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「好き」その言葉が聞きたくて

ー/ー



「紗夜(さや)さん。あなたのことが好きです。僕と、付き合ってください」
 五回目のデートだった。レストランで夜の食事を終え、緊張しているのか目を泳がせている修司(しゅうじ)に、彼女は提案をした。「ちょっと外、歩きたいな」と。すると近場の公園を案内されたのだ。広い園内には、池があり、その周囲に遊具や散歩コースが用意されていた。歩き疲れ、ベンチに座っていたところ、修司から告白されたのだ。紗夜はやっとか、と思いつつも、それ以上に嬉しい気持ちが勝っていた。公園の散歩を十五分。ベンチに座り二十分が経過するところだったのだ。意を決したような彼の眼差しを見た時点で、紗夜の答えは決まっていた。
「私も好きです。よろしくお願いします」
 
 それから一ヶ月、二ヶ月と経過し、互いのアパートを行き来するようになった。紗夜は付き合い初めの頃以上に、彼に惹かれていた。敬語だった修司も、次第に冗談を混じえ、砕けた口調で話すようになった。過ごす中で分かったのは、彼は犬のような男ということだ。紗夜がデートに誘えば二つ返事で「うん!行く」と目を輝かせ、別れ際には「今日は楽しかったなあ」と名残惜しそうに眉を下げている。
 店員が注文を間違えた際も不機嫌になったり、不満をぶつけることはせず「大丈夫ですよ」と穏やかな態度を崩さない。
 異文化交流。紗夜の頭に浮かんだのはその言葉だった。これまで交際をしていた男性は、店員に横柄な態度をとり、感情の収まりが付かなければ、その不満を紗夜にぶつけていた。小学生の頃から付き合いのある優里は「別れなさい」その一択だった。紗夜は首を振り、意固地になった。「だって好きなんだもん」
 時折見せるしおらしさや、優しい言葉をかけてくれる度に当時の紗夜は思ったものだ。この人は私がいないとダメなのだ、と。
 だからこそ、修司の素直な性格は紗夜にとって、珍しい存在として映った。物足りなさはあるものの、デートを重ねる度に彼の穏やかな一面に惹かれ、交際したい、という思いが強くなっていった。五回のデートまで待つことができたのは、彼の人柄を信用していたからである。もう少し遅ければ、紗夜自身が告白をするつもりでいた。
 しかし、紗夜にとって、修司への不満がないわけもない。彼は『好き』と言ってくれないのだ。正確には、ベットの上では伝えてくれている。抱き合って、もみくちゃになっている時に口から漏れ出るのだ。もちろん嬉しいがそれは睦言であり、心から満たされることはなかった。日常の何気ない時に言われたいのだ。
 
「紗夜、本当にいい人に出会ったのね」優里は子供を見守る親のように目を細めた。
「うん。優里には色々と心配をかけたね」
「ううん。いいのよ」と優里は首を振る。アイスコーヒーをストローでかき混ぜていた。からんからん、と氷同士がぶつかる音がする。「それにしても、紗夜は乙女だねえ」
 優里が肩を竦める仕草をする。互いに仕事がありつつも月に一度は時間を合わせ、カフェで会っているのだ。修司との馴れ初めや、不満を話したところで、そのような反応をされたのだ。紗夜は唇を尖らせる。
「だって。好きな人には好きって言ってもらいたいじゃん」
 優里は軽く笑った後で頷いた。
「うん。わかるよ。女の子はいくつになっても『好き』『可愛い』って言われたい生き物だもの」
「そう、そうなのよ」と紗夜は身を乗り出した。「最初の告白以来、言ってくれないの」
「冷められたってこと?」
 紗夜は首を振った。
「違うと思う。修司君からも、デートの提案があるし、普段から『楽しい』って感情は全身で伝わってくるもの」紗夜は微笑んだ。「むしろ、しつこいくらい」
「惚気話、ご馳走様」優里は苦笑し、大袈裟にため息をつく。「で、おおまかに聞く分には順調そうじゃない」
「そうなんだけど」
「そのことは、修司君に伝えてるの?」
