神様仏様お母様 2
ー/ー
それから一週間、明はゲームに没頭した。「コントローラーが変わって操作しづらい」と初めは首を傾げていた父も、慣れてくると「よし。勝ったぞ」とガッツポーズを掲げる程だ。どうやら最強の名は伊達ではなかったようで、明は苦戦を強いられた。
父と一緒のゲームで遊ぶことで、明はあることに気づく。『ちょうどいいところでやめる』ということに両親で明確な違いが見られたことである。母は「いつまでやってるの」と憤慨するが、父はゲームの『ちょうどいいところ』を理解しているため「あと一回対戦したら終わりだぞ」という言葉を明は素直に受け入れることができた。頭ごなしより、理解がある方が聞き入れやすかった。
もちろん、宿題もしっかり済ませている。明日、タケルと勝負するのが楽しみだった。
さて、準備しますか、と母が台所へ向かう。大晦日は祖母の家で過ごすのが通例となっており、母は持っていく料理の準備をしていた。
明はテレビに接続されたゲーム機のコードを抜く。祖母の家に着けばまた取り出すため、丁寧に入れるのは面倒だった。そのまま伸びた状態で、大きな手提げバッグへと乱雑に詰め込むことにする。
「面倒臭がらないで、しっかり線をまとめるのよ。雑に扱ったら壊れちゃうんだから」
明はどきり、と心臓が跳ね、台所に目を向けた。その場所から明の位置は死角となっている。見えてないのに分かるなんてお母さんはやっぱり普通じゃない。明は確信を強めた。
そのように思い始めたのは洗濯物を畳んでいる母を、背後から驚かそうとした時である。風呂上がりに、偶々リビングへの扉が開いており、明はふと閃いた。小さな出来心からのいたずらだった。泥棒のような気分で、そろりそろりと母の背後へ回る。笑いを堪えながら、触れられる距離まで近づく。どくんどくん、と心臓の音が聞こえていた。明は両手を伸ばし、声を出すために息を吸う。周りの音がどこか遠くに聞こえ、緊張が最高潮に達した時、母は突然振り向いた。「何してるの?」
驚かすための「わっ!」の声は「うわっ!」に変わっていた。明は尻餅をつく。出し抜かれた恥ずかしさと、驚きが入り混じり、心臓が高鳴っていた。
「なんで分かるの?」明が訊ねると母は飄々と答えた。
「背中にも目があって、明をいつも見てるのよ」
明は背中の目がぎょろりと動く姿を想像し、震え上がる。まるで化け物ではないか。母の背中に目がないかを確認するために、ぺたぺたと触れるが、それらしきものは見つからない。「嘘だ」と断じるにも驚かされていることは事実のため、明は信じ込んでいたのだ。母は常に見ているのだ、と。
加えて一つ、思い出したことがある。ある日、母と散歩をしていると道端の黒い看板に『見ている』と書いてあったことがあった。読めない漢字があったので明は質問する。
「ねえ、誰が見てるって書いてるの?」
「神様は見ているって書いてるのよ。いつも神様が見ているから、悪いことはできないの」
真っ先に浮かんできたのは母だった。
「じゃあお母さんと同じだね。ぼくのこと見てるし、背中に目があるんだもん」
「そうよ。神様とお天道様とお母さんは見てるんだからね」
明は首を傾げる。
「おてんとさま?」
「太陽のことよ」
「太陽」首を上に向けると、雲一つない青空が広がっていた。雲が遊具。明は遊具が一つもない校庭を思い浮かべた。一人の生徒がぽつんと佇んでいる。寂しさは微塵も感じなかった。そこにいるだけなのに、何もしていないのに、その身から存在感を放っていた。視線は自然と太陽へ引き寄せられる。あまりの眩しさに明は目を細め、頷いた。
「確かに、悪いことはできないね」
