(六)
ー/ー 「楊志殿、もう間もなく北京大名府が見えてくるはずですよ」
「今日も随分冷えますねえ……さあ、酒で体を温めてください」
「すまんな」
林冲がその命を奪われかけたという過酷な配流の道中とは比べものにならないほど、楊志の旅路はなんとも気楽なものだった。
出立の時には、楊志は邪魔者を退治してくれたのだからどうか丁重に扱ってくれ、と懇願する州橋のたもとの人間たちが、銭を出し合って道中の食べ物や衣類を用意してくれた。
それだけでなく、別れの盃を交わそうと店で盛大な宴席を設け、さらには、たいした怪我ではなかったとはいえ、棒打ちの傷のための膏薬まで手配してくれた。
そのうえ路銀も十分すぎるほどに集めてくれたので、楊志はつけにしていた宿代を払い、なんの憂いもなく東京を旅立つことができたのだ。
また張龍と趙虎は、東京を出てしばらくすると楊志の首枷を外し、街中や人通りの多いところでだけは付けさせたものの、それ以外は手枷だけで動けるようにしてくれたし、腹が減れば酒店に、夜が更ければ宿屋に立ち寄り、まったく楊志に苦労をさせずに護送の勤めを果たしてくれた。
「今の大名府の留守司は、梁中書殿だな?」
「ええ、まさしく」
護送役人たちに尋ねれば、二人は神妙な顔をして頷いた。
「なんと言ったって、梁中書さまは宰相殿の娘婿。ますますご権勢をふるわれていますよ」
この大宋国の宰相たる蔡京は、今やすべての権力を握っていると言っても過言ではない。己は武芸一辺倒で政治のことはよく知らないが、あの高俅とて蔡京のことは無視できまい。
(梁中書のもとで腕を振るい、青面獣楊志の力を見せつければ、また都で身を立てられる日も来るに違いない。そのときこそ、再び宝刀を手に、堂々と楊家の名を名乗って高俅を怯えさせてやる)
鼻に皺を寄せる楊志が何かに怒っているとでも思ったのか、張龍と趙虎が「あそこで休んでいきましょうか」と道端の酒店を指さすが、もうすでに大名府の門はすぐそこに見えている。
「いや、いい。それより枷を頼む。そろそろ人目が増えるだろう」
「ああ、そうでした、そうでした」
慌てて重たい首枷を楊志に付け直した二人の護送役人は、わざとらしいほど厳しい表情を浮かべて楊志を先導すると、やがて眼前に堂々と姿を現した北京大名府の門をゆっくりとくぐる。
開封府の門には及ばずとも、十分に威圧的かつ壮麗な大名府の門前は、旅人や商人、地元の住人が賑やかに行き交い、なんとも活気がある。
また、かの煬帝が遺した運河には、真冬だというのに多くの船が停泊し、漁師や船頭が白い息を煙らせながら荷を上げ下げしていた。
「お勤めご苦労。その罪人の名は?」
のんきに街の様子を眺める楊志の隣では、張龍たちが、門番の兵士に書面を見せている。
「この男は、東京開封府で殺人を犯した楊志という者。このたびこの大名府へ配流となり、留守司殿のもと軍役につくことになったのだ」
「その件であれば、開封府から聞いている。梁中書殿は本日すでに登庁されておる故、謁見せよ」
門番に案内され、楊志たちはすぐに大名府の謁見所へと通された。
しばらく待っていると、奥からずんぐりむっくりとした小柄な男が慌てて姿を現す。
「楊志、お前は青面獣の二つ名の楊志ではないか! いったいどうして、罪人などになったのだ?」
「は……」
薄い髭を震わせながら楊志の名を呼ぶこの男こそ、留守司の梁中書であろう。
風体はなんとも冴えないが、どうやら己のことを知っているらしいとあらば、話ははやい。これ幸いと楊志は高俅に恥辱を受けた恨み辛みをぶちまけた。
「俺は武挙に合格し、東京で殿司制使を務めておりましたが、陛下のご用命で花石綱を運搬する任務についていた時、不運にも嵐に遭って船がひっくり返り、石を水底に沈めてしまいました。このままでは高太尉や陛下にあわせる顔がないと、田舎に自ら蟄居していたところ、このたび恩赦の沙汰があった故、高太尉のもとに復職を願い出ましたが、何度事情を話してもすげなく復職を断られ、そうしているうちに日銭もつき、これはもはや楊家伝来の宝刀を売って金を作るしかなかろうと街に出たところ、街の人々を困らせるちんぴらの牛二という男に身に覚えのない因縁をつけられ、ついかっとなって殺してしまった次第」
「おお、なんということだ、楊業の血を引く豪傑が、このような姿になってしまうとは……お前たち、すぐに首枷を外してやりなさい」
この小男、いかにも権威に弱そうな様子であったが、思った通り、楊家の名を口にしたところで梁中書の目つきが変わった。こんな小物相手に先祖の名を使うのも気が引けたが、今は耐えるしかあるまい。
「楊志、お前は知らんだろうが、私は仕事で東京に行くたびに、お前の勇名を聞いていたのだ。また、お前が殿司制使として職務に励む姿も何度も見ている。このたびは不幸ないきさつで罪人となったが、私はお前の文武の才と豪傑ぶりを買っている。どうか楊志よ、この私の手となり足となって、この北京のため、国のために、力を尽くしてはくれないか」
言いぐさだけはなんとも善人ぶった調子であるが、抜け目ない瞳はきょろきょろと動き、何かを計算しているのは明らかだ。
だが、ここでこの男に喧嘩を売る理由もない。
「俺は今や人殺しを犯した罪人。本来であれば死罪ともなるところを、そのようにお目にかけていただけるのは光栄です。この青面獣、粉骨砕身してお側にお仕えいたします」
「はは、これはなんとも頼もしい! そうだ、さっそく妻にお前を紹介したいので、身支度を調えさせよう。お前たちは、この返書を東京に持って帰ってくれ。さあ、誰か風呂の用意を!」
せわしなく手を動かしながらばたばたとそれぞれの者に必要なことを命じ、梁中書は満足げに頷く。
親切にしてくれた護送役人たちに別れの挨拶をした楊志は、高俅に恥辱を受けて以来鬱々としていた心中に光が差したような心地がして、梁中書に悟られないよう、微かに唇をつり上げた。
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