⑥
ー/ー
「……だから、お母さんに」
航大が、声を絞り出すようにして核心に触れて来る。
「雪に手を出して、俺はお母さんに合わせる顔がない」
「なんで? なんで、そんな」
意味がわからない。
なぜここで母の話になるのか。雪音ではなく?
「俺、お母さんにはホントに感謝してるんだ。実の母親にも捨てられるような子どもを、……いい子にしてなきゃ嫌われる、母親がいないからって言われる、そしたらお父さんもいやになるかも、捨てられるかも、っていつも構えてた子どもらしくない俺を、ごく普通に可愛がってくれた」
「航ちゃん──」
義兄の中には、きっと今も大きな傷が存在するのだ。
一応治ったようには見えても、微かに記憶が掠めるだけで瘡蓋が剥がれて血が噴き出すような、生々しい傷が。
「だから雪は俺と居ちゃダメなんだ。雪はもっと、誰にでも胸張って紹介できるような、そういう相手と。……でないと、お母さんに──」
航大が母に拘るわけが、少しはわかった気がする。
しかしそれは単なる理解であって、決して共感ではない。
「じゃあさ。じゃあ航ちゃんは、俺がもし航ちゃん以外にはもう誰も好きになれなくて、ずっとひとりで寂しく暮らしたとしてもお母さんは喜ぶと思うの?」
「! そ、れは」
雪音が突き付けた台詞に、彼は虚を突かれたように瞠目した。
「俺はまだ高校生だし、当たり前だけど子どももいないし。でも、親は、……少なくともうちのお母さんは、子どもが幸せになるのがいちばんだと思ってるんじゃないのかな。その相手が誰だとかはきっと二の次なんだよ」
義父も母も、今もそしてきっとこれからも雪音の大切な家族だ。
しかし、そのために航大への想いを歪めることはできない。
「でも、雪──」
雪音の話にも諦める気はなさそうな航大に、さらに畳み掛ける。
「お母さんはさぁ、シングルマザーだったじゃん? 結婚もしないで子ども産んで、ってグチグチ言ってたオバサンとかいたのも俺知ってたし」
「それは、俺も事情は違うけど似たような経験あるからわかるよ。うちは離婚だけど『片親』には変わりないから。『小さいのにお母さんと離されて可哀想』ってな。何も知らないくせに」
真剣な表情の義兄に、雪音も静かに返した。
「ああ、一緒だ。俺もそういう人に『父親もいない子なんて可哀想に』とか言われた。当時は意味わかんなかったけど、俺まだ四歳くらいだよ? そんな子どもの前で母親の悪口言う? すげー失礼じゃん。それは、そんな人ばっかじゃないのも知ってたけどね。でも航ちゃんが言うみたいに世間にちゃんとしなきゃとかそういう意味では、お母さんもダメってことになるんじゃない?」
「まさか! そんなわけないだろ」
身体ごと乗り出すようにして必死で否定に掛かる航大。
彼にとって『母・涼音』は本当に特別な存在なのだ。敢えて大袈裟な比喩を使えば、まるで女神のような、大きな何か。
「ねぇ、航ちゃん。お母さん、とかお父さんのことはちょっと置いといて。俺と航ちゃんの話しようよ。俺は航ちゃんが好きだよ。さっきも言ったけど『お兄ちゃん』としてだけじゃなくて、特別な人として好きなんだけど」
雪音の改めての『告白』に、義兄はぐっと唇を引き結んだ。
「……航ちゃん、は?」
この期に及んでまだ逃げたい往生際の悪い航大に、雪音は一切容赦するつもりはない。
顔を背けることさえ許さないという想いを込めて、大きな瞳で航大を正面から真っ直ぐ見つめた。
「……好き、だよ。もちろん家族として、弟としても好きで大事だけど。もっと、もっと特別な存在として雪だけ好きで、愛してる」
その瞳を見返して心を決めたと知らせるように大きく深呼吸すると、一拍おいて彼が雪音に想いを話してくれる。
「ありがとう、航ちゃん。俺もう、それだけで他に何も要らないくらい、ホントに凄く嬉しい」
雪音の明るい笑顔に、航大もつられるようにようやく微笑んだ。
「あのさ、俺と航ちゃんの関係についてお父さんやお母さんに言う必要なんかないんじゃない?」
「……それは、そうなんだけど」
一歩踏み込んだ発言をする雪音に、航大は簡単には頷けないようだ。
