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7-8

ー/ー



 金曜日、ついに野外ライブ当日。
 爽やかな晴天に恵まれて、春休みの大阪城公園は賑わっていた。

 別室でチューニングとアップを終えた私たちは、舞台袖で待機中だ。路上ステージ上では現在、ロックバンドがド派手にギターやドラムを鳴り響かせ、ヴォーカリストが観覧客を煽りながら会場を大いに盛り上げている。
 私は音のズレで気分が悪くならないよう、対策として私たちの演奏をひたすら脳内再生していた。気休めでも、こうしていると周りの音から注意が反れるのだ。

 とはいえ場の盛り上がり様は伝わってくるわけで、この後が自分たちの出番だと思うだけで猛烈な緊張感に襲われた。この熱量を受けてクラシックの演奏なんて、温度差がありすぎる。皆、立ち去らずに聞いてくれるのだろうか。

「大丈夫だよ、和泉」

 心境を悟り、白シャツに黒ジャケット姿の安芸君が声をかけてくれた。
 コンサートじゃないから正装ではないものの、皆キレイめの服装でバッチリ決まっている。私も春らしく淡いピンクのワンピースを着用していた。

「君のヴァイオリンは、他の誰が奏でる音よりも心に響く。自信を持って楽しんで」
「安芸君……うん、ありがとう」

 優しく背中を押してくれる安芸君の後ろでは、アイボリーのシャツに深いグリーンのジャケットを羽織った高杉君と、グレーのタートルネックに黒ジャケットを羽織った近江君が見守っている。その視線だけでパワーを貰った気がした。
 盛大な拍手で送られるバンドの人たちを遠くから眺めつつ、大きく深呼吸をする。ヴァイオリンを持つ手に少しだけ力を加えた。

「それでは、次のステージに参りましょう! ここからは本ライブでは珍しい、弦楽器と管楽器によるクラシックライブをお届けします。『Luminous Quartet(ルミナス・カルテット)』の皆さんです!」

 司会役の女性の進行で再び拍手が巻き起こる。でもその中に「クラシック?」「なんや、バンドやないんか」といった少し残念がる観客の声が混ざっていた。中には好きなバンドを見終わって帰ろうとする人の姿もある。
 それを気にしないように、私は青空の下に置かれたステージへ胸を張って一人で上がり、正面を向いた。……大丈夫、自分の音楽を信じて。

 大きく息を吸い。
 構えたヴァイオリンの弦を強く引いた。

 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第三番・第三楽章『ガヴォット』。トップバッターである私の大好きなこの曲から、私たちのステージは幕開けだ。
 天高く突抜けるヴァイオリンの音。輝きを放つようなバッハの美しいメロディ。心を込めた私の演奏は皆に届いているだろうか? 自分の音に集中するため、という名目で私は目を閉じてその曲を奏でていた。本当は減っていく観客を目にするのが怖かったんだけど。

 でも最後の音を弾き終えて一呼吸置いていると、たちまち割れんばかりの拍手喝采が巻き起こった。恐る恐る目を開けば用意された座席にだけでなく、わざわざ足を止め私の演奏を聞いてくれた多くの観客の姿があったのだ。

 身体が熱く、鼓動が高鳴る。自分でもかなり高揚しているのがよく分かった。
 私は深くお辞儀をして上手(かみて)に向かい一旦下がった。その時にすれ違った安芸君のウインクに、どれほど安心感を得たことか。もう迷いなんて1ミリも感じない。

 安芸君がいつもどおりの流暢な口調で曲紹介を進める間、高杉君と近江君のためにステージには椅子が2つ並べられた。次は二人のデュオによる『ファゴットとチェロのためのソナタ 第一楽章・アレグロ』の演奏だ。
 荒井君と入れ違いに二人がステージに上がり、2曲目が始まった。ファゴットとチェロの滑らかで優しい音色が、観客たちを更に魅了していく。高杉君の騒動があったあの日、どうやら二人は夜までツメをしていたらしく、その成果も実っているようだ。高杉君は「まさに地獄だった」と揶揄していたとか何とか。

 1曲演奏を終えて心に余裕ができた私は、何気なく客席を仕切りの隙間から覗いた。変わらず観客は多いけれど、なんだか女性客が沢山いるように見えるのは……もしかして、イケメン三人組のお陰?

