最終章
ー/ー「今日、一緒に帰りませんか」
翌週の月曜日、私はいつも通り最速で図書室に向かい先輩に声をかけた。月曜日を選んだのは、私たちの関係は一度も図書室の外に出たことがなかったからだ。渡り廊下ですれ違ってもお互いに話さないのは暗黙の了解になっている。
だから先輩の相関図を一切しらない私にとって、この提案は「彼女いますか」と同等だった。胸が、ドキドキする。
「いいけど……何か相談事?」
「相談、というか、えっと、弱音を聞いてほしいって感じです」
私が適当に話すと、先輩は真剣に考え込んで「なるほど。確かに弱音を吐き出すのは難しいことだからね……でも、話す相手は僕で本当にいいの?」と聞き返してくる。
「先輩がいいです」
はっきり宣言すると、先輩は「わかった。じゃあ後でね」と言ってまた本に目を落とした。私もいつも通り定位置に座って小説を開く。
2人の間にあるのは沈黙ではなくて静けさだ。凪いだ水面のイメージが私の中にうまれる。香耶ちゃんが余計なことを言うもんだから、そこに揺蕩うように浮かぶ糸のイメージが追加されてしまった。
2人の小指に結ばれた、まだ赤くない糸。
先輩がこちらの視線に気付いて微笑む。糸を小さくクイクイっと引っ張られるような、いたずらのようなくすぐったさを感じて首が熱くなった。
結局文字がツルツルと目を滑って何も頭に入らないまま、閉める時間になって先輩と外へ出る。2人の関係性が、やっと新鮮な空気を吸えたとばかりに構内に広がっていく。
外は雪が降っていた。制服に張り付いたそれは端から次々に水になって染み込んでいく。
「ベタ雪だから積もらないね……僕は傘ないや」
「私もです」
「じゃあ、家まで一緒に来てもらっていい? そこで傘を渡すから」
その一言で、私は先輩の家に伺うことになってしまった。これまで一緒に帰ったことはなかったけれど、先輩の家が学校から近いことだけは知っていた。
何をどう切り出せば恋になるんだろう。私は本当に先輩と恋仲になることを望んでいるんだろうかと考えていると、香耶ちゃんが言った『受験』という言葉が胸に引っかかった。
「先輩。進路ってもう考えてるんですか?」
「一応、県外の大学に行こうと思ってるんだ。言語学の分野ですきな教授がいてね。その人のところへ」
そう聞いた瞬間、私の内と外から音が消えた。
「県外って、実家から通えますか」
「いや、家は出るよ。交通の便のこともあるし。この街は雪が積もっちゃうから」
「積もるの、いやですか」
「ずっと降り続けるなら、嫌になることもあるんじゃないかな」
私は、積もり続ける時間をいやだと感じた事はなかった。ひどく冷たかった指先をあたためてくれたのは先輩だった。傘が無くて寒いからだろうか、いつもより距離が近い。自分が寒いからじゃなくて、きっと私が寒そうだからだ。
雪で見えにくくなった赤信号で先輩が立ち止まる。そんな必要ないのに私の前に腕を出して止まる様にと制してくれる先輩。その腕に、私はわざと当たりにいく。
わからない。けどきっと、とてもあたたかい。
「いかないでください、つくもせんぱい」
ぐじゅぐじゅになった顔のまま私は叫んだ。明らかに慌てた先輩の声が頭上から降ってくる。
「え、汐里さん泣いてる? なんで? 大丈夫だよ、僕はまだここにいるよ?」
「でも、いつかいなくなっちゃうじゃないですかぁ」
先輩が色を付けてくれた学校だった。先輩がいなくなったら私は色も温度もわかならくなったコンクリートの中で1年を過ごすことになる。今いるから何だって言うんだろう。そんなの気休めにならない。
「せんぱい、私のこときらいですか」
「脈絡がなさすぎるよ。どうしたの急に」
「はぐらかすってことは、わかってるんでしょ!」
信号はもうとっくに青に変わっている。いつまでも動き出さない私たちをよそに人も車もジュクジュクと進みだす。いつしか雪はぼた雪に変わって積もり始めていた。
