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1:公式ネタバレを食らった

1/2



「……ん?」
 
 朝、目が覚めた時に見える光景は基本的に変わらないものだと思う。視界に入るものはベッドだったり、天井だったり、その程度の違いぐらいで。だから何も疑問を感じることはない、はずだけれど。
 その日の朝は妙に違和感があった。いや、正確には既視感はある。けれどどこか見慣れない、そんな奇妙な感覚。
(なんだろ。寝ぼけてるのかな)
 そんなことを思いながら身体を起こすと、肩にまとわりつく長い髪。これまた既視感と違和感の混ざった部屋をぐるりと見渡し、扉の横に備え付けてあった姿見が視界に入り、枕元を探る。……探って、自分は何を探してるんだろう、そう思った。無意識の行動、そうとしか言えない自分の手の動きに疑問を感じながら改めて姿見に映った自分の姿を見て、()は目を瞬かせた。
 
「……は?」
 
 そこに映っていたのはやっぱり既視感と違和感を感じる姿だった。自分の姿なのにだ。だけど部屋と違って、僕はその姿を見た瞬間にそれが何故なのかを不意に思い出したのだった。
 
  ○
 
「先輩……」
 なんで、そんな風にオレを惑わせるんですか。オレが知らないと思ってるんですか、あなたがオレと同じように高井に接してるってこと。……ああ、嫌だ。こんな風に考えてしまう自分がどうしようもなく女々しくて嫌になる。なんでオレ、先輩のこと考えるとこんな風になってしまうんだろう。こんな、胸が締めつけられるように息苦しくて、涙が出そうな気持ちに。
 息苦しさが楽になるかと思って大きく息をついた瞬間、オレの身体は誰かに抱きすくめられた。
「千紘」
 オレの名を呼ぶその声は、成のものだった。……え。オレ、成に抱きしめられてる……?
 オレの肩に回る腕を強烈に意識してしまうとそれに気づいたらしき成がクスリと低い声で笑った。その聞いた事のない笑い声にオレの心臓がドクンと鳴る。
「な、る」
「止めとけよ。五十嵐先輩なんかさ」
「……成、気づいて」
「あの人の事好きになってから、千紘、いつも泣きそうな顔してるじゃん。……そんな千紘、見てらんねーよ」
「……好き……?」
(どういう事だ……?だってオレも先輩も男、なのに)
 成の言葉に混乱する。好き?オレ、先輩の事好きなのか?わからない。わからないけど、胸がギュッとなって涙が出そうになる。
「俺なら千紘をそんな風に悲しませないのに」
「……成?」
 肩に回る成の腕がギュッと強くなる。耳元で成の喉がゴクリと鳴ったのが分かった。
「千紘、俺」
 
 ――……駅。お降りのお客様はお忘れ物の無いようお気をつけてください。
 
「え、あっ」
 
 ヤバい、夢中になりすぎた。僕は読んでいた電子書籍のアプリを閉じてスマホをポケットにつっこみ、リュックを掴んで立ち上がる。人の波に混じって電車から降り、改札へ向かって歩きながら今読んでいたBL小説の内容を反芻していた。
(ああ〜、やっぱり王道はいいなあ。内容的にはザ・少女漫画って感じの展開だけどそれがまたいい。あのあときっと成は千紘に告白して、成と先輩の間で揺れる千紘、って流れになるんだろうなって分かるんだけど、それでも続きが気になっちゃう。最近ドエロい作品ばっかり読んでたからこそたまにはこんな純なBLが刺さるなあ)
 僕は男だけど男同士の恋愛を描く作品、つまりはBLを嗜む所謂腐男子というやつだ。高校生の頃付き合っていた彼女が腐女子で、どんな本を読んでいるのか知りたくてそこからずぶずぶとこの沼に沈んで行った。因みにその彼女とは高校を卒業してから会っていない。所謂自然消滅だ。嫌な思い出もなく、寧ろ僕にBLというものを知らしめてくれたことに感謝しかない。
 そんなわけで高校卒業から五年経った今、僕は通勤電車内でBL小説を読むという立派な腐男子になった訳だ。あくまでも性自認は男だし恋愛対象も女性だけど、男同士の恋愛模様を楽しむ生活を送っている。今日もそうして仕事の帰宅中にBL小説を読みながら帰ってきたという訳だ。
 改札にスマホをタッチして通り抜けながら、先程まで読んでいた小説の表紙を思い出す。気に入った作者の本を内容問わず購入する、所謂作者買いでつい昨日購入した小説の表紙は、サラサラした色素の薄い茶髪の少し可愛らしい男の子……主人公である赤阪千紘(あかさかちひろ)が、黒髪の男……先輩である五十嵐睦月(いがらしむつき)に抱き締められて頬を染めているそれだ。だから千紘の相手が先輩なのだろうことは理解している。だけど幼なじみである小林成(こばやしなる)が千紘への秘めた思いを告白しようとしている。男同士の幼なじみというものはやはり王道も王道、ずっとそばに居るからこそ秘めているわけだから、その思いを吐き出す場面はえも知れない萌えがある。
(あー、先が気になる。早く帰って続きを読もう)
 そうして僕はうきうきしながら帰路に着いた。
 
