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(五)

ー/ー



 「俺は、殿司制使を務めていた楊志という者。花石綱を運ぶ任務を命じられましたが、荒天で船が転覆、任務を成し遂げられないまま御役御免となりました。そこで小遣いを稼ごうと刀を売りに街へ出たところ、牛二というちんぴらが、売り物の刀を奪い取ろうと殴りかかってきたので、揉み合いとなり、うっかり殺してしまった次第。ここにいる者たちは、ことの顛末を見ていた証人です」
 「なに、あの牛二をお前が殺したか」
 開封府での取り調べは、実にあっさりしたものだった。
 牛二の名を聞くと、府尹は、たいしたものだというような目で楊志を見つめ、証人たちの話を聞くのも早々に、検屍人ほかいくらかの役人を伴い、楊志に枷をはめ証人たちを引き連れて、州橋へと現場を見に向かった。
 まだそこで乱闘の余韻に浸っていた野次馬たちが次々とその時の様子を話すので、あっという間に調べは済み、楊志はとりあえず死刑囚の獄に入って沙汰を待つようにと言われるがまま、寒々しい牢獄の中へと身を置いた。
 いったい、恩赦を賜り、これ以上この誇り高き身を穢さぬようにとの一心で都へと戻ってきたのに、こうして極悪人たちとともに、棺桶の中のように暗い牢に入れられるとは、誰が想像しただろう。
 (だが、まだ機会はある)
 楊志がやってきたとたん、押牢や節級など牢役人たちはわっと色めき立った。
 お前があの牛二を殺したのか、よくやった、と誉めそやし、獄中でも一番居心地のましな牢へと案内すると、寒くないかと火を焚いたり、腹は減るかと酒食を運んでくるありさまである。
 また、沙汰を待つ間、あの州橋の近辺に住む者たちが、邪魔者を退治してくれた御礼などと言って、衣食をせっせと届けてくれるだけでなく、集めた金を上下の役人たちにばらまいていたらしい。
 そういうわけで、ひと月が過ぎ、あっという間にふた月を牢の中で過ごすことになったものの、楊志はかえって衣食住に困ることない暮らしに安堵したのだった。 
 そうこうしているうちに取り調べの期限の日がやってきたらしく、楊志の事件を受け持っていた役人が、顔だけは神妙に、だが何とも優しい声音で楊志を呼び出した。
 「楊志、今日はお前に沙汰が下るが、もちろん死刑などにはなりはしない。お前は都を荒らす悪漢を退治し、しかもすぐに自首をしたからな。調書では、口論で誤って相手を殺めたということになっている。形ばかりの棒打ちはあるが、そのあとは府尹様が信頼している部下をつけて、お前を流刑先へと送り届けよう」
 「それはありがたい。お取り計らいに感謝する」
 「はは、礼ならば、仏になった牛二に言うといい。殺したのがあの男でなければ、今ごろお前の首は胴とおさらばしているところだ」
 はたして、すべては彼の言った通りとなった。
 開封府の白洲に引き出された楊志に府尹は、棒打ち二十の刑と刺青配流を言い渡した。
 「楊志、お前には、北京大名府へと流れてもらう」
 「北京……」
 もっと辺境の地に流されるものとばかり思っていた楊志の、拍子抜けしたような声に、府尹は大きく頷き返す。
 「そうだ、お前には、留守司(りゅうしゅし)殿の管轄下で軍役についてもらう。さあ、そういうわけだ、すぐに刑を執り行うぞ」
 役人たちに促され、あっというまに力の入らぬ棒打ち二十回と頬への刺青が済まされると、二人の護送役人が人の良さそうな顔で近づいてきた。
 「楊志殿、北京大名府までは、我々、張龍(ちょうりゅう)趙虎(ちょうこ)がお送りいたします」
 「そうか、頼んだ」
 「道中の支度は我々が済ませておりますので、あとはこちらをはめるだけです」
 獄中とはいえまるで安穏とした暮らしや今日の気の抜けたような棒打ちに、すっかり気の緩んでいた楊志はしかし、二人が重たそうに抱えている首枷を見て、ようやく己が大罪を犯したという事実がずしりと心にのしかかるのを感じた。
 (この身を汚すわけにはいかぬと梁山泊入りを断っておいて、刺青入りの罪人の身になろうとはな)
 それでも、高俅に蔑ろにされたあの日の屈辱を想えば、民を困らせる邪魔者をよくぞ退治してくれた、と尊敬の眼差しを受けながら罪を償う日々のほうが、よっぽどましだ。
 (この義の心と武芸の才を、買ってくれる人間は必ずいる)
 北京大名府で誠心誠意、服役していれば、いつかは日の目をみることもあるだろう。
 「……それから楊志。その刀は、すまぬが没収させてもらう」
 「え、刀をですか」
 おとなしく枷をはめられていた楊志は、府尹の言葉に、思わず声を上ずらせた。
 「いつか罪を償い、この地に戻ってきたら、その時は私からお前に返してやる。だから、しっかり罪を償ってきなさい」
 なだめるような府尹の口調に、抗議の声は形にならぬまま喉の奥へと追いやられた。先祖伝来の宝刀とは言え、一度は手放そうと思った刀だ。
 「……わかりました。どうか、俺の代わりに手入れを」
 不承不承うなずくと、楊志は枷をはめられた体をぐるりと翻し、まだ見ぬ北京の地を目指す一歩を踏み出した。


