36話 足りないものは
ー/ー「お待たせ、先輩は帰っちゃったけど、かえちゃんはまだここにいるよ」
僕たちは再びセナの病室へ訪れた。僕の声を聞き、セナの表情は明るくなる。
「待ってたよ! かえちゃんさんも!」
かえちゃんは「幸せの粉」が入ったコップを手に持ち、気遣わしけな表情を僕に向けている。僕に、かけてもいいのか確認をとっているのだろう。
僕は迷わず頷いた後「かけて」と口パクでかえちゃんに伝えた。
これでいいのだ。これでセナの願いは叶う。それが、セナにとっての幸せだ。何も思い残すことはない。
もし仮に、エフィルロさんが帰ってこなかったとしても、帰ってきたとして、セナの面接が断られたとしても、悔いはない。
僕にどうにかできる問題じゃない。
かえちゃんはセナに粉をかけた。キラキラと舞う粉が、セナの元へ集まり消えていく。
よかった。本当によかった。
かえちゃんは僕を見て、驚いた表情をしている。粉の量でも間違えたのだろうか。
「ほんと、シルエトは泣き虫だよね」
「え?」
頬に伝う何か。いや、そんなはずはない。今の僕のどの感情が、この目から涙を押し出したのか。見当もつかない。
「どうしたらいいのか、わからないんでしょ? 見えなくてもわかるんだよ? 今のシルエト変だもん!」
「どうしたらって……」
「シルエトが、私を連れて行ってくれるんでしょ? 私の願いを叶えてくれるんでしょ?」
「何を……」
セナは優しい笑みを僕に向けた。
「神様……いや、天使なんでしょ〜!」
思わず僕は黙り込む。かえちゃんも同じだ。僕とセナへ交互に目線を移している。動揺しているのだろう。当たり前の反応だ。彼女は、僕の正体を見破っている。
「何も言わないってことは……本当にそうなんだ」
「なんで……いつから?」
セナは顎に手を当て首を捻り、考える素振りを見せる。
「いつからって……まず、名前が変! だから、最初からかな。私のことを、迎えにきてくれた死神とか悪魔なんだろうなって思ってた。内緒なのも、天使の世界のお話をしてくれていたのも、だからなんだろうなって」
確かに、人間界でこの名前は珍しい。そこまで深く考えていなかった。すぐに終わる関係だと思っていたから。
でも、そんなにも前から、セナは僕がこの世の者ではないと気がついていた。
セナは一度暖かいため息を吐いた後、続けた。
「でも、私をなかなか連れて行かなかった。なんなら、友達になってくれて、私の夢を叶えてくれた。本当に嬉しかった。死後の世界に連れていくのは、死神とか悪魔なんだって思ってた、たとえシルエトがそうだとしても……」
セナはゆっくりと息を吸い込む。そして、細々しい声で続けた。
「私にとっては天使なんだよ! とーっても優しい天使! こんなにも優しい天使が連れて行ってくれるなら、私は嬉しい! 幸せだよ!」
「いや、僕は……」
「優しい天使ではない」そう言い切る前に、セナはそれを感じ取ったかのように話し始めた。
「覚えてる? 初めに会ってから、次に会うまで、どのくらい期間があったか。……4年だよ?」
わかっている。僕はセナを待たせすぎた。
「すっごく不安だった。忘れちゃったのかなって気持ちもだけど、それよりも、次に会った時は……私を連れていく時なんだろうなって」
初耳だ。僕は、ずっとセナに不安を抱えさせていた。本当に無責任だ。その4年は、天使の4年間とも、健康な人間の4年間とも違う。まったく別の4年間だ。長さの話ではない。重さの話だ。
そんな貴重な時間に、僕は。
「でもね、いざ再会してみたら、不安なんて一気に吹き飛んだ! ただただ嬉しかったの。友達が会いに来てくれたって! 連れていくどころか、私の夢の話を聞いてくれた。それから何度も何度も会いにきてくれた。だからさ……シルエトは、私にとって本当に優しい天使なんだよ?」
震えた唇が、開いては閉じ、喉の奥から出そうとした言葉を押し戻す。僕は、優しい天使なんかじゃない。
元々、人間なんてどうでもいいと思っていた。人間が地獄に行こうと、幸せの粉が天使にのみ使われようと、僕には関係のないことだと思っていたじゃないか。
いつの間にか、僕の気持ちが変わっていた。
いつの間にか、今の天界は間違っていると考えるようになった。
いつに間にか、セナを、幸せにしたいと思っていた。
「本当に優しい天使だから、どうしたらいいのか悩んでる。だから、エルシオさんと喧嘩したんでしょ。それでエルシオさんは帰っちゃったんじゃないのかなって。私の名推理!」
名推理だ。確かに、僕は悩んでいる。自分でも、どうしたらいいのかわからない。何が正解で、何が不正解なのか。
頭で考えていることと、今自分がしていることとの間には、大きな乖離がある。