今の姿も見られていたのだ、と明はコードをしっかりとまとめ直す。父も準備を終えたので、歩いて祖母の家に向かうことにした。外へ出た瞬間、突き刺すような冷気が全身を襲う。
「う、寒いねえ」父は肩をすくめ、母は呆れ顔を浮かべる。
「だから言ったじゃない。上着を着た方がいいって」
父は着の身着の儘家を出たので明らかに寒そうだ。鼻が赤鼻のトナカイのように見える。明は母からジャンパーとネックウォーマーを渡されていたので、そこまでの寒さは感じなかった。
「だって歩いてすぐだしさ、大丈夫かと思ったんだよ」
「お父さんも上着、着たほうが良かったよ」明も母と同じ意見だった。
口を開く度に吐息が白く染まる。明は怪獣になったような気分になり、意味もなく息を吐き続けてしまう。冬に足りないものはあと一つだけ、と明は足元を見る。母に買ってもらった戦隊ものの長靴を履いているが、地面はコンクリートだ。その効果は発揮されていない。大晦日にも関わらず、今年は未だに雪が降っていないのだ。明は落胆する。雪のない冬なんてプールのない夏のようだ、と。雪合戦や雪だるま、かまくらを作ろうと思っていたのに。
「あらあ、寒かったでしょう。ほら上がって上がって」祖母の家に着くと、明達を押し込むように居間へ招き入れた。「暖かくしてるから」
「お義母さん、大丈夫ですよ。歩いてすぐでしたので」父はお世話になります、と頭を下げる。
「さっきまで寒そうにしてたくせに」母はコートを壁にかける。「それにおばあちゃんはいつも心配性なんだから」
「何言ってるの。風邪ひいたらどうするの?」祖母が明の頭を撫でる。「そうよねえ。あきちゃん」
祖母は『あきちゃん』と呼ぶ。温かみを感じられるが、その度に明はこそばゆい気持ちになる。「おばあちゃん、ぼくは寒くないよ。それにね、今年は風邪をひかなかったんだよ」
「そう、元気が一番よ。おばあちゃんはね。あきちゃんの元気な姿を見るのが楽しみなんだから」祖母は目を細めた後に、その目を丸くした。「こんな大きな荷物持って、中には何入ってるの?」
「ゲームだよ。明日、カケル君と一緒に遊ぶんだ」
「わざわざご苦労様ねえ」
居間はストーブが焚かれており、暖かった。加えてこたつもある。明は真っ先にこたつへ入り込んだ。
こたつの中はオレンジ色に染められていて、居間よりも暖かい。この狭さが心地よく、明にとっては秘密基地のようなものだった。そう思うのも束の間、鼻をつく臭いに顔を顰めてしまう。父の足が入ってきたのだ。慌てて出た明は、頭をぶつけて座敷に転がった。ごろごろと転がり、頭を抑える。
「何をやってるんだか」と父は苦笑する。その後で豪快なくしゃみをした。
「あんた達は何をやってるんだか」と母はため息をつく。祖母は「賑やかになったねえ」と笑っていた。
夕食を食べ終え、明はテレビを見ながらくつろいでいた。テーブルには蜜柑やお菓子、ジュースの入ったコップが並べられている。父は瓶ビールを飲み、頬が上気している。テレビでは臀部を叩かれる番組と紅白歌合戦のチャンネルが行ったり来たりしていた。残り一時間程で日付が変わるところだった。今日は遅くまで起きるぞ、と意気込んでいた明だが、眠気には抗えない。こくりこくりと頭を動かし始めた。
「あきちゃん、眠そうだねえ」
祖母が段ボールを持って居間に入ってくる。開けられたドアから冷気も一緒に入り込んできて、眠気が吹き飛んだ。祖母が何かをテーブルに並べている。明は身を乗り出した。
「年越しそば!」
お湯が注がれ、出来上がりを待つ。そばの香りが漂ってきて、鼻の奥がくすぐられる。いつもは何気ない時間でも、今の三分はとても貴重に感じられた。不思議だなあ、と明は思う。
あっという間に平らげ、満腹感に包まれた明は寝転んだ。瞼が白旗をあげたかのように自然と閉じられていく。今年最後に聞いたのは、テレビから流れてくるカウントダウンだった。
