2-1
ー/ー
そこに早く行ったのは興味本位だった。誰かいるだろうと思って。
防音用の重い扉には中を伺い知れるようガラス窓が付いており、覗いてみると視界に入る範囲には人の姿はないように見えた。
ここは俺が今日から入団することになっているオーケストラ楽団の練習室だ。地元宮崎からわざわざ大阪の大学を受け、この楽団に入団を希望したのにはワケがある。重要人物がここに所属していると突き止め、そいつとコンタクトを取るためだ。
意外とまだ誰もいないのか? と思いつつドアノブに手をかけてみたところ鍵がかかっていなかったため、重厚な扉をゆっくり開いた。
すると分厚い壁に守られていた室内から、ある曲を奏でるヴァイオリンの音が耳に入ったのだ。
――無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第三番・第三楽章『ガヴォット』。
音楽の父、J.S.バッハが作曲したヴァイオリン独奏曲である。〝バッハのガヴォット〟といえばクラシックの知識がある者なら誰もが知っているだろう名曲だ。
聞こえてくる旋律は、まるで朝日を反射した露のようにキラキラと輝いていて、俺は胸を震わせた。そして複数の椅子と譜面台が並ぶ部屋の片隅に、その調べを奏でている人物を見つけたのだ。
肩より少し長めの檜皮色をした髪を時々揺らしながら、白く細い手に握られた弓を軽快に動かす彼女は演奏に集中しているようで、俺のことには気づいていなかった。
可憐で、力強く、どことなく愁いを含む音。
その音と彼女の横顔は、俺の中の記憶にある人物のものと完全に一致していた。
あぁ、間違いない。彼女がブリッランテの総長・和泉だ。
やっと見つけた。……ようやく、会えた。
そう思ったのに。
〝お前、本っ当に何も分かんねぇのか〟
〝だから最初からそう言ってるじゃないっ! 今の犬たちは何なの、あなたは一体……〟
あなたは一体誰ですか、だ?
冗談だと思うだろ。
俺が……俺たちが、どんな思いでお前を探していたかも知らないなんて。
「……あ、気がついた?」
同居人のそんな声を聞き、俺はカウチソファの方に目を向けた。気を紛らわせようとテレビを点けて見ていたが、内容なんてほとんど頭に入ってこなかった。慌ててスイッチを切りその方へ向かうと、この家の住人ではない女がゆっくり目を開いたところだった。
「ここは……?」
「僕と日向の住むシェアハウスさ、君が気を失ったから日向がここまで運んだんだ」
まだ状況を良く理解できていないのか、女は……和泉は寝ぼけ眼で俺と同居人である優男を見つめていた。
「あぁ、僕は荒井安芸。君や日向と同じブリッランテの仲間だよ……って言っても和泉には記憶がないんだっけ。ごめんね、それなのに日向が横暴な対応をしたみたいで。傷の手当てはしたから安心して」
「横暴じゃねぇ、嘘吐いてないか試しただけだ」
「それにしたって女の子に対する態度じゃないね」
安芸は呆れながら溜め息を吐くと、俺を鋭く睨みつけた。黒髪のショートボブで女みたいな中性的な顔をしているが、意外と気の強い奴である。和泉は安芸に支えられながら体を起こすと、用意してあった温かいお茶を口にした。
「えっと、荒井君……? ありがとう、それに高杉君も。迷惑かけてごめんなさい」
「気にしないで、元々日向が悪いんだし。でも困ったな、記憶が戻っていない君をこのまま巻き込むのは忍びないけど、和泉がいないとメストの封印はできないし……どうする? 日向」
俺に聞くのかよ。
散々罵倒だけしておいて意見を求められ、俺は転びそうになった。
安芸は国守護楽団の安芸国・安芸の生まれ変わりであり、俺とは二年ぐらい前からコンタクトを取り続けていた。歳は俺や和泉と同い年で、コイツも大阪の大学を受け、この春に広島からこっちへ移住してきている。
で、仮のアジトとして借りたこのシェアハウスで暮らしているわけなのだが、どうにもコイツの方が一枚上手で正直やりづらい。
「どうするったって、やらせるしかねぇだろうが」