「航ちゃんはお母さんに黙ってるのが後ろめたいんだよね? それは俺もわかるよ。でももっと小さい時ならともかく、俺はもうお母さんに何でも話したりしないんだ。もし他の人と付き合うことがあっても、いちいち報告なんてしない。航ちゃんもそうじゃないの?」
「まぁ、な」
雪音の勢いに押されるように、しぶしぶ肯定を返す義兄。
「だからこっちからは何も言わないようにして、もし付き合ってるうちに気づかれることがあったらその時に考えようよ」
「雪──」
いつもいつも追い掛けていた、尊敬して憧れていた義兄が、ほんの一瞬まるで小さな頼りない子どもの姿に見えた。
それは単なる幻覚ではない気がする。
見えない傷跡を両手で抑えて顔だけは笑っている、幼かった航大は確かにいたのだ。現在と繋がる、どこかの時空に。
「……俺が子どもで考えが浅いのかもしれないけど、お母さんは頭ごなしに反対とかしないと思う。応援してくれるかまではわかんないけど」
ゆっくりと一言ずつ区切るように、雪音は考えをていることを話す。
「それしかないかな。なんとかバレないように願うよ」
航大は雪音の素直な気持ちを否定せず、苦笑と共に承諾してくれた。
「航ちゃん、前みたいに勉強教えてくれない? もちろん忙しいと思うからたまにで、暇のある時でいいから」
「そうだな。俺もこれからは定期的に家に帰るようにするよ。必ず事前に連絡するから、雪もそれまでにわからないこととか訊きたいこととか纏めといて」
軽く口にしてから、彼は表情を引き締めて少し硬い声を発する。
「だから雪、もうここには来ないようにした方がいい。会いたかったら今も言ったけど俺が家に帰るし、それこそ外で会ってもいい。でもここには」
「……あの、どうして? いや、どうしても来たいってわけじゃなくて来ないのは別にいいんだけど、なんでかなって」
純粋に疑問で尋ねた雪音に、義兄は真面目な顔を崩さない。
「雪、まだ高校生だろ? この部屋で二人きりになるのはよくないと思う。俺も、以前は結構自制心には自信あったんだけど、あれ以来結構揺らいでるし、だから」
航大が言い難そうに、それでも真剣に告げて来るのを雪音も真摯に受け止めたかった。
「……わかったよ。大学入るまでここには来ない」
「悪いな。でも、少なくとも雪が高校卒業するまでは、俺はこれ以上何もする気ないから」
こういうことを正面切って真顔で告げる義兄だから、きっとこんなに好きになった。
優しくて誠実で、……皆が思うほどには強くないこの人を。
「航ちゃん、握手して。それくらいならいいよね?」
雪音の申し出は想定外過ぎたのか、航大はしばし無言で固まっていたが、そのまま右手を差し出して来た。
その手を右手だけではなく、両手で包み込むように握る。
この温もりを抱いて、義兄のいない日々を耐えて過ごすために。
ふいに航大のもう一方の手が雪音の顔に伸びて来た。
「……もう二度と、お前を泣かせないって決めてたのにな」
ああ、自分は今、泣いているのか。
まるで他人事のように心のどこかで考える雪音に、航大の左手の指の背で目元を拭われた。
涙なんていつ以来だろう。
航大が出て行くと聞かされた時、実際に別れたあの日、彼を想って苦しんだ日々。
それでも涙は出なかった。心が乾ききっていたかのように。
そうだ。身のうちに潤いがなければ、涙さえも出ないのだ。
「こ、これは悲しいとか痛い涙じゃないから! ノーカウントだよ!」
航大が口にする「涙」が何を指しているのかくらい、雪音にもよくわかっていた。
「ねえ航ちゃん、暇があるときでいいからまたメッセージくれる? 前みたいに航ちゃんといろんな話して、一緒に喜んだりしたい」
「そうだな。──大人気ないことしてゴメンな。無視なんて、いい年してホント情けないよなぁ」
「いいよ。なんでそうしたのかもわかったし、もう許す」
わざとらしく偉そうに言う雪音に、航大は小さな声で「ゴメン」と繰り返した。
夕方、家での食事の時間に間に合うようにと雪音は航大の部屋を後にする。
駅まで二人で並んで歩き、改札脇で別れの挨拶を交わした。
