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神様仏様お母様 3

ー/ー



目を開けると、見慣れない天井に明は戸惑いを覚えた。すぐに気づく。今日はおばあちゃん()だ、と。テレビでは漫才番組がやっており、『新年初笑い』のテロップが画面の右上に表示されている。明は飛び起きた。
「ぼく、寝ちゃってた」
「明けましておめでとう」母、父、祖母が新年の挨拶をする。明も慌てて挨拶をした。
 ホットプレートには餅が焼かれている。明はごくりと唾を飲み込んだ。今すぐ食べたかったが、身体がぶるりと震えたので席を立つ。
 尿意を催したのだ。祖母の家は外にトイレがあるため、明は長靴を履き、外へ出る。瞬間、目の前に広がった光景に、明は声を上げた。
「うわあ。雪だあ」
 眼前は白一色だった。
「ねえ、みんな見て、雪だよ」
「そうだねえ」祖母が嬉しそうに微笑み、ぷっくらと膨らんだ餅をひっくり返す。
「昨日の夜に一気に降ったみたいだ」父はあんこ餅を食べ、口元にあんこがついていた。
「これでタケル君と、雪遊びができるわね」母はお雑煮をすする。
「うん!」 
 雪の上を歩くこと。それが明には嬉しくてたまらなかった。ずも、ずも、と踏み込む度にくぐもった音が鳴る。振り返ると足跡が残っていた。吐息が白く色づく。本当に怪獣の気分だった。手のひらで雪を触ってみる。ひんやりと冷たくて、顔を顰めた。それがまた心地よかった。身体がぶるっと震え、尿意を催していたことを思い出す。急いでトイレを済ませた明は、雪遊びを始めた。しかし手袋をつけていないため、あっという間に指先が冷たくなってきた。後で手袋を取りにいこう。そう思った明は祖母の家に急いで戻ることにした。
  
 居間で明は、二つの選択に迫られていた。指先は(かじか)み、餅を前にしたお腹は空腹の音を鳴らす。『早く温めて』、『お腹空いた』と。
 明の選択と祖母の忠告は、ほぼ同時だった。
「ゆっくり温めないと、指先が痛くなっちゃうわよ」
 その忠告を耳にした時点で、明は悴んで真っ赤になった手をストーブに向けていた。あっ、と思い出す頃には指先に膨張しそうな痛みが走る。
 夏はアイスを一気に食べて頭痛に苦しみ、秋は毬栗(いがぐり)に無邪気に触れて後悔をする。冬は悴んだ手をストーブに向けて指先の痛みに耐える。明にとって痛みが、季節の到来を告げる足跡だった。毎年の経験からわかっているはずなのに、ついやってしまうのだ。明は自分自身に呆れ、痛みに耐えながらも少し遅れた冬の到来を感じていた。
 
 祖母の家の裏にはお寺がある。いつもそこで初詣を済ませるのだ。両親、祖母と一緒にお寺へ向かう。階段にも雪が積もり、既に足跡が残されていた。明は一段一段をひょいひょいと上がっていくと、階段滑るから気をつけてね、と背後から母の声が飛んできた。
「分かってるー」
 明は振り返る。母は祖母と手を繋ぎ、階段を(のぼ)っていた。風が吹く。粉雪が舞い、視界が白く染まる。明はその一瞬の光景に、目を疑った。母と隣にいるのは祖母ではなく、自分自身になっていたのだ。母の手を借りて足を高く上げ、一段一段を必死に上る姿。ああ、と明は気づく。これは去年の光景だ、と。
 今年は違う。明自身が一人で、重力を感じさせないような身軽さで上っているのだ。
 再び風が吹き、粉雪が舞う。気がつくと光景が戻っていた。祖母の背後には父がいる。明は階段を下り、祖母の隣に立つ。
「あら、あきちゃんどうしたの?」
「ん」明は照れ臭くて、一言だけ発し、祖母の手を握った。
「あきちゃんは、優しいねえ」
 祖母の手は丸めた紙のようにしわしわで、ひんやりと冷たかった。そして握る力が強い。けれど胸の奥が温かくなるのを明は感じていた。
  
