2.渦紋の謀略-2
ー/ー 皆が沈黙する中、メイシアの声が響く。
「そもそも、ハオリュウの罪状が『父と異母姉の殺害』というのが、おかしいんです。ハオリュウに罪を着せたいのなら、『異母姉と共謀して、父を殺した』にすべきでした」
「どういうこと……?」
母親の胸で泣いていたクーティエが顔を上げた。
どうやら、摂政の目的が『ハオリュウを亡き者にすること』ではないと、半信半疑ながらも、信じるほうに賭けてみることにしたらしい。かすれた声ではあるものの、目つきが変わっていた。
ルイフォンは口の端を上げ、「つまりさ」と、メイシアの言に続ける。
「メイシアは、ハオリュウに殺された『被害者』ってことになっているから、無罪を証言できる立場にある。これが、父親の殺害の片棒を担いだ『共犯者』にされちまっていたら、そうはいかなかった。共犯者の証言なんて、なんの信用もないからな」
「あ……! そうよね」
クーティエが、ぽんと手を叩く。
「だいたいさ。渓谷の事故では、メイシアの親父さんは『死亡』で、メイシアは『行方不明』なんだぜ? そして、摂政は、『メイシアが生きていて、恋人のもとにいる』ことを知っている」
ハオリュウは事故を発表したとき、『異母姉の遺体は発見されなかった』とした。本当は生きている異母姉を、完全に『死者』にしてしまうことに躊躇いがあったのだ。
そして、もしも、いつか。なんらかの事情で、異母姉が生き返りたくなったときの保険にと、『行方不明』という形を取った。
「婿養子の縁談を持ってきた父親は死亡して、姉は密かに平民の恋人と暮らし、弟は念願の当主の座に収まっている。――これはどう考えても、『姉弟が共謀して父親を殺し、それぞれ望みのものを手に入れた』と解釈するほうが、理に適っているんだよ」
クーティエだけでなく、顔つきの変わってきた皆に、ルイフォンは調子づき、熱弁を振るう。
「そんなわけで、さっきメイシアが言ったように、ハオリュウの罪状が『父と異母姉の殺害』というのは、明らかに不自然なんだ。『本気で有罪にする気はない』という、摂政の意図が読み取れる。だから、これは――」
ルイフォンの指先が、とんっ、と目の前のテーブルを叩いた。
そして、鋭いテノールが響き渡る。
「『話し合いのテーブルを用意したから、無罪を主張しに表に出てこい』という、摂政からメイシアへの召致なんだ」
部屋のあちこちから、緊張を孕んだ息遣いが聞こえた。
不穏に揺れる、ざわめきの中、「ちょっと待ってくれ」と、シャンリーが困惑の声を上げる。
「ルイフォンの説明は、よく分かったよ。だが、摂政殿下が、格下を相手に、対等な話し合いの場を設けるなんて、殊勝なことをするとは思えん。――罠じゃないのか?」
性別不詳でありながら、整った造作がしかめられる。その顔は、疑い深いというよりも、心配性のそれだ。
「無論、罠の可能性はある」
シャンリーには悪いが、気休めを言っても仕方がない。
「そんなっ!」
クーティエの悲鳴が木霊した。しかし、ルイフォンは動じることなく、にやりと口角を上げる。
「けど、俺たちが動かなければ、摂政は、ハオリュウを罪人として処刑するだけだ。だったら行くしかねぇだろ?」
「そ、それは、……そうだけど。で、でもっ!」
不安と戸惑いを綯い交ぜにして、押し黙るクーティエ。その反応に満足しつつ、ルイフォンは畳み掛ける。
「そんなに心配するな。摂政は、あらかじめ、ハオリュウを無罪にする方法を提示した。こういう手段を採るってことは、摂政は歩み寄りの姿勢を望んでいるはずだ――というのがメイシアの見解だ。メイシアの言葉なら、俺は信じる」
そこまで言ったとき、ルイフォンの鼻先に干した草の香が押し寄せた。
「歩み寄りですって!? 馬鹿を言わないでよ! 藤咲の屋敷に、いきなり近衛隊が押しかけてきたのよ!?」
