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ー/ー



認知症だったばあちゃんがついに死んだ。

 茹だるような暑さの日で、葬式が始まる前は皆忙しない。汗を拭いたり扇子で仰いだりしながら、親戚の人達が挨拶と世間話をしている。私も母に連れられて、親戚の人達に挨拶をした。すると、大人達は礼服代わりにセーラー服を着た私を見て、「七実ちゃんも大きくなったね」と口々に言う。私は大人しく見えるように、自分から喋らず口角を上げて反応を示した。

 「そろそろお葬式始まるんやから、お手洗い行っときなさい」

 「…………うん、わかった」

 お手洗いに向かおうと、会場へ歩いて行く人達とは反対側へ歩いた。そうすると、気が楽になる。反面、自分が他の人達と違うことをしている自覚が芽生える。だんだんと、後ろめたさがせり上がってきて、ついには血の気が引いていた。

 私は、ばあちゃんがそんなに好きじゃなかった。

 ばあちゃんだけじゃない、家族のことも好きにはなれなかった。なんで好きじゃないのかは上手く言葉にはできない。けれど、家族といる時間は居心地が悪く感じることだけは確かだった。ただ、そんな曖昧な気持ちで親戚の輪から外れたとして、後々面倒になることも分かっている。

 トイレの鏡で自分の顔を見ると、蛍光灯に照らされたせいか一層血色が悪く見えた。

「大丈夫? 調子悪いん?」

 知らないお姉さんに声を掛けられて、動揺する。直ぐに「大丈夫です」と返そうとした。なのに、答えに詰まってしまう自分に更に驚く。早く何か言わないと。そう思うと、今にも涙が出てしまいそうだ。

 「葬式、苦手?」

 そしたらサボる?、とお姉さんに言われて、気付けば腕を引かれて歩いていた。会場の扉越しに聞こえてくる声で、もう葬儀は始まっているのだと分かる。

 外に出て思い出したことは、今日は最高気温35度を超える夏日であること。それから、私の腕を引いているお姉さんは、親戚の間で変わり者だと噂されているということだった。


 「なにちゃんやったっけ? お名前は?」

 「七実です」

 「そっか、七実ちゃんは音楽聴く?」

 電車に乗せられて3駅。冷房の効いた車両を降りて、駅から歩く。暑さに呼応するように鳴く蝉の声を聞きながら歩いていると、辿り着いたそこはライブハウスだった。

 地下の階段を降りると、ブルーハワイのような髪色のお兄さんが受付をしてくれる。親戚のお姉さんは、2人分のチケット代を払って、私の鞄と腕時計をロッカーに仕舞ってくれた。お金は後で返します、と話したがお姉さんは「そんなんええよ」としか言わなかった。

 2人分のジンジャーエールをドリンク売り場で交換してから、人混みの中に混じる。周りの人達はバンドのグッズらしきTシャツやパーカーを着ていて、どの人の目もキラキラしていた。

 ばあちゃんの葬儀が行われている一方で、ここではライブが始まろうとしている。

 飲み終わったジンジャーエールのカップをお姉さんが捨ててくれて、私は渡されたヘアゴムで髪を束ねる。途端に、BGMが消えて照明が暗くなった。客席から歓声が上がる。


 初めてのライブは何もかも分からなかったけど、全部が楽しかった。知らない音楽、知らないバンド。全てが初めてなのに、ドラムの音が心臓の鼓動と重なった時は「生きてる」と思った。

 よくわからないまま腕を上げて、周りの大人たちを真似る。音はとにかく大きくて、ずっと音が鳴っているのに、何故か心地いい。全部が滅茶苦茶だった。何もわからないままに笑って泣いた。時間が高速で過ぎていって、まるで夢を見ているみたいだった。

