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第二話 マヨヒガ ━━Soul Shift━━

ー/ー



光に満たされていた眼前がその一瞬で闇に呑まれ、暗闇が勢いよくスクロールして、衝突によって急停止する。肺に何か詰まったかの様に息も止まった。

 朦朧とした脳味噌は今さら、遅まきに『自身が投げられた』という現実を理解した様だ。

──片手で軽く投げられただけでコレか──
 
 左腕を掴まれ、そのまままるで赤子が気に食わない玩具を投げ棄てる様な格好で、脇にポイと放られた。そう、ソレだけだったが、身体は強く石壁に叩きつけられ、その石壁はひび割れて大きな陥没痕を作っている。

 その威力、正に法外の剛力。

「……けほっ…………」

 一息、小さく咳込んで、床にゴロリと転がった。全身に痛みの毒が走っていくのを感じる。特に左腕等は肘から先の感覚が消え去って、代わりに只ナニカが流れ出していく様な感覚が支配していた。

 如何にか逃げ出さねばと、モゾモゾとどうやっても動かない左腕を引き摺り、右手と両膝をなんとか使って這いずって、目指すは先程入って来た出口。

 地に転がったライトから放たれた光条が、水溜まりや壁に反射して部屋を薄らと照らしている。

 尤も、あの長い通路に出ようとも、今の身体で易々逃げ果せる事など出来るはずも無いだろうし、そもそもライトが無くてはこの先の脱出は絶望的だっただろう。

 それでも一縷の望みに掛けて、如何にかこうにか這いずって、漸く捩じくれた鉄格子に手を掛けて向こうを覗いた。

「…………え?」


 思わず、実に腑抜けた声を上げてしまった。などと、そんなドウデモ良い思考が脳髄を伝っていく。
 
ソコにはあの永遠にも思える通路が待っている物だと考えていた。だが実際に僕が見たのは、堅く冷たい石壁。

 そう、今迄無かった石壁が出口を文字通り、一部のスキマも無く密閉していた!

「なんで…………?」

 石壁は捻じ曲がった鉄格子すら半端に呑み込んで、まるで石壁からウネウネと鉄の触手が群生しているかの様な格好に成っている。

 その様は全く持って不自然で、現実味が無く、余りにも理不尽だった。

「なんで?……今迄、コンナ……」

 そして、狼狽するまでもなく、理解する他無かった。否、理解させられた。

 ここで終わりだと。

「はッ……はッ」

 背筋をヌラリとした吐息の様な気配が掠め、ソレに反応して背を壁にモタレ掛けながら、振り返る。殆ど反射だったのだ。そうして、振り返るべきでは無かったと━━

 その遅すぎる後悔の向こう岸に僕は見た……

 転がるライトの放つ光条に偶々暴かれた、下手人の顔を!

 そう、先程の、這いつくばった首無し死体。違う。そうじゃない、ソレでは無い。その頸、そう、その見るに堪えない無残に千切られた傷跡。其処に蠢く、アレはなんだ!

 思わず後退る。後退る隙間も無いのに後退る。無念な事に脚が空を掻いた。

 その、余りに憐れな獲物の滑稽な動作に釣られてか、ソレは僕の眼前に完全に姿を現した!

 ヒョロリと伸びたあの姿。その長い胴にズラリと並んで好き勝手に蠢く夥しい数生えた脚。百足か、馬陸か?いいや、ソレはそんな生優しいモンじゃない。もっと悍ましいナニカだ。ソレが死体の首を食い千切り、青褪めた化け物に変貌させた元凶、恐るべき寄生生物!