「航ちゃん、またね。絶対、近いうちに帰って来て! お父さんとお母さんも会いたがってると思うよ、きっと」
雪音が口先だけではなく、真剣に言い募るのを、航大も真顔で受け止めた。
「大丈夫、約束する。一人暮らしして確かに気楽なんだけど、寂しい、っていうのとはちょっと違って、なんとなく、……なんとなく何かが足りない気がして。四人で暮らした十何年、ホントに楽しかったなって痛感した」
しみじみと口にする航大に、雪音は思わず声を上げてしまう。
「それ、お父さんとお母さんが聞いたら凄い喜ぶんじゃない?」
彼は雪音の言葉に、少し照れくさそうに笑った。
名残は惜しいが、いつまでもこうしているわけにも行かない。
雪音は改めて航大に別れを告げると、改札を通り抜けたところで笑顔で振り向いた。
優しく愛しい義兄と目が合い、雪音は声は出さずに両手を頭上に上げて大きく振る。
ただ微笑んで見ているだろうと思った航大が右手を高く上げて振り返して来たのに不意を突かれ、嬉しさが胸に溢れそうになった。
航大と雪音の優しい時間は、あともう少しだけ平行線を辿る。
~『優しい時間は。』END~
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「航ちゃん──」
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しかしそれは単なる理解であって、決して共感ではない。
「じゃあさ。じゃあ航ちゃんは、俺がもし航ちゃん以外にはもう誰も好きになれなくて、ずっとひとりで寂しく暮らしたとしてもお母さんは喜ぶと思うの?」
「! そ、れは」
雪音が突き付けた台詞に、彼は虚を突かれたように瞠目した。
「俺はまだ高校生だし、当たり前だけど子どももいないし。でも、親は、……少なくともうちのお母さんは、子どもが幸せになるのがいちばんだと思ってるんじゃないのかな。その相手が誰だとかはきっと二の次なんだよ」
義父も母も、今もそしてきっとこれからも雪音の大切な家族だ。
しかし、そのために航大への想いを歪めることはできない。
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「それは、俺も事情は違うけど似たような経験あるからわかるよ。うちは離婚だけど『片親』には変わりないから。『小さいのにお母さんと離されて可哀想』ってな。何も知らないくせに」
真剣な表情の義兄に、雪音も静かに返した。
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「ねぇ、航ちゃん。お母さん、とかお父さんのことはちょっと置いといて。俺と航ちゃんの話しようよ。俺は航ちゃんが好きだよ。さっきも言ったけど『お兄ちゃん』としてだけじゃなくて、特別な人として好きなんだけど」
雪音の改めての『告白』に、義兄はぐっと唇を引き結んだ。
「……航ちゃん、は?」
この期に及んでまだ逃げたい往生際の悪い航大に、雪音は一切容赦するつもりはない。
顔を背けることさえ許さないという想いを込めて、大きな瞳で航大を正面から真っ直ぐ見つめた。
「……好き、だよ。もちろん家族として、弟としても好きで大事だけど。もっと、もっと特別な存在として雪だけ好きで、愛してる」
その瞳を見返して心を決めたと知らせるように大きく深呼吸すると、一拍おいて彼が雪音に想いを話してくれる。
「ありがとう、航ちゃん。俺もう、それだけで他に何も要らないくらい、ホントに凄く嬉しい」
雪音の明るい笑顔に、航大もつられるようにようやく微笑んだ。
「あのさ、俺と航ちゃんの関係についてお父さんやお母さんに言う必要なんかないんじゃない?」
「……それは、そうなんだけど」
一歩踏み込んだ発言をする雪音に、航大は簡単には頷けないようだ。
「航ちゃんはお母さんに黙ってるのが後ろめたいんだよね? それは俺もわかるよ。でももっと小さい時ならともかく、俺はもうお母さんに何でも話したりしないんだ。もし他の人と付き合うことがあっても、いちいち報告なんてしない。航ちゃんもそうじゃないの?」
「まぁ、な」