 「可愛い顔しとるんやから、物分かり良さそうにするより楽しそうにしとった方がええよ」

 ライブハウスを出ると、お姉さんはそう言って私の頭を撫でてくれた。


 トイレに行ったきり戻ってこなかった私とお姉さんは、母にこっぴどく怒られた。母は「ばあちゃんの葬式に出ないなんて、普通ありえんよ」と同じことを何度か繰り返しては、私が葬儀場に戻るよう注意しなかったお姉さんを詰った。相手の反論を許さない話し方は、生きていた頃のばあちゃんにそっくりだ。思いも寄らず、血の繋がりの濃さを思い知る。それと同時に、自分に流れる血が怖くなった。

 スマホの画面には、家族からのメッセージ通知と着信履歴がびっしりと表示されている。最新のメッセージには、「ようわからんことせんといて」とある。溜め息が出そうだった。それでも、母に心配をかけたことには変わりない。私は素直に謝った。

 「ばあちゃんが死んだことが悲しくて誰とも話したくなかった」
 「お手洗いで会ったお姉さんが心配してしばらく様子を見てくれていた」

事実を混ぜた噓を話すと、母は何とも言えない顔で説教を止める。母の話をやり過ごしていたお姉さんは、そのまま家に帰っていく。私はライブハウスで見たステージの光景と、僅かに残った耳鳴りがまだ忘れられずにいた。

 私は、ばあちゃんのことが嫌いではなかった。「酒を飲むようになっても、死ぬのは怖いな」と笑った父に、「今更怖くもないよ」と笑い返したばあちゃんのことを未だに覚えている。お小遣いをいつも渡してくれていたのはばあちゃんで、遊びに行くとおやつにさつま芋を炊いてくれたのもばあちゃんだ。それなのに、ばあちゃんに情が湧かない自分がいる。

 「大人になって」家族に応えないといけないと思う。でも、ばあちゃんが死んだことをなんとも思っていない自分がいる。考えているうちに、これは誰にも気付かれてはいけないことだと悟った。


 ライブ終演後、お姉さんとアイスを食べた時間。公園のベンチに座り、「あの曲カッコよかった」「ボーカルの人が10代の頃に作った曲で...」「えー!」なんて、ライブの感想を語って過ごした時間。溶けていくアイスに気付かないくらい夢中になった時間を、きっと忘れないのだと思う。

 突拍子もなく「家族が苦手みたいなんです」と言った時、お姉さんが「吞み込めんことを無理に吞み込むことないよ。家族やって他人やもん」と返してくれたことに安心した。「大人になりたいと思ったらなったらいいし」と笑うお姉さんは、親戚の誰とも違った。

 お姉さんの言う通り、私にとってのばあちゃんは他人だった。


 翌日の朝、ばあちゃんへ手紙を書いて燃やした。これまでしてもらったことへの感謝は、義理として返したかったから。

 ばあちゃんは人の話を聞かなかった。ばあちゃんだけじゃない。父も母も「こうしてほしい」を私に言うことはあっても、私がどうしたいかを聞いてくれたことはなかった。わからないものに対して、自分の常識に無理矢理当てはめて解釈しようとする家族のことが好きじゃなかった。

 感謝も悲しみも諦めも、全部書いて無くなるまで燃やした。傷付いている私に気付いたから。家族を責めたい訳じゃない。父や母やばあちゃんが、私を分からないように、私もばあちゃんたちが分からない。

 夏の暑さで何もかも有耶無耶になればいいのに。そう思いながら手紙を燃やして、やけに青い空だけが残った。


 あれから、私は何事も無かったかのように学校へ通っている。あの日、お姉さんに買ってもらった、バンドのラババンを足首に付けて。

 葬儀場から逃げ出したあの日の出来事は、スローモーションで流れる映画のように思い出すことができる。訳も分からずに腕を引かれ、連れていかれた地下のライブハウス。馬鹿みたいに鳴らされる音。むせ返る熱気と汗を掻いた人の匂い。

