エリオット殿下が、きゅっとわたくしの手をほんの少し、強く握った。
彼を見上げると、じっとこちらを見つめる瞳と視線が交わる。
「こっちにおいで。最後に見せたい場所があるんだ」
見せたい場所? と目を|瞬《またた》かせると、彼はわたくしの手を引いて歩き出す。賑わっていた王都から外れていく。
高台へと足を進めるエリオット殿下。
周りにも人がいるから、珍しい場所ではないみたい。
「……っ!」
夕焼けに染まる王都を見渡して、思わず言葉を呑む。
温かな赤に包み込まれる王都は、きらめいて見えた。
少し強い風が吹いて、帽子を飛ばそうとする。
慌てて帽子を掴んだ。
「綺麗だろう? 王都の全体を見渡すのには、ここが一番なんだ」
「はい、とても綺麗です」
帽子を押さえたまま思ったことを口にすると、エリオット殿下はうなずく。
彼は、本当にこの場所が好きなんだろうって思った。
ゲームの殿下と、現実の殿下はまるで違う人だ。……いや、それはわたくしが見ようとしていなかったから、そう思うのかもしれない。
「王族や貴族の結婚は義務だろう? 国王や王妃は一種の職業だ。だが、わたしは義務ではなく、職業でもなく、きみを望んでいる」
「エリオット殿下……」
「学園を卒業するまで、きみはどこか思い詰めた顔をしていた。だが、最近はそんなこともなくなり、素のきみを見られていると思う」
そうね、卒業パーティーで婚約破棄イベントをしなくちゃって思いながら、生きていたから。
わたくしは誰よりも、あなたに幸せになってほしかった。
国を背負う義務を持つ王太子。期待と不安の中で、それでも前を見据えて歩くあなたが好きだから。――好き?
……ああ、なんだ……わたくし、知らないうちに恋に落ちていたんだ。
だからこそ、殿下と結ばれてはいけないと思って、婚約破棄イベントのことしか考えなかったんだわ。
だって、恋と気付かないまま終わってしまえれば、ダメージが少なくて済むから――……
「……わたくし、ずっと……殿下はわたくしと結婚してはいけないと思っていたんです」
「カリスタ?」
「エリオット殿下は、わたくしよりも明るくて優しくて……素直な人に、惹かれると思っていたから」
原作のマリーちゃんはそんな子だった。
誰に対しても優しく、嫌がらせを受けてもそんなことを感じさせないくらい明るく、自分の気持ちを素直に言える女の子。
殿下は、そんな子を選ぶと思っていた。
「……明るくて、優しくて、素直な人……に、カリスタがぴったり当てはまると思うのだが?」
「えっ?」
いやいや、そんなことはありません。
だってわたくしは悪役令嬢……を、がんばって演じてきたのだから。
混乱するわたくしに、殿下が手を伸ばして頬に触れる。
ドキドキと心臓の鼓動が大きくなった。
こんなに近くにいて、心臓の音が聞こえるんじゃないかなって、乙女チックなことを考えてしまう。
「きみはどうかわからないが、わたしはずっときみのことを愛しているよ。きみとともに、この国を守りたいと。――カリスタ、わたしとともに、生涯この国を盛り上げていこう」
プロポーズ、としか思えない言葉をかけられて、わたくしの頭の中が真っ白になり――
ぽろり、と涙がこぼれ落ちた。
そのことに驚いたエリオット殿下が、わたくしの頬から手を離そうとする。
思わず帽子から手を離し、その手に自分の手を重ねた。
強い風が吹いて、帽子が飛ばされていく。
「――好きです。エリオット殿下が、好きです……!」
伝えなくてはいけないと思った。
わたくしばかり、エリオット殿下から気持ちをいただいているから……
殿下は、わたくしの言葉に大きく目を見開いて、それからくしゃりと泣きそうな表情を浮かべて、そっと額を重ねた。
「……ありがとう」
泣きそうな声で伝えられて、わたくしは何度も自分の気持ちを彼に伝える。
どのくらい、そうしていたのかわからない。ただ、一瞬のようにも永遠のように長い時間にも思えた。
「……帰ろうか」
「……はい」
ただ、帰る前にエリオット殿下がわたくしの唇の自分の唇を重ねる。
びっくりして目を丸くすると、悪戯が成功したかのように微笑まれた。
……その表情があまりにも格好良くて、ずるいなぁなんて思ってしまった。
後日、あの日飛ばされた帽子はわたくしのもとまで戻ってきた。殿下からいただいた帽子だから、本当はすごく気がかりだったのだけど……
探す暇がなかった。それを、殿下の護衛が見つけて、わたくしまで持ってきてくれたのだ。
お忍び、とはいえ……やっぱり護衛はついてきていたみたい。
護衛のひとりに「とても感動しました!」と明るく伝えられ、思わず「わ、忘れてください……!」と必死になった。
エリノーラからも詳しく! と詰め寄られた。
お忍びといっても、わたくしたちのことに気付いた人たちもいるようで、とても仲が良い婚約者として国民たちに知られるようになった。
その評判にエリオット殿下は満足しているようで、上機嫌そうだった。
……まさか、それが目的でデートに誘ったとか……ない、よね?