波打つ黒髪をなびかせ、ミンウェイが迫る。
すっかり藤咲家の一員となった『うち』という言い回しが微笑ましいが、柳眉を吊り上げた彼女に軽口を叩くわけにもいくまい。ルイフォンは少々残念に思いながら、肩をすくめた。
「まぁ、歩み寄りといったって、王族目線でのことだ。ミンウェイが納得できなくても仕方ねぇよ。問題は、貴族だったメイシアが動くかどうか――だからな」
ルイフォンが促すように傍らを見やると、メイシアが、こくんと頷いた。
「警察隊ではなく、近衛隊が来たというのであれば、ハオリュウに対する配慮を感じます。ですから、私は先に述べた通り、摂政殿下の呼びかけに応じます」
凛とした、澄んだ声だった。
彼女の心は既に決まっているのだと、誰もが認めざるを得なかった。
しんと静まり返った応接室に、レイウェンの低音が落とされる。
「メイシアさんが、王宮に行く必要があることは分かるよ。――けれど、それで、解決するわけではないのは、ルイフォンとメイシアさんなら気づいているね?」
甘やかでありながら、ぞくりと身が震えるような、冷涼とした響き。
すっと下がった室温に、戸惑うように顔色を変えたのは、名指しされたルイフォンとメイシア『以外の』者たちだった。
当のふたりは、落ち着き払った面差しをレイウェンへと向ける。
「ああ。分かっているさ」
ルイフォンは好戦的に嗤った。
「摂政が手に入れたいのは、メイシアじゃないからな。だから、『話し合いのテーブルを用意した』なんだ」
彼の弁を受け、メイシアが続ける。
「摂政殿下は、私を交渉の相手にしたいのでしょう。――彼の目的は、セレイエさんと『ライシェン』です。ハオリュウの身柄と引き換えに、要求してくるものと思われます」
「その要求に、君たちは、どう応えるつもりだい?」
間髪を容れずのレイウェンの問いかけは、当然のものだ。ルイフォンは、ばつが悪そうに癖の強い前髪を掻き上げた。
「正直なところ、まだ策はない。何しろ、ハオリュウの逮捕を聞いたのは、ついさっきなんだ」
反論めいた愚痴を付け加えてしまったのは、痛いところを突かれたからだ。
負け惜しみのようだと思いつつ、「けど!」と、彼は言葉を重ねる。
「今回は、シュアンのときみたいに『秘密裏に助け出す』という選択肢はないんだ。――ハオリュウには、貴族の当主という立場がある。正々堂々と、表から解放されなければならない。つまり、摂政と正面から、やり合う必要があるってことだ」
ルイフォンはメイシアと視線を交わし、ふたりの決意を口にする。
「これから、作戦を模索する。けど、どんな策を採ったとしても、俺は『渓谷の事故のあと、メイシアを保護した経緯を説明する人間が必要だ』として、一緒に王宮に乗り込む。メイシアひとりで行かせたりはしない。俺たちは、『ふたり』で立ち向かう」
「なるほど。考えたね」
猛然と言い放つルイフォンに、レイウェンが穏やかに笑んだ。
「あら、そんな理由でルイフォンが同行できるなら、私は『渓谷から落ちたメイシアを診察した医者』としてついていくわ。事故が本当なら、当然、メイシアは怪我をしていたはずでしょう?」
本業は医者なのよ、とミンウェイが胸を張る。
「待て、ミンウェイ。俺は、摂政に認識されているんだ。だから、どんな口実でも、『鷹刀ルイフォン』が名乗りを上げれば、同行が許される」
「え? どういうこと?」
「摂政は、俺がメイシアの恋人であり、セレイエの異父弟だって、知っている。何より、摂政は以前、『鷹刀ルイフォンから『ライシェン』の居場所を聞き出せ』と、俺を名指しして、ハオリュウに命じたんだ」
「ああ、そうだったわね……?」
それが何か? とばかりに、ミンウェイは首をかしげる。
「ならば、摂政にとって、俺は『是非とも、会いたい相手』のはずだろ? でも、ミンウェイは……、正直に言って、摂政の眼中にない。――すまん」
