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ー/ー



「航ちゃん、これが欲しいの?」
 できたばかりの『家族』で訪れた博物館。
 小学校四年生だった当時、航大は化石や恐竜が好きだった。
 それを知っている父親が、調べて見つけて来てくれた期間限定の展示。
「たぶん小学生以上向けで、雪ちゃんにはつまらないかもしれないけど、どうかな?」
「地味な化石だけなら飽きちゃうかもしれないけど『恐竜展』でしょ? 大きな模型とかもあるみたいだし、きっと喜ぶと思う。航ちゃんはもう四年生だし本物しか興味ないだろうけど、雪ちゃんはまだ四歳だからね」
 父の問い掛けに新しい母はそう答えて、四人で行くことになったのだった。
 さすがに博物館で催されているだけあって本格的で、航大が図鑑でしか見たことがないような恐竜の骨や様々な化石がずらりと並んでいる。
 十歳とは思えないほど落ち着いていると言われる航大も、内心かなり興奮していた。
 所詮作り物とわかっていてまったく期待などしていなかった実物大らしい模型さえも、目の前で見ると迫力があって感動したのだ。
 予想以上に充実した展示をじっくりと楽しみ、航大はすべて観終わっても正直もっと長居したいと感じていた。
 しかし結局言い出せないまま、少し後ろ髪を引かれる思いで他の三人とともに展示スペースを出る。
 するとそこには所謂お土産コーナーがあり、場に相応しく本物の化石類も販売していた。
 もちろん、展示品になるような貴重なものではないのは当然なのだが。

 本物のアンモナイト。
 軽く摘まみ上げられる程度のサイズだが、つけられた値札に気分が沈む。 
 値段はよく覚えていないが、五千円だか八千円だか、とにかく小学生が気軽に買ったり強請(ねだ)ったりできる額ではなかった。
 今までの貯金でなら十分買えるとは思う。
 ……しかし普通の店ではないため、今この場でないと無理だろう。
 もともと航大は年齢より大人びた賢いいい子と評判で、父や祖父母に何かを買ってくれと駄々を()ねたことなどまったくない。
 ──あとで返すからって頼んだら買ってもらえないかな。お年玉とか貯めてるの結構あるし。でもこんなとこで「これ買って!」なんて、『お母さん』に我が儘な悪い子だと思われる?
 航大が表情には出さないままに必死で頭を働かせていたところに、義母があっさり「欲しいの?」と訊いて来たのだ。
「え? 航大、そうなのか? お前が何か欲しがるなんて珍しいな」
「私もそう聞いてたけど。でも、そういう航ちゃんが欲しがるってことは、すぐに放り出したりしないでずっと大事にしてくれるんじゃない?」
 父が驚いたように言うのに、義母が返す。
「……いいの?」
 恐る恐る口を開いた航大に、彼女は笑って頷いた。
「あ、ありがとう。……
 結婚前に四人で会っていた際は、「三枝(さえぐさ)さん」「おばさん」と呼んでいた。一緒に暮らすようになり、その癖を出さないよう努力して来たのだ。
 そのため、「お母さん」と呼ぶのは初めてではない。ただ、自然に言葉が出たことは今までなかった。
「じゃあ、雪ちゃんにも何か買ってあげた方がいいんじゃないかな」
 父も反対することなく、雪音への対応を考えているらしい。
「うーん。でも雪ちゃんには、ここにある物は早過ぎるわ。まだ意味もわからないだろうし勿体ないでしょ」
「だったらもっと他の、何かおもちゃとか」
「ゆきちゃん、ソフトクリームたべたい!」
 父と義母が話しているところに、雪音が空気も読まずに宣言する。
「そうか、雪ちゃんはソフトクリーム好きなのか」
「じゃあこれ買ったら外に出て、ソフトクリーム食べに行こうね」
 両親の笑いながらの言葉を、航大は夢見心地で聞いていた。