「伝えてない。重いって思われそうで」ああでも、と紗夜は付け加える。「私からは好きって伝えてるよ。それに対して、『僕も好きだよ』って返してくれる」
「紗夜は本当におめでたいお嬢様ね」優里は頭を抑える仕草をし、首を振った。「あのねえ。不満を溜め続けたら、いつか爆発するわよ。今までもそうだったでしょう。伝えて態度が変わるんだったら、それまでの男ってこと」
「はっきり言うんだね」紗夜は目を落とすと、優里は鼻息を荒くし、腕を組んだ。
「当たり前でしょ。紗夜には幸せになってもらいたいんだから」
「ありがとう。今度会う時に、伝えてみるよ」ところでさ、と紗夜は話題を変える。「優太君とは、どうなの?」
 優太とは、優里の交際相手である。今度は彼女が身を乗りだす番だった。
「男ってさ、どうしていつまでも一緒にいるのが当たり前と思ってるのかしら。結婚や子供の話をさらっと出しても濁されるばかり……ほんと男って」
 鬼気迫る表情で捲し立てられ、紗夜は苦笑する。このままでは結婚雑誌を片手に突撃しかねない勢いだった。
 優太には何度か会ったことがあるが、彼は尻に敷かれており、嫌がっている様子もなかった。彼女が引っ張っている姿が目に浮かんだ。優里自身、まんざらでもないようなのでお似合いの二人なのだろう。紗夜はクスッと微笑み、ストローでコーヒーをかき混ぜる。恐らく、時間の問題だろう、と紗夜は踏んでいた。
「紗夜こそ、夜の方はどうなの?」優里は下から覗き込むような笑みを浮かべていた。好奇心を隠そうとしないのが、彼女らしい。
 話題の中心が夜の話に移り、互いの彼への不満や良い点をぶつけ合った。もし、修司がこの場にいれば肩身の狭さと恥じらいで顔を赤らめていることだろう。紗夜は思わず微笑み、同時に愛おしさが胸を突き上げた。ああ、と紗夜は思う。やっぱり好きだなあ、と。
 結局、解決策は浮かばないまま解散となった。紗夜自身、それを求めているわけではない。彼女も同様だろう。話せればそれで良いのだ。ふと、修司の車で流れていたラジオを思い出す。
「へえ。いいこと言うじゃん」
 その日は車で出掛けていた。紗夜は前日の仕事で忙しく、うとうととしていたところで修司が呟いたのだ。
「え、なに。なんて言ったの?」
「ごめん。起こしちゃったね」修司は苦笑し、片手をラジオに向けた。「人生相談で、パーソナリティーの人が言ってたんだ。『話すこと』は『離すこと』なんだってさ」
「へえ」寝ぼけた頭で、紗夜は相槌を打つ。
「この相談者さん。一人で悶々と考え込むタイプなんだって。俺、めっちゃわかるよ」
「修司君はいつも色んなこと、話してくれるじゃない」実際、その日の出来事をなどをよく話している。落ち込んだ時も同様だ。考え込むタイプには見えなかった。紗夜はそのことを伝えると一瞥した後で照れくさそうに頬を掻いた。
「それは、紗夜ちゃんが何でも楽しそうに聞いてくれるからだよ」
 付き合い始めの『紗夜さん』呼びが、『紗夜ちゃん』に変わっていた。彼の小さな変化に気づく度に、胸の中に温かい気持ちが広がった。運転中でなければ、今すぐ飛びつきたい気分だった。
 
 優里と会った翌週末の金曜日。仕事終わりの紗夜は修司のアパートへ向かっていた。彼は「疲れたから」と有給休暇をとっており、夕食をご馳走してもらう予定となっている。楽しみである反面、話をどう切り出そうかと悩み、憂鬱な気持ちになる。いつもは軽い足取りが少しだけ、重かった。
 玄関のドアを開けると「おかえり」と声が飛んでくる。なんだ、迎えに来てくれないのか、と紗夜は小さく落胆したがすぐに思い至る。ぱちぱちと破裂音が聞こえてきた。揚げ物をしているのだ。
「ごめんね。今手が離せなくて」
 リビングに入ると、鍋を前にした修司が顔を向けてくる。コンロには厚底の鍋が置かれており、油がぱちぱちと跳ねていた。どうやら鶏もも肉を投入するタイミングを見計らっているらしい。唐揚げは彼女の好物だった。
「唐揚げ!」と紗夜は声を上げ、彼の隣に立った。「美味しそう」
