違ってなんていない。


 ***


 翌日。
 いよいよ、私に対するいじめが始まった。
 内容は、クラスメイトの女子による無視だ。
 挨拶しても返ってこない。
 教室に入った瞬間、ピリッと空気が張り詰める。私に挨拶を返していいのかと問うような、視線での会話があちこちでされ、私は俯いた。
 ……あぁ、この感じは。
 中学の頃と同じだ。私が、クラス中に無視されていた頃の……。
 重い空気に耐えられず、視界が滲む。だけど、ダメ。泣いちゃダメ。だって、この状況を後悔したら、昨日の私が可哀想だ。
 そのときだった。
「おはよー! 楓ちゃん!」
 雲の切れ間からすっと射し込む、太陽の光のような声が響いた。
「!」
 弾かれたように顔を上げる。そこには、笑顔の七南がいた。
 教室に入るなり、七南は私に大きな声で挨拶をして、駆け寄ってくる。
「おはよ? 楓ちゃん」
 となりの席に座り、もう一度私を見た。硬直したままの私を見て、首をこてんと傾げる。
「あ……七南。おはよ」
「ねぇねぇ、昨日のドラマ見た!? 私我慢できなくてリアタイで見たんだけどさぁ、あの展開はなくない!? ねぇ!」
「えっ……? あ……」
 困惑していると、七南は再び首を傾げる。
「どしたの、楓ちゃん」
 どうしたのって……。
 この子はどれだけ周りを見ないのだろう。
「……あの、ちょっと、いい?」
 私は小声で七南を呼び、教室を出た。人気のない中庭に入ったところで、私は七南を振り返る。
「あのさ、教室ではあんま私に話しかけないほうがいいよ」
「え? どして?」
「どして、って……七南、あの空気感じなかったの? 私、みんなに嫌われてるの。無視されてるの。だから……」
「だからなに?」
「え……」
 あまりにまっすぐな瞳で見返され、息が詰まりそうになる。
「みんなが楓ちゃんをどう思ってるかなんてどーでもいいよ。私は好きだから話しかけてるんだよ、楓ちゃんに」
「……でも、私と関わったら、七南まで無視されるよ」
「べつにいいけど? だって、私が仲良くしたいのは楓ちゃんだもん」
 七南はそう言って、私の手をぎゅっと握った。
「…………七南は、強いね」
 私も七南のように生きられたら、どれだけ……。
「えーそぉ? ふつうじゃない?」
 ふつうじゃない。少なくとも、私にそんな度胸はない。今も、昔も。
「……私、中学のときいじめられてたの。っていってもなにかされるとかじゃなくて、ただ無視されてただけなんだけど……だけど、あの空気は今もまだ怖い。だから高校では必死に居場所作ってたんだ。それで……自分のために七南のこと仲間はずれにしようとした……ごめん」
 本当にごめんなさい。そう言って、私は七南に深く頭を下げた。
「……ねぇ、楓ちゃんは私のこときらい?」
 七南の問いかけに、私は勢いよく顔を上げて、ぶんぶんと首を振る。
「きらいじゃない! 七南が転校してきたとき、すごく嬉しかったもん」
 小さな声で言うと、七南は「なら許す!」と笑った。
 そして、
「こんなにたくさんのひとが集まってるんだから、合わない子がいるのなんて当然だよ。そんな子たちにいちいち合わせてたらキリがなくない? ひとりに合わせたらどうしたってほかの子から反感買うんだし。そんなことに神経使うなら、私は好きな子とだけ遊んで笑ってたいな。実際今私、楓ちゃんと話してるだけですっごい楽しいもん!」
「……七南……」
 私は込み上げるものをどうにか抑えながら、七南を見る。
「無理に全員と仲良くならなくてもいいのかな……? それでも私の居場所は、ある?」
「あるよ! 私が楓ちゃんの居場所になる! 楓ちゃんのことが大好きだから!」
 屈託なく笑う七南は、あの頃と変わらず無邪気で可愛くて。その笑顔を見ていたら、私の中で澱んでいたなにかが溶けて流れていくようだった。
 空を見上げる。
 夏になる前の空は青いけど、少しだけ霞んでいた。空へ顔を向けたまま、私は大きく息を吐く。
「……あーもう。今まで悩んでたのがバカみたいじゃん。私」