「おお、今年も人がいっぱいだな」父は感嘆の声を上げる。
 境内(けいだい)には行列ができていた。お賽銭を入れた人が、がらんがらんと鈴の音が鳴らしている。
 父は昨日と違い、肩をすくめていない。黒のジャンパーを着ている。どうやら昨夜のうちに、自宅へ取りに戻ったらしい。
 明は初詣の雰囲気が好きだった。新年を祝い、未来への想いを馳せるこの空間が、幸せの空気に満ち溢れているからだ。明はポケットに入った小銭を取り出した。
「お母さん、何円がいいんだっけ?」
「五円玉よ」
「何で?」
 鈴の音を皮切りに、列が少しずつ進んでいく。まるで体育の授業の、笛の号令のようだった。
「人の繋がり、『ご縁』に感謝を伝えるためなのよ」
「人の縁はね、当たり前じゃないの」祖母は手を、明の肩に置く。「あきちゃんに出会えたご縁に、おばあちゃんは感謝しているよ」
「『ありがとう』も有ることが難しいって書きますもんね」父が頷く。
「ふうん」明は理解しきれなかったが、学校の友達やタケルの顔が頭に浮かんでいた。
「願い事をする前に、仏様にありがとうを伝えるのよ」振り向いて母は言う。明は再び訊ねる。
「どうして?願い事だけじゃダメなの?」願い事は頭の中に沢山浮かんでいた。
「明は去年、風邪をひかなかったよね?」
「うん」明は頷き、腕を(まく)ってみせる。「ぼく、元気だったよ」
「でしょう。仏様がきっと見てくれたのよ。だからまずは一年、健康に過ごせたことに感謝をするの」
「仏様?」明は首を傾げる。「神様じゃないの?」
「神社は神様。お寺は仏様なのよ」
「そうなんだ」
「健康が何より大切だからねえ」祖母はぽつりと呟き、膝をさする。「身体を壊しちゃったら、当たり前のことができなくなってしまうんだから」 
「仏様も見てるんだ」明は不思議な気分だった。指を折って呟く。「サンタさんに神様と仏様。あとは。そしてお母さんだ。ぼくは色んな人に見られているんだね」
 明の言葉に、前方に並ぶ初老の男性が噴き出した。「ああごめんね」と目尻の涙を拭う。「錚々(そうそう)たる顔ぶれに、お母さんが紛れ込んでるものだから」
 母は恥ずかしそうに顔を伏せる。「もう、明は何言ってるの」
「そうですね。男は母親に、頭が上がりませんから」父は苦笑し、頭を掻く。「お母さんじゃなくて、『お母様』ですね」
 ちょっと、と母は(たしな)め、父の背中を叩く。明は首を傾げる。
「だってお母さん、前に言ってたじゃん。いつも見てるし、背中にも目があるんでしょ」
 男性は更に笑い出す。「ありがとう、坊や。今年の初笑いだよ。お陰で良い一年になりそうだ」
 母は両手で顔を覆っている。コートを着ているが、寒そうに肩を(すぼ)めていた。明は心配で「寒いの?」と聞く。男性はお腹を抱えていた。
  
 順番が回ってきた。賽銭箱へ五円玉を入れ、母の真似をして二礼、二拍手、一礼をする。明は感謝の気持ちと、願いを思い浮かべる。去年も楽しかったです。ありがとうございました。今年も一年、もっと楽しいことがいっぱいありますように、と。
 明は祖母と手を繋ぎ、階段を下りる。登る時と違い、境内からの景色を一望することができた。粉雪の白と、木々の緑のコントラストが綺麗だった。ふと上を見ると、の木漏れ日が射し込んでいる。明は眩しくて、目を細めた。


