第5話:沈黙の蜘蛛
ー/ー 大爆発だった。
過負荷(オーバーロード)で真っ赤に融解した『アイアン・レスキュー』の水素エンジンが、殺到する2機のリーパーのクロム装甲を巻き込んで、激しい水蒸気爆発を起こしたのだ。
衝撃波がドック迷宮の水面を狂ったように跳ね上げる。
「――走れッ、彩花!」
忠茂は、爆圧によって歪んだハッチから女の細い身体を毟り取るように引き抜き、水深1メートルを超えた黒い海水の中へと飛び降りていた。
大破した重機の残骸が、激しい火花を散らしながら水底へ沈んでいく。完全な生身。剥き出しの肉体。バシャバシャと重い海水を蹴る音は、もはや死神に対する露骨な誘導ビーコンだった。
頭上では、彩花の「20枚全張り」が招いた帝国金融の監視ドローンが、執拗に純白のサーチライトを照射し続けている。離れて歩くなどという戦術は、最初の爆音と共に霧散していた。
網膜の時間表示(タイマー)が、血の涙のように冷たく減少していく。
『残り時間 06:21 / 警告:ターゲットの移動速度低下を感知』
突如、激流に足をすくわれ、彩花の身体が油膜の浮いた水面へと没した。
「ひっ……、ケホッ……!」
「立て! まだ死んでねえだろ!」
忠茂は彼女の腕を強引に掴み、引き起こした。ライトに照らされた彼女の顔からは、歓楽街の派手な化粧が完全に流れ落ち、剥き出しになった二十代半ばの生々しい素顔が、恐怖で青白く強張っていた。両方のエクステは失われ、濡れた黒髪が死人のように頬に張り付いている。
「ごめん、忠茂くん、あたし、もう、足が……」
「謝る暇があるなら、肺に空気を詰め込め。俺の背中だけを見て走れ!」
錆びついた貨物コンテナの隙間を、網目状に組まれた液体配管の裏を、二人は死に物狂いで突き進む。背後からは、爆発を免れたリーパーの、カツン、カツンという金属脚が鉄板を穿つ不気味な足音が、確実にその距離を縮めていた。
水位は、ついに二人の腰の高さにまで達しようとしている。
その時、忠茂の元ストライカーとしての超高速演算(タクティクス)が、壁際に設置された高圧配電盤の異変を捉えた。
錆び果てた金属の筐体から、被覆の破れた極太の導線が垂れ下がり、波立つ水面に触れた瞬間――バチバチッ! と、網膜を焼くような青白い電弧(アーク)を撒き散らしていたのだ。
水、そして高圧電流。
忠茂の脳裏に、勝利への冷徹な数式が閃いた。
「……彩花、あのコンテナの上に登るぞ」
「え……?」
「リーパーの頭脳は、電子回路の塊だ。これだけ海水が満ちれば、奴らは自重と漏電で自滅する!」
「でも、もし、あいつらに防水処置(シーリング)がされてたら……」
「考えるな!」
忠茂は、操縦席から脱出する間際に毟り取っておいた、重機の油圧駆動アーム――十キロ近くある鋼鉄の『鉄腕』――を左腕に抱え直しながら、獰猛に言い放った。
「戦場で余計な計算をした奴から死ぬ。プロの世界じゃ、それが鉄則だ!」
コンテナの錆びたリベットに爪を立て、忠茂は彩花の腰を押し上げるようにして、二人でコンテナの天井へと這い上がった。
そこから見下ろした船底ドックは、もはや漆黒の、小さな死の海だった。
直後、水面下でジジジ……と激しい電磁ノイズが爆発した。
濁流に誘い込まれたリーパーの1機が、高圧電流を浴びて狂ったように多脚を痙攣させている。関節から青白い煙を噴き上げ、光学センサーを明滅させながら、鉄の塊となって水底へ没していく。間を置かず、2機目も同じ断末魔の火花を散らして沈黙した。
「……動か、なくなった……」
彩花の声が、信じられないものを見るように震える。
勝った。忠茂が、そう確信して張り詰めた息を吐き出した、その瞬間だった。
ガキィンッ!!
二人が立つ貨物コンテナの鋼鉄の側面を、強烈な金属爪が引き裂いた。
「……ッ!?」
忠茂が下を覗き込む。暗黒の水面から這い上がってきたのは、他の個体とは一線を画す、一回り巨大な最後の一機だった。脚部のすべての関節が重厚な黒い炭素繊維シーリングで覆われ、その重装甲の胴体には、軍用規格を示す『MIL-WP(対水圧・防水仕様)』の無骨な白文字が刻印されている。
運営の、確実なる「間引き」のための保険。
ヒュン――。
リーパーの真紅の光学センサーが、至近距離から忠茂の顔面を捉えた。
「来るな……来るなぁぁぁッ!」
彩花が錯乱した悲鳴を上げる。リーパーのカッターアームが、コンテナの縁を削りながら、二人の肉体を切り刻まんと天井へ到達した。
網膜のタイマー。
『残り時間 00:48』
「舐めるなよ、ただの機械が……!」
忠茂は右膝の激痛をアドレナリンでねじ伏せ、抱えていた重機の『鉄腕』を、かつて数万の観客を熱狂させたストライカーの完璧なフォームで振り下ろした。
ガガギィィィンッ!!