今やっと、少女漫画のヒロインたちの気持ちがわかった。香耶ちゃんの言葉の意味も。勝手に私が苛烈な恋に憧れを持っていただけなんだ。シチュエーションや環境に酔っていただけで恋の本質を理解していなかった。
恋はただすきなだけで、とんでもなく苛烈で熱いものだったんだ。
「何よもう! 静かにしてれば場が収まるとでも思ってるんでしょ先輩!」
「汐里さん、そんなに喋る人だったっけ」
「もう静けさとか考えてた私がばっかみたい! 気付いてるくせにうにゃうにゃ言ってる先輩もばかみたい!」
わぁわぁ騒いで暴れていると、信号がまた赤に変わったのが見えた。先輩が強引に私を引っ張って道路近くから離す。
「わかった、わかったから」
「何がわかってるんですか。本当にわかってるんですか。先輩、すきです」
不意打ちになった私の告白に、先輩が面食らう。
翌週の月曜日、私はいつも通り最速で図書室に向かい先輩に声をかけた。月曜日を選んだのは、私たちの関係は一度も図書室の外に出たことがなかったからだ。渡り廊下ですれ違ってもお互いに話さないのは暗黙の了解になっている。
だから先輩の相関図を一切しらない私にとって、この提案は「彼女いますか」と同等だった。胸が、ドキドキする。
「いいけど……何か相談事?」
「相談、というか、えっと、弱音を聞いてほしいって感じです」
私が適当に話すと、先輩は真剣に考え込んで「なるほど。確かに弱音を吐き出すのは難しいことだからね……でも、話す相手は僕で本当にいいの?」と聞き返してくる。
「先輩がいいです」
はっきり宣言すると、先輩は「わかった。じゃあ後でね」と言ってまた本に目を落とした。私もいつも通り定位置に座って小説を開く。
2人の間にあるのは沈黙ではなくて静けさだ。凪いだ水面のイメージが私の中にうまれる。香耶ちゃんが余計なことを言うもんだから、そこに揺蕩うように浮かぶ糸のイメージが追加されてしまった。
2人の小指に結ばれた、まだ赤くない糸。
先輩がこちらの視線に気付いて微笑む。糸を小さくクイクイっと引っ張られるような、いたずらのようなくすぐったさを感じて首が熱くなった。
結局文字がツルツルと目を滑って何も頭に入らないまま、閉める時間になって先輩と外へ出る。2人の関係性が、やっと新鮮な空気を吸えたとばかりに構内に広がっていく。
外は雪が降っていた。制服に張り付いたそれは端から次々に水になって染み込んでいく。
「ベタ雪だから積もらないね……僕は傘ないや」
「私もです」
「じゃあ、家まで一緒に来てもらっていい? そこで傘を渡すから」
その一言で、私は先輩の家に伺うことになってしまった。これまで一緒に帰ったことはなかったけれど、先輩の家が学校から近いことだけは知っていた。
何をどう切り出せば恋になるんだろう。私は本当に先輩と恋仲になることを望んでいるんだろうかと考えていると、香耶ちゃんが言った『受験』という言葉が胸に引っかかった。
「先輩。進路ってもう考えてるんですか?」
「一応、県外の大学に行こうと思ってるんだ。言語学の分野ですきな教授がいてね。その人のところへ」
そう聞いた瞬間、私の内と外から音が消えた。
「県外って、実家から通えますか」
「いや、家は出るよ。交通の便のこともあるし。この街は雪が積もっちゃうから」
「積もるの、いやですか」
「ずっと降り続けるなら、嫌になることもあるんじゃないかな」
私は、積もり続ける時間をいやだと感じた事はなかった。ひどく冷たかった指先をあたためてくれたのは先輩だった。傘が無くて寒いからだろうか、いつもより距離が近い。自分が寒いからじゃなくて、きっと私が寒そうだからだ。
雪で見えにくくなった赤信号で先輩が立ち止まる。そんな必要ないのに私の前に腕を出して止まる様にと制してくれる先輩。その腕に、私はわざと当たりにいく。
わからない。けどきっと、とてもあたたかい。
「いかないでください、つくもせんぱい」
ぐじゅぐじゅになった顔のまま私は叫んだ。明らかに慌てた先輩の声が頭上から降ってくる。