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父と一緒のゲームで遊ぶことで、明はあることに気づく。『ちょうどいいところでやめる』ということに両親で明確な違いが見られたことである。母は「いつまでやってるの」と憤慨するが、父はゲームの『ちょうどいいところ』を理解しているため「あと一回対戦したら終わりだぞ」という言葉を明は素直に受け入れることができた。頭ごなしより、理解がある方が聞き入れやすかった。
もちろん、宿題もしっかり済ませている。明日、タケルと勝負するのが楽しみだった。
さて、準備しますか、と母が台所へ向かう。大晦日は祖母の家で過ごすのが通例となっており、母は持っていく料理の準備をしていた。
明はテレビに接続されたゲーム機のコードを抜く。祖母の家に着けばまた取り出すため、丁寧に入れるのは面倒だった。そのまま伸びた状態で、大きな手提げバッグへと乱雑に詰め込むことにする。
「面倒臭がらないで、しっかり線をまとめるのよ。雑に扱ったら壊れちゃうんだから」
明はどきり、と心臓が跳ね、台所に目を向けた。その場所から明の位置は死角となっている。見えてないのに分かるなんてお母さんはやっぱり普通じゃない。明は確信を強めた。
そのように思い始めたのは洗濯物を畳んでいる母を、背後から驚かそうとした時である。風呂上がりに、|偶々《たまたま》リビングへの扉が開いており、明はふと閃いた。小さな出来心からのいたずらだった。泥棒のような気分で、そろりそろりと母の背後へ回る。笑いを堪えながら、触れられる距離まで近づく。どくんどくん、と心臓の音が聞こえていた。明は両手を伸ばし、声を出すために息を吸う。周りの音がどこか遠くに聞こえ、緊張が最高潮に達した時、母は突然振り向いた。「何してるの?」
驚かすための「わっ!」の声は「うわっ!」に変わっていた。明は尻餅をつく。出し抜かれた恥ずかしさと、驚きが入り混じり、心臓が高鳴っていた。
「なんで分かるの?」明が訊ねると母は飄々と答えた。
「背中にも目があって、明をいつも見てるのよ」
明は背中の目がぎょろりと動く姿を想像し、震え上がる。まるで化け物ではないか。母の背中に目がないかを確認するために、ぺたぺたと触れるが、それらしきものは見つからない。「嘘だ」と断じるにも驚かされていることは事実のため、明は信じ込んでいたのだ。母は常に見ているのだ、と。
加えて一つ、思い出したことがある。ある日、母と散歩をしていると道端の黒い看板に『見ている』と書いてあったことがあった。読めない漢字があったので明は質問する。
「ねえ、誰が見てるって書いてるの?」
「神様は見ているって書いてるのよ。いつも神様が見ているから、悪いことはできないの」
真っ先に浮かんできたのは母だった。
「じゃあお母さんと同じだね。ぼくのこと見てるし、背中に目があるんだもん」
「そうよ。神様とお天道様とお母さんは見てるんだからね」
明は首を傾げる。
「おてんとさま?」
「太陽のことよ」
「太陽」首を上に向けると、雲一つない青空が広がっていた。雲が遊具。明は遊具が一つもない校庭を思い浮かべた。一人の生徒がぽつんと佇んでいる。寂しさは微塵も感じなかった。そこにいるだけなのに、何もしていないのに、その身から存在感を放っていた。視線は自然と太陽へ引き寄せられる。あまりの眩しさに明は目を細め、頷いた。
「確かに、悪いことはできないね」
今の姿も見られていたのだ、と明はコードをしっかりとまとめ直す。父も準備を終えたので、歩いて祖母の家に向かうことにした。外へ出た瞬間、突き刺すような冷気が全身を襲う。
