05:沈黙の棺に注ぐもの
ー/ー まだ世界が目を覚ます前の早朝に、アリセルとユーグは幽閉塔に向かい、歩いていた。
アリセルは傍らのユーグを見上げる。寝癖がついた髪はツンツンとしており、眠そうな顔に、普段の精悍さはなかった。欠伸を嚙み殺す彼に、なんとなく申し訳ない気分にもなってきた。
「ごめんね、朝早くて」
「いや、いいんだよ。用事でもないと起きれないし」
そう言って、欠伸を噛み殺すユーグは、だらけきった山猫に似てる。アリセルは手にした編み籠から青リンゴを取り出して、ユーグに差し出した。籠には香草パンや白パン、果物やミルクが入っていた。食事を用意している内に、なんとなくピクニックにでも行くような気分になってしまったのは、致し方なかった。ユーグは受け取った青リンゴを齧る。
「ねー、ユーグ」
「んー?」
「そう言えば、ユーグが手伝ってくれるって言ってくれたのが嬉しくて、つい忘れてしまったのだけど……」
アリセルは途中で口を噤んだ。視線を地に落として、躊躇いながら言葉を継ぐ。
「ユーグのご両親って、前国王に処刑されたって言っていたでしょ」
「ああ、それ」
みなまで言わずに察したのだろう。ユーグはアリセルに顔を向ける。
「前国王は確かに憎いけど、ルネ王子に直接何かされた訳でもないし」
「王子に恨みはないの?」
「正直、実際に会ったらどう感じるのか、自分でもよく分からないんだ。だからアリセルの手伝いをすると言うより、自分の気持ちを確認したいって所かな」
眠気が飛んだのか、彼の顔には普段の表情が戻ってきた。「そうだったんだね」と頷いて、アリセルは歩みを進める。
「ユーグは、ご両親が亡くなって寂しくないの?」
「どうかな。昔の話だし、寂しいかどうかなんてもう忘れたよ」
ユーグはあまり自分の過去を語らない。どういった経緯でこの村に来たのか、以前は何をしていたのか。アリセルとしては、もっと知りたい所だが、すぐ煙に巻かれてしまう。それが少しだけ寂しくて、悔しい。けれど、誰にでも話したくない事はある。いつか、ユーグが話してくれる日まで待とうと、密かに誓う。
幽閉塔が目前になり、アリセルの鼓動は早くなる。
緊張や不安、恐怖とほんの少しの期待と。言葉では表せない感情に、知らず内に表情が硬くなる。するとユーグの手がぽんっと頭に乗った。
「大丈夫だって。俺がいるだろ?」
「うん。でもルネ様を見たら、ユーグもビックリするよ」
「それは覚悟しておく」
頷くユーグに微笑みかけて、幽閉塔の外扉の鍵をあける。かちゃり、と鳴る金属の音は眠っていた何かが、目を覚ます気配にも思えた。
☆
「おはようございます、ルネ様」
ルネは、胎児のように膝を抱えて身を丸め、横たわっていた。反応のなさは相変わらずだが、アリセルは構わず続ける。
「こちら、私の友人です。今日から一緒に、お手伝いしてくれることになりました」
「初めまして、前王の御子息。ユーグ・アージュと申します。今後、ご厚誼を賜りますようお願い申し上げます」
流れるような動作で胸に片手をあてがい、頭をさげるユーグの姿は、普段のくだけた彼とは違い、随分と大人びて見えた。思わず見惚れてしまうアリセルだが、続いた発言にぎょっとする。
「なぁ、元王子様、聞こえてる?」
「ちょっとユーグ!」
「ま、どっちでもいいや。掃除するからさ、うるさかったらごめんな?」
失礼よ、と言いかけた言葉は、喉の奥にとどまった。ユーグの言葉こそ軽薄だが、そこに悪意も敵意も感じられなかったからだ。ユーグが木桶を持ち上げ、アリセルは昨日使った布を手に取った。
無言のまま掃除を続けていく内に、床の石肌は、見違えるように清くなっていった。アリセルは濡れた布を絞り、ユーグの隣にしゃがみ込む。一人ではとてもここまで出来なかった。ユーグがいてくれて本当に助かったと、言葉にせず思っていると、目があった。
「お前、昨日一人でよく頑張ったな」
心の底から感心したように褒められて、アリセルの頬は思わず緩む。エプロンについた汚れを払い落としながら、立ち上がった。
「ちょっと休憩しよう。お腹すいてきちゃった」
「そうだな」
「ルネ様も一緒にお食事しませんか?」
アリセルはルネに声をかけた。だが返ってくるのは、棺の中のように深い沈黙だけだ。返事や反応を期待していたわけではない。まして、ルネが一緒に食事をするなどとは、思ってもいなかった。それでも言葉がごく自然に、零れ落ちたのだ。
編み籠から、布に包まれた白パンを取り出して、ルネの傍にそっと置く。更に小さな陶の壺を取り出し、蓋を外した。中に入っているのは、ハーブと蜂蜜を混ぜて煮たミルクだった。
「お口に合うかどうか分かりませんが、よろしければどうぞ」
ルネは何も言わず、身じろぎ一つしない。誰にも触れられぬ硝子の中にいるような、静けさだけが彼を包んでいた。