「まーたそんな無責任なこと言って、君の悪い癖だね」
このヤロー、お前が聞いてきたから答えたんだろうが。
俺と安芸がしょうもない口喧嘩をしていると、和泉が小さく手を上げて「あのーぅ」と声をかけてきた。
「二人が言ってるのって、本当に私なの? ……そもそも記憶って何の記憶?」
その質問に俺は安芸の顔を一見して「説明してやれ」と促した。こうゆう役は奴の方が適していることは、コイツと連んできた期間で学んでいた。安芸は嫌がる素振りも見せず、寧ろ喜んでその役目を引き受けた。
「そうだね、まずはブリッランテについて話そうか」
安芸の言葉に、和泉はコクリと頷いた。
国守護楽団 Brillante。かつてこの日本に存在した、各地方を守護するため秘密裏に結成された組織の名称だ。武装集団では民に不安感を与えてしまうことから、彼らは表向きには音楽団という形で活動していた。
組織名の『brillante』は音楽で曲調を指示する音楽用語である。意味は『華やかに』や『輝かしく』。人々の心に希望をもたらす音楽のように、民にとって光となる存在でありたいと彼らが願ってつけたものだ。
「彼らは地域ごとに首領を置き、その首領たちは国名をそのまま自分たちの名前としてつけた。陸奥国(現・青森県)の陸奥、羽後国(現・秋田県)の羽後って具合にね。日向が生まれ変わりと言ったのは、僕らはこの首領たちが転生した存在ってことさ」
当然のように話す安芸に和泉は困惑していた。まぁ、まともな奴なら信じないだろう、こんな子供だましのような話。だが俺たちは信じざるを得なかったのだ。
「で、でも荒井君たちはどうしてそんなこと分かるの?」
「僕たちには前世の記憶があるんだよ。ある使命を果たすために、この記憶が復活するよう前世で仕組まれていたんだ」
――記憶復活の儀。
俺たちはこの儀式の力で、物心ついた時から前世の記憶が蘇っているのだ。
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そこに早く行ったのは興味本位だった。誰かいるだろうと思って。
防音用の重い扉には中を伺い知れるようガラス窓が付いており、覗いてみると視界に入る範囲には人の姿はないように見えた。
ここは俺が今日から入団することになっているオーケストラ楽団の練習室だ。地元宮崎からわざわざ|大阪《こっち》の大学を受け、この楽団に入団を希望したのにはワケがある。重要人物がここに所属していると突き止め、そいつとコンタクトを取るためだ。
意外とまだ誰もいないのか? と思いつつドアノブに手をかけてみたところ鍵がかかっていなかったため、重厚な扉をゆっくり開いた。
すると分厚い壁に守られていた室内から、ある曲を奏でるヴァイオリンの音が耳に入ったのだ。
――無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第三番・第三楽章『ガヴォット』。
音楽の父、J.S.バッハが作曲したヴァイオリン独奏曲である。〝バッハのガヴォット〟といえばクラシックの知識がある者なら誰もが知っているだろう名曲だ。
聞こえてくる旋律は、まるで朝日を反射した露のようにキラキラと輝いていて、俺は胸を震わせた。そして複数の椅子と譜面台が並ぶ部屋の片隅に、その調べを奏でている人物を見つけたのだ。
肩より少し長めの|檜皮《ひはだ》色をした髪を時々揺らしながら、白く細い手に握られた弓を軽快に動かす彼女は演奏に集中しているようで、俺のことには気づいていなかった。
可憐で、力強く、どことなく愁いを含む音。
その音と彼女の横顔は、俺の中の記憶にある人物のものと完全に一致していた。
あぁ、間違いない。彼女がブリッランテの総長・和泉だ。
やっと見つけた。……ようやく、会えた。
そう思ったのに。
〝お前、本っ当に何も分かんねぇのか〟
〝だから最初からそう言ってるじゃないっ! 今の犬たちは何なの、あなたは一体……〟
あなたは一体誰ですか、だ?
