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1

ー/ー




 私は口から言葉を吐くたび、己を忘れていく。
 まばたきをするたび、視界が曇って、濁って、どんどん自分自身のことが分からなくなっていく。

 だれか。だれか、助けて。息ができないの。だれか……。

 いつしか、叫ぶことすらできなくなっていた。

 そんな真っ暗闇の中で彷徨(さまよ)う私の手を取ってくれたのは――。
「久しぶり! (かえで)ちゃん!」
「……七南(ななみ)?」 
 あの頃からなにひとつ変わらない笑顔を浮かべる、あなただった。


 ***


 
「――楓って、なんかウザくない?」
 始まりは、だれかのさり気ないひとことだった。
「……あー……分かるー」
「だよねー。私もそう思ってた」
 空気のように軽いノリで、仲が良かったメンバーからはぶかれた。
 無視されるたび、こそこそと陰口を叩かれるたび、心が冷えていく。
 私のなにが悪かったんだろう。
 私は彼女たちに、なにか気に障ることをしたのだろうか。
 だれか、教えて。いくら考えても分からないの。教えてくれたら、私、直すから。悪いところ直すから。だから……。
「どうしてっ……!」
 自分の声に驚いて、ハッと目が覚める。
「……なんだ、夢か」
 身体を起こしながら、額をつたう汗を手のひらで拭う。
 その夢は、私が中学三年のときのできごとだった。
 中学三年の春、私はいじめというものの当事者になった。そして、それを対処することができないままに卒業した。
 だから、高校は地元から離れた場所を選んで、一からやり直すつもりで入学した。
「……起きなきゃ」
 ベッドから降り、パジャマを脱ぐ。
「……ブス」
 鏡に映る自分を見つめて、ため息が出そうになった。
 高校生になった私は、中学三年のときと同じ過ちを犯さないよう、必死に仮面を被っている。


 ***


「おはよー、楓!」
 昇降口に入ったところで、後ろからぽんっと肩を叩かれた。振り返ると、長い黒髪を高い位置で結った少女と目が合った。
「あ、おはよう。奈緒(なお)
 クラスメイトの奈緒だ。
「ねぇ、楓ー! 今日の小テスト勉強した!? ヤバいよぉ。あたし、完全に終わったよ。テストがあること、今朝思い出したんだよ」
 奈緒は頭を抱えながら呻いた。そんな奈緒に、私は苦笑しつつ言う。
「よかったら、昨日まとめたノート見る?」
 その瞬間、待ってましたと言わんばかりに奈緒の瞳が輝いた。
「えっ! マジ!? いいの!?」
「でも、ヤマが外れても私のせいにしないでよ?」
「そんなことしないよ! ありがと楓ー!!」
 奈緒は甲高い声を上げて、私に抱きついた。
「分かったから、もう。歩きづらいってば……」
「楓大好きー!!」
 抱きついてくる奈緒を背負いながら、私は教室のドアをくぐった。


 ***

 
 始業開始のチャイムが鳴る。と同時に、担任である山並(やまなみ)先生が教室に入ってきた。
「はーい、みんな。今日は転校生を紹介しますよ」
「えっ!? 転校生!?」
「マジで!?」
 二年のこんな時期に転校生だなんて、珍しい。付き合いづらい子じゃないといいな。
 窓の外をぼんやりと眺めたまま、私は先生の話を聞いていた。
「どうぞ、入って」
 先生の声を合図に、がらりと扉が開く。
 その子は。
 まるで季節が冬から春へ移り変わるように。
 雨粒が空から落ちてくるように。
 ごくごく当たり前に、私の前に現れた。
「――春宮(はるみや)七南です! よろしくお願いします」
 その名前を聞いた瞬間。
 頬杖をついていた手を離し、私は窓から教壇へと視線を流す。
 教壇に立った少女と、かちりと目が合った。
「久しぶり! 楓ちゃん!」
「え……七南?」
 たとえるならば、桜前線。
 ふと、私は彼女の声を、春を呼ぶ小鳥のさえずりのようだと思ったあの日のことを思い出した。
「楓、知り合い?」
「あ……うん。幼稚園の頃の幼なじみ」
 ……たしか、そう。同姓同名でなければ。
「はいはいっ、先生! 私、楓ちゃんのとなりがいい!」
「うーん、まぁ慣れるまではそのほうがいいか。水瀬(みなせ)、いい?」
「え? あ……はい」
 七南は、驚くほどあの頃から変わっていなかった。
 無邪気で思ったことをなんでも口にするところも、状況なんてかまわず、大きな声で笑うところも。
 再会できたことは、素直に嬉しかった。
 けれど同時に、私の脳は指令を出した。
 ――この子は、危ないと。