 紗夜は大皿に乗った唐揚げをひょい、とつまんだ。衣が口の中でさくっと音を立てる。熱をもった肉汁が舌にまとわりつく。「あつ。あっつ」
「なにやってんだ」修司は呆れた表情を浮かべる。「手も洗わずに」
「だって仕事終わってお腹ぺこぺこなんだもん」紗夜は唇を尖らさた。
「どう?美味しい?」
 紗夜は勢いよく頷いた。「美味しいよ!毎日食べたいくらい」
「毎日は言い過ぎだろ」修司は笑う。「でも、紗夜が美味しそうに食べてくれてよかった。作った甲斐があったよ」
「ふーん」修司の言葉に照れ臭くなり、紗夜は目を落とす。
「ほら、早く手を洗わないと粉まみれにするぞ」
 修司は粉のついた手を向けてくる。きゃー、と小さく叫び、紗夜は洗面台へ駆け込んだ。鏡の前で苦笑する。バカップルだ、と。
 
「もう少しでご飯できるよー」修司が大皿やご飯をテーブルに並べ始めた。リビングでくつろいでいた紗夜は手伝おうと立ち上がる。麦茶を取ろうと冷蔵庫に向かったところ「ゆっくりしてて」と止められた。
「手伝うよ?」
「いいの。仕事終わって疲れてるだろうし、これくらいやらせてよ」
 紗夜は素直に頷き、また一つ、並べられた唐揚げを頬張った。
 夕食を終え、翌日の予定などを話しながら紗夜は考えていた。やっぱり冷めているわけではないよな、と。向けられた笑みに嘘や無理をしている様子は受けられなかった。
 ふと、優里の言葉を思い出す。やはり、男性は当たり前だと思っているのだろうか。ただの同居人として、友達として扱われているのではないだろうか、と。だから、好きと言ってくれないのだ。紗夜の考えは止まらなかった。彼女の言う通り、このままでは爆発してしまう。伝えよう。そう決心した紗夜は顔を上げた。
 向かいに座る修司は紗夜の様子を不思議がっているのか、そわそわとしている。紗夜は口を開こうとすると彼は立ち上がり、台所へ向かった。そして冷蔵庫から白い正方形の箱を取り出した。上部に取っ手がついてある。
「何これ?」紗夜が訊ねたところで思い至る。
 修司は目を細めて頷いた。「そう。三ヶ月記念。紗夜ちゃん。僕と一緒にいてくれてありがとう」中にはケーキが入っていた。「紗夜ちゃんと出会ってから毎日が楽しいんだ。どうやったら喜んでくれるのか、楽しんでくれるのか。いつも考えるようになったんだ」
 修司は一度言葉を切った。紗夜は夜の公園での告白を思い出した。「好きだよ。紗夜」
「え?」思わず、口に出していた。予想していた反応と異なったのだろう。修司も「え」と呟き、目を丸くしていた。紗夜はええと、と口を開く。
「まずはありがとう。サプライズで三ヶ月を祝ってくれて、とても嬉しいよ。私も修司君と付き合ってから、毎日が楽しくなったよ。でもね、気になっていたことがあるの」
「気になっていること?」修司が聞き返す。その不安そうな眼差しに、紗夜は胸の内が絞られる気持ちになる。
「修司君から『好き』と言われていないことに」
 修司は目をぱちくりとさせた後で、あー、とバツが悪そうに両手で顔を抑えた。
「その。好きとか、そういうことを言いすぎても白々しかったり、鬱陶しいかなと思って、言わないようにしていたんだ」修司は首を振った。「いや、それは言い訳か。照れ臭かったんだ。ただ、その分、節目には伝えなきゃ、と思っていたんだ」でも、と彼は続ける。
「でも、それは間違ってた。告白してからずっと不安にさせていたのは事実だ。ごめんなさい」
 ううん、紗夜は首を振る。「私の方こそ、疑ってごめんなさい。修司君。好きだよ」
 修司は頬を掻き、下を向いている。その耳は赤くなっていた。
「こっちを見て」先程までの、胸の蟠りは消えていた。「もっと言ってよ」
 修司は顔を上げた。
「好き。好き。紗夜ちゃん超大好き」
 互いの目が合い、沈黙が部屋に満ちた。
 ぷっ、と紗夜は噴き出してしまう。「大好きはちょっと、白々しいかなあ」
「言わせといてそりゃないだろう」修司は唇を尖らせた。
 ごめんごめん、と紗夜は逃げるように立ち上がった。「包丁、取ってくるね」