   ○
 
(……の、ハズ。だけど)
 覚えているのはそこまで。だけどこれは昨日の記憶じゃない。僕の〈前世〉の話だ。
 今の僕には赤阪百花(あかさかももか)として生きてきた十七年間の記憶もある。これまで、昨日までそうして普通に生きていたのに、突然前世の記憶が降って湧いたように溢れてきた。
(……これ、って。ラノベとかでよくある転生……ってやつ……?)
 大体のライトノベルで取り扱われる〈転生モノ〉では大体転生先はファンタジー系の世界だ。だけど僕が今いる世界は現代日本に見える。僕は自分が全く知らない世界に転生したのか?
(まあファンタジー世界に転生したところで無双できるようなチートもなにも持ってないんだけど)
 しかしこういう転生モノのお約束は基本的に性別を合わせてくれるものだと思っていたが、僕……百花の身体はどう見繕っても女性のそれだ。多少戸惑うところもないでもないけれど、十七年この身体と付き合ってきた記憶もあるわけで、どういう反応をしたらいいのかも困ってしまう。
 せめて出るところは出て引っ込むところは引っ込むような、そんな女の子ならよかったが残念ながら百花の身体は慎ましやかな胸と標準的な膨らみを持つ、普通の女の子だ。記憶を取り戻す前は「ダイエットしなきゃねー」などとクレープを食べながら話していた覚えもある。鏡を見ても、不細工ではないが特別美人とも言えない。
(……こりゃ、モブ転生ってやつかな)
 物語のヒロインやヒーローではなく、名も無きモブ。そんな気配しかしない。……まあ、モブとして転生したなら今まで通り地味に生きていくまでだ。前世でもそうだったし、性別が変わったとはいえ違和感なく過ごしていけるだろう。
 そこまで考えて、ふと気づく。
 〈転生〉した、ということは前世の僕はおそらく死んだのだろう。だけど、どうやって死んだのかまったく思い出せない。事故だったとか、突然倒れたとか、とにかく死因が分からなかった。
(……まあ、思い出したからといってどうにか出来るわけじゃないし、いいか)
 きっと今朝のように突然思い出すだろう。そんな風に考えながらベッドから立ち上がったタイミングで不意にドアがノックされる。
 
「姉さん、入るよ」
「はーい……あ」
「あ?なに?」
 
 ドアを開けて入ってきた弟の顔を見て、僕は思わず間抜けな声を出す。百花としての記憶はあったのに、どうして気づかなかったんだろう。ドアを開けて入ってきた弟はそんな僕の声に首を傾げる。その、さらりと流れる色素の薄い茶髪。
 
「なんでもない。朝ごはん?」
「そ。母さんが早く降りてきて、ってさ」
「わかった。すぐ降りるよ」
「じゃあ、オレ先に行くから」
「え?もう学校行くの?早くない?」
「別にいいでしょ」
 