だからこそ思う。僕は優しい天使なんかじゃない。
「僕は……セナの言う悪魔だよ。優しい天使は、エルシオさんみたいな天使のことを言うんだ。自分の気持ちに嘘をつくのを止めて、好きなことを、好きだと言って、自分の信じた世界を信じて。誰がどう思うかじゃない。自分がやりたいことをして、自分が向かいたい方向へ向かうんだ。助けたい人間を助けるために、助けたい天使を助けるために、行動できる天使が、セナの言う優しい天使だよ」
「どうしたらいいのか迷ってるんだと思ってたけど、答え、出てるじゃん!」
セナは自慢げにそう言った。
「答え……?」
「シルエトは、優しい天使だよ。さっき自分で言ったことが、シルエトのやりたいこと。今のシルエトの気持ちだよ。あとは行動だよ。足りないのは、覚悟だけ」
「……覚悟だけ」
ーーーーーーあぁ、そうか。変わっていたのは、気持ちだけだ。
自分の気持ちを無視して、今の天界のやり方に従って、自分の立場を言い訳にして行動していなかった。何もしてこなかった。
あれはダメだ。これは意味がないと、自分で決めつけて、やる前から諦めていた。セナの夢も、僕が叶えられないと決めつけていただけじゃないか。
叶えられると言われて、それに甘えて。でも、厳しそうになったら優しい天使を見捨てて、また元の自分に戻るのか。
エフィルロさんも、エルシオさんも理想の、いや、正しい天界の在り方を信じて、それを続けている。
『あの頃から……まったく変わってないのですね』
さっきの言葉が頭に過ぎる。
エルシオさんの言うとおりだ。僕は何も変わっていない。
なにが天界騎士団だ。なにが四大天使だ。僕は、僕のやりたいことをするべきじゃないのか。
僕の考えが変わったなら、僕自身の生き方も変えるべきだ。ただ死神を殺すだけの生き方は、今の僕には相応しくない。
今の天界に疑念が、不信感があるじゃないか。救いたい天使が、幸せにしたい人間が、そんな気持ちが生まれたじゃないか。
涙の意味を理解した。これは、セナに対してのものじゃない。自分自身の在り方に対しての涙だ。間違った自分を、後悔を、そして悔しさを表した涙だ。
あの頃の僕とは違う。今は、今の僕の気持ちを、信じるべきだ。
もう涙は流れていない。足りなかった覚悟が、今胸の中で息をしている。
「かえちゃん、ごめん。セナ、ありがとう。僕は……優しい天使になるよ」
僕たちは再びセナの病室へ訪れた。僕の声を聞き、セナの表情は明るくなる。
「待ってたよ! かえちゃんさんも!」
かえちゃんは「幸せの粉」が入ったコップを手に持ち、気遣わしけな表情を僕に向けている。僕に、かけてもいいのか確認をとっているのだろう。
僕は迷わず頷いた後「かけて」と口パクでかえちゃんに伝えた。
これでいいのだ。これでセナの願いは叶う。それが、セナにとっての幸せだ。何も思い残すことはない。
もし仮に、エフィルロさんが帰ってこなかったとしても、帰ってきたとして、セナの面接が断られたとしても、悔いはない。
僕にどうにかできる問題じゃない。
かえちゃんはセナに粉をかけた。キラキラと舞う粉が、セナの元へ集まり消えていく。
よかった。本当によかった。
かえちゃんは僕を見て、驚いた表情をしている。粉の量でも間違えたのだろうか。
「ほんと、シルエトは泣き虫だよね」
「え?」
頬に伝う何か。いや、そんなはずはない。今の僕のどの感情が、この目から涙を押し出したのか。見当もつかない。
「どうしたらいいのか、わからないんでしょ? 見えなくてもわかるんだよ? 今のシルエト変だもん!」
「どうしたらって……」
「シルエトが、私を連れて行ってくれるんでしょ? 私の願いを叶えてくれるんでしょ?」
「何を……」
セナは優しい笑みを僕に向けた。
「神様……いや、天使なんでしょ〜!」
思わず僕は黙り込む。かえちゃんも同じだ。僕とセナへ交互に目線を移している。動揺しているのだろう。当たり前の反応だ。彼女は、僕の正体を見破っている。
「何も言わないってことは……本当にそうなんだ」
「なんで……いつから?」
セナは顎に手を当て首を捻り、考える素振りを見せる。
「いつからって……まず、名前が変! だから、最初からかな。私のことを、迎えにきてくれた死神とか悪魔なんだろうなって思ってた。内緒なのも、天使の世界のお話をしてくれていたのも、だからなんだろうなって」
確かに、人間界でこの名前は珍しい。そこまで深く考えていなかった。すぐに終わる関係だと思っていたから。
でも、そんなにも前から、セナは僕がこの世の者ではないと気がついていた。
セナは一度暖かいため息を吐いた後、続けた。
「でも、私をなかなか連れて行かなかった。なんなら、友達になってくれて、私の夢を叶えてくれた。本当に嬉しかった。死後の世界に連れていくのは、死神とか悪魔なんだって思ってた、たとえシルエトがそうだとしても……」