 本能が告げる。喰われる、逃げろと。アレは人智の外に在ると。だが逃走の路は無く、只数平方メートル程の餌場のみが在る。逃げ場なんぞ何処にも無い。

 ソレはゆっくりと鎌首をもたげ、獲物に牙を突き立てんと顎門を開いた。

━━嫌だ。嫌だ。まだ、マダ死にたく無い━━

 震える喉は断末魔も満足には挙げられなかった。

 どうしようもなくなって、ただ目を瞑って、辛うじて動く右腕で身体を庇う。

 やがて風切り音を伴った激痛が喉笛に━━

━━マットウセヨ━━
 

━━タダマットウセヨ━━スベキコトノミヲ━━


━━生デハナイ。意デハナイ。思考ハ悪ト知レ━━
 
 その刹那、金色の閃光が全身を駆け巡る。熱い、熱い衝動が、眼球と左腕に収束していった。ソレが震えも痺れも、恐怖の一切合切さえ塗り替えていく。

━━逃げ場が無いなら攻めてしまえ━━

 間髪入れず、左腕がゴウと音を立てて飛び、喉笛に齧り付いたソレを掴み取った。視界の大部分を呑んでいた闇も今は眩いまでの黄金が全て晴らしていた。手の内の【虫】は苦痛に体を捩らせて、コポゴポと泡を吹いて、不快に、下手な弦楽器の様に甲高く啼いている。

 脳ミソの中は殆ど無意識に近かった。だがやるべき事はその脳裏に実に明瞭に、ハッキリと刻まれていた。

 僕はソレを両手で掴み直し、思い切り引っ張ッた。阿修羅も斯くや有らん怪力の前では【虫】もせいぜいその沢山ある脚を蠢かせるくらいの事しか出来ず、抵抗虚しく引き摺り出されていく。

 そうして引き摺り出されたその全貌は、全長七十から八十数センチ程の、細長いゴカイの様な怪虫だった。

 ソイツは僕に一矢報わんと、あッという間に身をくねらせ、踊らせて、拘束から逃れ、勢いよく跳躍した!

「逃すかあッ」

 だが、今の僕には弾丸より速く跳ぶソレすらまるでスローモーションの様にすら見える。

 すかさず、中空で踊る【虫】を鷲掴み、地に叩き落とす。大層な破裂音が響き渡り、【虫】は明らかに動きを鈍らせた。

 僕はモゾモゾと蠢くソイツを再度掴み取り、持ち上げ━━

━━ソイツヲ食ラエ━━
 
 そのまま、一息に大きく顎門を開き、齧り付いた。

 そしてそのまま右手側に頭を大きく振って、引き千切った。
 自分自身でも何をしているんだか良く分からなかった。
 ただ、只……従わなければならなかったのだ。

 やがて、

 エグい苦味と酸味と刺々しい食感と腐敗物の様な悪臭とが口の中に充満して気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い━━

 呑み込む。

 瞬間電撃が走り━━

 ━━━━

ジリリリリリ……ジリリリリリ……

 はッと覚醒した。

 荒い呼吸が身体を揺らしている。

 辺りは元通りに、黄金の光は消え失せ、暗闇に包まれていた。

 ただ、視界の端の方で転がっているライトが唯一の光源となって、後ろの壁を只照らしている。

 そして、またもやデジャヴ。

 振り返れば側にはアノ黒電話が……

 ガチャリ

 何もかも理解が追いつかぬままに、本能的に受話器を手に取っていた。

『お、出た出た。大丈夫かな?』

 間を置かず出た声は、何時もの軽薄な口調を崩してはいなかったものの、何処か焦った様な、緊迫した雰囲気を纏っている様に感じられた。

「……分からない……分からないんだ……」

 だが、ソンナ事を考える余力は残っていない。

『いや、可い。言わなくて可いよ。コッチで勝手に【見る】から』

 エヌ博士とやらの不可解な言動すら、今はマトモに耳に入らない。

 どうやらヤツは席を離れた様で、暫くの間ノイズ混じりの静寂が流れる。

 水溜まりも、周囲の危険も気に留めずに寝転がる。

 僕の心は疲労と疑問、そして漠然とした恐怖とに塗れていた。

 薄暗闇が、心すら侵食していく様で。
 僕が僕で無くなっていく様で。
 そもそも自分なんて良く分からなくて。
 只の漠然たる不安が襲いくるのだ──

 そうやって寝転がっているうちに、暫く間を置いてから……

『……随分なヤンチャをしてくれたなぁ』

 不満気な声が鼓膜に響く。

「……何か不都合でも?」

『イヤ、寧ろ……不快な事に……好都合だね』

 コンナ状況の何処が【好都合】なんだろうか?

