24.即興
ー/ーユージーンは目を覚ました。
部屋の中に朝日と呼ぶには強い日差しが入ってきている。利き手である右手を寝台について起きようとして、ずきりと指が痛む。痛みに耐えきれず起こしかけた体が再び寝台に倒れ、反対側の手で右手を押さえると、そこには普段と違う手触りがある。
包帯が巻かれているのだと気づいて、それから何があったかを少しずつ思い出していく。
フランシスを引き留めようとして、彼の腕をつかんで、そのせいで彼の体のバランスが崩れて、同時に自分も倒れそうになって―― それから?
腕を強く引かれた感触と、背中を支えられたような感覚が残っているが、それが現実だったのかそうでないのかわからない。少なくともユージーンの知るフランシスという人間はそういうことをする人種ではない。
そこまで思って、ふと考える。
彼がホッジズ家を出て、もう十年だ。
家を出る前ですらさほど交流のなかった兄である。彼が何を思って、何を思わなかったか、ユージーンには知る由もない。
ユージーンは右手の指に巻かれた包帯を見つめた。と、部屋の扉がこんこんと打ち鳴らされてから押し開けられる。
「お、起きたか、ユージーン」
入ってきたのは数日前に門で一緒に勤務をしていた騎士グレゴリー・モフェットで、彼はユージーンが起きているのを見ると安心したように顔をほころばせた。そしてそのまま医師を呼びに行って、ユージーンは医師から診察を受ける。
「みんな心配してたぞ。外傷は突き指しか見つからないのに半日も寝てるからどっか変なとこ売ったんじゃないかって」
どこにも異常がないことを確認してから医師が帰ったあと、グレゴリーは冗談交じりに言って、「まあ最近忙しかったよな」と付け足した。彼の腕には包帯が留めてある。
「ほら、俺これだから、警備からちょうど外されてて。今他にだれも手が空いてないから、怪我して逆によかったかもな」
はは、とグレゴリーは短く笑いをこぼしながらユージーンに水差しから水を注いで手渡した。
「…… 怪我の方はどうですか?」
「え? 怪我人が他人の怪我を心配するなよ」
彼は笑いつつ、窓際にある椅子に腰を下ろした。
「全然大したことないんだよ。幸い刺さったところもやばい場所じゃなかったしさ。―― この前、ミルドレッド様が俺のとこまでわざわざ謝りに来たいっておっしゃってるって話聞いた時は困ったけど」
「…… すみません」
ユージーンがつい謝るとグレゴリーは「どうしておまえが謝るんだよ」と言ってまた笑った。ふと、ユージーンの目に、向かいにある寝台が入ってくる。シーツが少し乱れていて、誰かがそこにいたのが見てわかる。
「もしかして、そこに…… 兄がいましたか?」
「ああ。いたよ。さっきまで寝てたけど、外の風にあたりたいって――」
グレゴリーが言い終わる前に、ユージーンは立ち上がった。後ろでグレゴリーが呼び止めるような声が聞こえるが、聞いている余裕はなかった。
部屋を出て、宿舎の外階段を上がっていく。たぶん、さっきフランシスと一緒に落ちた場所だ。そこには擦れた跡も、傷も、なにひとつついていなくて、いつも通り、何事もなかったようにそこにいた。
宿舎の屋上へ出るとすぐに、十年前まで兄弟としてひとつ屋根の下で暮らした男の姿が見えた。声をかけようとすると、フランシスは己の唇の前に人差し指を立てて、静かに、という仕草でユージーンに伝えてきた。そして、その指で下―― ここから見える城下を指し示してくる。
城下の大通りに神官の長い列があった。列の中ほどには神の遣いの衣装に身を包んだミルドレッドがいる。途中決められた位置で立ち止まっては聖句を口にして、神官らが鈴を鳴らし、また先に進む。そしてまた立ち止まっては、同じことを繰り返す。
ミルドレッドは真剣な顔で儀式に臨んでいる。
その時、ミルドレッドと神官らの列を見ている人々のうち、母親の足元に立っている小さな子どもの手から小さなおもちゃが落ちて、運悪くミルドレッドの足元まで転がっていった。そしてちょうど、手にした神器で足元がよく見えていなかったミルドレッドは、たった今子どもが落としたおもちゃにつまづいて神器を地面に落とした。
瞬間、儀式が止まった。
あたりには静寂が訪れ、近くにいた神官、子どもの母が青ざめ息を呑んだ。
ミルドレッドが子どもの方を見やる。青ざめた表情のまま今にもひれ伏しそうな様子の母親をよそに、地面に落ちた神器はそのまま、自身の足元にある子どものおもちゃを拾い上げる。
そして子どものところまで歩み寄ると、そこへしゃがみこみ、子どもにおもちゃを手渡した。だれもが静かに見守るなか、ミルドレッドは自身の髪に差されたいくつかの花のなかから一本を抜き取ると、それを子どもの髪に差した。子どもがなにか言って、ミルドレッドがにこりと微笑む。
慌てて地面に落ちた神器を拾い上げた神官が、神器をミルドレッドに渡して、儀式は再開された。
ミルドレッドは綺麗だと、ユージーンはあらためて思った。
隣で同じように今の一部始終を見ていたフランシスは、ふうっと息を吐きながら屋上の段差に腰を下ろした。彼の足首にはユージーンの右手と同じように包帯が巻かれている。
「それ……」
ユージーンがおそるおそる言うと、フランシスはああ、となんでもなさそうに足首を見た。
「軽い捻挫。大したことないって」
「本当に?」
「なんで俺がおまえに気遣わなきゃなんだよ」
顔をしかめてそう言われれば、ユージーンは黙るしかない。フランシスはほどけそうになっていた包帯を結び直しながら
「俺、明日にはもう帰るし、姫様にももうなにもしないから、安心しろよ」
と言った。祭事が始まる以前の彼の態度からは想像できない言葉に、ユージーンは驚いて彼を見た。
「たぶん、おまえが羨ましかったんだよ。結局のところ」
続いてフランシスが口に出した言葉はユージーンにとって想像もできないもので、同時に自身が彼に思い続けていたことでもあった。
「家族とか、騎士としての立場とか、おまえが城のみんなに応援されてるのとか、そういうの全部。俺がもう一生がんばっても絶対手に入らないものを持ってるんだって思うと、悔しくて、悲しくて…… そこにいてあたりまえみたいな顔してるおまえが憎らしかった」
「…………」
ユージーンは言葉を選んでいた。知らずのうちに、長い間会ってすらいなかった彼を傷つけていたのかと思うと、どうすればいいのか、なにが正解なのか急にわからなくなった。
「…… 父も母も、この十年ずっとおまえのことを心配してた」
ユージーンが言うと、フランシスは「そうか」と一言つぶやいた。
憎らしかったというわりにはフランシスの表情はおだやかで、ユージーンはますますわからなくなる。どうして彼が、足を怪我してまでユージーンをかばってくれたのか。どうしてミルドレッドから手を引くようなことを言ったのか。
フランシスが立ち上がる。杖を使うのに慣れていないのか、その足取りは足の捻挫のことを差し引いてもかなり不安定だ。ユージーンが急いで手を差し伸べると、身振りで大丈夫だと断られてしまう。
彼は騎士になりたかった? 貴族の息子として、王女であるミルドレッドと釣り合うその身分と引き換えにしても?
「部屋まで送ろうか」
ユージーンが申し出ると、いや、いいよとまた断られる。
「少し一人で歩きたいから。父さんと母さんに、よろしく言っといてくれ」
じゃあな、とフランシスは言うと、今度こそ行ってしまった。
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