「なーんか、男性客が多くない?」

 背後から面白くなさそうな声が聞こえて驚いて振り返ると、安芸君が仏頂面で外を睨んでいた。不思議……、安芸君にはそう見えるんだ。

「そ、そう?」
「そうだよ。ま、僕は特等席で君の演奏を聞けてるからいいけど」

 意味深な発言に首を傾げていると、安芸君は一転して笑顔を浮かべ私に手を差し出した。気づけば高杉君と近江君のデュオが終わり、拍手を浴びて戻ってくるところだった。

「さぁ、僕らの出番だよ。オヒメサマ」

 安芸君に手を引かれながら、私たちは高杉君たちとすれ違い様にハイタッチした。
 良かった、二人とも凄くいい顔をしている。

 3曲目は私と安芸君による『クラリネットとヴァイオリンのための二重奏』。もう何度この曲を彼と合わせてきたことか。
 〝今までで一番最高の演奏をしよう〟という気持ちは、アイコンタクトをしてくる安芸君からも伝わった。その思いどおり、最初のブレスから息ピッタリに合わさった私たちの演奏は、いつも以上に楽しくあっという間だったように思う。演奏中は数え切れないくらい安芸君と視線を交し、微笑み合った。

 そして、いよいよ終盤。再度並んだ4つの椅子にそれぞれ着席し、譜面台などの準備に急いで取りかかる。すると不意に高杉君が懐から2つの玉を取り出し、さりげなく椅子の下に置いた。
 あれは……五音衆・羽と角の『音の小玉』だ。そっか、あれを浄化するにはブリッランテの音楽を聞かせる必要があるんだっけ。この演奏でそれも同時に行おうってわけね。

 重要な局面に改めて気合いを入れていると、ついに進行役の安芸君がマイクを手にして立った。

「皆さん、ここまで聞いてくださってありがとうございます。最後の曲は僕たち四人での合奏になります。僕たちの楽器編成で演奏されることはない曲ですが、僕たちの良さがよく出ている演奏になっていると思います。四人で心を込めて弾くので、最後まで楽しんで聴いてください。ヨハン・パッヘルベル作、3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ ニ長調より……『カノン』」