セナはゆっくりと息を吸い込む。そして、細々しい声で続けた。
「私にとっては天使なんだよ! とーっても優しい天使! こんなにも優しい天使が連れて行ってくれるなら、私は嬉しい! 幸せだよ!」
「いや、僕は……」
「優しい天使ではない」そう言い切る前に、セナはそれを感じ取ったかのように話し始めた。
「覚えてる? 初めに会ってから、次に会うまで、どのくらい期間があったか。……4年だよ?」
わかっている。僕はセナを待たせすぎた。
「すっごく不安だった。忘れちゃったのかなって気持ちもだけど、それよりも、次に会った時は……私を連れていく時なんだろうなって」
初耳だ。僕は、ずっとセナに不安を抱えさせていた。本当に無責任だ。その4年は、天使の4年間とも、健康な人間の4年間とも違う。まったく別の4年間だ。長さの話ではない。重さの話だ。
そんな貴重な時間に、僕は。
「でもね、いざ再会してみたら、不安なんて一気に吹き飛んだ! ただただ嬉しかったの。友達が会いに来てくれたって! 連れていくどころか、私の夢の話を聞いてくれた。それから何度も何度も会いにきてくれた。だからさ……シルエトは、私にとって本当に優しい天使なんだよ?」
震えた唇が、開いては閉じ、喉の奥から出そうとした言葉を押し戻す。僕は、優しい天使なんかじゃない。
元々、人間なんてどうでもいいと思っていた。人間が地獄に行こうと、幸せの粉が天使にのみ使われようと、僕には関係のないことだと思っていたじゃないか。
いつの間にか、僕の気持ちが変わっていた。
いつの間にか、今の天界は間違っていると考えるようになった。
いつに間にか、セナを、幸せにしたいと思っていた。
「本当に優しい天使だから、どうしたらいいのか悩んでる。だから、エルシオさんと喧嘩したんでしょ。それでエルシオさんは帰っちゃったんじゃないのかなって。私の名推理!」
名推理だ。確かに、僕は悩んでいる。自分でも、どうしたらいいのかわからない。何が正解で、何が不正解なのか。
頭で考えていることと、今自分がしていることとの間には、大きな乖離がある。
だからこそ思う。僕は優しい天使なんかじゃない。
「僕は……セナの言う悪魔だよ。優しい天使は、エルシオさんみたいな天使のことを言うんだ。自分の気持ちに嘘をつくのを止めて、好きなことを、好きだと言って、自分の信じた世界を信じて。誰がどう思うかじゃない。自分がやりたいことをして、自分が向かいたい方向へ向かうんだ。助けたい人間を助けるために、助けたい天使を助けるために、行動できる天使が、セナの言う優しい天使だよ」
「どうしたらいいのか迷ってるんだと思ってたけど、答え、出てるじゃん!」
セナは自慢げにそう言った。
「答え……?」
「シルエトは、優しい天使だよ。さっき自分で言ったことが、シルエトのやりたいこと。今のシルエトの気持ちだよ。あとは行動だよ。足りないのは、覚悟だけ」
「……覚悟だけ」
ーーーーーーあぁ、そうか。変わっていたのは、気持ちだけだ。
自分の気持ちを無視して、今の天界のやり方に従って、自分の立場を言い訳にして行動していなかった。何もしてこなかった。
あれはダメだ。これは意味がないと、自分で決めつけて、やる前から諦めていた。セナの夢も、僕が叶えられないと決めつけていただけじゃないか。
叶えられると言われて、それに甘えて。でも、厳しそうになったら優しい天使を見捨てて、また元の自分に戻るのか。
エフィルロさんも、エルシオさんも理想の、いや、正しい天界の在り方を信じて、それを続けている。
『あの頃から……まったく変わってないのですね』
さっきの言葉が頭に過ぎる。
エルシオさんの言うとおりだ。僕は何も変わっていない。
なにが天界騎士団だ。なにが四大天使だ。僕は、僕のやりたいことをするべきじゃないのか。
僕の考えが変わったなら、僕自身の生き方も変えるべきだ。ただ死神を殺すだけの生き方は、今の僕には相応しくない。
今の天界に疑念が、不信感があるじゃないか。救いたい天使が、幸せにしたい人間が、そんな気持ちが生まれたじゃないか。
涙の意味を理解した。これは、セナに対してのものじゃない。自分自身の在り方に対しての涙だ。間違った自分を、後悔を、そして悔しさを表した涙だ。
あの頃の僕とは違う。今は、今の僕の気持ちを、信じるべきだ。
もう涙は流れていない。足りなかった覚悟が、今胸の中で息をしている。
「かえちゃん、ごめん。セナ、ありがとう。僕は……優しい天使になるよ」
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