「え、汐里さん泣いてる? なんで? 大丈夫だよ、僕はまだここにいるよ?」
「でも、いつかいなくなっちゃうじゃないですかぁ」
先輩が色を付けてくれた学校だった。先輩がいなくなったら私は色も温度もわかならくなったコンクリートの中で1年を過ごすことになる。今いるから何だって言うんだろう。そんなの気休めにならない。
「せんぱい、私のこときらいですか」
「脈絡がなさすぎるよ。どうしたの急に」
「はぐらかすってことは、わかってるんでしょ!」
信号はもうとっくに青に変わっている。いつまでも動き出さない私たちをよそに人も車もジュクジュクと進みだす。いつしか雪はぼた雪に変わって積もり始めていた。
今やっと、少女漫画のヒロインたちの気持ちがわかった。香耶ちゃんの言葉の意味も。勝手に私が苛烈な恋に憧れを持っていただけなんだ。シチュエーションや環境に酔っていただけで恋の本質を理解していなかった。
恋はただすきなだけで、とんでもなく苛烈で熱いものだったんだ。
「何よもう! 静かにしてれば場が収まるとでも思ってるんでしょ先輩!」
「汐里さん、そんなに喋る人だったっけ」
「もう静けさとか考えてた私がばっかみたい! 気付いてるくせにうにゃうにゃ言ってる先輩もばかみたい!」
わぁわぁ騒いで暴れていると、信号がまた赤に変わったのが見えた。先輩が強引に私を引っ張って道路近くから離す。
「わかった、わかったから」
「何がわかってるんですか。本当にわかってるんですか。先輩、すきです」
不意打ちになった私の告白に、先輩が面食らう。
何その顔。ひっどい。いや、私の方が今はひどい顔か。何言ってくれるんだろ、先輩。ねぇ。
私がじっと先輩の目を見ていると、観念して口を開く。
「あのね、あの……。なんて答えたらいいか分からないんだけど、えっと、嫌いとかじゃないです。絶対」
「そこ絶対でも嬉しくない。はやく言って」
「えっと、汐里さん、その……」
寒さからか何なのか、九十九先輩は顔を真っ赤にしている。
震える唇で、彼は言った。
「えっと……。雪が、綺麗ですね」
私がじっと先輩の目を見ていると、観念して口を開く。
「あのね、あの……。なんて答えたらいいか分からないんだけど、えっと、嫌いとかじゃないです。絶対」
「そこ絶対でも嬉しくない。はやく言って」
「えっと、汐里さん、その……」
寒さからか何なのか、九十九先輩は顔を真っ赤にしている。
震える唇で、彼は言った。
「えっと……。雪が、綺麗ですね」
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
「今日、一緒に帰りませんか」
翌週の月曜日、私はいつも通り最速で図書室に向かい先輩に声をかけた。月曜日を選んだのは、私たちの関係は一度も図書室の外に出たことがなかったからだ。渡り廊下ですれ違ってもお互いに話さないのは暗黙の了解になっている。
だから先輩の相関図を一切しらない私にとって、この提案は「彼女いますか」と同等だった。胸が、ドキドキする。
「いいけど……何か相談事?」
「相談、というか、えっと、弱音を聞いてほしいって感じです」
私が適当に話すと、先輩は真剣に考え込んで「なるほど。確かに弱音を吐き出すのは難しいことだからね……でも、話す相手は僕で本当にいいの?」と聞き返してくる。
「先輩がいいです」
はっきり宣言すると、先輩は「わかった。じゃあ後でね」と言ってまた本に目を落とした。私もいつも通り定位置に座って小説を開く。
2人の間にあるのは沈黙ではなくて静けさだ。凪いだ水面のイメージが私の中にうまれる。香耶ちゃんが余計なことを言うもんだから、そこに揺蕩うように浮かぶ糸のイメージが追加されてしまった。
2人の小指に結ばれた、まだ赤くない糸。
先輩がこちらの視線に気付いて微笑む。糸を小さくクイクイっと引っ張られるような、いたずらのようなくすぐったさを感じて首が熱くなった。
