学校の席で一つため息をつく。今朝からの情報過多に気持ちがまだ追いついておらず、学校には来たものの授業に全く身が入らなかった。
僕がどうやって死んだのかはまだ思い出せないけれど、この世界に転生したのは多分死の瞬間に強烈に願ったんだろうなと思う。「小説の続きが知りたい」って。まさか神様も僕の読んでる続きが知りたかったとは思うまい。小説は刊行している時点でラストでは千紘と五十嵐は付き合っているんだろうから、紛うことなきこの世界は「あの小説の続きの世界」なのだ。
(うぅ〜……でも続き、知りたかった……成はなんて告白したんだよー……どうやって千紘は五十嵐を選んだんだよー……そこが知りたいんだってば)
モヤモヤした思いを抱えて机に突っ伏すと、隣の席から笑い声が降ってくる。
「……ぷっ。赤阪、髪、めちゃくちゃだぞ」
「……五十嵐ぃ」
まさにおまえのことで悩んでるんだよ。そう言いたいけど五十嵐にはなんの責任もない。
千紘の相手である五十嵐は僕……百花と同じクラスで、出席番号順のせいで今隣の席にいる。そのビジュアルのせいでかあまり女子と話している風景は見かけない。けれどなぜか百花には話しかけてくるもんだから、五十嵐は百花の事が好きなのでは?という噂がまことしやかに囁かれており、僕も悪い気はしていなかったのだが……。
(真相を知ってみれば、僕が千紘の姉だからだよな、話しかけてくるの)
将を射んと欲すればまず馬を射よ、か。……別に千紘の姉だからと言って邪魔をする気はないのにな。まあ馬は馬らしく程々に対応するのがいいのだろう。将来義弟になる奴だろうし。
「ちょっと気になることがあってね。まー五十嵐には関係ないから気にしないでよ」
「なんだよ、水くさいな。俺でできることがあるならするぞ?」
「へーきだって。 私より五十嵐は千紘に構ってあげなさい」
「……っは?!」
一瞬あって、頬を染める五十嵐。おお、挿絵では見れなかった五十嵐の赤面だ!これこそこうやって転生しないと見れなかったものだなあ。
小説は基本的に千紘視点で進んでいたから、五十嵐は〈出来るかっこいい先輩〉というふうに描かれていたけど、|僕《百花》から見たらただのクラスメイトだもんな。役得役得。
「赤阪、なに、何言って」
「ダメだよー、影になってるからってあんな往来でキスなんかしてたらね」
「……見てたのか」
吃る五十嵐に笑ってそう言ってやると、五十嵐は頭を抱えた。僕的にはそういうのどんどんやって欲しくはあるけど、千紘的にはご近所に見られるのは避けたいはず。ちょっとは気をつけて、でも僕に見えるとこでして欲しい……ってのはワガママすぎるか。
ニヤニヤする僕をチラ、と見やった五十嵐は観念したように息をつき、そして声を潜めた。
「そういう事だから。よろしく」
「改めてよろしくね、義理の弟よ」
「まだそれば早いだろ」
「そうなったらいいなって思って」
「……サンキュ」
うわ。うわ。うわ。
頬を染めてはにかむイケメンの攻撃力やばいな。五十嵐になんの気もない僕でも赤面しそうだ。
いやいや落ち着け僕。百合の間に挟まる男子と一緒で薔薇の間に挟まる女子も不要なのだ。スパイスとしてはいいアクセントではあるけれど。
丁度いいタイミングで鳴ったチャイムで僕達の会話は終了する。僕は少しずつ、この世界に転生できてよかったと思いはじめていた。
○
「やっぱりないかあ」
学校の最寄り駅がある駅ビルの本屋で、僕はため息をつく。まあないだろうけれど、この世界の元になった小説……正直タイトルはしっかり覚えていないが、表紙イラストは覚えている……が、本屋に陳列していないかを確認しにきたのだ。BL本自体は沢山ある。けれどやはりその本は見当たらなかった。まあ通販サイトでも見つからなかったわけだから、在庫に制限のある本屋にあるとは思えない。そもそもこの世界の原作とも言える話なのだから、小説が存在すること可能性自体ほぼなかったけれど。
に、してもだ。本屋のBLコーナーなんて久しぶりに来たけどやはり女の子だと目立たない。多分レジに持っていっても忌諱の目で見られることは無いだろう。前世との違いをこういう部分で見せつけられ、僕は乾いた笑いを浮かべた。
「あ、やば。もうそんな時間か」
不意に店内のBGMが聞き慣れた光を灯す虫のそれになる。転生してもこういうのはかわらないかと思いながら僕は本屋を出てそのまま駅の改札へと向かった。
百花のバイト先はこの駅ビルのカフェだ。二十時までのバイトのあと、本屋に寄っていたのだけれど思っていたより時間が経っていたらしい。飲食フロア以外は二十一時までなのを失念していた。
そのまま駅のホームで電車を待ち、乗り込む。通勤ラッシュとは時間がズレているだろうに、駅ビルの閉館時間のせいか電車内はぎゅうぎゅう詰めまではいかないけれど肩が触れ合う程度の混みっぷりで、それなりに息苦しい。吊革に手すら伸ばせない位置でぼんやりとスマホを弄っていると、発車した電車の中で不意に気づく。
(……え?気のせい……?)