 台所へ向かうその足取りは、軽くなっていた。


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「紗夜《さや》さん。あなたのことが好きです。僕と、付き合ってください」
 五回目のデートだった。レストランで夜の食事を終え、緊張しているのか目を泳がせている修司《しゅうじ》に、彼女は提案をした。「ちょっと外、歩きたいな」と。すると近場の公園を案内されたのだ。広い園内には、池があり、その周囲に遊具や散歩コースが用意されていた。歩き疲れ、ベンチに座っていたところ、修司から告白されたのだ。紗夜はやっとか、と思いつつも、それ以上に嬉しい気持ちが勝っていた。公園の散歩を十五分。ベンチに座り二十分が経過するところだったのだ。意を決したような彼の眼差しを見た時点で、紗夜の答えは決まっていた。
「私も好きです。よろしくお願いします」
 それから一ヶ月、二ヶ月と経過し、互いのアパートを行き来するようになった。紗夜は付き合い初めの頃以上に、彼に惹かれていた。敬語だった修司も、次第に冗談を混じえ、砕けた口調で話すようになった。過ごす中で分かったのは、彼は犬のような男ということだ。紗夜がデートに誘えば二つ返事で「うん!行く」と目を輝かせ、別れ際には「今日は楽しかったなあ」と名残惜しそうに眉を下げている。
 店員が注文を間違えた際も不機嫌になったり、不満をぶつけることはせず「大丈夫ですよ」と穏やかな態度を崩さない。
 異文化交流。紗夜の頭に浮かんだのはその言葉だった。これまで交際をしていた男性は、店員に横柄な態度をとり、感情の収まりが付かなければ、その不満を紗夜にぶつけていた。小学生の頃から付き合いのある優里は「別れなさい」その一択だった。紗夜は首を振り、意固地になった。「だって好きなんだもん」
 時折見せるしおらしさや、優しい言葉をかけてくれる度に当時の紗夜は思ったものだ。この人は私がいないとダメなのだ、と。
 だからこそ、修司の素直な性格は紗夜にとって、珍しい存在として映った。物足りなさはあるものの、デートを重ねる度に彼の穏やかな一面に惹かれ、交際したい、という思いが強くなっていった。五回のデートまで待つことができたのは、彼の人柄を信用していたからである。もう少し遅ければ、紗夜自身が告白をするつもりでいた。
 しかし、紗夜にとって、修司への不満がないわけもない。彼は『好き』と言ってくれないのだ。正確には、ベットの上では伝えてくれている。抱き合って、もみくちゃになっている時に口から漏れ出るのだ。もちろん嬉しいがそれは睦言であり、心から満たされることはなかった。日常の何気ない時に言われたいのだ。
「紗夜、本当にいい人に出会ったのね」優里は子供を見守る親のように目を細めた。
「うん。優里には色々と心配をかけたね」
「ううん。いいのよ」と優里は首を振る。アイスコーヒーをストローでかき混ぜていた。からんからん、と氷同士がぶつかる音がする。「それにしても、紗夜は乙女だねえ」
 優里が肩を竦める仕草をする。互いに仕事がありつつも月に一度は時間を合わせ、カフェで会っているのだ。修司との馴れ初めや、不満を話したところで、そのような反応をされたのだ。紗夜は唇を尖らせる。
「だって。好きな人には好きって言ってもらいたいじゃん」
 優里は軽く笑った後で頷いた。
「うん。わかるよ。女の子はいくつになっても『好き』『可愛い』って言われたい生き物だもの」
「そう、そうなのよ」と紗夜は身を乗り出した。「最初の告白以来、言ってくれないの」
「冷められたってこと?」
 紗夜は首を振った。
「違うと思う。修司君からも、デートの提案があるし、普段から『楽しい』って感情は全身で伝わってくるもの」紗夜は微笑んだ。「むしろ、しつこいくらい」
「惚気話、ご馳走様」優里は苦笑し、大袈裟にため息をつく。「で、おおまかに聞く分には順調そうじゃない」
「そうなんだけど」
「そのことは、修司君に伝えてるの?」