結局文字がツルツルと目を滑って何も頭に入らないまま、閉める時間になって先輩と外へ出る。2人の関係性が、やっと新鮮な空気を吸えたとばかりに構内に広がっていく。
外は雪が降っていた。制服に張り付いたそれは端から次々に水になって染み込んでいく。
「ベタ雪だから積もらないね……僕は傘ないや」
「私もです」
「じゃあ、家まで一緒に来てもらっていい? そこで傘を渡すから」
その一言で、私は先輩の家に伺うことになってしまった。これまで一緒に帰ったことはなかったけれど、先輩の家が学校から近いことだけは知っていた。
何をどう切り出せば恋になるんだろう。私は本当に先輩と恋仲になることを望んでいるんだろうかと考えていると、香耶ちゃんが言った『受験』という言葉が胸に引っかかった。
「先輩。進路ってもう考えてるんですか?」
「一応、県外の大学に行こうと思ってるんだ。言語学の分野ですきな教授がいてね。その人のところへ」
そう聞いた瞬間、私の内と外から音が消えた。
「県外って、実家から通えますか」
「いや、家は出るよ。交通の便のこともあるし。この街は雪が積もっちゃうから」
「積もるの、いやですか」
「ずっと降り続けるなら、嫌になることもあるんじゃないかな」
私は、積もり続ける時間をいやだと感じた事はなかった。ひどく冷たかった指先をあたためてくれたのは先輩だった。傘が無くて寒いからだろうか、いつもより距離が近い。自分が寒いからじゃなくて、きっと私が寒そうだからだ。
雪で見えにくくなった赤信号で先輩が立ち止まる。そんな必要ないのに私の前に腕を出して止まる様にと制してくれる先輩。その腕に、私はわざと当たりにいく。
わからない。けどきっと、とてもあたたかい。
「いかないでください、つくもせんぱい」
ぐじゅぐじゅになった顔のまま私は叫んだ。明らかに慌てた先輩の声が頭上から降ってくる。
「え、汐里さん泣いてる? なんで? 大丈夫だよ、僕はまだここにいるよ?」
「でも、いつかいなくなっちゃうじゃないですかぁ」
先輩が色を付けてくれた学校だった。先輩がいなくなったら私は色も温度もわかならくなったコンクリートの中で1年を過ごすことになる。今いるから何だって言うんだろう。そんなの気休めにならない。
「せんぱい、私のこときらいですか」
「脈絡がなさすぎるよ。どうしたの急に」
「はぐらかすってことは、わかってるんでしょ!」
信号はもうとっくに青に変わっている。いつまでも動き出さない私たちをよそに人も車もジュクジュクと進みだす。いつしか雪はぼた雪に変わって積もり始めていた。
今やっと、少女漫画のヒロインたちの気持ちがわかった。香耶ちゃんの言葉の意味も。勝手に私が苛烈な恋に憧れを持っていただけなんだ。シチュエーションや環境に酔っていただけで恋の本質を理解していなかった。
恋はただすきなだけで、とんでもなく苛烈で熱いものだったんだ。
「何よもう! 静かにしてれば場が収まるとでも思ってるんでしょ先輩!」
「汐里さん、そんなに喋る人だったっけ」
「もう静けさとか考えてた私がばっかみたい! 気付いてるくせにうにゃうにゃ言ってる先輩もばかみたい!」
わぁわぁ騒いで暴れていると、信号がまた赤に変わったのが見えた。先輩が強引に私を引っ張って道路近くから離す。
「わかった、わかったから」
「何がわかってるんですか。本当にわかってるんですか。先輩、すきです」
不意打ちになった私の告白に、先輩が面食らう。
何その顔。ひっどい。いや、私の方が今はひどい顔か。何言ってくれるんだろ、先輩。ねぇ。
私がじっと先輩の目を見ていると、観念して口を開く。
「あのね、あの……。なんて答えたらいいか分からないんだけど、えっと、嫌いとかじゃないです。絶対」
「そこ絶対でも嬉しくない。はやく言って」
「えっと、汐里さん、その……」
寒さからか何なのか、九十九先輩は顔を真っ赤にしている。
震える唇で、彼は言った。
「えっと……。雪が、綺麗ですね」