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【2】

ー/ー



 あれからもう十年以上が過ぎた。
 真理愛は高校三年、受験生だ。「家から通える大学がいい」と、地元ではかなりの難関大学を目指している。

 圭亮自身が遠方の大学に通っていたため、自宅通学に拘る必要はないと話していた。
 高給取りとまでは軽口でも言えないが、幸い安定した仕事もある。まだ四十過ぎということもあるし、それこそ若い頃から「娘のために」と蓄えに励んで来ていた。
 親の家に同居で、生活費は渡していても別に住居を構えるよりは出費も相当抑えられている。
 そのため、学費については何も心配はいらないとも伝えていた。しかし本人の決意が固かったのだ。
 本命は国立、併願で合格した私立もすべて通学可能範囲に位置する。
 家族に気を遣っているのでは、という思いは拭えなかったが、もう小さな子どもではない娘の意思を尊重したいと結局は賛成した。

《パパ! 受かってたよ!》
 職場で上司や同僚に断って、規則で置いたままのロッカールームで確かめたスマートフォン。
 今日は娘の受験した大学の合格発表だ。今どきは、わざわざキャンパスの掲示を見に行くことなくネットで確認できるらしい。
 大学の「結果発表ページ」を確認するまでもなく、ディスプレイに浮かぶ通知が娘の合格を伝えていた。
 トークルームを開くと、メッセージの上にWEB発表画面のスクリーンショット。

「やっ、……た!」
 思わず漏れた声を口に手を当てて抑える。ロッカーとはいえ職場なのだ。今は抑えなければ。
 どうにか表情を繕えるようになるまで間を置いて、圭亮はようやくオフィスへ戻るために歩を進めた。

    ◇  ◇  ◇
「おかえり、パパ!」
 出迎えた真理愛の笑顔に、自然と口元が緩む。
 ここしばらくはさすがに緊張が隠せなかった彼女の、久しぶりの満面の笑み。

「ああ、ただいま。やったな、真理愛。おめでとう!」
「うん。『合格確実だし大丈夫』って言われてても、やっぱり受験に絶対はないからさ。中学受験よりずっと不安だった」
 弾んだ声で告げる真理愛の上気した頬に愛しさが募る。

「圭亮、今日は真理愛ちゃんのお祝いでお肉なのよ~」
 キッチンで食事の支度をしている母も、全身から喜びが溢れているようだ。

「肉? 父さんも母さんも、もう肉はあんまりって言ってなかった?」
「祝いは牛肉に決まってるだろ! 箸で切れるような上等なのを買ったから大丈夫だ」
 七十を過ぎた両親を気遣ったつもりの問い掛けは、父に遠慮なく退けられた。

「あたしも『お刺身にしようよ』って言ったんだけど。おじいちゃんが『絶対肉なんだ!』って聞かないんだもん」
「おじいちゃんはまだまだ自分の歯だって残ってるんだからな。ばあさんも、なあ?」
「そうよ。こんな時でもないとお肉なんてわざわざ食べないもの」
 真理愛が笑いながら話すのに、両親が口々に答えている。

 もう幼くはない、けれど今までと同様に大切な可愛い娘。
 小柄で痩せた身体の、泣きも笑いもしなかった四歳の少女は、いつの間にか十八歳になっていた。
 初めて顔を合わせたときは二十九歳だった圭亮が、もう四十二なのだからそれも当然だ。

 娘がこの家に、──圭亮の目の届く範囲にいてくれるのはいつまでだろう。
 四月には大学に入学し、数年後には社会人になる。圭亮より、……家族より心を傾ける存在ができるかもしれない。
 いや、それが自然だ。

 結果として独身を貫いた圭亮に、「ずっとパパといてあげるよ」と口にした真理愛。即座に「要らない!」と返してしまった。
 あのときの娘の呆れた顔。
 言葉のチョイスが悪かったのは認めよう。それでも決して嘘偽りではなかった。
 ずっとこの掌にいて欲しいと願う自分もどこかにいる。いつまでも、子どものままで。
 しかしそれを望んではいけないのもまた、理解していた。

「ねえパパ。いろいろとありがとう」
 まるで父の心を読んだかのような、改まった娘の台詞。
 咄嗟に否定しようとした圭亮を制するように、真理愛がさらに言葉を被せる。

「でも、これからもまだまだ世話になるから! だってあたし、パパの子だもん。覚悟しててよ、パパ」
「ああ、任しとけ!」
 声が震えそうになるのを、圭亮はどうにか堪えて平静な振りをした。

 近い将来、この娘が巣立つ日が来ても。
 血の繋がりだけではない、二人が重ねて紡いできた日々は決して消え失せることはないのだ。
 互いに「育て合って」(つちか)った父と娘としての関係は、永遠に変わることはない。