 なぜか照れたように頬が染まる。その表情は姉の僕ですら可愛いと思ってしまう。
 
「……行ってらっしゃい。千紘」
「行ってきます」
 
 ドアがパタンと閉じた所で僕は胸中でめいっぱい叫び声を上げた。
(ち、千紘だ……千紘だ?!あの小説の表紙そのままの千紘が、僕の弟の千紘だーー!!?!待って待って待ってじゃあこの世界はあのBL小説の世界なのか!!千紘がイケメンとイチャイチャするのをこの目で見られるかもしれないのか!!!!マジでーーー?!)
 思わずベッドに突っ伏す。ぐりぐりと額をシーツに押し付けながら悶えていると、玄関扉が開閉する音がして、門扉が軋む音と共に小さな声が聞こえた。
「お待たせ、先輩」
(……なんですと?!)
 思わずがばりと起き上がり、そっと窓を開けて玄関の辺りに視線を落とす、と。千紘と黒髪長身の男が一緒にいるのが見えた。
(あぁっ、あれ、五十嵐!そうだ同じクラスだ、五十嵐睦月!……あれ?五十嵐が、なんで千紘を迎えに……)
 興奮しながら二人を視線で追いかけていると、突然五十嵐が千紘を抱き寄せる。そんなスキンシップも千紘は嫌がる気配は見せず、そして二人は甘く口づけを交わし……そんな小説の挿絵のようなワンシーンを目撃してしまった僕は思わず頭を抱えた。
 いやいやいや、あれもうくっついてる。すごい幸せそうで眼福ですご馳走様……だけど。
 
「公式ネタバレじゃん……」
 
 小説を読破していない僕はまだ千尋が誰を選んだのか知らなかった。展開的に十中八九五十嵐とであるのは分かっていても、それでもそこに至る紆余曲折が醍醐味なのに。姉である百花も千紘の恋愛模様など知らないようで、記憶を探ってもその辺りは分からなくて僕は歯噛みした。
(……てことは、成は振られちゃったんだ)
 (百花)にとっても幼なじみである、小林成。例の小説では当て馬キャラだった男。当て馬ではあるけれど挿絵のビジュアルは正直五十嵐よりも僕好みで、記憶の中の告白シーンの続きが今は一番知りたい所だった。とはいえ、小説の千紘は確か高校入学すぐで、今は僕の記憶が正しければ千紘は二年生になっている。……もう、千紘達にとっては過去の話なんだろう。
 前世の僕も今世の僕も経験のないことだけれど、人に告白することやそれを断ることは大変なストレスになるらしい。今の千紘や成にとっては古傷を抉ることになるだろう。
 とても小説の続きの展開を聞けるはずも無く、僕は永遠に続きの展開を知ることは無くなったのだった。



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 朝、目が覚めた時に見える光景は基本的に変わらないものだと思う。視界に入るものはベッドだったり、天井だったり、その程度の違いぐらいで。だから何も疑問を感じることはない、はずだけれど。
 その日の朝は妙に違和感があった。いや、正確には既視感はある。けれどどこか見慣れない、そんな奇妙な感覚。
(なんだろ。寝ぼけてるのかな)
 そんなことを思いながら身体を起こすと、肩にまとわりつく長い髪。これまた既視感と違和感の混ざった部屋をぐるりと見渡し、扉の横に備え付けてあった姿見が視界に入り、枕元を探る。……探って、自分は何を探してるんだろう、そう思った。無意識の行動、そうとしか言えない自分の手の動きに疑問を感じながら改めて姿見に映った自分の姿を見て、()は目を瞬かせた。
 
「……は?」
 
 そこに映っていたのはやっぱり既視感と違和感を感じる姿だった。自分の姿なのにだ。だけど部屋と違って、僕はその姿を見た瞬間にそれが何故なのかを不意に思い出したのだった。
 
  ○
 
「先輩……」
 なんで、そんな風にオレを惑わせるんですか。オレが知らないと思ってるんですか、あなたがオレと同じように高井に接してるってこと。……ああ、嫌だ。こんな風に考えてしまう自分がどうしようもなく女々しくて嫌になる。なんでオレ、先輩のこと考えるとこんな風になってしまうんだろう。こんな、胸が締めつけられるように息苦しくて、涙が出そうな気持ちに。
 息苦しさが楽になるかと思って大きく息をついた瞬間、オレの身体は誰かに抱きすくめられた。
「千紘」
 オレの名を呼ぶその声は、成のものだった。……え。オレ、成に抱きしめられてる……?
 オレの肩に回る腕を強烈に意識してしまうとそれに気づいたらしき成がクスリと低い声で笑った。その聞いた事のない笑い声にオレの心臓がドクンと鳴る。
「な、る」
「止めとけよ。五十嵐先輩なんかさ」
「……成、気づいて」
「あの人の事好きになってから、千紘、いつも泣きそうな顔してるじゃん。……そんな千紘、見てらんねーよ」
「……好き……?」
(どういう事だ……?だってオレも先輩も男、なのに)
 成の言葉に混乱する。好き?オレ、先輩の事好きなのか?わからない。わからないけど、胸がギュッとなって涙が出そうになる。
「俺なら千紘をそんな風に悲しませないのに」
「……成?」
 肩に回る成の腕がギュッと強くなる。耳元で成の喉がゴクリと鳴ったのが分かった。
「千紘、俺」
 