雪音の勢いに押されるように、しぶしぶ肯定を返す義兄。
「だからこっちからは何も言わないようにして、もし付き合ってるうちに気づかれることがあったらその時に考えようよ」
「雪──」
いつもいつも追い掛けていた、尊敬して憧れていた義兄が、ほんの一瞬まるで小さな頼りない子どもの姿に見えた。
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ゆっくりと一言ずつ区切るように、雪音は考えをていることを話す。
「それしかないかな。なんとかバレないように願うよ」
航大は雪音の素直な気持ちを否定せず、苦笑と共に承諾してくれた。
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「そうだな。俺もこれからは定期的に家に帰るようにするよ。必ず事前に連絡するから、雪もそれまでにわからないこととか訊きたいこととか纏めといて」
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航大が言い難そうに、それでも真剣に告げて来るのを雪音も真摯に受け止めたかった。
「……わかったよ。大学入るまでここには来ない」
「悪いな。でも、少なくとも雪が高校卒業するまでは、俺はこれ以上何もする気ないから」
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優しくて誠実で、……皆が思うほどには強くないこの人を。
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雪音の申し出は想定外過ぎたのか、航大はしばし無言で固まっていたが、そのまま右手を差し出して来た。
その手を右手だけではなく、両手で包み込むように握る。
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航大が出て行くと聞かされた時、実際に別れたあの日、彼を想って苦しんだ日々。
それでも涙は出なかった。心が乾ききっていたかのように。
そうだ。身のうちに潤いがなければ、涙さえも出ないのだ。
「こ、これは悲しいとか痛い涙じゃないから! |ノーカウント《ノーカン》だよ!」
航大が口にする「涙」が何を指しているのかくらい、雪音にもよくわかっていた。
「ねえ航ちゃん、暇があるときでいいからまたメッセージくれる? 前みたいに航ちゃんといろんな話して、一緒に喜んだりしたい」
「そうだな。──大人気ないことしてゴメンな。無視なんて、いい年してホント情けないよなぁ」
「いいよ。なんでそうしたのかもわかったし、もう許す」
わざとらしく偉そうに言う雪音に、航大は小さな声で「ゴメン」と繰り返した。
夕方、家での食事の時間に間に合うようにと雪音は航大の部屋を後にする。
駅まで二人で並んで歩き、改札脇で別れの挨拶を交わした。
「航ちゃん、またね。絶対、近いうちに帰って来て! お父さんとお母さんも会いたがってると思うよ、きっと」
雪音が口先だけではなく、真剣に言い募るのを、航大も真顔で受け止めた。
「大丈夫、約束する。一人暮らしして確かに気楽なんだけど、寂しい、っていうのとはちょっと違って、なんとなく、……なんとなく何かが足りない気がして。四人で暮らした十何年、ホントに楽しかったなって痛感した」
しみじみと口にする航大に、雪音は思わず声を上げてしまう。
「それ、お父さんとお母さんが聞いたら凄い喜ぶんじゃない?」
彼は雪音の言葉に、少し照れくさそうに笑った。
名残は惜しいが、いつまでもこうしているわけにも行かない。
雪音は改めて航大に別れを告げると、改札を通り抜けたところで笑顔で振り向いた。
優しく愛しい義兄と目が合い、雪音は声は出さずに両手を頭上に上げて大きく振る。
ただ微笑んで見ているだろうと思った航大が右手を高く上げて振り返して来たのに不意を突かれ、嬉しさが胸に溢れそうになった。
航大と雪音の優しい時間は、あともう少しだけ平行線を辿る。
~『優しい時間は。』END~