「う、寒いねえ」父は肩をすくめ、母は呆れ顔を浮かべる。
「だから言ったじゃない。上着を着た方がいいって」
父は着の身着の|儘《まま》家を出たので明らかに寒そうだ。鼻が赤鼻のトナカイのように見える。明は母からジャンパーとネックウォーマーを渡されていたので、そこまでの寒さは感じなかった。
「だって歩いてすぐだしさ、大丈夫かと思ったんだよ」
「お父さんも上着、着たほうが良かったよ」明も母と同じ意見だった。
口を開く度に吐息が白く染まる。明は怪獣になったような気分になり、意味もなく息を吐き続けてしまう。冬に足りないものはあと一つだけ、と明は足元を見る。母に買ってもらった戦隊ものの長靴を履いているが、地面はコンクリートだ。その効果は発揮されていない。大晦日にも関わらず、今年は未だに雪が降っていないのだ。明は落胆する。雪のない冬なんてプールのない夏のようだ、と。雪合戦や雪だるま、かまくらを作ろうと思っていたのに。
「あらあ、寒かったでしょう。ほら上がって上がって」祖母の家に着くと、明達を押し込むように居間へ招き入れた。「暖かくしてるから」
「お義母さん、大丈夫ですよ。歩いてすぐでしたので」父はお世話になります、と頭を下げる。
「さっきまで寒そうにしてたくせに」母はコートを壁にかける。「それにおばあちゃんはいつも心配性なんだから」
「何言ってるの。風邪ひいたらどうするの?」祖母が明の頭を撫でる。「そうよねえ。あきちゃん」
祖母は『あきちゃん』と呼ぶ。温かみを感じられるが、その度に明はこそばゆい気持ちになる。「おばあちゃん、ぼくは寒くないよ。それにね、今年は風邪をひかなかったんだよ」
「そう、元気が一番よ。おばあちゃんはね。あきちゃんの元気な姿を見るのが楽しみなんだから」祖母は目を細めた後に、その目を丸くした。「こんな大きな荷物持って、中には何入ってるの?」
「ゲームだよ。明日、カケル君と一緒に遊ぶんだ」
「わざわざご苦労様ねえ」
居間はストーブが焚かれており、暖かった。加えてこたつもある。明は真っ先にこたつへ入り込んだ。
こたつの中はオレンジ色に染められていて、居間よりも暖かい。この狭さが心地よく、明にとっては秘密基地のようなものだった。そう思うのも束の間、鼻をつく臭いに顔を|顰《しか》めてしまう。父の足が入ってきたのだ。慌てて出た明は、頭をぶつけて座敷に転がった。ごろごろと転がり、頭を抑える。
「何をやってるんだか」と父は苦笑する。その後で豪快なくしゃみをした。
「あんた達は何をやってるんだか」と母はため息をつく。祖母は「賑やかになったねえ」と笑っていた。
夕食を食べ終え、明はテレビを見ながらくつろいでいた。テーブルには蜜柑やお菓子、ジュースの入ったコップが並べられている。父は瓶ビールを飲み、頬が上気している。テレビでは臀部を叩かれる番組と紅白歌合戦のチャンネルが行ったり来たりしていた。残り一時間程で日付が変わるところだった。今日は遅くまで起きるぞ、と意気込んでいた明だが、眠気には抗えない。こくりこくりと頭を動かし始めた。
「あきちゃん、眠そうだねえ」
祖母が段ボールを持って居間に入ってくる。開けられたドアから冷気も一緒に入り込んできて、眠気が吹き飛んだ。祖母が何かをテーブルに並べている。明は身を乗り出した。
「年越しそば!」
お湯が注がれ、出来上がりを待つ。そばの香りが漂ってきて、鼻の奥がくすぐられる。いつもは何気ない時間でも、今の三分はとても貴重に感じられた。不思議だなあ、と明は思う。
あっという間に平らげ、満腹感に包まれた明は寝転んだ。瞼が白旗をあげたかのように自然と閉じられていく。今年最後に聞いたのは、テレビから流れてくるカウントダウンだった。