 蝉の鳴き声を聴くと、あの日の耳鳴りが聞こえてくる気がしている。


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認知症だったばあちゃんがついに死んだ。
 茹だるような暑さの日で、葬式が始まる前は皆忙しない。汗を拭いたり扇子で仰いだりしながら、親戚の人達が挨拶と世間話をしている。私も母に連れられて、親戚の人達に挨拶をした。すると、大人達は礼服代わりにセーラー服を着た私を見て、「七実ちゃんも大きくなったね」と口々に言う。私は大人しく見えるように、自分から喋らず口角を上げて反応を示した。
 「そろそろお葬式始まるんやから、お手洗い行っときなさい」
 「…………うん、わかった」
 お手洗いに向かおうと、会場へ歩いて行く人達とは反対側へ歩いた。そうすると、気が楽になる。反面、自分が他の人達と違うことをしている自覚が芽生える。だんだんと、後ろめたさがせり上がってきて、ついには血の気が引いていた。
 私は、ばあちゃんがそんなに好きじゃなかった。
 ばあちゃんだけじゃない、家族のことも好きにはなれなかった。なんで好きじゃないのかは上手く言葉にはできない。けれど、家族といる時間は居心地が悪く感じることだけは確かだった。ただ、そんな曖昧な気持ちで親戚の輪から外れたとして、後々面倒になることも分かっている。
 トイレの鏡で自分の顔を見ると、蛍光灯に照らされたせいか一層血色が悪く見えた。
「大丈夫? 調子悪いん?」
 知らないお姉さんに声を掛けられて、動揺する。直ぐに「大丈夫です」と返そうとした。なのに、答えに詰まってしまう自分に更に驚く。早く何か言わないと。そう思うと、今にも涙が出てしまいそうだ。
 「葬式、苦手?」
 そしたらサボる?、とお姉さんに言われて、気付けば腕を引かれて歩いていた。会場の扉越しに聞こえてくる声で、もう葬儀は始まっているのだと分かる。
 外に出て思い出したことは、今日は最高気温35度を超える夏日であること。それから、私の腕を引いているお姉さんは、親戚の間で変わり者だと噂されているということだった。
 「なにちゃんやったっけ? お名前は?」
 「七実です」
 「そっか、七実ちゃんは音楽聴く?」
 電車に乗せられて3駅。冷房の効いた車両を降りて、駅から歩く。暑さに呼応するように鳴く蝉の声を聞きながら歩いていると、辿り着いたそこはライブハウスだった。
 地下の階段を降りると、ブルーハワイのような髪色のお兄さんが受付をしてくれる。親戚のお姉さんは、2人分のチケット代を払って、私の鞄と腕時計をロッカーに仕舞ってくれた。お金は後で返します、と話したがお姉さんは「そんなんええよ」としか言わなかった。
 2人分のジンジャーエールをドリンク売り場で交換してから、人混みの中に混じる。周りの人達はバンドのグッズらしきTシャツやパーカーを着ていて、どの人の目もキラキラしていた。
 ばあちゃんの葬儀が行われている一方で、ここではライブが始まろうとしている。
 飲み終わったジンジャーエールのカップをお姉さんが捨ててくれて、私は渡されたヘアゴムで髪を束ねる。途端に、BGMが消えて照明が暗くなった。客席から歓声が上がる。
 初めてのライブは何もかも分からなかったけど、全部が楽しかった。知らない音楽、知らないバンド。全てが初めてなのに、ドラムの音が心臓の鼓動と重なった時は「生きてる」と思った。
 よくわからないまま腕を上げて、周りの大人たちを真似る。音はとにかく大きくて、ずっと音が鳴っているのに、何故か心地いい。全部が滅茶苦茶だった。何もわからないままに笑って泣いた。時間が高速で過ぎていって、まるで夢を見ているみたいだった。
 「可愛い顔しとるんやから、物分かり良さそうにするより楽しそうにしとった方がええよ」
