表示設定
表示設定
目次 目次




23.昔のこと

ー/ー




 神の遣いの役を演じるミルドレッドは美しかった。
 自分なんかが触れていい存在じゃないと、思い知らされた。ユージーンにしたってそうだ。どんな小細工でもごまかしようもない歴然とした差がそこにはあって、フランシスの前に立ちはだかっていた。

『―― だれ?』

 幼い頃は体が弱く、城下の屋敷の中かあるいはたまに連れてこられる城でほとんどの時間を過ごしていたフランシスにとって、ミルドレッドは初めて会った同年代の異性だった。

『あっ、わかった。お父様が言ってた、今度からミリーと遊んでくれるひとでしょ』

 その日は体の調子がたまたま良くて、どういういきさつだったかは覚えていないが、騎士団長である父に連れられて城へ行った。
 ―― まるで、物語に出てくる妖精かなにかみたいだった。目の前に突然あらわれて、見た者の心を奪う。

 べつに、こっちは名乗りもしなかったし覚えてもらっているなんてまさか思いはしなかったけど。それでも、少しくらいの割り込む隙間があるんじゃないかとか、そういうことを考えていた。
 騎士の宿舎の屋上から、城下の様子がよく見える。もしも自分が騎士になっていたら、何度も見ていたのかもしれない景色だ。

「…… あなたには…… あなたにだけはわからない……」

 父に言われて、ミルドレッドが執心しているという劇団に入ったのはちょうど一年前のことだった。昨年の祭事のすぐ後で、演劇に興味のないフランシスにとってはミルドレッドに関わってなければただただ面倒なことだった。

 思えばずっと、自分という存在を主張するのに必死だった。一日のほとんどを寝ているか、そうでなければ椅子の上でじっとしているだけの子どもじゃないんだと。つまらなくも、可哀想でもないんだと、主張するのに必死に生きていたのだと、他人を演じて初めて気づいた。

「…… 僕の苦労を知らないで――」

 ひとりでぼそぼそと劇の台詞を口にしている最中やってきた人影に、フランシスは声を止めた。

「あ……」

 フランシスとまったく同じ姿形をしたその生き物は、彼を見るや小さな声でそうつぶやいたかと思うと、咳払いをして居住まいを正した。

「騎士の宿舎は、関係者以外立ち入り禁止だ」

 その生き物が吐いた言葉にフランシスはたずねる。

「家族も?」
「え…… あっ」

 フランシスは思わず笑った。

「ちょっと見てみたかっただけだよ。自分が見るかもしれなかった景色をさ」

 もう行く、と彼の横を通り過ぎようとすると、たったさっき彼が上ってきた階段の下に同僚らしき騎士の姿が見える。

「おまえもさっさと仕事に戻った方がいいんじゃないの」
「ああ…… いや、ちょっと待っ――」

 ふいに腕をつかまれて、今まさに階段を下りようとしていた足元が揺らぐ。同時にユージーンの体勢も崩れ、前のめりに階段へ突っ込みそうになる。フランシスの目には自身と自身の目の前で起きていることが必要以上にゆっくり動いているかのように見えていた。それなのに己の体は思うように動かず、フランシスは必死で弟の方へと手を伸ばした。




(…… いない)

 ミルドレッドは部屋に戻る途中、辺りを見回しながら歩いたがユージーンには会えなかった。すれ違いになってしまったのだろうか。ホッジズ団長のところで待っていれば会えるだろうが、ミルドレッドとてこのあと神殿で明日の打ち合わせがあるしそうまでする余裕はない。ちょっと前までは、会いたいときに会いに行けたのに。

 祭事が終わったら元通りなんだと思いたいけど、ユージーンだってもう大人だし、ミルドレッドだってあと三年もすれば成人する。そうなれば、二人で会える時間は今よりぐんと減るんだろう。初めて会ったときから、会わなかった日などほとんどない。

 神殿長や神官長との打ち合わせを終えると、すっかり日が暮れていた。祭りの間はずっと天幕の中で座りっぱなしだからか、背中が痛い。少しだけ横になろうと寝台に体を横たえたところで、ミルドレッドの意識は遠のいた。



 夢を見ていた。
 幼い頃、父が王になって、一緒に城に来たばかりの時の夢だ。

 ホッジズにユージーンを紹介された日のこと。
 新しい家と、新しい母親が受け入れられずに、わがままや意地悪を言ってユージーンを困らせたこと。
 何度も城を脱走して、唯一成功したあの日のこと。

 責任感からかついてきてくれたユージーンと一緒に城下で迷子になってお腹を空かして泣いたこと。ユージーンは城下で見回りをしている騎士を探しに行こうとしてくれたのに、ミルドレッドがもう歩きたくないとかここを動きたくないとか言って駄々をこねて、そうしているうちに雨が降ってきて、無事見つけてはもらえたけれど、結局そのあとふたり仲良く風邪を引いたのだった。
 というか、ミルドレッドが引かせたのだが。出会った時から今の今まで、ユージーンが体調を崩す要因のことごとくにミルドレッドがかかわっていたような気さえする。

 それなのにずっとそばにいてくれた。
 王の命令かもしれないけれど、それでも。
 ミルドレッドが、今まで何度も彼の存在から安心を得て、励まされてきたのは、ユージーンがいたからだ。
 偶然出会った〈山猫一座〉から思わぬ申し出をされて舞台に立った時も。
 聖都でモニカを助けたいと無理を言った時だって。
 舞台袖で、あるいは後ろで、ユージーンが見てくれているとわかったから、あんなことができた。
 彼がそうしてくれたように、ミルドレッドからも彼に同じものを与えたい。そういう関係になりたい。



スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む 24.即興


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…




 神の遣いの役を演じるミルドレッドは美しかった。
 自分なんかが触れていい存在じゃないと、思い知らされた。ユージーンにしたってそうだ。どんな小細工でもごまかしようもない歴然とした差がそこにはあって、フランシスの前に立ちはだかっていた。
『―― だれ?』
 幼い頃は体が弱く、城下の屋敷の中かあるいはたまに連れてこられる城でほとんどの時間を過ごしていたフランシスにとって、ミルドレッドは初めて会った同年代の異性だった。
『あっ、わかった。お父様が言ってた、今度からミリーと遊んでくれるひとでしょ』
 その日は体の調子がたまたま良くて、どういういきさつだったかは覚えていないが、騎士団長である父に連れられて城へ行った。
 ―― まるで、物語に出てくる妖精かなにかみたいだった。目の前に突然あらわれて、見た者の心を奪う。
 べつに、こっちは名乗りもしなかったし覚えてもらっているなんてまさか思いはしなかったけど。それでも、少しくらいの割り込む隙間があるんじゃないかとか、そういうことを考えていた。
 騎士の宿舎の屋上から、城下の様子がよく見える。もしも自分が騎士になっていたら、何度も見ていたのかもしれない景色だ。
「…… あなたには…… あなたにだけはわからない……」
 父に言われて、ミルドレッドが執心しているという劇団に入ったのはちょうど一年前のことだった。昨年の祭事のすぐ後で、演劇に興味のないフランシスにとってはミルドレッドに関わってなければただただ面倒なことだった。
 思えばずっと、自分という存在を主張するのに必死だった。一日のほとんどを寝ているか、そうでなければ椅子の上でじっとしているだけの子どもじゃないんだと。つまらなくも、可哀想でもないんだと、主張するのに必死に生きていたのだと、他人を演じて初めて気づいた。
「…… 僕の苦労を知らないで――」
 ひとりでぼそぼそと劇の台詞を口にしている最中やってきた人影に、フランシスは声を止めた。
「あ……」
 フランシスとまったく同じ姿形をしたその生き物は、彼を見るや小さな声でそうつぶやいたかと思うと、咳払いをして居住まいを正した。
「騎士の宿舎は、関係者以外立ち入り禁止だ」
 その生き物が吐いた言葉にフランシスはたずねる。
「家族も?」
「え…… あっ」
 フランシスは思わず笑った。
「ちょっと見てみたかっただけだよ。自分が見るかもしれなかった景色をさ」
 もう行く、と彼の横を通り過ぎようとすると、たったさっき彼が上ってきた階段の下に同僚らしき騎士の姿が見える。
「おまえもさっさと仕事に戻った方がいいんじゃないの」
「ああ…… いや、ちょっと待っ――」
 ふいに腕をつかまれて、今まさに階段を下りようとしていた足元が揺らぐ。同時にユージーンの体勢も崩れ、前のめりに階段へ突っ込みそうになる。フランシスの目には自身と自身の目の前で起きていることが必要以上にゆっくり動いているかのように見えていた。それなのに己の体は思うように動かず、フランシスは必死で弟の方へと手を伸ばした。
(…… いない)
 ミルドレッドは部屋に戻る途中、辺りを見回しながら歩いたがユージーンには会えなかった。すれ違いになってしまったのだろうか。ホッジズ団長のところで待っていれば会えるだろうが、ミルドレッドとてこのあと神殿で明日の打ち合わせがあるしそうまでする余裕はない。ちょっと前までは、会いたいときに会いに行けたのに。
 祭事が終わったら元通りなんだと思いたいけど、ユージーンだってもう大人だし、ミルドレッドだってあと三年もすれば成人する。そうなれば、二人で会える時間は今よりぐんと減るんだろう。初めて会ったときから、会わなかった日などほとんどない。
 神殿長や神官長との打ち合わせを終えると、すっかり日が暮れていた。祭りの間はずっと天幕の中で座りっぱなしだからか、背中が痛い。少しだけ横になろうと寝台に体を横たえたところで、ミルドレッドの意識は遠のいた。
 夢を見ていた。
 幼い頃、父が王になって、一緒に城に来たばかりの時の夢だ。
 ホッジズにユージーンを紹介された日のこと。
 新しい家と、新しい母親が受け入れられずに、わがままや意地悪を言ってユージーンを困らせたこと。
 何度も城を脱走して、唯一成功したあの日のこと。
 責任感からかついてきてくれたユージーンと一緒に城下で迷子になってお腹を空かして泣いたこと。ユージーンは城下で見回りをしている騎士を探しに行こうとしてくれたのに、ミルドレッドがもう歩きたくないとかここを動きたくないとか言って駄々をこねて、そうしているうちに雨が降ってきて、無事見つけてはもらえたけれど、結局そのあとふたり仲良く風邪を引いたのだった。
 というか、ミルドレッドが引かせたのだが。出会った時から今の今まで、ユージーンが体調を崩す要因のことごとくにミルドレッドがかかわっていたような気さえする。
 それなのにずっとそばにいてくれた。
 王の命令かもしれないけれど、それでも。
 ミルドレッドが、今まで何度も彼の存在から安心を得て、励まされてきたのは、ユージーンがいたからだ。
 偶然出会った〈山猫一座〉から思わぬ申し出をされて舞台に立った時も。
 聖都でモニカを助けたいと無理を言った時だって。
 舞台袖で、あるいは後ろで、ユージーンが見てくれているとわかったから、あんなことができた。
 彼がそうしてくれたように、ミルドレッドからも彼に同じものを与えたい。そういう関係になりたい。