スカートの下の内股に、カバンのような硬いものが触れる。それも、一度や二度じゃない。電車の揺れとも違うタイミングで、何度も何度もスカートの中に押し込まれるそれに僕はゾッとした。
(……痴漢?それとも盗撮?)
前世の話だけど、ウェブ小説で痴漢BLものを嗜んでてすみません。実際に被害にあうとこんなにおぞましいものだとは思いませんでした。
触られてすらいないのに、そうだと思うと怖気がする。だけど怖くて声が出ない。触れてもいないのだから声を上げたら痴漢冤罪だと思われるのも嫌だ。気持ち悪さを感じながら僕はそっとカバンの方向とは逆に身体を寄せる。……と、執拗に追いかけてくるカバンの角。
(うわ……決定的じゃん)
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
それしか考えられなくて身体を捻ると、気づかれていると察したのかカバンの角はそれ以上近づいてこなかった。それでも痴漢がすぐ側にいると思うと気持ちが悪く、早く駅に着いてくれ、それしか考えられなかった。
学校とうちとの距離が急行で一駅区間で助かったと今は思う。通勤に一時間かけていた前世とは大きな違いだ。ドアが開き、そそくさと電車から降りた僕はほっと安心のため息をついてからゆっくりと歩き出した。
|そ《・》|れ《・》に気づいたのは駅を出て、暫く進んだところだった。
(……誰か、居る?)
普段はあまり気にならない、同じ方向へ向かって歩く足音が妙に気になる。なぜだか、誰かが僕の後を追っているような、そんな錯覚をしてしまう。
ゴム底て普通にアスファルトを歩いているだけでは足音なんて響かない。だから気配でそう判断するしかないんだけれど、それでもどこか確信めいたものを感じた。
無意識に早足になる。呼吸が焦りで浅くなる。
僕はどうしてこんなに恐怖心を抱いてるんだろう?それすらも分からないまま、もはや小走りで住宅街を進む。だけど僕が抱いた恐怖は当然のものだったと気づく。
背後の気配がずっと僕を追っている。僕はもう小走りで進んでいるのにもかかわらず、だ。これはもう多分気のせいじゃない。
確信を持った瞬間、恐怖が感情を支配する。
怖い、怖い、怖い、殺される、誰か助けて!