「ははっ! そーだよ、バーカバーカ!」
「ふふっ……バカ言うな」
 思わず笑うと、七南がふと嬉しそうに目を細めた。
「へへっ。どーいたしまして〜」
 直後、なんとも呑気な返事が返ってきて、私はさらに笑う。
「……それにしても、七南って悩みとかぜんぜんなさそうだよね。羨ましいわ、その肝の座りよう」
 すると、七南はすぐに言い返してきた。
「むっ! 失礼な。私にだって悩みくらいあるよ!」
「えーたとえば?」
 七南は少しの間黙り込み、そしてパッと顔を上げた。
「最近ずーっと考えてたことがあるよ」
「なに?」
 首を傾げると、七南はすっと私を指さした。
「私?」
「そう。楓ちゃん、あの頃に比べてぜんぜん笑わなくなったなぁって思ってた」
「え……」
 どきりとした。慌てて七南から目を逸らす。
「そ、そんなことないよ。笑ってるよ」
「まぁそうなんだけど。でも、最近の楓ちゃんの笑顔って、なんていうか愛想笑い? みたいでぜんぜん可愛くないんだもん」
「失礼な」
「えへ。でもね、さっきの笑顔はすっごく可愛かったよ」
「さっき?」
「私がバーカって言ったとき! 久しぶりに、楓ちゃんの笑顔見た気がした!」
 言いながら、七南は茶目っ気たっぷりに私に絡みつく。
「さっきね、やっと幼稚園の頃の楓ちゃんが戻ってきたって思ったんだ! 私、今みたいな楓ちゃんの笑顔が大好きだった! おかえり、楓ちゃん」
「……七南……」
 言われて初めて気が付く。
 こんなふうに、素直に笑ったのはいつぶりだろう。
 いつもだれかに合わせてばかりで、いつの間にか、うまく笑うことさえできなくなっていた。鏡の中の自分がきらいで仕方なかった。
「……うん。ただいま、七南」
 私は偽りのない笑顔を浮かべて、目の前の小さな大親友に抱きついた。
「ありがとう、七南」
 明日の朝起きて鏡を見たら、久しぶりに会う私に言いたい。
「おかえり、私」
 そう、笑って。



スタンプを贈って作者を応援しよう!



みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



「楓さぁ、あの子と関わるのやめたほうがいいよ」
「……え?」
「七南ちゃん」
「あぁ……うん……」
 あぁ、また。
 また、こうやって犠牲者が生まれる。あの日の私が、生まれる。
 でも、仕方ない。学校とはそういうものだ。標的が私じゃないんだから、いいじゃないか。
 心の中に棲むもうひとりの私が、低い声で囁き始める。
 みんなが七南をウザがる理由も、はぶりたがる理由も分からなくはない。
 私だって、関わりたくない。だって、仲間はずれにされたくないから。
 でも……。
 でも、本当にそれでいいの? 私が関わりたくないのは、本当に七南のほう?
 ……いや、違う。私は、七南のことが好き。素直で可愛くて、大好き。
「…………」
 奥歯を噛み締めた。
 ここで引いちゃダメだ。きっと、一生後悔する。
 ……だから。
 頑張れ、私。
「……でも、七南は嘘はついてないよ」
「え?」
「周りに合わせて自分に嘘ついて、思ってもないことを言い合ってる私たちなんかより、ずっとマシじゃないかな」
 空気が凍りつく音がした。
「……は?」
「なにそれ。どういう意味?」
「…………あ、いや……」
 ふたりの気迫に目が泳ぐ。
 怖い。
 沈黙が怖くてたまらない。でも、今引いちゃダメ。絶対、ダメ。
「楓、今あたしらのことバカにしたよね?」
「最悪。何様?」
「ち、違うよ。そんなつもりはなくて……」
「まぁいいけど。幼なじみは幼なじみ同士、仲良くしてたらいいんじゃん?」
「だねー。うちらには関係ないから」
「…………」
 冷ややかな声に、私は黙り込んだ。
 あぁ、と下を向く。
 やっぱり、こうなるんだ。
 みんなと違う意見は、弾かれる。ただ自分の意見を言っただけなのに。
 敵だと認識される。
 どうして? 自分の意見を言うことって、そんなにいけないことなの?
 七南があんたらになにをしたっていうの?