アリセルは傍らのユーグを見上げる。寝癖がついた髪はツンツンとしており、眠そうな顔に、普段の精悍さはなかった。欠伸を嚙み殺す彼に、なんとなく申し訳ない気分にもなってきた。
「ごめんね、朝早くて」
「いや、いいんだよ。用事でもないと起きれないし」
そう言って、欠伸を噛み殺すユーグは、だらけきった山猫に似てる。アリセルは手にした編み籠から青リンゴを取り出して、ユーグに差し出した。籠には香草パンや白パン、果物やミルクが入っていた。食事を用意している内に、なんとなくピクニックにでも行くような気分になってしまったのは、致し方なかった。ユーグは受け取った青リンゴを齧る。
「ねー、ユーグ」
「んー?」
「そう言えば、ユーグが手伝ってくれるって言ってくれたのが嬉しくて、つい忘れてしまったのだけど……」
アリセルは途中で口を噤んだ。視線を地に落として、躊躇いながら言葉を継ぐ。
「ユーグのご両親って、前国王に処刑されたって言っていたでしょ」
「ああ、それ」
みなまで言わずに察したのだろう。ユーグはアリセルに顔を向ける。
「前国王は確かに憎いけど、ルネ王子に直接何かされた訳でもないし」
「王子に恨みはないの?」
「正直、実際に会ったらどう感じるのか、自分でもよく分からないんだ。だからアリセルの手伝いをすると言うより、自分の気持ちを確認したいって所かな」
眠気が飛んだのか、彼の顔には普段の表情が戻ってきた。「そうだったんだね」と頷いて、アリセルは歩みを進める。
「ユーグは、ご両親が亡くなって寂しくないの?」
「どうかな。昔の話だし、寂しいかどうかなんてもう忘れたよ」
ユーグはあまり自分の過去を語らない。どういった経緯でこの村に来たのか、以前は何をしていたのか。アリセルとしては、もっと知りたい所だが、すぐ煙に巻かれてしまう。それが少しだけ寂しくて、悔しい。けれど、誰にでも話したくない事はある。いつか、ユーグが話してくれる日まで待とうと、密かに誓う。
幽閉塔が目前になり、アリセルの鼓動は早くなる。
緊張や不安、恐怖とほんの少しの期待と。言葉では表せない感情に、知らず内に表情が硬くなる。するとユーグの手がぽんっと頭に乗った。
「大丈夫だって。俺がいるだろ?」
「うん。でもルネ様を見たら、ユーグもビックリするよ」
「それは覚悟しておく」
頷くユーグに微笑みかけて、幽閉塔の外扉の鍵をあける。かちゃり、と鳴る金属の音は眠っていた何かが、目を覚ます気配にも思えた。
☆
「おはようございます、ルネ様」
ルネは、胎児のように膝を抱えて身を丸め、横たわっていた。反応のなさは相変わらずだが、アリセルは構わず続ける。
「こちら、私の友人です。今日から一緒に、お手伝いしてくれることになりました」
「初めまして、前王の御子息。ユーグ・アージュと申します。今後、ご厚誼を賜りますようお願い申し上げます」
流れるような動作で胸に片手をあてがい、頭をさげるユーグの姿は、普段のくだけた彼とは違い、随分と大人びて見えた。思わず見惚れてしまうアリセルだが、続いた発言にぎょっとする。
「なぁ、元王子様、聞こえてる?」
「ちょっとユーグ!」
「ま、どっちでもいいや。掃除するからさ、うるさかったらごめんな?」
失礼よ、と言いかけた言葉は、喉の奥にとどまった。ユーグの言葉こそ軽薄だが、そこに悪意も敵意も感じられなかったからだ。ユーグが木桶を持ち上げ、アリセルは昨日使った布を手に取った。
無言のまま掃除を続けていく内に、床の石肌は、見違えるように清くなっていった。アリセルは濡れた布を絞り、ユーグの隣にしゃがみ込む。一人ではとてもここまで出来なかった。ユーグがいてくれて本当に助かったと、言葉にせず思っていると、目があった。
「お前、昨日一人でよく頑張ったな」
心の底から感心したように褒められて、アリセルの頬は思わず緩む。エプロンについた汚れを払い落としながら、立ち上がった。
「ちょっと休憩しよう。お腹すいてきちゃった」
「そうだな」
「ルネ様も一緒にお食事しませんか?」
アリセルはルネに声をかけた。だが返ってくるのは、棺の中のように深い沈黙だけだ。返事や反応を期待していたわけではない。まして、ルネが一緒に食事をするなどとは、思ってもいなかった。それでも言葉がごく自然に、零れ落ちたのだ。
編み籠から、布に包まれた白パンを取り出して、ルネの傍にそっと置く。更に小さな陶の壺を取り出し、蓋を外した。中に入っているのは、ハーブと蜂蜜を混ぜて煮たミルクだった。
「お口に合うかどうか分かりませんが、よろしければどうぞ」
ルネは何も言わず、身じろぎ一つしない。誰にも触れられぬ硝子の中にいるような、静けさだけが彼を包んでいた。
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