「お姉ちゃん、ほんとにありがとう」
姉がいなければ、あの頃の自分は精神のバランスを保てなかったかもしれない。
「どうしたの? いきなり」
真奈が礼を述べるのに、仁美は戸惑った素振りを見せた。
妹が『告げたいこと』がわかっていても、いなくても。
年を重ねてより強くはなったが変わらず優しい姉は、決して無理に聞き出そうとはしないだろう。
だから真奈も、これ以上言葉を連ねる気はなかった。
「またお家の方にお邪魔してもいいかな? お義兄さんがよかったら。──わたしの《《身内》》はもう、お姉ちゃんと|陽太《ようた》くんと|沙里《さり》ちゃんだけだもん」
姉と、甥と姪と。
数少なくなった真奈の血縁者。当然、その夫であり父である義兄も大事だ。
一生独身を通す覚悟を決めたからこそ、できれば姉の家族とは今後も良好な関係を保ちたかった。
許されるならば。
「もちろんよ。旦那は一人っ子だし、うちの子に近い親戚がほとんどいないこと気にしてるの。向こうのご両親は健在だけど、他にはあなたくらいだしね。だからむしろ大歓迎よ」
突然話題を変えたことには触れずに、笑顔ですんなり了承してくれる仁美に頷きで感謝を示す。
「陽太と沙里も『まなちゃん』大好きなのよ」
「この歳で『まなちゃん』もないよね〜。最初っから『おばさん』て呼ばせとけばよかった」
甥が生まれた当時、二十代半ばで独身の真奈を気遣ってか姉夫婦が『まなちゃんよ』と誘導した結果だ。
そして、すでに高校生と中学生になった子どもたちには、それなりの頻度で会う叔母の呼び方を変える機会などなかった。
四十も過ぎた今となっては、正直なところ気恥ずかしさが勝るがどうしようもない。
「お姉ちゃん、そろそろ帰らないと電車なくなるよ。みんな家で待ってるんでしょ?」
ふと時計に目をやって時間の経過に気付き、真奈は仁美に呼び掛ける。
「駅まで送るから、忘れ物ないように気をつけてね。……まあ忘れたってわたしが戻ってから届けるか送るけどさ」
「わざわざいいわよ、って言いたいけど、真奈と駅まで歩くのもこれが最後になるのかしらね。せっかくだから付き合ってもらうわ」
姉の返答に、改めて一つの区切りを実感した。
「あ、そっか。そうだよねぇ、もうこの街に来ることもなくなるのかな。お墓もお父さんの田舎の方なんだしね」
《《家族》》で過ごした時間を、ずっと見守ってくれたこの家。
取り壊されて跡形もなくなっても、きっと真奈の記憶の中には在りし日の姿のままに残る。
おそらくは仁美もそうだろう。
「あなたは今日は|実家《ここ》に泊っていくんでしょ? 本当に、近いうち遊びに来てよ。楽しみにしてるから」
「うん」
姉の微笑みに同じく笑顔で応え、真奈は携帯と鍵だけ持って一足先に玄関に向かった。
──わたしの心のうちには今もこの先もずっと永遠に、すぐ後ろを歩く姉と、いつまでも元気でいて欲しかった亡き《《父》》のみが棲んでいる。他は全部、消したから。
~END~