 七南はいい子だ。嘘がなくて、明るくて。七南はあんたたちになにかを言われるようなことなんて、なにひとつしていない。
 だから私は腹が立ったんだ。私の大切な七南を陥れるようなことを言うから……。
 私は、顔を上げてはっきりと告げる。
「私はただ、事実を言っただけだよ。あんたらこそ寄って集って七南を悪者にして、バカじゃないの? どうせ、七南が羨ましいんでしょ。可愛くて男子に人気があって、好き勝手に生きてるから」
「はぁ?」
「なんで私たちが」
「羨ましいなら、あんたらもああいうふうに生きればいいじゃん。女同士で足の引っ張り合いなんかしてないで、影から媚び売ったりしてないでさ。言っておくけど私、あんたたちと一緒にいるより、七南といるときのほうがずっと楽しいから! あんたたちにはぶられても、ぜんぜん痛くも痒くもないんだから」
 早口で言い捨てると、奈緒たちはしばらく私を睨みつけたあと、小さく舌打ちをした。
「……ウザ。行こ」
「……だね」
 ふたりは、私を無視して行ってしまった。 
 ふたりの後ろ姿を見つめたまま立ち尽くした。ため息が漏れる。
 あーぁ。やってしまった。
 今さらになって、私は自分が犯してしまった罪を自覚する。
 奈緒と千聖に嫌われたら、私はもうあの教室では生きていけない。
 きっと明日からまたいじめが始まる。あの日々が戻ってくる。
 どうしよう、どうしよう……。
 冷や汗をかきながらぐるぐる考えていると、突然背中に衝撃が走った。
「楓ちゃん! やっほ!」
「わっ」
 顔だけ振り向くと、七南が私の背中に抱きついていた。
「……七南。なに?」
「…………」
 七南はなにも言わず、私にぎゅっと抱きついた。七南の手は少し、震えていた。
 もしかして今の話、聞いていたのだろうか。
「……七南、えと、今のは……」
 口を開いた瞬間、七南がパッと私から離れた。
「……なんでもない! ね! お昼食べに行こーよ」
「……あ、うん。じゃあ、購買行く?」
「行く!」
 にっと笑う七南を見て、どこか心が軽くなった私がいた。
 やっぱり私がさっきした選択はきっと、間違ってなんていない。
 ***
 翌日。
 いよいよ、私に対するいじめが始まった。
 内容は、クラスメイトの女子による無視だ。
 挨拶しても返ってこない。
 教室に入った瞬間、ピリッと空気が張り詰める。私に挨拶を返していいのかと問うような、視線での会話があちこちでされ、私は俯いた。
 ……あぁ、この感じは。
 中学の頃と同じだ。私が、クラス中に無視されていた頃の……。
 重い空気に耐えられず、視界が滲む。だけど、ダメ。泣いちゃダメ。だって、この状況を後悔したら、昨日の私が可哀想だ。
 そのときだった。
「おはよー! 楓ちゃん!」
 雲の切れ間からすっと射し込む、太陽の光のような声が響いた。
「!」
 弾かれたように顔を上げる。そこには、笑顔の七南がいた。
 教室に入るなり、七南は私に大きな声で挨拶をして、駆け寄ってくる。
「おはよ? 楓ちゃん」
 となりの席に座り、もう一度私を見た。硬直したままの私を見て、首をこてんと傾げる。
「あ……七南。おはよ」
「ねぇねぇ、昨日のドラマ見た!? 私我慢できなくてリアタイで見たんだけどさぁ、あの展開はなくない!? ねぇ!」
「えっ……? あ……」
 困惑していると、七南は再び首を傾げる。
「どしたの、楓ちゃん」
 どうしたのって……。
 この子はどれだけ周りを見ないのだろう。
「……あの、ちょっと、いい?」
 私は小声で七南を呼び、教室を出た。人気のない中庭に入ったところで、私は七南を振り返る。
「あのさ、教室ではあんま私に話しかけないほうがいいよ」
「え? どして?」
「どして、って……七南、あの空気感じなかったの? 私、みんなに嫌われてるの。無視されてるの。だから……」
「だからなに?」
「え……」
 あまりにまっすぐな瞳で見返され、息が詰まりそうになる。
「みんなが楓ちゃんをどう思ってるかなんてどーでもいいよ。私は好きだから話しかけてるんだよ、楓ちゃんに」