 ──「こっちこそ『ありがとう』だよ」と心の中だけで呟く。言葉にしたら涙を堪えきれないだろうから。

 ~END~



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 あれからもう十年以上が過ぎた。
 真理愛は高校三年、受験生だ。「家から通える大学がいい」と、地元ではかなりの難関大学を目指している。
 圭亮自身が遠方の大学に通っていたため、自宅通学に拘る必要はないと話していた。
 高給取りとまでは軽口でも言えないが、幸い安定した仕事もある。まだ四十過ぎということもあるし、それこそ若い頃から「娘のために」と蓄えに励んで来ていた。
 親の家に同居で、生活費は渡していても別に住居を構えるよりは出費も相当抑えられている。
 そのため、学費については何も心配はいらないとも伝えていた。しかし本人の決意が固かったのだ。
 本命は国立、併願で合格した私立もすべて通学可能範囲に位置する。
 家族に気を遣っているのでは、という思いは拭えなかったが、もう小さな子どもではない娘の意思を尊重したいと結局は賛成した。
《パパ! 受かってたよ!》
 職場で上司や同僚に断って、規則で置いたままのロッカールームで確かめたスマートフォン。
 今日は娘の受験した大学の合格発表だ。今どきは、わざわざキャンパスの掲示を見に行くことなくネットで確認できるらしい。
 大学の「結果発表ページ」を確認するまでもなく、ディスプレイに浮かぶ通知が娘の合格を伝えていた。
 トークルームを開くと、メッセージの上にWEB発表画面のスクリーンショット。
「やっ、……た!」
 思わず漏れた声を口に手を当てて抑える。ロッカーとはいえ職場なのだ。今は抑えなければ。
 どうにか表情を繕えるようになるまで間を置いて、圭亮はようやくオフィスへ戻るために歩を進めた。
    ◇  ◇  ◇
「おかえり、パパ!」
 出迎えた真理愛の笑顔に、自然と口元が緩む。
 ここしばらくはさすがに緊張が隠せなかった彼女の、久しぶりの満面の笑み。
「ああ、ただいま。やったな、真理愛。おめでとう!」
「うん。『合格確実だし大丈夫』って言われてても、やっぱり受験に絶対はないからさ。中学受験よりずっと不安だった」
 弾んだ声で告げる真理愛の上気した頬に愛しさが募る。
「圭亮、今日は真理愛ちゃんのお祝いでお肉なのよ~」
 キッチンで食事の支度をしている母も、全身から喜びが溢れているようだ。
「肉? 父さんも母さんも、もう肉はあんまりって言ってなかった?」
「祝いは牛肉に決まってるだろ! 箸で切れるような上等なのを買ったから大丈夫だ」
 七十を過ぎた両親を気遣ったつもりの問い掛けは、父に遠慮なく退けられた。
「あたしも『お刺身にしようよ』って言ったんだけど。おじいちゃんが『絶対肉なんだ!』って聞かないんだもん」
「おじいちゃんはまだまだ自分の歯だって残ってるんだからな。ばあさんも、なあ?」
「そうよ。こんな時でもないとお肉なんてわざわざ食べないもの」
 真理愛が笑いながら話すのに、両親が口々に答えている。
 もう幼くはない、けれど今までと同様に大切な可愛い娘。
 小柄で痩せた身体の、泣きも笑いもしなかった四歳の少女は、いつの間にか十八歳になっていた。
 初めて顔を合わせたときは二十九歳だった圭亮が、もう四十二なのだからそれも当然だ。
 娘がこの家に、──圭亮の目の届く範囲にいてくれるのはいつまでだろう。
 四月には大学に入学し、数年後には社会人になる。圭亮より、……家族より心を傾ける存在ができるかもしれない。
 いや、それが自然だ。
 結果として独身を貫いた圭亮に、「ずっとパパといてあげるよ」と口にした真理愛。即座に「要らない!」と返してしまった。
 あのときの娘の呆れた顔。
 言葉のチョイスが悪かったのは認めよう。それでも決して嘘偽りではなかった。
 ずっとこの掌にいて欲しいと願う自分もどこかにいる。いつまでも、子どものままで。
 しかしそれを望んではいけないのもまた、理解していた。
「ねえパパ。いろいろとありがとう」
 まるで父の心を読んだかのような、改まった娘の台詞。
 咄嗟に否定しようとした圭亮を制するように、真理愛がさらに言葉を被せる。
「でも、これからもまだまだ世話になるから! だってあたし、パパの子だもん。覚悟しててよ、パパ」
「ああ、任しとけ!」
 声が震えそうになるのを、圭亮はどうにか堪えて平静な振りをした。
 近い将来、この娘が巣立つ日が来ても。
 血の繋がりだけではない、二人が重ねて紡いできた日々は決して消え失せることはないのだ。
 互いに「育て合って」|培《つちか》った父と娘としての関係は、永遠に変わることはない。
 ──「こっちこそ『ありがとう』だよ」と心の中だけで呟く。言葉にしたら涙を堪えきれないだろうから。
 ~END~