 ――……駅。お降りのお客様はお忘れ物の無いようお気をつけてください。
 
「え、あっ」
 
 ヤバい、夢中になりすぎた。僕は読んでいた電子書籍のアプリを閉じてスマホをポケットにつっこみ、リュックを掴んで立ち上がる。人の波に混じって電車から降り、改札へ向かって歩きながら今読んでいたBL小説の内容を反芻していた。
(ああ〜、やっぱり王道はいいなあ。内容的にはザ・少女漫画って感じの展開だけどそれがまたいい。あのあときっと成は千紘に告白して、成と先輩の間で揺れる千紘、って流れになるんだろうなって分かるんだけど、それでも続きが気になっちゃう。最近ドエロい作品ばっかり読んでたからこそたまにはこんな純なBLが刺さるなあ)
 僕は男だけど男同士の恋愛を描く作品、つまりはBLを嗜む所謂腐男子というやつだ。高校生の頃付き合っていた彼女が腐女子で、どんな本を読んでいるのか知りたくてそこからずぶずぶとこの沼に沈んで行った。因みにその彼女とは高校を卒業してから会っていない。所謂自然消滅だ。嫌な思い出もなく、寧ろ僕にBLというものを知らしめてくれたことに感謝しかない。
 そんなわけで高校卒業から五年経った今、僕は通勤電車内でBL小説を読むという立派な腐男子になった訳だ。あくまでも性自認は男だし恋愛対象も女性だけど、男同士の恋愛模様を楽しむ生活を送っている。今日もそうして仕事の帰宅中にBL小説を読みながら帰ってきたという訳だ。
 改札にスマホをタッチして通り抜けながら、先程まで読んでいた小説の表紙を思い出す。気に入った作者の本を内容問わず購入する、所謂作者買いでつい昨日購入した小説の表紙は、サラサラした色素の薄い茶髪の少し可愛らしい男の子……主人公である赤阪千紘(あかさかちひろ)が、黒髪の男……先輩である五十嵐睦月(いがらしむつき)に抱き締められて頬を染めているそれだ。だから千紘の相手が先輩なのだろうことは理解している。だけど幼なじみである小林成(こばやしなる)が千紘への秘めた思いを告白しようとしている。男同士の幼なじみというものはやはり王道も王道、ずっとそばに居るからこそ秘めているわけだから、その思いを吐き出す場面はえも知れない萌えがある。
(あー、先が気になる。早く帰って続きを読もう)
 そうして僕はうきうきしながら帰路に着いた。
 
   ○
 
(……の、ハズ。だけど)
 覚えているのはそこまで。だけどこれは昨日の記憶じゃない。僕の〈前世〉の話だ。
 今の僕には赤阪百花(あかさかももか)として生きてきた十七年間の記憶もある。これまで、昨日までそうして普通に生きていたのに、突然前世の記憶が降って湧いたように溢れてきた。
(……これ、って。ラノベとかでよくある転生……ってやつ……?)
 大体のライトノベルで取り扱われる〈転生モノ〉では大体転生先はファンタジー系の世界だ。だけど僕が今いる世界は現代日本に見える。僕は自分が全く知らない世界に転生したのか?
(まあファンタジー世界に転生したところで無双できるようなチートもなにも持ってないんだけど)
 しかしこういう転生モノのお約束は基本的に性別を合わせてくれるものだと思っていたが、僕……百花の身体はどう見繕っても女性のそれだ。多少戸惑うところもないでもないけれど、十七年この身体と付き合ってきた記憶もあるわけで、どういう反応をしたらいいのかも困ってしまう。
 せめて出るところは出て引っ込むところは引っ込むような、そんな女の子ならよかったが残念ながら百花の身体は慎ましやかな胸と標準的な膨らみを持つ、普通の女の子だ。記憶を取り戻す前は「ダイエットしなきゃねー」などとクレープを食べながら話していた覚えもある。鏡を見ても、不細工ではないが特別美人とも言えない。
(……こりゃ、モブ転生ってやつかな)
 物語のヒロインやヒーローではなく、名も無きモブ。そんな気配しかしない。……まあ、モブとして転生したなら今まで通り地味に生きていくまでだ。前世でもそうだったし、性別が変わったとはいえ違和感なく過ごしていけるだろう。
 そこまで考えて、ふと気づく。
 〈転生〉した、ということは前世の僕はおそらく死んだのだろう。だけど、どうやって死んだのかまったく思い出せない。事故だったとか、突然倒れたとか、とにかく死因が分からなかった。
(……まあ、思い出したからといってどうにか出来るわけじゃないし、いいか)
 きっと今朝のように突然思い出すだろう。そんな風に考えながらベッドから立ち上がったタイミングで不意にドアがノックされる。
 