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 開封府での取り調べは、実にあっさりしたものだった。
 牛二の名を聞くと、府尹は、たいしたものだというような目で楊志を見つめ、証人たちの話を聞くのも早々に、検屍人ほかいくらかの役人を伴い、楊志に枷をはめ証人たちを引き連れて、州橋へと現場を見に向かった。
 まだそこで乱闘の余韻に浸っていた野次馬たちが次々とその時の様子を話すので、あっという間に調べは済み、楊志はとりあえず死刑囚の獄に入って沙汰を待つようにと言われるがまま、寒々しい牢獄の中へと身を置いた。
 いったい、恩赦を賜り、これ以上この誇り高き身を穢さぬようにとの一心で都へと戻ってきたのに、こうして極悪人たちとともに、棺桶の中のように暗い牢に入れられるとは、誰が想像しただろう。
 (だが、まだ機会はある)
 楊志がやってきたとたん、押牢や節級など牢役人たちはわっと色めき立った。
 お前があの牛二を殺したのか、よくやった、と誉めそやし、獄中でも一番居心地のましな牢へと案内すると、寒くないかと火を焚いたり、腹は減るかと酒食を運んでくるありさまである。
 また、沙汰を待つ間、あの州橋の近辺に住む者たちが、邪魔者を退治してくれた御礼などと言って、衣食をせっせと届けてくれるだけでなく、集めた金を上下の役人たちにばらまいていたらしい。
 そういうわけで、ひと月が過ぎ、あっという間にふた月を牢の中で過ごすことになったものの、楊志はかえって衣食住に困ることない暮らしに安堵したのだった。 
 そうこうしているうちに取り調べの期限の日がやってきたらしく、楊志の事件を受け持っていた役人が、顔だけは神妙に、だが何とも優しい声音で楊志を呼び出した。
 「楊志、今日はお前に沙汰が下るが、もちろん死刑などにはなりはしない。お前は都を荒らす悪漢を退治し、しかもすぐに自首をしたからな。調書では、口論で誤って相手を殺めたということになっている。形ばかりの棒打ちはあるが、そのあとは府尹様が信頼している部下をつけて、お前を流刑先へと送り届けよう」
 「それはありがたい。お取り計らいに感謝する」
 「はは、礼ならば、仏になった牛二に言うといい。殺したのがあの男でなければ、今ごろお前の首は胴とおさらばしているところだ」
 はたして、すべては彼の言った通りとなった。
 開封府の白洲に引き出された楊志に府尹は、棒打ち二十の刑と刺青配流を言い渡した。
 「楊志、お前には、北京大名府へと流れてもらう」
 「北京……」
 もっと辺境の地に流されるものとばかり思っていた楊志の、拍子抜けしたような声に、府尹は大きく頷き返す。
 「そうだ、お前には、|留守司《りゅうしゅし》殿の管轄下で軍役についてもらう。さあ、そういうわけだ、すぐに刑を執り行うぞ」
 役人たちに促され、あっというまに力の入らぬ棒打ち二十回と頬への刺青が済まされると、二人の護送役人が人の良さそうな顔で近づいてきた。
 「楊志殿、北京大名府までは、我々、|張龍《ちょうりゅう》と|趙虎《ちょうこ》がお送りいたします」
 「そうか、頼んだ」
 「道中の支度は我々が済ませておりますので、あとはこちらをはめるだけです」
 獄中とはいえまるで安穏とした暮らしや今日の気の抜けたような棒打ちに、すっかり気の緩んでいた楊志はしかし、二人が重たそうに抱えている首枷を見て、ようやく己が大罪を犯したという事実がずしりと心にのしかかるのを感じた。
 (この身を汚すわけにはいかぬと梁山泊入りを断っておいて、刺青入りの罪人の身になろうとはな)
 それでも、高俅に蔑ろにされたあの日の屈辱を想えば、民を困らせる邪魔者をよくぞ退治してくれた、と尊敬の眼差しを受けながら罪を償う日々のほうが、よっぽどましだ。
 (この義の心と武芸の才を、買ってくれる人間は必ずいる)
 北京大名府で誠心誠意、服役していれば、いつかは日の目をみることもあるだろう。
 「……それから楊志。その刀は、すまぬが没収させてもらう」
 「え、刀をですか」
 おとなしく枷をはめられていた楊志は、府尹の言葉に、思わず声を上ずらせた。
 「いつか罪を償い、この地に戻ってきたら、その時は私からお前に返してやる。だから、しっかり罪を償ってきなさい」
 なだめるような府尹の口調に、抗議の声は形にならぬまま喉の奥へと追いやられた。先祖伝来の宝刀とは言え、一度は手放そうと思った刀だ。
 「……わかりました。どうか、俺の代わりに手入れを」
 不承不承うなずくと、楊志は枷をはめられた体をぐるりと翻し、まだ見ぬ北京の地を目指す一歩を踏み出した。