 父親が再婚して、航大には新しい母親と弟ができた。
 もう半年以上、四人で食事したり出掛けたりはしていた。互いの子どもたち同士や、相手の親との相性を確かめる意図があってだろう。
 双方の親なりに慎重を期して、準備期間は設けてくれていたのはわかっていた。そもそも航大には、反対する選択肢など欠片もなかったのだが。
 それでも、いざ『家族』になって同じ家で暮らすとなると、航大はそれまでとはまた違った緊張感も覚えていたのだ。
 ──お母さん、優しそうな人だけど面倒掛けないようにしないと。また要らないって言われないように。それに弟、か。五歳下だけど、冬生まれで誕生日がまだだから四歳なんだよね。可愛いから、最初会った時は男の子って聞いてたのに女の子? と思ったけど。
 新しい四人家族が上手く行くように決して邪魔にならないようにしなければ、と航大は誰に何を言われたわけでもないのに考えていた。
 そんな時に、思いがけず買ってもらったアンモナイト。
 欲しいものを買い与えられたからだけではない。
 口にはもちろん、顔にも出さないようにしていたつもりの航大の想いを読み取ってくれた、義母。
 確かにじっと食い入るように見つめていた筈だから、普通と違うと感じても不思議ではない。
 それでも、最低限航大のことを目に入れていなかったら気づかないだろう。
 学校でも『手の掛からない子』と無意識に後回しにされ、結果的に放置されてしまうことにももう慣れていた航大はその事実だけでも嬉しかった。
No Image
    ◇  ◇  ◇
 ──雪、……雪。
 雪音に対する自分の気持ちが、ただの過保護な、……航大の不注意で、顔に痕の残る怪我をさせてしまった悔恨からの、それでも純粋に兄が弟を思い守るものとは、どこか違って来ていることに気が付いたのはいったいいつのことだっただろう。
 こんなのは、おかしい。
 わかっている。わかっているのに心は止められなかった。
 だから雪音には絶対に気づかれてはならない。『お兄ちゃん』として懐いて慕ってくれているを裏切ることだけはしたくなかった。
 そして義弟に対するのと同じくらい、航大は義母に対して申し訳ない気持ちが払拭できなかった。
 あの、夜。
 偶然が重なり、両親が居ない夜に雪音が航大の部屋にやって来て、ベッドに横になったとき。
 航大は「自分の意思以外に止めてくれるものは何もないんだ、だからしっかりしないと」とそこまでわかっていながら暴走してしまった。
 もう外に歯止めがなければ自分は何をするかわからない。
 雪音を、いつか傷つけてしまう。

 ──お母さんに。他人の俺をそのまま受け入れて愛してくれたあの人に、俺は顔向けできないことをしてしまったんだ。しかも、それ以上のことを心のどこかで確かに望んでる。俺はこれ以上この家に、雪と一緒に居ちゃダメだ。もう、無理なんだ。
 翌日帰って来た両親を待ちかねて、しかし雪音の耳のないところでないと、と夕食後雪音が自室に籠るのを見届けてから航大は両親に家を出たいと切り出した。
 今後の院の学費も出してもらうことになっている。
 たとえこれ以上の負担は無理だと言われたとしても、アルバイトを増やしてでもなんとか一人暮らしだけは決行する気でいた。
 けれど両親は、航大が告げた表向きの理由を疑うこともなくすんなり了承してくれた。
 とにかく一刻も早く家を出ることを最優先して、速攻で新しい部屋を決めて航大は引っ越しを敢行した。
 何も聞いていない、と食い下がって来た雪音を故意に冷たくあしらい、新居の住所さえ知らせなかった。
 こんな自分のことは、早く忘れて欲しい。
 ……航大は、おそらく雪音が自分に抱いている淡い想いには気づいていた。
 しかし、それは航大が毅然とした態度さえ取っていれば、育つことなくいつの間にか薄まって消えて行くようなものだったと今も思っている。
 雪音自身が将来『昔はそんな勘違いしてたこともあったなぁ』なんて思い返す、笑い話のひとつになっていただろう。
 航大が、あんなことさえしなければ。
 ただ驚いて、あるいは嫌悪されて突き飛ばされたのならどんなによかったか。それなら航大が傷つくだけで済む。自分の中だけで消化できる。
 しかし、驚きの中でも雪音が航大の背中を抱き返してきたあの瞬間。
 航大は、己のしたことの意味を、──取り返しのつかない失敗を悟ったのだ。

 新しい部屋の、机の上に置いてあるアンモナイト。
 もう十年以上前に買ってもらったそのままの、いかにも博物館で扱っているという印象の素っ気ないプラスティックケースの中。
 片手で握り込めるようなサイズの化石が緩衝材と簡易な説明文と共に入れられていた。
 今も昔も、そしてこれからも。
 金銭的な価値とはまったく関係なく、一生携えていたい航大の『宝物』だ。