 ***


 春宮七南は、私が幼稚園の頃仲が良かった女の子だ。あの頃の七南は、素直で無邪気でいつも笑っていて。
 まるで凍てついた季節を優しく溶かす、優しい陽だまり。生命を生み出す桜前線のようだった。
 あれから十年以上が経っているというのに、七南はあの頃からなにも変わっていなかった。
 明るくて、素直で。
 状況をうかがってばかりの私とは大違い……。

 お昼休みになると、七南はさっそく私に話しかけてきた。
「ねぇねぇ楓ちゃん! 今日のお昼、一緒に食べようよ」
「あ、うん……でも、みんなにも聞いてみないと」
「みんな?」
 七南が首を傾げる。
「うん。私、いつも奈緒と千聖(ちさと)と一緒に食べてるから」
「そうなんだ!」
 私は、ひやひやしながら奈緒と千聖を見た。ふたりは笑顔で手を振っている。どうやら七南を受け入れてもらえるらしい。
 ホッとして、七南を見た。
「いいって。じゃあ七南、行こ」
「うん!」
 笑顔で頷く七南は、手ぶらだ。
「あれ? お弁当は?」
「今日忙しくて買えなかったから、購買で買おうと思ってるんだ!」
「え……購買?」
 ひやりとする。
「楓ちゃんも一緒に行こうよ!」
「ま、待って。購買は三年生しかダメだよ……」
「え? なんで?」
 七南がきょとんとした顔で首を傾げる。
 購買とは、高校の内部にある売店のことだ。主にパンやお弁当、ジュースなどお昼ご飯を売っている。
 学生は、一年から三年まで利用することは許されてはいるけれど、実際に私は使ったことがない。
 何度か購買部の前を通ったことがあるけれど、お昼休みはいつも三年生がうじゃうじゃいて、私たちは入る隙もなかった。
 購買は、基本的に三年生が使うものだ。そういうものだって、入学したときから決まっている。だからそもそも購買に行こうだなんて思わないのに。
「そういうものなんだよ。だから、下級生はあんまり行かない」
「え、なにそれ。お弁当買うのに先輩の許可が必要なの?」
「そうじゃないけど……」
「下級生とかそういうの、ただお昼買うだけなのに、そんなの関係なくない?」
「でも、そういうものなんだよ」
「えーなにそれ、謎」
 ――本当にね。
 そう返したかったけれど、臆病な私は小さく笑みを返すことしかできなかった。
「とにかく、私の分けてあげるから行こ」
「えっ、ほんと? やったー!」


 ***

 
 それから一ヶ月。
 七南は、最初こそ明るく無邪気でみんなに慕われていたものの、次第に少しづつ避けられるようになっていた。
 異質な存在。それが、七南だった。
「七南ちゃんって、ちょっと空気読めないよね」
「そうそう。結構気遣う」
「ぶりっ子だし」
「つか、なんで二年で転校してきたんだろうね?」
「いじめとか?」
「あぁ、有り得るー」
 低く響くヒソヒソ声。
 陰では、七南は言われ放題だった。
「楓もさぁ、七南ちゃんと結構仲良いよね」
「え?」
 不意に話題を向けられ、背筋が伸びた。
「あー。幼なじみ、なんだっけ?」
 どうしよう。なんて言おう。
 みんなの冷ややかな視線が怖い。
 まずい。ここで選択肢を間違ってはいけない。だって、間違ったらまた……。
「……いや、ぜんぜん。仲が良かったのなんてずっと昔の話だし、久しぶり過ぎて正直覚えてなかったよ」
 言ってから、心に棘が刺さったような痛みが走った。
「だよねー」
「関わりたくないよね」
「七南ちゃんってなんかうちらと違うし」
「ふつうに無理だよね」
「……うん」
 ふたりは()めた口調で話しながら、私を見た。
 学校で、特に女性中心の場所で孤立することは、その社会での死を意味する。
 だから、協調性のない七南は特に好まれない。
 でも……七南って、この子たちになにか不利益になること、してたっけ?
 ただ、自分らしくいただけじゃなかったっけ……?
 胸の奥では、もやもやした感情が渦巻いていた。


