冬の朝、村は一面の銀世界に包まれていた。降り積もった雪が音を吸い込み、世界は静寂に支配されている。窓辺に座る少年、聡(さとし)は外の景色に目をやった。白く曇った窓ガラスを指先でこすると、澄んだ青空と遠くの雪山が見える。村の古い教会の尖塔も、雪の帽子をかぶっているようだった。
ストーブの熱で暖かい部屋の中、聡は膝を抱えた。片手に持った小さな木製のオルゴールが、手の中でひんやりと冷たい。表面には雪の結晶が彫られていて、その模様を指先でなぞるたびに、祖父の声がよみがえってくる。
「この音を聞けば、大切なことを忘れずにいられる」
あれは、聡が10歳の冬だった。祖父は病床で小さなオルゴールを渡し、そう言って笑った。祖父の笑顔はいつも穏やかだったが、その時だけは何か切ないものを感じた。オルゴールは、それから毎年冬になると聡のそばにあった。
今年も、冬の風物詩のように村は雪に閉ざされた。学校は冬休みに入り、村の子どもたちは雪遊びに夢中だ。しかし、聡だけは少し違った。祖父が亡くなって以来、冬になるたびに村外れの森へ行くのが彼の習慣になった。祖父が大切にしていた「雪精」の伝説を思い出し、静かな森の中でオルゴールを奏でる。それが、聡にとっての特別な時間だった。
今年の冬休みのある日、聡は家を抜け出し、雪の降る森へ向かった。冷たい風が頬を刺す中、彼はゆっくりと歩いた。足跡が新雪に残るたび、キュッキュッという音が響く。森に着くと、祖父が最後に立ち止まったあの木の前で足を止めた。雪に覆われた木々が風に揺れ、時折、枝先の雪がハラリと落ちてくる。
「今年もお願いするよ」聡は小声で呟くと、オルゴールを開いた。柔らかな音色が静寂を破り、森全体に広がる。雪の冷たさも忘れさせるようなその旋律に、聡は目を閉じた。
「雪精が本当にいるなら、聞こえてるかな」
ふと目を開けると、森の奥に何かが光った気がした。反射的にそちらを見つめるが、もう何も見えない。ただの見間違いかと思い、またオルゴールに集中しようとした時だった。
「誰かいるの?」
声がした。聡が振り返ると、そこに立っていたのは白い影。彼女は風のように軽やかな存在感で、透き通るような肌と、雪のような白い髪を持っていた。
「君がオルゴールの音を奏でているの?」彼女の声は柔らかく、雪が舞う音に溶け込むようだった。
聡は驚きながらも頷いた。彼女の姿はまるで伝説に聞いた「雪精」のようだ。信じられない光景に、心臓が高鳴る。
「ありがとう。この森の雪たちが、君の音を待っていたの」彼女は微笑むと、ふわりと宙に浮かんだ。その瞬間、森全体がわずかに輝き出したように見えた。
「君に一つだけお礼をしたいの」
聡はしばらく考えたが、結局こう言った。「村のみんなが幸せになれますように」
彼女は少し驚いたようだったが、すぐに頷いた。「素敵な願いね」
そして彼女は指先を軽く振った。すると、雪が光を帯びて輝き始め、それが風に乗って村へと舞い降りていく。聡はその光景に見惚れながらも、次第に眠気が襲ってきた。気がつけば、彼女の姿も消えていた。
翌朝、聡は目を覚ました。村には柔らかな日差しが差し込み、雪がきらめいていた。家の外では、近所の人たちが笑顔で雪かきをしている。いつもと違う和やかな空気に、聡は何かが変わったのを感じた。
「おはよう」母の声に振り返ると、彼女もどこか穏やかな表情を浮かべていた。朝食の席で、父も妹も自然に笑みを交わしている。何気ない日常が、なぜか特別に感じられた。
聡はポケットからオルゴールを取り出し、そっと開いた。メロディーが耳に届くと同時に、昨日の出来事が思い出される。あの雪精の笑顔、森の光景、そして彼女が言った言葉。
「君の音が、私たちをつないでくれたのよ」
聡はオルゴールを閉じ、静かに胸の中でつぶやいた。「ありがとう」
その日、村では大きな虹がかかり、空気はますます澄んでいった。人々はその虹を見上げながら笑い合う。誰もがその奇跡の理由を知らない。ただ、聡だけが知っていた。冬の静かな奇跡を。