 雪音とはまた別の区切りの、心の棚にも置いてある。

 ~『Not for sale』END~


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「航ちゃん、これが欲しいの?」
 できたばかりの『家族』で訪れた博物館。
 小学校四年生だった当時、航大は化石や恐竜が好きだった。
 それを知っている父親が、調べて見つけて来てくれた期間限定の展示。
「たぶん小学生以上向けで、雪ちゃんにはつまらないかもしれないけど、どうかな?」
「地味な化石だけなら飽きちゃうかもしれないけど『恐竜展』でしょ? 大きな模型とかもあるみたいだし、きっと喜ぶと思う。航ちゃんはもう四年生だし本物しか興味ないだろうけど、雪ちゃんはまだ四歳だからね」
 父の問い掛けに新しい母はそう答えて、四人で行くことになったのだった。
 さすがに博物館で催されているだけあって本格的で、航大が図鑑でしか見たことがないような恐竜の骨や様々な化石がずらりと並んでいる。
 十歳とは思えないほど落ち着いていると言われる航大も、内心かなり興奮していた。
 所詮作り物とわかっていてまったく期待などしていなかった実物大らしい模型さえも、目の前で見ると迫力があって感動したのだ。
 予想以上に充実した展示をじっくりと楽しみ、航大はすべて観終わっても正直もっと長居したいと感じていた。
 しかし結局言い出せないまま、少し後ろ髪を引かれる思いで他の三人とともに展示スペースを出る。
 するとそこには所謂お土産コーナーがあり、場に相応しく本物の化石類も販売していた。
 もちろん、展示品になるような貴重なものではないのは当然なのだが。
 本物のアンモナイト。
 軽く摘まみ上げられる程度のサイズだが、つけられた値札に気分が沈む。 
 値段はよく覚えていないが、五千円だか八千円だか、とにかく小学生が気軽に買ったり|強請《ねだ》ったりできる額ではなかった。
 今までの貯金でなら十分買えるとは思う。
 ……しかし普通の店ではないため、今この場でないと無理だろう。
 もともと航大は年齢より大人びた賢いいい子と評判で、父や祖父母に何かを買ってくれと駄々を|捏《こ》ねたことなどまったくない。
 ──あとで返すからって頼んだら買ってもらえないかな。お年玉とか貯めてるの結構あるし。でもこんなとこで「これ買って!」なんて、『お母さん』に我が儘な悪い子だと思われる?
 航大が表情には出さないままに必死で頭を働かせていたところに、義母があっさり「欲しいの?」と訊いて来たのだ。
「え? 航大、そうなのか? お前が何か欲しがるなんて珍しいな」
「私もそう聞いてたけど。でも、そういう航ちゃんが欲しがるってことは、すぐに放り出したりしないでずっと大事にしてくれるんじゃない?」
 父が驚いたように言うのに、義母が返す。
「……いいの?」
 恐る恐る口を開いた航大に、彼女は笑って頷いた。
「あ、ありがとう。……《《お母さん》》」
 結婚前に四人で会っていた際は、「|三枝《さえぐさ》さん」「おばさん」と呼んでいた。一緒に暮らすようになり、その癖を出さないよう努力して来たのだ。
 そのため、「お母さん」と呼ぶのは初めてではない。ただ、自然に言葉が出たことは今までなかった。
「じゃあ、雪ちゃんにも何か買ってあげた方がいいんじゃないかな」
 父も反対することなく、雪音への対応を考えているらしい。
「うーん。でも雪ちゃんには、ここにある物は早過ぎるわ。まだ意味もわからないだろうし勿体ないでしょ」
「だったらもっと他の、何かおもちゃとか」
「ゆきちゃん、ソフトクリームたべたい!」
 父と義母が話しているところに、雪音が空気も読まずに宣言する。
「そうか、雪ちゃんはソフトクリーム好きなのか」
「じゃあこれ買ったら外に出て、ソフトクリーム食べに行こうね」
 両親の笑いながらの言葉を、航大は夢見心地で聞いていた。
 父親が再婚して、航大には新しい母親と弟ができた。
 もう半年以上、四人で食事したり出掛けたりはしていた。互いの子どもたち同士や、相手の親との相性を確かめる意図があってだろう。
 双方の親なりに慎重を期して、準備期間は設けてくれていたのはわかっていた。そもそも航大には、反対する選択肢など欠片もなかったのだが。
 それでも、いざ『家族』になって同じ家で暮らすとなると、航大はそれまでとはまた違った緊張感も覚えていたのだ。