「好都合?なんで?」

『ああ……早めにsoul shiftが起きている事に気付けたってのと、君が……ソレこそなんでか知らんが対抗手段を手に入れている事だよ』

「soul shift……?」

 あの手記に書き記されていた謎の単語の一つ……さっき読んでいた時もナンノ事やら分からず仕舞いだったが……

『soul shift……精神転移と呼ばれている現象だよ』

 如何やら教えてくれるらしい。
 いつの間にか、疲れはある程度マシになっていた。

『精神転移ってのは、人の精神がナンラカの干渉を受ける事によって現実世界に影響を及ぼす現象だ……君はその渦中に居る』

「ナンラカの干渉……?」

『そう。ソレを受けた者は精神と現実を隔てる壁……【境界】を破壊される。すると、如何なる?』

 唐突の質問に困惑しつつも、暫し考え、答えた。

「……ソレは……混ぜこぜ?」

『混ぜこぜ……そうなる筈だ、ソレだけならね』

 あまりにも突拍子もない話だったがために、僕の答えはあまりハッキリした物では無かったが、それでも案外的を射た答えだったらしい。

「……随分含みを持たせますね?」

 ヤツは僕の言葉を無視して続ける。

『精神と現実が混ぜこぜになり、只カオスな空間を作り出す……だが、そうはならない。君も見ただろう?まるで君の逃げ道を塞ぐ様に都合良く現れた壁を』

 確かに、と思い返して。

 そう、確かにおかしいのだ。ピンポイントで逃げ道を塞ぐ様に現れたあの壁……精神転移が発生した内部の空間が混ぜこぜの、只のカオスなら、あんな罠の様な変貌をする筈が無い。

 確証は無かったが、確かに恣意的な何かを感じ取れたのだ。

「じゃあ、その干渉を受けた人が精神転移を操作して」

『五十点。人間はそんな簡単に精神を操れない。寧ろ操られる側さ』

 操る。その言葉を聞いた瞬間、電撃が走るように先の光景を思い出して、思わず口に出した。

「あの、寄生虫……」

『そう。人間は上手く操れない……けど、もし、人の精神を操り、【境界】を破壊出来る存在が居たら?』

 そうして、エヌ博士はその存在を口にする。

『精神寄生霊体』

『俗に私達は精霊と呼んでいる』

 