家までの距離がこんなに遠く感じたのは初めてだ。足が焦りで縺れ、上手く動かなくなって僕は躓いてしまい、傍の電柱に寄りかかる。小走りで掛けてきたせいで息が苦しい。一旦止まった足は疲労と恐怖で重石のようだ。気配はもうすぐ側まで来ている。動け、動け、動け、逃げないとダメなんだ。
「モモ?」
突然前方から掛けられた聞き慣れた声に僕は弾かれたように顔を上げ、そしてその人物を見止めるとさっきまで動かなかった足が勝手に動いて駆け寄る。……駆け寄って、そのままその身体に抱きついた。
「うわ、わ?なんだよ、どうしたんだ?」
「うわぁん、成!ナイスタイミング!怖かったよぉ!」
「……怖かった?なんだよ、どうしたんだホントに」
疑問の色を浮かべながらも半べそをかきながらぎゅっと抱きついている僕の肩をぽんぽんと優しく撫でてくれる。それこそ千紘に対してしていたのもこういうのだろうなと思える、成の優しさが見える行為だ。
「なんかわかんないけど、誰かに追いかけられてる気がして」
「マジかよ」
僕の言葉に成は僕が来た方向をキッと睨む。僕を庇うように肩を抱き、自分の影に隠すようにして。
(うわ、うわぁぁぁイケメンだ!イケメンはすぐさらっとこういうことする!でもありがとう!)
成に会ったことで安心した僕は要らないことまで考える余裕が出てきたようだ。ほっと息をつき、改めて成の顔を見上げる。
小林成。主人公である千紘の幼なじみ……ということは|僕《百花》にとっても幼なじみな訳だ。千紘と同じ歳で、小説では同じクラスだったけど今は二年生に進級してるから違うかもしれない。中学生の時にバレーボール部だったからか身長は高く、メインヒーローである五十嵐よりも高い。男子バレーボール部のないうちの高校に入ったのは千紘には「近いから」って言ってたけど、僕は千紘が行くからだったのかな、なんて思っていた。
そんな小説内でもイケメン幼なじみぷりを発揮していた成が、今僕を守ってくれている。成のイケメン行為は千紘だけじゃなく僕にも発揮してくれるのだと思うと少し嬉しくなった。
「モモ。誰も居ないみたいだぞ」
「……そう?成がいたから逃げちゃったのかな。よかった」
「よくない。目をつけられたとしたら明日からも追いかけられるかもだろ」
「えぇ?そんな訳ある?わたしそんな美人でも可愛くもないのに。Bカップだし」
「そんなの関係ない。てかこういうのって美人とかより普通の子の方が狙われやすいって聞いたぞ」
「……マジ?」
そう言われると途端に不安になる。言われてみると美人や可愛い子は自衛本能が常にありそうだけど僕のような普通の子は「まさか私が」って思うのかも。実際いまそう思ってたし。とはいえそれぐらいでバイトを休む訳にもいかないしどうしたらいいんだろう。せめて僕が格闘技的なものでも身につけていれば話は変わったんだろうけれどそんな技術は持ち合わせていない。
「これから合気道でも習う?」
「間に合うわけないだろ」
「だってどうしたらいいのかわかんないよ」
僕の言葉に成は不思議そうにする。その表情に僕の方が首を傾げると、苦笑した。
(……わ)
精悍な顔つきが、笑うとこんな可愛くなるんだ。それこそ挿絵がないから知らなかった。
「なんだよ。俺はてっきりいつも通り『成が守ってくれればいいじゃん』って言われると思ってたぞ」
「……へ」
え。百花ってそんなふうに成に接してたのか。記憶を探っても何故か成のことはあまり覚えてなくて、本当に幼なじみ、というか二人目の弟のように思っていたからてっきり。まさかそんな『姉特権』を振りかざしてるとは夢にも思わなかった。千紘にはそんな態度じゃないのに。
どう誤魔化したらいいかわからずに誤魔化すとりあえず笑う。
「あー……」
「いつもの事だから気にすんなよ。モモ、明日もバイト?」
「うん。今日は本屋に寄ってきたからちょっと遅くなったけど」
「そっか。じゃあ迎えに行く」
「えっと……」
甘えていいんだろうか。『いつもの事』と成は言ったけれど、毎日となると面倒じゃないか?
そう思っているのに気づかれたのか、成はまた笑い、大きな掌を僕の頭に置いた。ぽんぽん、と軽く撫でられて僕は目を瞬かせる。……今のは、なんとなく覚えがあるような、ないような。
「だから遠慮すんなって。いつも通り『よろしくね、成』って言ってくれればいいからさ」
「……あ。じゃあその、……よろしく」
「ん」
ふわりと笑う成。僕はその笑顔に心臓を鷲掴みにされたかのような息苦しさを感じた。