 ──お母さん、優しそうな人だけど面倒掛けないようにしないと。また要らないって言われないように。それに弟、か。五歳下だけど、冬生まれで誕生日がまだだから四歳なんだよね。可愛いから、最初会った時は男の子って聞いてたのに女の子? と思ったけど。
 新しい四人家族が上手く行くように決して邪魔にならないようにしなければ、と航大は誰に何を言われたわけでもないのに考えていた。
 そんな時に、思いがけず買ってもらったアンモナイト。
 欲しいものを買い与えられたからだけではない。
 口にはもちろん、顔にも出さないようにしていたつもりの航大の想いを読み取ってくれた、義母。
 確かにじっと食い入るように見つめていた筈だから、普通と違うと感じても不思議ではない。
 それでも、最低限航大のことを目に入れていなかったら気づかないだろう。
 学校でも『手の掛からない子』と無意識に後回しにされ、結果的に放置されてしまうことにももう慣れていた航大はその事実だけでも嬉しかった。
    ◇  ◇  ◇
 ──雪、……雪。
 雪音に対する自分の気持ちが、ただの過保護な、……航大の不注意で、顔に痕の残る怪我をさせてしまった悔恨からの、それでも純粋に兄が弟を思い守るものとは、どこか違って来ていることに気が付いたのはいったいいつのことだっただろう。
 こんなのは、おかしい。
 わかっている。わかっているのに心は止められなかった。
 だから雪音には絶対に気づかれてはならない。『お兄ちゃん』として懐いて慕ってくれている《《弟》》を裏切ることだけはしたくなかった。
 そして義弟に対するのと同じくらい、航大は義母に対して申し訳ない気持ちが払拭できなかった。
 あの、夜。
 偶然が重なり、両親が居ない夜に雪音が航大の部屋にやって来て、ベッドに横になったとき。
 航大は「自分の意思以外に止めてくれるものは何もないんだ、だからしっかりしないと」とそこまでわかっていながら暴走してしまった。
 もう外に歯止めがなければ自分は何をするかわからない。
 雪音を、いつか傷つけてしまう。
 ──お母さんに。他人の俺をそのまま受け入れて愛してくれたあの人に、俺は顔向けできないことをしてしまったんだ。しかも、それ以上のことを心のどこかで確かに望んでる。俺はこれ以上この家に、雪と一緒に居ちゃダメだ。もう、無理なんだ。
 翌日帰って来た両親を待ちかねて、しかし雪音の耳のないところでないと、と夕食後雪音が自室に籠るのを見届けてから航大は両親に家を出たいと切り出した。
 今後の院の学費も出してもらうことになっている。
 たとえこれ以上の負担は無理だと言われたとしても、アルバイトを増やしてでもなんとか一人暮らしだけは決行する気でいた。
 けれど両親は、航大が告げた表向きの理由を疑うこともなくすんなり了承してくれた。
 とにかく一刻も早く家を出ることを最優先して、速攻で新しい部屋を決めて航大は引っ越しを敢行した。
 何も聞いていない、と食い下がって来た雪音を故意に冷たくあしらい、新居の住所さえ知らせなかった。
 こんな自分のことは、早く忘れて欲しい。
 ……航大は、おそらく雪音が自分に抱いている淡い想いには気づいていた。
 しかし、それは航大が毅然とした態度さえ取っていれば、育つことなくいつの間にか薄まって消えて行くようなものだったと今も思っている。
 雪音自身が将来『昔はそんな勘違いしてたこともあったなぁ』なんて思い返す、笑い話のひとつになっていただろう。
 航大が、あんなことさえしなければ。
 ただ驚いて、あるいは嫌悪されて突き飛ばされたのならどんなによかったか。それなら航大が傷つくだけで済む。自分の中だけで消化できる。
 しかし、驚きの中でも雪音が航大の背中を抱き返してきたあの瞬間。
 航大は、己のしたことの意味を、──取り返しのつかない失敗を悟ったのだ。
 新しい部屋の、机の上に置いてあるアンモナイト。
 もう十年以上前に買ってもらったそのままの、いかにも博物館で扱っているという印象の素っ気ないプラスティックケースの中。
 片手で握り込めるようなサイズの化石が緩衝材と簡易な説明文と共に入れられていた。
 今も昔も、そしてこれからも。
 金銭的な価値とはまったく関係なく、一生携えていたい航大の『宝物』だ。
 雪音とはまた別の区切りの、心の棚にも置いてある。
 ~『Not for sale』END~