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光に満たされていた眼前がその一瞬で闇に呑まれ、暗闇が勢いよくスクロールして、衝突によって急停止する。肺に何か詰まったかの様に息も止まった。
 朦朧とした脳味噌は今さら、遅まきに『自身が投げられた』という現実を理解した様だ。
──片手で軽く投げられただけでコレか──
 左腕を掴まれ、そのまままるで赤子が気に食わない玩具を投げ棄てる様な格好で、脇にポイと放られた。そう、ソレだけだったが、身体は強く石壁に叩きつけられ、その石壁はひび割れて大きな陥没痕を作っている。
 その威力、正に法外の剛力。
「……けほっ…………」
 一息、小さく咳込んで、床にゴロリと転がった。全身に痛みの毒が走っていくのを感じる。特に左腕等は肘から先の感覚が消え去って、代わりに只ナニカが流れ出していく様な感覚が支配していた。
 如何にか逃げ出さねばと、モゾモゾとどうやっても動かない左腕を引き摺り、右手と両膝をなんとか使って這いずって、目指すは先程入って来た出口。
 地に転がったライトから放たれた光条が、水溜まりや壁に反射して部屋を薄らと照らしている。
 尤も、あの長い通路に出ようとも、今の身体で易々逃げ果せる事など出来るはずも無いだろうし、そもそもライトが無くてはこの先の脱出は絶望的だっただろう。
 それでも一縷の望みに掛けて、如何にかこうにか這いずって、漸く捩じくれた鉄格子に手を掛けて向こうを覗いた。
「…………え?」
 思わず、実に腑抜けた声を上げてしまった。などと、そんなドウデモ良い思考が脳髄を伝っていく。
ソコにはあの永遠にも思える通路が待っている物だと考えていた。だが実際に僕が見たのは、堅く冷たい石壁。
 そう、今迄無かった石壁が出口を文字通り、一部のスキマも無く密閉していた!
「なんで…………?」
 石壁は捻じ曲がった鉄格子すら半端に呑み込んで、まるで石壁からウネウネと鉄の触手が群生しているかの様な格好に成っている。
 その様は全く持って不自然で、現実味が無く、余りにも理不尽だった。
「なんで?……今迄、コンナ……」
 そして、狼狽するまでもなく、理解する他無かった。否、理解させられた。
 ここで終わりだと。
「はッ……はッ」
 背筋をヌラリとした吐息の様な気配が掠め、ソレに反応して背を壁にモタレ掛けながら、振り返る。殆ど反射だったのだ。そうして、振り返るべきでは無かったと━━
 その遅すぎる後悔の向こう岸に僕は見た……
 転がるライトの放つ光条に偶々暴かれた、下手人の顔を!
 そう、先程の、這いつくばった首無し死体。違う。そうじゃない、ソレでは無い。その頸、そう、その見るに堪えない無残に千切られた傷跡。其処に蠢く、アレはなんだ!
 思わず後退る。後退る隙間も無いのに後退る。無念な事に脚が空を掻いた。
 その、余りに憐れな獲物の滑稽な動作に釣られてか、ソレは僕の眼前に完全に姿を現した!
 ヒョロリと伸びたあの姿。その長い胴にズラリと並んで好き勝手に蠢く夥しい数生えた脚。百足か、馬陸か?いいや、ソレはそんな生優しいモンじゃない。もっと悍ましいナニカだ。ソレが死体の首を食い千切り、青褪めた化け物に変貌させた元凶、恐るべき寄生生物!
 本能が告げる。喰われる、逃げろと。アレは人智の外に在ると。だが逃走の路は無く、只数平方メートル程の餌場のみが在る。逃げ場なんぞ何処にも無い。
 ソレはゆっくりと鎌首をもたげ、獲物に牙を突き立てんと顎門を開いた。
━━嫌だ。嫌だ。まだ、マダ死にたく無い━━
 震える喉は断末魔も満足には挙げられなかった。
 どうしようもなくなって、ただ目を瞑って、辛うじて動く右腕で身体を庇う。
 やがて風切り音を伴った激痛が喉笛に━━
━━マットウセヨ━━
━━タダマットウセヨ━━スベキコトノミヲ━━
━━生デハナイ。意デハナイ。思考ハ悪ト知レ━━
 その刹那、金色の閃光が全身を駆け巡る。熱い、熱い衝動が、眼球と左腕に収束していった。ソレが震えも痺れも、恐怖の一切合切さえ塗り替えていく。
━━逃げ場が無いなら攻めてしまえ━━
 間髪入れず、左腕がゴウと音を立てて飛び、喉笛に齧り付いたソレを掴み取った。視界の大部分を呑んでいた闇も今は眩いまでの黄金が全て晴らしていた。手の内の【虫】は苦痛に体を捩らせて、コポゴポと泡を吹いて、不快に、下手な弦楽器の様に甲高く啼いている。
 脳ミソの中は殆ど無意識に近かった。だがやるべき事はその脳裏に実に明瞭に、ハッキリと刻まれていた。
 僕はソレを両手で掴み直し、思い切り引っ張ッた。阿修羅も斯くや有らん怪力の前では【虫】もせいぜいその沢山ある脚を蠢かせるくらいの事しか出来ず、抵抗虚しく引き摺り出されていく。