冗談だと思うだろ。
俺が……|俺《・》|た《・》|ち《・》が、どんな思いでお前を探していたかも知らないなんて。
「……あ、気がついた?」
同居人のそんな声を聞き、俺はカウチソファの方に目を向けた。気を紛らわせようとテレビを点けて見ていたが、内容なんてほとんど頭に入ってこなかった。慌ててスイッチを切りその方へ向かうと、この家の住人ではない女がゆっくり目を開いたところだった。
「ここは……?」
「僕と日向の住むシェアハウスさ、君が気を失ったから日向がここまで運んだんだ」
まだ状況を良く理解できていないのか、女は……和泉は寝ぼけ眼で俺と同居人である優男を見つめていた。
「あぁ、僕は|荒井《あらい》|安芸《あき》。君や日向と同じブリッランテの仲間だよ……って言っても和泉には記憶がないんだっけ。ごめんね、それなのに日向が横暴な対応をしたみたいで。傷の手当てはしたから安心して」
「横暴じゃねぇ、嘘吐いてないか試しただけだ」
「それにしたって女の子に対する態度じゃないね」
安芸は呆れながら溜め息を吐くと、俺を鋭く睨みつけた。黒髪のショートボブで女みたいな中性的な顔をしているが、意外と気の強い奴である。和泉は安芸に支えられながら体を起こすと、用意してあった温かいお茶を口にした。
「えっと、荒井君……? ありがとう、それに高杉君も。迷惑かけてごめんなさい」
「気にしないで、元々|日向《コイツ》が悪いんだし。でも困ったな、記憶が戻っていない君をこのまま巻き込むのは忍びないけど、和泉がいないとメストの封印はできないし……どうする? 日向」
俺に聞くのかよ。
散々罵倒だけしておいて意見を求められ、俺は転びそうになった。
安芸は国守護楽団の|安芸国《あきこく》・安芸の生まれ変わりであり、俺とは二年ぐらい前からコンタクトを取り続けていた。歳は俺や和泉と同い年で、コイツも大阪の大学を受け、この春に広島からこっちへ移住してきている。
で、仮のアジトとして借りたこのシェアハウスで暮らしているわけなのだが、どうにもコイツの方が一枚上手で正直やりづらい。
「どうするったって、やらせるしかねぇだろうが」
「まーたそんな無責任なこと言って、君の悪い癖だね」
このヤロー、お前が聞いてきたから答えたんだろうが。
俺と安芸がしょうもない口喧嘩をしていると、和泉が小さく手を上げて「あのーぅ」と声をかけてきた。
「二人が言ってるのって、本当に私なの? ……そもそも記憶って何の記憶?」
その質問に俺は安芸の顔を一見して「説明してやれ」と促した。こうゆう役は奴の方が適していることは、コイツと連んできた期間で学んでいた。安芸は嫌がる素振りも見せず、寧ろ喜んでその役目を引き受けた。
「そうだね、まずはブリッランテについて話そうか」
安芸の言葉に、和泉はコクリと頷いた。
|国守護楽団《こくしゅごがくだん》 |Brillante《ブリッランテ》。かつてこの日本に存在した、各地方を守護するため秘密裏に結成された組織の名称だ。武装集団では民に不安感を与えてしまうことから、彼らは表向きには音楽団という形で活動していた。
組織名の『brillante』は音楽で曲調を指示する音楽用語である。意味は『華やかに』や『輝かしく』。人々の心に希望をもたらす音楽のように、民にとって光となる存在でありたいと彼らが願ってつけたものだ。
「彼らは地域ごとに首領を置き、その首領たちは国名をそのまま自分たちの名前としてつけた。|陸奥国《むつこく》(現・青森県)の陸奥、|羽後国《うごこく》(現・秋田県)の羽後って具合にね。日向が生まれ変わりと言ったのは、僕らはこの首領たちが転生した存在ってことさ」
当然のように話す安芸に和泉は困惑していた。まぁ、まともな奴なら信じないだろう、こんな子供だましのような話。だが俺たちは信じざるを得なかったのだ。
「で、でも荒井君たちはどうしてそんなこと分かるの?」
「僕たちには前世の記憶があるんだよ。ある使命を果たすために、この記憶が復活するよう前世で仕組まれていたんだ」
――|記憶復活《アウフレーベント》の儀。
俺たちはこの儀式の力で、物心ついた時から前世の記憶が蘇っているのだ。