「伝えてない。重いって思われそうで」ああでも、と紗夜は付け加える。「私からは好きって伝えてるよ。それに対して、『僕も好きだよ』って返してくれる」
「紗夜は本当におめでたいお嬢様ね」優里は頭を抑える仕草をし、首を振った。「あのねえ。不満を溜め続けたら、いつか爆発するわよ。今までもそうだったでしょう。伝えて態度が変わるんだったら、それまでの男ってこと」
「はっきり言うんだね」紗夜は目を落とすと、優里は鼻息を荒くし、腕を組んだ。
「当たり前でしょ。紗夜には幸せになってもらいたいんだから」
「ありがとう。今度会う時に、伝えてみるよ」ところでさ、と紗夜は話題を変える。「優太君とは、どうなの?」
 優太とは、優里の交際相手である。今度は彼女が身を乗りだす番だった。
「男ってさ、どうしていつまでも一緒にいるのが当たり前と思ってるのかしら。結婚や子供の話をさらっと出しても濁されるばかり……ほんと男って」
 鬼気迫る表情で捲し立てられ、紗夜は苦笑する。このままでは結婚雑誌を片手に突撃しかねない勢いだった。
 優太には何度か会ったことがあるが、彼は尻に敷かれており、嫌がっている様子もなかった。彼女が引っ張っている姿が目に浮かんだ。優里自身、まんざらでもないようなのでお似合いの二人なのだろう。紗夜はクスッと微笑み、ストローでコーヒーをかき混ぜる。恐らく、時間の問題だろう、と紗夜は踏んでいた。
「紗夜こそ、夜の方はどうなの?」優里は下から覗き込むような笑みを浮かべていた。好奇心を隠そうとしないのが、彼女らしい。
 話題の中心が夜の話に移り、互いの彼への不満や良い点をぶつけ合った。もし、修司がこの場にいれば肩身の狭さと恥じらいで顔を赤らめていることだろう。紗夜は思わず微笑み、同時に愛おしさが胸を突き上げた。ああ、と紗夜は思う。やっぱり好きだなあ、と。
 結局、解決策は浮かばないまま解散となった。紗夜自身、それを求めているわけではない。彼女も同様だろう。話せればそれで良いのだ。ふと、修司の車で流れていたラジオを思い出す。
「へえ。いいこと言うじゃん」
 その日は車で出掛けていた。紗夜は前日の仕事で忙しく、うとうととしていたところで修司が呟いたのだ。
「え、なに。なんて言ったの?」
「ごめん。起こしちゃったね」修司は苦笑し、片手をラジオに向けた。「人生相談で、パーソナリティーの人が言ってたんだ。『話すこと』は『離すこと』なんだってさ」
「へえ」寝ぼけた頭で、紗夜は相槌を打つ。
「この相談者さん。一人で悶々と考え込むタイプなんだって。俺、めっちゃわかるよ」
「修司君はいつも色んなこと、話してくれるじゃない」実際、その日の出来事をなどをよく話している。落ち込んだ時も同様だ。考え込むタイプには見えなかった。紗夜はそのことを伝えると一瞥した後で照れくさそうに頬を掻いた。
「それは、紗夜ちゃんが何でも楽しそうに聞いてくれるからだよ」
 付き合い始めの『紗夜さん』呼びが、『紗夜ちゃん』に変わっていた。彼の小さな変化に気づく度に、胸の中に温かい気持ちが広がった。運転中でなければ、今すぐ飛びつきたい気分だった。
 優里と会った翌週末の金曜日。仕事終わりの紗夜は修司のアパートへ向かっていた。彼は「疲れたから」と有給休暇をとっており、夕食をご馳走してもらう予定となっている。楽しみである反面、話をどう切り出そうかと悩み、憂鬱な気持ちになる。いつもは軽い足取りが少しだけ、重かった。
 玄関のドアを開けると「おかえり」と声が飛んでくる。なんだ、迎えに来てくれないのか、と紗夜は小さく落胆したがすぐに思い至る。ぱちぱちと破裂音が聞こえてきた。揚げ物をしているのだ。
「ごめんね。今手が離せなくて」
 リビングに入ると、鍋を前にした修司が顔を向けてくる。コンロには厚底の鍋が置かれており、油がぱちぱちと跳ねていた。どうやら鶏もも肉を投入するタイミングを見計らっているらしい。唐揚げは彼女の好物だった。
「唐揚げ!」と紗夜は声を上げ、彼の隣に立った。「美味しそう」