 そうして引き摺り出されたその全貌は、全長七十から八十数センチ程の、細長いゴカイの様な怪虫だった。
 ソイツは僕に一矢報わんと、あッという間に身をくねらせ、踊らせて、拘束から逃れ、勢いよく跳躍した!
「逃すかあッ」
 だが、今の僕には弾丸より速く跳ぶソレすらまるでスローモーションの様にすら見える。
 すかさず、中空で踊る【虫】を鷲掴み、地に叩き落とす。大層な破裂音が響き渡り、【虫】は明らかに動きを鈍らせた。
 僕はモゾモゾと蠢くソイツを再度掴み取り、持ち上げ━━
━━ソイツヲ食ラエ━━
 そのまま、一息に大きく顎門を開き、齧り付いた。
 そしてそのまま右手側に頭を大きく振って、引き千切った。
 自分自身でも何をしているんだか良く分からなかった。
 ただ、只……従わなければならなかったのだ。
 やがて、
 エグい苦味と酸味と刺々しい食感と腐敗物の様な悪臭とが口の中に充満して気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い━━
 呑み込む。
 瞬間電撃が走り━━
 ━━━━
ジリリリリリ……ジリリリリリ……
 はッと覚醒した。
 荒い呼吸が身体を揺らしている。
 辺りは元通りに、黄金の光は消え失せ、暗闇に包まれていた。
 ただ、視界の端の方で転がっているライトが唯一の光源となって、後ろの壁を只照らしている。
 そして、またもやデジャヴ。
 振り返れば側にはアノ黒電話が……
 ガチャリ
 何もかも理解が追いつかぬままに、本能的に受話器を手に取っていた。
『お、出た出た。大丈夫かな?』
 間を置かず出た声は、何時もの軽薄な口調を崩してはいなかったものの、何処か焦った様な、緊迫した雰囲気を纏っている様に感じられた。
「……分からない……分からないんだ……」
 だが、ソンナ事を考える余力は残っていない。
『いや、可い。言わなくて可いよ。コッチで勝手に【見る】から』
 エヌ博士とやらの不可解な言動すら、今はマトモに耳に入らない。
 どうやらヤツは席を離れた様で、暫くの間ノイズ混じりの静寂が流れる。
 水溜まりも、周囲の危険も気に留めずに寝転がる。
 僕の心は疲労と疑問、そして漠然とした恐怖とに塗れていた。
 薄暗闇が、心すら侵食していく様で。
 僕が僕で無くなっていく様で。
 そもそも自分なんて良く分からなくて。
 只の漠然たる不安が襲いくるのだ──
 そうやって寝転がっているうちに、暫く間を置いてから……
『……随分なヤンチャをしてくれたなぁ』
 不満気な声が鼓膜に響く。
「……何か不都合でも?」
『イヤ、寧ろ……不快な事に……好都合だね』
 コンナ状況の何処が【好都合】なんだろうか?
「好都合?なんで?」
『ああ……早めにsoul shiftが起きている事に気付けたってのと、君が……ソレこそなんでか知らんが対抗手段を手に入れている事だよ』
「soul shift……?」
 あの手記に書き記されていた謎の単語の一つ……さっき読んでいた時もナンノ事やら分からず仕舞いだったが……
『soul shift……精神転移と呼ばれている現象だよ』
 如何やら教えてくれるらしい。
 いつの間にか、疲れはある程度マシになっていた。
『精神転移ってのは、人の精神がナンラカの干渉を受ける事によって現実世界に影響を及ぼす現象だ……君はその渦中に居る』
「ナンラカの干渉……?」
『そう。ソレを受けた者は精神と現実を隔てる壁……【境界】を破壊される。すると、如何なる?』
 唐突の質問に困惑しつつも、暫し考え、答えた。
「……ソレは……混ぜこぜ?」
『混ぜこぜ……そうなる筈だ、ソレだけならね』
 あまりにも突拍子もない話だったがために、僕の答えはあまりハッキリした物では無かったが、それでも案外的を射た答えだったらしい。
「……随分含みを持たせますね?」
 ヤツは僕の言葉を無視して続ける。
『精神と現実が混ぜこぜになり、只カオスな空間を作り出す……だが、そうはならない。君も見ただろう?まるで君の逃げ道を塞ぐ様に都合良く現れた壁を』
 確かに、と思い返して。
 そう、確かにおかしいのだ。ピンポイントで逃げ道を塞ぐ様に現れたあの壁……精神転移が発生した内部の空間が混ぜこぜの、只のカオスなら、あんな罠の様な変貌をする筈が無い。
 確証は無かったが、確かに恣意的な何かを感じ取れたのだ。
「じゃあ、その干渉を受けた人が精神転移を操作して」
『五十点。人間はそんな簡単に精神を操れない。寧ろ操られる側さ』
 操る。その言葉を聞いた瞬間、電撃が走るように先の光景を思い出して、思わず口に出した。
「あの、寄生虫……」
『そう。人間は上手く操れない……けど、もし、人の精神を操り、【境界】を破壊出来る存在が居たら?』
 そうして、エヌ博士はその存在を口にする。
『精神寄生霊体』
『俗に私達は精霊と呼んでいる』