五章 回顧 39
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それから数ヶ月が経ち、ハルト君達が遊びにきた。
「おばちゃんこんにちは」
玄関先から大きな声が聞こえ、向かおうとする前にドタドタと足音が響いてくる。私は笑っていると二人の男の子が姿を現した。
「出たわね、小さな怪獣さん達」
「怪獣じゃないよ。望睦だよ」
「怪獣じゃないよ。幸登だよ」
「すいません勝手に上がっちゃって」頭を掻き、申し訳なさそうに居間に入ってきたのはハルト君だった。
「いいのよ。久しぶりね。今日はどうしたの?」
「おばあちゃん、この人がハルト兄ちゃんだよ」幸登君が得意げに紹介をする。
「そうね。ハルト兄ちゃんだねえ」そういえば、三人が揃って家に来るのは初めてだった。
「なーんだ。知ってるんだ」幸登君は残念そうに唇を尖らせ、廊下に消えていく。「あ、待てよ」と望睦君が慌てて追いかけた。
「発表が終わったので、今日はその報告をしに来たんです」
「ああ、そういえば、外で発表があると言ってたわね」
ハルト君は学校での発表が評価され、島の外でも行うことになっていたのだ。私は「よっこらしょ」と立ち上がり、お茶とジュース、お菓子を用意することにした。ジュースは望睦君と幸登君の分だ。台所で動いていると、ハルト君達に話したあの日と今を、比べてしまう。確実に身体が衰えていた。お迎えはもう少しね、と誰に言うともなく呟いた。
私は居間に戻り、小さな怪獣達を呼ぶ。すると「はーい」と元気な声が響き、テーブルに準備されたお菓子に目を輝かせた。私は彼らの様子を見て、苦笑してしまう。服が土で汚れていたのだ。どうやらこの短時間で外で遊んでいたらしい。
「幸登、手を洗ってからだぞ」幸登君が手を伸ばそうとするのを望睦君が制する。一年生になって、兄としての自覚が芽生えたのだろうか。子供の成長とは早いものだ。
幸登君は素直に頷き、二人は台所へ姿を消した。
「望睦君も、すっかりお兄ちゃんになったわねえ」
「そうなんですよ。この間、二人が些細なことで喧嘩してたんですけど、反省して、しっかり謝ったんですよ」
「前はお互いに引くに引けず意地張ってたのに、大人になったのねえ」
「子供の成長は、早いです」しみじみと頷くハルト君の表情は、年相応以上の落ち着きが感じられた。発表の経験がきっかけになったのだろう。数ヶ月前とは明らかに見違えていた。「実は、この間の発表なんですが、最優秀賞を頂いたんですよ」
「最優秀賞?」私は驚き、声をあげた。「すごいじゃない」
しかし、ハルト君は笑顔ではなく、隠し事をしているかのような苦い表情を浮かべていた。私は探るように訊ねる。
「嬉しくないの?」
「何だか、素直に喜べないんですよね」ハルト君は腕を組み、首を天井を向ける。「どちらかと言うと、『やったぞ』っていう達成感より、感謝の気持ちの方が強いんですよ」
「ハルト君は謙虚ねえ」
「だって元を辿れば、悦子おばちゃんの話じゃないですか。それに原稿も亮佑兄の記事を参考に作ったので、自分の力でやれたことは殆どないんですよ」
「何言ってるの。私が人前で話すってなったら、それこそ緊張で心臓が止まっちゃうわよ。誰にでもできることではないわ。間違いなく、ハルト君の力よ」
「そうですかね」
「老婆心で言っておくけど、人の褒め言葉は素直に受け取っておくものよ。謙虚も度が過ぎると、卑屈になっちゃうんだから」
「そ、そうですよね。気をつけます」
「お菓子!」台所から戻ってきた望睦君達は、テーブルにあるお菓子を美味しそうに食べ始めた。ハルト君は目を細め、見守っている。
「おばちゃん、聞いて。あさひくんがね、逆上がりができるようになったんだよ」
「そう、すごいわねえ。望睦君が教えてあげたの?」私は訊ねると望睦君は首を振った。苦虫を踏み潰したような表情なので、思わず笑ってしまう。
「ううん、たいし君なんだ。たいし君はね、ぼくより、教えるのが上手いんだ」望睦君は唇を尖らせる。先ほどの幸登君とそっくりだ。「悔しいから、ぼくも教えるの頑張るんだ」