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 まばたきをするたび、視界が曇って、濁って、どんどん自分自身のことが分からなくなっていく。
 だれか。だれか、助けて。息ができないの。だれか……。
 いつしか、叫ぶことすらできなくなっていた。
 そんな真っ暗闇の中で|彷徨《さまよ》う私の手を取ってくれたのは――。
「久しぶり! |楓《かえで》ちゃん!」
「……|七南《ななみ》?」 
 あの頃からなにひとつ変わらない笑顔を浮かべる、あなただった。
 ***
「――楓って、なんかウザくない?」
 始まりは、だれかのさり気ないひとことだった。
「……あー……分かるー」
「だよねー。私もそう思ってた」
 空気のように軽いノリで、仲が良かったメンバーからはぶかれた。
 無視されるたび、こそこそと陰口を叩かれるたび、心が冷えていく。
 私のなにが悪かったんだろう。
 私は彼女たちに、なにか気に障ることをしたのだろうか。
 だれか、教えて。いくら考えても分からないの。教えてくれたら、私、直すから。悪いところ直すから。だから……。
「どうしてっ……!」
 自分の声に驚いて、ハッと目が覚める。
「……なんだ、夢か」
 身体を起こしながら、額をつたう汗を手のひらで拭う。
 その夢は、私が中学三年のときのできごとだった。
 中学三年の春、私はいじめというものの当事者になった。そして、それを対処することができないままに卒業した。
 だから、高校は地元から離れた場所を選んで、一からやり直すつもりで入学した。
「……起きなきゃ」
 ベッドから降り、パジャマを脱ぐ。
「……ブス」
 鏡に映る自分を見つめて、ため息が出そうになった。
 高校生になった私は、中学三年のときと同じ過ちを犯さないよう、必死に仮面を被っている。
 ***
「おはよー、楓!」
 昇降口に入ったところで、後ろからぽんっと肩を叩かれた。振り返ると、長い黒髪を高い位置で結った少女と目が合った。
「あ、おはよう。|奈緒《なお》」
 クラスメイトの奈緒だ。
「ねぇ、楓ー! 今日の小テスト勉強した!? ヤバいよぉ。あたし、完全に終わったよ。テストがあること、今朝思い出したんだよ」
 奈緒は頭を抱えながら呻いた。そんな奈緒に、私は苦笑しつつ言う。
「よかったら、昨日まとめたノート見る?」
 その瞬間、待ってましたと言わんばかりに奈緒の瞳が輝いた。
「えっ! マジ!? いいの!?」
「でも、ヤマが外れても私のせいにしないでよ?」
「そんなことしないよ! ありがと楓ー!!」
 奈緒は甲高い声を上げて、私に抱きついた。
「分かったから、もう。歩きづらいってば……」
「楓大好きー!!」
 抱きついてくる奈緒を背負いながら、私は教室のドアをくぐった。
 ***
 始業開始のチャイムが鳴る。と同時に、担任である|山並《やまなみ》先生が教室に入ってきた。
「はーい、みんな。今日は転校生を紹介しますよ」
「えっ!? 転校生!?」
「マジで!?」
 二年のこんな時期に転校生だなんて、珍しい。付き合いづらい子じゃないといいな。
 窓の外をぼんやりと眺めたまま、私は先生の話を聞いていた。
「どうぞ、入って」
 先生の声を合図に、がらりと扉が開く。
 その子は。
 まるで季節が冬から春へ移り変わるように。
 雨粒が空から落ちてくるように。
 ごくごく当たり前に、私の前に現れた。
「――|春宮《はるみや》七南です! よろしくお願いします」
 その名前を聞いた瞬間。
 頬杖をついていた手を離し、私は窓から教壇へと視線を流す。
 教壇に立った少女と、かちりと目が合った。
「久しぶり! 楓ちゃん!」
「え……七南?」
 たとえるならば、桜前線。
 ふと、私は彼女の声を、春を呼ぶ小鳥のさえずりのようだと思ったあの日のことを思い出した。
「楓、知り合い?」
「あ……うん。幼稚園の頃の幼なじみ」
 ……たしか、そう。同姓同名でなければ。
「はいはいっ、先生! 私、楓ちゃんのとなりがいい!」
「うーん、まぁ慣れるまではそのほうがいいか。|水瀬《みなせ》、いい?」
「え? あ……はい」