超重量の鋼鉄パーツが、リーパーの光学センサーの防護ガラスを粉砕する。だが、軍用機は止まらない。残された爪が、忠茂の胸元へ電撃のように突き出された。
その瞬間、忠茂の前に飛び出したのは、彩花だった。
「あたしの20枚(二千万)のヘイトを――喰らいなさいよぉぉぉっ!」
彼女は、自らの網膜ディスプレイから強制抽出した生体連動債務プレート――強烈な電磁シグナルを放つ20枚のクリスタル――を、リーパーの破壊されたセンサーの奥に、自らの爪が剥がれるのも構わず力任せに叩き込んだのだ。
ドローン常時監視の超高密度ヘイトデータが、至近距離でリーパーの電子脳に逆流する。
「ジジ、ジジジジジジッ!?」
過剰な情報負荷(オーバーロード)により、軍用リーパーの駆動系が一瞬だけ、完全に硬直した。
「見事だ、彩花ァァァッ!」
その一瞬の隙を、元プロ候補生が逃すはずがなかった。忠茂は全身の質量を『鉄腕』に乗せ、リーパーの、防水シーリングが施された脚部の付け根へ向けて、渾身のラスト・シュートを叩き込んだ。
バキィィィンッ!!!
鋼鉄の関節がへし折れ、内部の油圧オイルが激しく噴出する。
均衡を完全に失った死神は、断末魔の黒い火花を散らしながら、コンテナの側面を滑り落ち、漆黒の海水の中へと深く、深く沈んでいった。
水面を震わせていた不気味な電光が完全に消失し、静寂が戻る。
『残り時間 00:00 / 第一遊戯終了。生存者を確定します』
ブオォォォォン――!!
船体全体に、勝者を称えるかのような、しかしどこか悪趣味なサイバーサイレンが鳴り響いた。
同時に、足元を脅かしていた水位の上昇がピタリと止まり、どこかで巨大な排水ポンプが駆動する重低音が響き始める。運営は、家畜の死骸から「生き残った肉」を回収する算段に入ったのだ。
忠茂と彩花は、油膜に汚れたコンテナの天井に、崩れるように倒れ込んだ。
互いの、肺を焦がすような荒い息遣いだけが、闇の中に重く残る。
二人の網膜に、残光のような金色の文字が冷酷に踊った。
『有賀忠茂:生還。賞金回収・計20枚』
『松本彩花:生還。賞金回収・計40枚』
彩花は、自身の血で汚れた指先で、網膜の『40』という数字を見つめていた。
「……40枚。あたしの、あの汚い借金が、全部……消えた……?」
「……ああ。完済だ。お前は、もう自由だ」
忠茂は、彼女の横顔を見つめた。サーチライトの残光の中で、彼女の瞳には、自由を得た喜びや安堵など微塵もなかった。ただ、世界から突然色彩を奪われたかのような、圧倒的な虚無と、そして奇妙な感情が揺らめいている。
――本当に、あたしは人間になれたの?
そう、問いかけているような、壊れた人形の目。
忠茂は何も言わず、自分の手のひらを開いた。そこにあるのは、血と錆に汚れた20枚のクリスタル。
借金二千万のうち、これで返せるのは半分の一千万。……残りは、あと一千万円。
計算し、生き残る確率を刻んだはずの自分は、まだこの地獄の底に強固に縛り付けられている。考えなしに全額を賭け、狂気に身を委ねた女が、先に光を掴み取る。
「……ハハ、傑作だな」
忠茂の口から、乾いた自嘲の笑みが漏れた。これが、この世界の、帝国金融のシステムの洗礼か。
天井のスピーカーから、あの冷徹な老人の声が降ってきた。
「諸君、生還おめでとう」
及川の声は、まるで上質なクラシック音楽でも聴いた後のように、悪魔的に朗らかだった。
「実に全体の8割が脱落した。なかなかの『間引き』じゃ。生き残った強欲な者たちには、明日、もう一つ極上のステージを用意してやる。第二遊戯――『負債の連鎖』。今夜は、我がエルドラドの温かい寝床で、ゆっくりと休むがええ」
プツン、と通信が切れ、世界は再び静寂に包まれた。
排水が進む暗闇の中、彩花が、吸い寄せられるように忠茂の傷だらけの肩へと、ゆっくりと頭を預けてきた。
安物の香水と、汗と、そして先ほど彼女の爪が剥がれた時に流れた、生々しい血の臭いがした。
「忠茂くん」
「……ん」
「あたし……明日も、あんたの隣にいていい?」
それは、自由を手に入れた女が、地獄に残される男へと捧げる、最も深くて歪な「依存」の始まりの声だった。
忠茂は、答えなかった。
ただ、自分の手のひらの中で、まだ半分しか満ちていない20枚のチップが、血の色を反射して鈍く、冷たく輝いているのを、じっと見つめ返していた。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
おすすめ作品を読み込み中です…
作者の他の作品
この作者の他作品はありません。
この作品と似た作品
似た傾向の作品は見つかりませんでした。
この作品を読んだ人が読んでいる作品
読者の傾向からおすすめできる作品がありませんでした。
おすすめ作品は現在準備中です。
おすすめ作品の取得に失敗しました。時間をおいて再度お試しください。