 ライブハウスを出ると、お姉さんはそう言って私の頭を撫でてくれた。
 トイレに行ったきり戻ってこなかった私とお姉さんは、母にこっぴどく怒られた。母は「ばあちゃんの葬式に出ないなんて、普通ありえんよ」と同じことを何度か繰り返しては、私が葬儀場に戻るよう注意しなかったお姉さんを詰った。相手の反論を許さない話し方は、生きていた頃のばあちゃんにそっくりだ。思いも寄らず、血の繋がりの濃さを思い知る。それと同時に、自分に流れる血が怖くなった。
 スマホの画面には、家族からのメッセージ通知と着信履歴がびっしりと表示されている。最新のメッセージには、「ようわからんことせんといて」とある。溜め息が出そうだった。それでも、母に心配をかけたことには変わりない。私は素直に謝った。
 「ばあちゃんが死んだことが悲しくて誰とも話したくなかった」
 「お手洗いで会ったお姉さんが心配してしばらく様子を見てくれていた」
事実を混ぜた噓を話すと、母は何とも言えない顔で説教を止める。母の話をやり過ごしていたお姉さんは、そのまま家に帰っていく。私はライブハウスで見たステージの光景と、僅かに残った耳鳴りがまだ忘れられずにいた。
 私は、ばあちゃんのことが嫌いではなかった。「酒を飲むようになっても、死ぬのは怖いな」と笑った父に、「今更怖くもないよ」と笑い返したばあちゃんのことを未だに覚えている。お小遣いをいつも渡してくれていたのはばあちゃんで、遊びに行くとおやつにさつま芋を炊いてくれたのもばあちゃんだ。それなのに、ばあちゃんに情が湧かない自分がいる。
 「大人になって」家族に応えないといけないと思う。でも、ばあちゃんが死んだことをなんとも思っていない自分がいる。考えているうちに、これは誰にも気付かれてはいけないことだと悟った。
 ライブ終演後、お姉さんとアイスを食べた時間。公園のベンチに座り、「あの曲カッコよかった」「ボーカルの人が10代の頃に作った曲で...」「えー!」なんて、ライブの感想を語って過ごした時間。溶けていくアイスに気付かないくらい夢中になった時間を、きっと忘れないのだと思う。
 突拍子もなく「家族が苦手みたいなんです」と言った時、お姉さんが「吞み込めんことを無理に吞み込むことないよ。家族やって他人やもん」と返してくれたことに安心した。「大人になりたいと思ったらなったらいいし」と笑うお姉さんは、親戚の誰とも違った。
 お姉さんの言う通り、私にとってのばあちゃんは他人だった。
 翌日の朝、ばあちゃんへ手紙を書いて燃やした。これまでしてもらったことへの感謝は、義理として返したかったから。
 ばあちゃんは人の話を聞かなかった。ばあちゃんだけじゃない。父も母も「こうしてほしい」を私に言うことはあっても、私がどうしたいかを聞いてくれたことはなかった。わからないものに対して、自分の常識に無理矢理当てはめて解釈しようとする家族のことが好きじゃなかった。
 感謝も悲しみも諦めも、全部書いて無くなるまで燃やした。傷付いている私に気付いたから。家族を責めたい訳じゃない。父や母やばあちゃんが、私を分からないように、私もばあちゃんたちが分からない。
 夏の暑さで何もかも有耶無耶になればいいのに。そう思いながら手紙を燃やして、やけに青い空だけが残った。
 あれから、私は何事も無かったかのように学校へ通っている。あの日、お姉さんに買ってもらった、バンドのラババンを足首に付けて。
 葬儀場から逃げ出したあの日の出来事は、スローモーションで流れる映画のように思い出すことができる。訳も分からずに腕を引かれ、連れていかれた地下のライブハウス。馬鹿みたいに鳴らされる音。むせ返る熱気と汗を掻いた人の匂い。
 蝉の鳴き声を聴くと、あの日の耳鳴りが聞こえてくる気がしている。