 七南は、驚くほどあの頃から変わっていなかった。
 無邪気で思ったことをなんでも口にするところも、状況なんてかまわず、大きな声で笑うところも。
 再会できたことは、素直に嬉しかった。
 けれど同時に、私の脳は指令を出した。
 ――この子は、危ないと。
 ***
 春宮七南は、私が幼稚園の頃仲が良かった女の子だ。あの頃の七南は、素直で無邪気でいつも笑っていて。
 まるで凍てついた季節を優しく溶かす、優しい陽だまり。生命を生み出す桜前線のようだった。
 あれから十年以上が経っているというのに、七南はあの頃からなにも変わっていなかった。
 明るくて、素直で。
 状況をうかがってばかりの私とは大違い……。
 お昼休みになると、七南はさっそく私に話しかけてきた。
「ねぇねぇ楓ちゃん! 今日のお昼、一緒に食べようよ」
「あ、うん……でも、みんなにも聞いてみないと」
「みんな?」
 七南が首を傾げる。
「うん。私、いつも奈緒と|千聖《ちさと》と一緒に食べてるから」
「そうなんだ!」
 私は、ひやひやしながら奈緒と千聖を見た。ふたりは笑顔で手を振っている。どうやら七南を受け入れてもらえるらしい。
 ホッとして、七南を見た。
「いいって。じゃあ七南、行こ」
「うん!」
 笑顔で頷く七南は、手ぶらだ。
「あれ? お弁当は?」
「今日忙しくて買えなかったから、購買で買おうと思ってるんだ!」
「え……購買?」
 ひやりとする。
「楓ちゃんも一緒に行こうよ!」
「ま、待って。購買は三年生しかダメだよ……」
「え? なんで?」
 七南がきょとんとした顔で首を傾げる。
 購買とは、高校の内部にある売店のことだ。主にパンやお弁当、ジュースなどお昼ご飯を売っている。
 学生は、一年から三年まで利用することは許されてはいるけれど、実際に私は使ったことがない。
 何度か購買部の前を通ったことがあるけれど、お昼休みはいつも三年生がうじゃうじゃいて、私たちは入る隙もなかった。
 購買は、基本的に三年生が使うものだ。そういうものだって、入学したときから決まっている。だからそもそも購買に行こうだなんて思わないのに。
「そういうものなんだよ。だから、下級生はあんまり行かない」
「え、なにそれ。お弁当買うのに先輩の許可が必要なの?」
「そうじゃないけど……」
「下級生とかそういうの、ただお昼買うだけなのに、そんなの関係なくない?」
「でも、そういうものなんだよ」
「えーなにそれ、謎」
 ――本当にね。
 そう返したかったけれど、臆病な私は小さく笑みを返すことしかできなかった。
「とにかく、私の分けてあげるから行こ」
「えっ、ほんと? やったー!」
 ***
 それから一ヶ月。
 七南は、最初こそ明るく無邪気でみんなに慕われていたものの、次第に少しづつ避けられるようになっていた。
 異質な存在。それが、七南だった。
「七南ちゃんって、ちょっと空気読めないよね」
「そうそう。結構気遣う」
「ぶりっ子だし」
「つか、なんで二年で転校してきたんだろうね?」
「いじめとか?」
「あぁ、有り得るー」
 低く響くヒソヒソ声。
 陰では、七南は言われ放題だった。
「楓もさぁ、七南ちゃんと結構仲良いよね」
「え?」
 不意に話題を向けられ、背筋が伸びた。
「あー。幼なじみ、なんだっけ?」
 どうしよう。なんて言おう。
 みんなの冷ややかな視線が怖い。
 まずい。ここで選択肢を間違ってはいけない。だって、間違ったらまた……。
「……いや、ぜんぜん。仲が良かったのなんてずっと昔の話だし、久しぶり過ぎて正直覚えてなかったよ」
 言ってから、心に棘が刺さったような痛みが走った。
「だよねー」
「関わりたくないよね」
「七南ちゃんってなんかうちらと違うし」
「ふつうに無理だよね」
「……うん」
 ふたりは|醒《さ》めた口調で話しながら、私を見た。
 学校で、特に女性中心の場所で孤立することは、その社会での死を意味する。
 だから、協調性のない七南は特に好まれない。
 でも……七南って、この子たちになにか不利益になること、してたっけ?
 ただ、自分らしくいただけじゃなかったっけ……?
 胸の奥では、もやもやした感情が渦巻いていた。