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目を開けると、見慣れない天井に明は戸惑いを覚えた。すぐに気づく。今日はおばあちゃん|家《ち》だ、と。テレビでは漫才番組がやっており、『新年初笑い』のテロップが画面の右上に表示されている。明は飛び起きた。
「ぼく、寝ちゃってた」
「明けましておめでとう」母、父、祖母が新年の挨拶をする。明も慌てて挨拶をした。
 ホットプレートには餅が焼かれている。明はごくりと唾を飲み込んだ。今すぐ食べたかったが、身体がぶるりと震えたので席を立つ。
 尿意を催したのだ。祖母の家は外にトイレがあるため、明は長靴を履き、外へ出る。瞬間、目の前に広がった光景に、明は声を上げた。
「うわあ。雪だあ」
 眼前は白一色だった。
「ねえ、みんな見て、雪だよ」
「そうだねえ」祖母が嬉しそうに微笑み、ぷっくらと膨らんだ餅をひっくり返す。
「昨日の夜に一気に降ったみたいだ」父はあんこ餅を食べ、口元にあんこがついていた。
「これでタケル君と、雪遊びができるわね」母はお雑煮をすする。
「うん!」 
 雪の上を歩くこと。それが明には嬉しくてたまらなかった。ずも、ずも、と踏み込む度にくぐもった音が鳴る。振り返ると足跡が残っていた。吐息が白く色づく。本当に怪獣の気分だった。手のひらで雪を触ってみる。ひんやりと冷たくて、顔を顰めた。それがまた心地よかった。身体がぶるっと震え、尿意を催していたことを思い出す。急いでトイレを済ませた明は、雪遊びを始めた。しかし手袋をつけていないため、あっという間に指先が冷たくなってきた。後で手袋を取りにいこう。そう思った明は祖母の家に急いで戻ることにした。
 居間で明は、二つの選択に迫られていた。指先は|悴《かじか》み、餅を前にしたお腹は空腹の音を鳴らす。『早く温めて』、『お腹空いた』と。
 明の選択と祖母の忠告は、ほぼ同時だった。
「ゆっくり温めないと、指先が痛くなっちゃうわよ」
 その忠告を耳にした時点で、明は悴んで真っ赤になった手をストーブに向けていた。あっ、と思い出す頃には指先に膨張しそうな痛みが走る。
 夏はアイスを一気に食べて頭痛に苦しみ、秋は|毬栗《いがぐり》に無邪気に触れて後悔をする。冬は悴んだ手をストーブに向けて指先の痛みに耐える。明にとって痛みが、季節の到来を告げる足跡だった。毎年の経験からわかっているはずなのに、ついやってしまうのだ。明は自分自身に呆れ、痛みに耐えながらも少し遅れた冬の到来を感じていた。
 祖母の家の裏にはお寺がある。いつもそこで初詣を済ませるのだ。両親、祖母と一緒にお寺へ向かう。階段にも雪が積もり、既に足跡が残されていた。明は一段一段をひょいひょいと上がっていくと、階段滑るから気をつけてね、と背後から母の声が飛んできた。
「分かってるー」
 明は振り返る。母は祖母と手を繋ぎ、階段を|上《のぼ》っていた。風が吹く。粉雪が舞い、視界が白く染まる。明はその一瞬の光景に、目を疑った。母と隣にいるのは祖母ではなく、自分自身になっていたのだ。母の手を借りて足を高く上げ、一段一段を必死に上る姿。ああ、と明は気づく。これは去年の光景だ、と。
 今年は違う。明自身が一人で、重力を感じさせないような身軽さで上っているのだ。
 再び風が吹き、粉雪が舞う。気がつくと光景が戻っていた。祖母の背後には父がいる。明は階段を下り、祖母の隣に立つ。
「あら、あきちゃんどうしたの?」
「ん」明は照れ臭くて、一言だけ発し、祖母の手を握った。
「あきちゃんは、優しいねえ」
 祖母の手は丸めた紙のようにしわしわで、ひんやりと冷たかった。そして握る力が強い。けれど胸の奥が温かくなるのを明は感じていた。
「おお、今年も人がいっぱいだな」父は感嘆の声を上げる。
 |境内《けいだい》には行列ができていた。お賽銭を入れた人が、がらんがらんと鈴の音が鳴らしている。
 父は昨日と違い、肩をすくめていない。黒のジャンパーを着ている。どうやら昨夜のうちに、自宅へ取りに戻ったらしい。
 明は初詣の雰囲気が好きだった。新年を祝い、未来への想いを馳せるこの空間が、幸せの空気に満ち溢れているからだ。明はポケットに入った小銭を取り出した。
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「五円玉よ」
「何で?」
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 明の言葉に、前方に並ぶ初老の男性が噴き出した。「ああごめんね」と目尻の涙を拭う。「|錚々《そうそう》たる顔ぶれに、お母さんが紛れ込んでるものだから」
 母は恥ずかしそうに顔を伏せる。「もう、明は何言ってるの」
「そうですね。男は母親に、頭が上がりませんから」父は苦笑し、頭を掻く。「お母さんじゃなくて、『お母様』ですね」
 ちょっと、と母は|嗜《たしな》め、父の背中を叩く。明は首を傾げる。
「だってお母さん、前に言ってたじゃん。いつも見てるし、背中にも目があるんでしょ」
 男性は更に笑い出す。「ありがとう、坊や。今年の初笑いだよ。お陰で良い一年になりそうだ」
 母は両手で顔を覆っている。コートを着ているが、寒そうに肩を|窄《すぼ》めていた。明は心配で「寒いの?」と聞く。男性はお腹を抱えていた。
 順番が回ってきた。賽銭箱へ五円玉を入れ、母の真似をして二礼、二拍手、一礼をする。明は感謝の気持ちと、願いを思い浮かべる。去年も楽しかったです。ありがとうございました。今年も一年、もっと楽しいことがいっぱいありますように、と。
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