「たいし君のこと嫌がってたのに、今では張り合う友達になったなんて、大したもんだ」ハルト君は誇らしげに頷いている。「俺のアドバイスのお陰かな」
「お友達が増えたの?望睦君。よかったわねえ。おばちゃん嬉しいわ」私は望睦君の頭を撫でると、嬉しそうに微笑んだ。こちらも、温かい気持ちになる。「きっと教えるのもすぐに上手になるわ」
「うん。ぼくね、友達を大事にするんだ」
望睦君は頷き、ハルト君は見守るように目を細めていた。ぽつりと呟く。
「悦子おばちゃんが言っていた縁の大切さって、このことなのかな」
「このことって?」私は訊ねる。
「この島に住み始めてから、ずっと疑問だったんです。俺が江梨姉に助けられたように、どうして島民みんなはこんなに優しいんだろうって。ようやくわかったんです。誰かにそうされてきたから、同じように返してるんだなって」
「情けは人のためならず、という諺もあるものね」
私は頷きながら、ある出来事を思い出していた。十数年前に商店街で買い物をしていた時に、迷子の女の子に出会ったのだ。一目見た瞬間、幸江の孫だと分かった。彼女の幼少期にそっくりで、時間が戻ったのではないかと錯覚するほどだった。生まれた時に顔を見に行ったが、それ以来だったのだ。
私は膝を折り、目線を合わせてから話しかける。泣かないように必死に堪えているが、ぽろぽろと涙の跡が頬に残っていた。「お嬢ちゃん、お名前は?」
私は念の為、確認する。
「江梨だよ」
「そう、いい名前だねえ」私は江梨ちゃんの手を引いてアイスクリーム屋さんに連れて行くことにした。「大丈夫、パパとママがすぐに来るからねえ」
ソフトクリームを一つ注文すると江梨ちゃんは私の手を引き、首を傾げた。「おばあちゃんは食べないの?」
自分だけ食べるのは申し訳ない。そう言いたげな表情だった。
「私はいいの」と答えようとしたところで、般若の顔が浮かび、考えを変える。「すいません、もう一つください」
軒先のベンチに座り、二人でソフトクリームを食べた。
「一緒に食べると、美味しいねえ」
何気ない江梨ちゃんの言葉に、目頭が熱くなる。
「そうね。一緒に食べると、美味しいわ」私のソフトクリームは少し、しょっぱい味がした。
「おばあちゃん、どうしたの?」訊ねてくる江梨ちゃんのその頬には、ソフトクリームが付いていた。
私は改めて、目の前の三人に目を向ける。まさに人の縁によって紡がれた、一つの光景だった。
ハルト君は嬉しそうに頷いている。
「俺、この島に来てよかったよ」
「あ、ママもそれ言ってたよ」それまでお菓子に夢中だった幸登君が声を上げる。
「それは、本当によかったわ」
「悦子おばちゃん、大丈夫?」ハルト君が身を乗り出してくる。「その、涙が」
「あら」いつの間にか、涙が流れていた。「嫌ね。歳を重ねると、涙もろくなっちゃって」
「おばちゃん、大丈夫?」望睦君はティッシュを差し出し、幸登君は頭を撫でてくる。
「もう」余計に涙が止まらなくなる。「みんなして、優しいんだから」
横になっていた布団が、可変式のベッドに変わり、照美とへるぱあの小野田さんが顔を出すようになった。縁側を見ると、季節が巡り、桜が咲き、散った花弁が入り込んでいた。天井を見ているよりも、横を向き、青空を見る方がよっぽど有意義だった。
「いい眺めだね」
突然声をかけられて私は驚く。目の前にたっちゃんがいたからだ。何度も瞬きを繰り返すが、消えずにその場に佇んでいた。あの頃と変わらない背丈で、変わらない笑みを浮かべている。恐怖よりも、安堵の気持ちが強かった。
「久しぶりねえ。たっちゃん。元気だった?」
「死んでる人にそれ聞く?」たっちゃんは笑う。「阿呆になったねえ」
「そりゃあ、おばちゃんになったもの」
「どう、幸せだった?」
「そうねえ」私は目を伏せる。「幸せだったよお」
「それはよかった」
私は散りゆく桜を見ながらゆっくり目を閉じる。真っ暗になった視界に、静かなさざなみが、いつまでも聞こえていた。
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