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 金曜日、ついに野外ライブ当日。
 爽やかな晴天に恵まれて、春休みの大阪城公園は賑わっていた。
 別室でチューニングとアップを終えた私たちは、舞台袖で待機中だ。路上ステージ上では現在、ロックバンドがド派手にギターやドラムを鳴り響かせ、ヴォーカリストが観覧客を煽りながら会場を大いに盛り上げている。
 私は音のズレで気分が悪くならないよう、対策として私たちの演奏をひたすら脳内再生していた。気休めでも、こうしていると周りの音から注意が反れるのだ。
 とはいえ場の盛り上がり様は伝わってくるわけで、この後が自分たちの出番だと思うだけで猛烈な緊張感に襲われた。この熱量を受けてクラシックの演奏なんて、温度差がありすぎる。皆、立ち去らずに聞いてくれるのだろうか。
「大丈夫だよ、和泉」
 心境を悟り、白シャツに黒ジャケット姿の安芸君が声をかけてくれた。
 コンサートじゃないから正装ではないものの、皆キレイめの服装でバッチリ決まっている。私も春らしく淡いピンクのワンピースを着用していた。
「君のヴァイオリンは、他の誰が奏でる音よりも心に響く。自信を持って楽しんで」
「安芸君……うん、ありがとう」
 優しく背中を押してくれる安芸君の後ろでは、アイボリーのシャツに深いグリーンのジャケットを羽織った高杉君と、グレーのタートルネックに黒ジャケットを羽織った近江君が見守っている。その視線だけでパワーを貰った気がした。
 盛大な拍手で送られるバンドの人たちを遠くから眺めつつ、大きく深呼吸をする。ヴァイオリンを持つ手に少しだけ力を加えた。
「それでは、次のステージに参りましょう! ここからは本ライブでは珍しい、弦楽器と管楽器によるクラシックライブをお届けします。『|Luminous Quartet《ルミナス・カルテット》』の皆さんです!」
 司会役の女性の進行で再び拍手が巻き起こる。でもその中に「クラシック?」「なんや、バンドやないんか」といった少し残念がる観客の声が混ざっていた。中には好きなバンドを見終わって帰ろうとする人の姿もある。
 それを気にしないように、私は青空の下に置かれたステージへ胸を張って一人で上がり、正面を向いた。……大丈夫、自分の音楽を信じて。
 大きく息を吸い。
 構えたヴァイオリンの弦を強く引いた。
 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第三番・第三楽章『ガヴォット』。トップバッターである私の大好きなこの曲から、私たちのステージは幕開けだ。
 天高く突抜けるヴァイオリンの音。輝きを放つようなバッハの美しいメロディ。心を込めた私の演奏は皆に届いているだろうか? 自分の音に集中するため、という名目で私は目を閉じてその曲を奏でていた。本当は減っていく観客を目にするのが怖かったんだけど。
 でも最後の音を弾き終えて一呼吸置いていると、たちまち割れんばかりの拍手喝采が巻き起こった。恐る恐る目を開けば用意された座席にだけでなく、わざわざ足を止め私の演奏を聞いてくれた多くの観客の姿があったのだ。
 身体が熱く、鼓動が高鳴る。自分でもかなり高揚しているのがよく分かった。
 私は深くお辞儀をして|上手《かみて》に向かい一旦下がった。その時にすれ違った安芸君のウインクに、どれほど安心感を得たことか。もう迷いなんて1ミリも感じない。
 安芸君がいつもどおりの流暢な口調で曲紹介を進める間、高杉君と近江君のためにステージには椅子が2つ並べられた。次は二人のデュオによる『ファゴットとチェロのためのソナタ 第一楽章・アレグロ』の演奏だ。
 荒井君と入れ違いに二人がステージに上がり、2曲目が始まった。ファゴットとチェロの滑らかで優しい音色が、観客たちを更に魅了していく。高杉君の騒動があったあの日、どうやら二人は夜までツメをしていたらしく、その成果も実っているようだ。高杉君は「まさに地獄だった」と揶揄していたとか何とか。
 1曲演奏を終えて心に余裕ができた私は、何気なく客席を仕切りの隙間から覗いた。変わらず観客は多いけれど、なんだか女性客が沢山いるように見えるのは……もしかして、イケメン三人組のお陰?
「なーんか、男性客が多くない?」
 背後から面白くなさそうな声が聞こえて驚いて振り返ると、安芸君が仏頂面で外を睨んでいた。不思議……、安芸君にはそう見えるんだ。
「そ、そう?」
「そうだよ。ま、僕は特等席で君の演奏を聞けてるからいいけど」
 意味深な発言に首を傾げていると、安芸君は一転して笑顔を浮かべ私に手を差し出した。気づけば高杉君と近江君のデュオが終わり、拍手を浴びて戻ってくるところだった。
「さぁ、僕らの出番だよ。オヒメサマ」
 安芸君に手を引かれながら、私たちは高杉君たちとすれ違い様にハイタッチした。
 良かった、二人とも凄くいい顔をしている。
 3曲目は私と安芸君による『クラリネットとヴァイオリンのための二重奏』。もう何度この曲を彼と合わせてきたことか。
 〝今までで一番最高の演奏をしよう〟という気持ちは、アイコンタクトをしてくる安芸君からも伝わった。その思いどおり、最初のブレスから息ピッタリに合わさった私たちの演奏は、いつも以上に楽しくあっという間だったように思う。演奏中は数え切れないくらい安芸君と視線を交し、微笑み合った。
 そして、いよいよ終盤。再度並んだ4つの椅子にそれぞれ着席し、譜面台などの準備に急いで取りかかる。すると不意に高杉君が懐から2つの玉を取り出し、さりげなく椅子の下に置いた。
 あれは……五音衆・羽と角の『音の小玉』だ。そっか、あれを浄化するにはブリッランテの音楽を聞かせる必要があるんだっけ。この演奏でそれも同時に行おうってわけね。
 重要な局面に改めて気合いを入れていると、ついに進行役の安芸君がマイクを手にして立った。
「皆さん、ここまで聞いてくださってありがとうございます。最後の曲は僕たち四人での合奏になります。僕たちの楽器編成で演奏されることはない曲ですが、僕たちの良さがよく出ている演奏になっていると思います。四人で心を込めて弾くので、最後まで楽しんで聴いてください。ヨハン・パッヘルベル作、3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ ニ長調より……『カノン』」