「姉さん、入るよ」
「はーい……あ」
「あ?なに?」
 
 ドアを開けて入ってきた弟の顔を見て、僕は思わず間抜けな声を出す。百花としての記憶はあったのに、どうして気づかなかったんだろう。ドアを開けて入ってきた弟はそんな僕の声に首を傾げる。その、さらりと流れる色素の薄い茶髪。
 
「なんでもない。朝ごはん?」
「そ。母さんが早く降りてきて、ってさ」
「わかった。すぐ降りるよ」
「じゃあ、オレ先に行くから」
「え?もう学校行くの?早くない?」
「別にいいでしょ」
 
 なぜか照れたように頬が染まる。その表情は姉の僕ですら可愛いと思ってしまう。
 
「……行ってらっしゃい。千紘」
「行ってきます」
 
 ドアがパタンと閉じた所で僕は胸中でめいっぱい叫び声を上げた。
(ち、千紘だ……千紘だ?!あの小説の表紙そのままの千紘が、僕の弟の千紘だーー!!?!待って待って待ってじゃあこの世界はあのBL小説の世界なのか!!千紘がイケメンとイチャイチャするのをこの目で見られるかもしれないのか!!!!マジでーーー?!)
 思わずベッドに突っ伏す。ぐりぐりと額をシーツに押し付けながら悶えていると、玄関扉が開閉する音がして、門扉が軋む音と共に小さな声が聞こえた。
「お待たせ、先輩」
(……なんですと?!)
 思わずがばりと起き上がり、そっと窓を開けて玄関の辺りに視線を落とす、と。千紘と黒髪長身の男が一緒にいるのが見えた。
(あぁっ、あれ、五十嵐!そうだ同じクラスだ、五十嵐睦月!……あれ?五十嵐が、なんで千紘を迎えに……)
 興奮しながら二人を視線で追いかけていると、突然五十嵐が千紘を抱き寄せる。そんなスキンシップも千紘は嫌がる気配は見せず、そして二人は甘く口づけを交わし……そんな小説の挿絵のようなワンシーンを目撃してしまった僕は思わず頭を抱えた。
 いやいやいや、あれもうくっついてる。すごい幸せそうで眼福ですご馳走様……だけど。
 
「公式ネタバレじゃん……」
 
 小説を読破していない僕はまだ千尋が誰を選んだのか知らなかった。展開的に十中八九五十嵐とであるのは分かっていても、それでもそこに至る紆余曲折が醍醐味なのに。姉である百花も千紘の恋愛模様など知らないようで、記憶を探ってもその辺りは分からなくて僕は歯噛みした。
(……てことは、成は振られちゃったんだ)
 (百花)にとっても幼なじみである、小林成。例の小説では当て馬キャラだった男。当て馬ではあるけれど挿絵のビジュアルは正直五十嵐よりも僕好みで、記憶の中の告白シーンの続きが今は一番知りたい所だった。とはいえ、小説の千紘は確か高校入学すぐで、今は僕の記憶が正しければ千紘は二年生になっている。……もう、千紘達にとっては過去の話なんだろう。
 前世の僕も今世の僕も経験のないことだけれど、人に告白することやそれを断ることは大変なストレスになるらしい。今の千紘や成にとっては古傷を抉ることになるだろう。
 とても小説の続きの展開を聞けるはずも無く、僕は永遠に続きの展開を知ることは無くなったのだった。



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