 紗夜は大皿に乗った唐揚げをひょい、とつまんだ。衣が口の中でさくっと音を立てる。熱をもった肉汁が舌にまとわりつく。「あつ。あっつ」
「なにやってんだ」修司は呆れた表情を浮かべる。「手も洗わずに」
「だって仕事終わってお腹ぺこぺこなんだもん」紗夜は唇を尖らさた。
「どう?美味しい?」
 紗夜は勢いよく頷いた。「美味しいよ!毎日食べたいくらい」
「毎日は言い過ぎだろ」修司は笑う。「でも、紗夜が美味しそうに食べてくれてよかった。作った甲斐があったよ」
「ふーん」修司の言葉に照れ臭くなり、紗夜は目を落とす。
「ほら、早く手を洗わないと粉まみれにするぞ」
 修司は粉のついた手を向けてくる。きゃー、と小さく叫び、紗夜は洗面台へ駆け込んだ。鏡の前で苦笑する。バカップルだ、と。
「もう少しでご飯できるよー」修司が大皿やご飯をテーブルに並べ始めた。リビングでくつろいでいた紗夜は手伝おうと立ち上がる。麦茶を取ろうと冷蔵庫に向かったところ「ゆっくりしてて」と止められた。
「手伝うよ?」
「いいの。仕事終わって疲れてるだろうし、これくらいやらせてよ」
 紗夜は素直に頷き、また一つ、並べられた唐揚げを頬張った。
 夕食を終え、翌日の予定などを話しながら紗夜は考えていた。やっぱり冷めているわけではないよな、と。向けられた笑みに嘘や無理をしている様子は受けられなかった。
 ふと、優里の言葉を思い出す。やはり、男性は当たり前だと思っているのだろうか。ただの同居人として、友達として扱われているのではないだろうか、と。だから、好きと言ってくれないのだ。紗夜の考えは止まらなかった。彼女の言う通り、このままでは爆発してしまう。伝えよう。そう決心した紗夜は顔を上げた。
 向かいに座る修司は紗夜の様子を不思議がっているのか、そわそわとしている。紗夜は口を開こうとすると彼は立ち上がり、台所へ向かった。そして冷蔵庫から白い正方形の箱を取り出した。上部に取っ手がついてある。
「何これ?」紗夜が訊ねたところで思い至る。
 修司は目を細めて頷いた。「そう。三ヶ月記念。紗夜ちゃん。僕と一緒にいてくれてありがとう」中にはケーキが入っていた。「紗夜ちゃんと出会ってから毎日が楽しいんだ。どうやったら喜んでくれるのか、楽しんでくれるのか。いつも考えるようになったんだ」
 修司は一度言葉を切った。紗夜は夜の公園での告白を思い出した。「好きだよ。紗夜」
「え?」思わず、口に出していた。予想していた反応と異なったのだろう。修司も「え」と呟き、目を丸くしていた。紗夜はええと、と口を開く。
「まずはありがとう。サプライズで三ヶ月を祝ってくれて、とても嬉しいよ。私も修司君と付き合ってから、毎日が楽しくなったよ。でもね、気になっていたことがあるの」
「気になっていること?」修司が聞き返す。その不安そうな眼差しに、紗夜は胸の内が絞られる気持ちになる。
「修司君から『好き』と言われていないことに」
 修司は目をぱちくりとさせた後で、あー、とバツが悪そうに両手で顔を抑えた。
「その。好きとか、そういうことを言いすぎても白々しかったり、鬱陶しいかなと思って、言わないようにしていたんだ」修司は首を振った。「いや、それは言い訳か。照れ臭かったんだ。ただ、その分、節目には伝えなきゃ、と思っていたんだ」でも、と彼は続ける。
「でも、それは間違ってた。告白してからずっと不安にさせていたのは事実だ。ごめんなさい」
 ううん、紗夜は首を振る。「私の方こそ、疑ってごめんなさい。修司君。好きだよ」
 修司は頬を掻き、下を向いている。その耳は赤くなっていた。
「こっちを見て」先程までの、胸の蟠りは消えていた。「もっと言ってよ」
 修司は顔を上げた。
「好き。好き。紗夜ちゃん超大好き」
 互いの目が合い、沈黙が部屋に満ちた。
 ぷっ、と紗夜は噴き出してしまう。「大好きはちょっと、白々しいかなあ」
「言わせといてそりゃないだろう」修司は唇を尖らせた。
 ごめんごめん、と紗夜は逃げるように立ち上がった。「包丁、取ってくるね」
 台所へ向かうその足取りは、軽くなっていた。