「……でも、私と関わったら、七南まで無視されるよ」
「べつにいいけど? だって、私が仲良くしたいのは楓ちゃんだもん」
 七南はそう言って、私の手をぎゅっと握った。
「…………七南は、強いね」
 私も七南のように生きられたら、どれだけ……。
「えーそぉ? ふつうじゃない?」
 ふつうじゃない。少なくとも、私にそんな度胸はない。今も、昔も。
「……私、中学のときいじめられてたの。っていってもなにかされるとかじゃなくて、ただ無視されてただけなんだけど……だけど、あの空気は今もまだ怖い。だから高校では必死に居場所作ってたんだ。それで……自分のために七南のこと仲間はずれにしようとした……ごめん」
 本当にごめんなさい。そう言って、私は七南に深く頭を下げた。
「……ねぇ、楓ちゃんは私のこときらい?」
 七南の問いかけに、私は勢いよく顔を上げて、ぶんぶんと首を振る。
「きらいじゃない! 七南が転校してきたとき、すごく嬉しかったもん」
 小さな声で言うと、七南は「なら許す!」と笑った。
 そして、
「こんなにたくさんのひとが集まってるんだから、合わない子がいるのなんて当然だよ。そんな子たちにいちいち合わせてたらキリがなくない? ひとりに合わせたらどうしたってほかの子から反感買うんだし。そんなことに神経使うなら、私は好きな子とだけ遊んで笑ってたいな。実際今私、楓ちゃんと話してるだけですっごい楽しいもん!」
「……七南……」
 私は込み上げるものをどうにか抑えながら、七南を見る。
「無理に全員と仲良くならなくてもいいのかな……? それでも私の居場所は、ある?」
「あるよ! 私が楓ちゃんの居場所になる! 楓ちゃんのことが大好きだから!」
 屈託なく笑う七南は、あの頃と変わらず無邪気で可愛くて。その笑顔を見ていたら、私の中で澱んでいたなにかが溶けて流れていくようだった。
 空を見上げる。
 夏になる前の空は青いけど、少しだけ霞んでいた。空へ顔を向けたまま、私は大きく息を吐く。
「……あーもう。今まで悩んでたのがバカみたいじゃん。私」
「ははっ! そーだよ、バーカバーカ!」
「ふふっ……バカ言うな」
 思わず笑うと、七南がふと嬉しそうに目を細めた。
「へへっ。どーいたしまして〜」
 直後、なんとも呑気な返事が返ってきて、私はさらに笑う。
「……それにしても、七南って悩みとかぜんぜんなさそうだよね。羨ましいわ、その肝の座りよう」
 すると、七南はすぐに言い返してきた。
「むっ! 失礼な。私にだって悩みくらいあるよ!」
「えーたとえば?」
 七南は少しの間黙り込み、そしてパッと顔を上げた。
「最近ずーっと考えてたことがあるよ」
「なに?」
 首を傾げると、七南はすっと私を指さした。
「私?」
「そう。楓ちゃん、あの頃に比べてぜんぜん笑わなくなったなぁって思ってた」
「え……」
 どきりとした。慌てて七南から目を逸らす。
「そ、そんなことないよ。笑ってるよ」
「まぁそうなんだけど。でも、最近の楓ちゃんの笑顔って、なんていうか愛想笑い? みたいでぜんぜん可愛くないんだもん」
「失礼な」
「えへ。でもね、さっきの笑顔はすっごく可愛かったよ」
「さっき?」
「私がバーカって言ったとき! 久しぶりに、楓ちゃんの笑顔見た気がした!」
 言いながら、七南は茶目っ気たっぷりに私に絡みつく。
「さっきね、やっと幼稚園の頃の楓ちゃんが戻ってきたって思ったんだ! 私、今みたいな楓ちゃんの笑顔が大好きだった! おかえり、楓ちゃん」
「……七南……」
 言われて初めて気が付く。
 こんなふうに、素直に笑ったのはいつぶりだろう。
 いつもだれかに合わせてばかりで、いつの間にか、うまく笑うことさえできなくなっていた。鏡の中の自分がきらいで仕方なかった。
「……うん。ただいま、七南」
 私は偽りのない笑顔を浮かべて、目の前の小さな大親友に抱きついた。
「ありがとう、七南」
 明日の朝起きて鏡を見たら、久しぶりに会う私に言いたい。
「おかえり、私」
 そう、笑って。