「うっ……、そ、それはそうだと思うけど……、……酷いわ……」
ミンウェイは、不満げに口を曲げた。ちょっと悪かったかな、と思いつつ、ルイフォンは話を進める。
「まずは、鷹刀の屋敷に事態を伝え、情報収集の協力を要請する。息の掛かった者が、王宮に潜入しているはずだから、ハオリュウの状況も探ってもらおう。――シュアンのときのように、監視カメラを使えればよかったんだけど、今回は無理みたいだからさ」
貴族であるハオリュウは、シュアンとは違い、牢獄には入れられない。貴人としての配慮がなされ、プライバシーの保たれた王宮の一室に軟禁されているため、監視カメラを利用できないのだ。
そのとき、ユイランが口を開いた。
「女王陛下に、何か頼めないかしら? 少なくとも、王宮の様子くらいなら、教えてくれると思うの」
人懐っこい女王は、いつの間にか、リュイセンとだけでなく、ユイランとも頻繁にメッセージの遣り取りをするようになっていた。『あんな娘が欲しかった』という、ユイランの夢が叶うのか否かは不明だが、リュイセンが女王に渡した携帯端末は、なかなか良い仕事をしている。
ちなみに、女王は時々、ルイフォンにもメッセージをくれる。無邪気ではあっても無神経ではない彼女は、女装の件をさらりと流してくれたので、良好な関係を築くことができた。
数行ごとにリュイセンの名前が出てくる文面を送ってくるので、こちらからはリュイセンの黒歴史などを返してやっており、非常に喜ばれている。
「ああ、そうだな。あとで、アイリーと連絡を取る。それから、ヤンイェンも……かな」
それまで覇気に満ちていたテノールが、最後で沈んだ。自分で義兄の名を口にしておきながら顔を曇らせるなんて、様は無ぇなと、自嘲する。
ヤンイェンにはヤンイェンの事情があることは、百も承知している。しかし、どうにも態度のはっきりしない義兄は、単刀直入を良しとするルイフォンにとって、非常にやりにくい相手だった。
もっとも、ルイフォンの心情はさておいても、ヤンイェンの力を借りるのは難しそうに思われた。それというのも、ユイランとルイフォンが『仕立て屋とその助手』として会ったあと、ヤンイェンへの監視が更に強まったのだ。
ユイランは、セレイエとは不仲とされているが、やはり鷹刀一族。彼女と接触したからには、行動の自由を制限すべき、と摂政は考えたのだろう。現在、ヤンイェンは『体調を崩した』という名目で、自分の屋敷に幽閉同然の扱いで閉じ込められている。
ルイフォンがメッセージを送っても、返事が来るのは、よくて三日後だ。『極めて健康であるのだが、医師が張り付いていて、なかなか返信できない』ということだ。
どうにかして監視の目をかいくぐる手段はないものかと、ヤンイェンの屋敷の情報を集めてみれば、主治医の診療記録が出てきた。療養中の症状がぶり返したとかで、高熱が続いていることになっている。無論、偽造だろう。わざわざ書類を作らされる医者も、御苦労なことである。
「ともかく、情報収集だな。皆、いろいろと協力を頼む」
ルイフォンがそう言うと、メイシアがミンウェイに向かって頭を下げた。
「ミンウェイさん。私が『生き返る』と、藤咲家も慌ただしくなると思います。緋扇さんや執事に、よろしくお願いしますと、お伝えください」
「分かったわ。……でも、メイシアが『生き返る』と、今までと、どう変わるの?」
ミンウェイとしては、軽い気持ちで尋ねたのだろう。しかし、その瞬間、メイシアの顔が、ぎくりと強張った。そして、その表情を音で表したような、硬質な声が響く。
「貴族としての、あるべき生活に戻ります」
「えっ……と? 具体的には?」
雰囲気の一変したメイシアに、ミンウェイは戸惑い、小首をかしげた。
「そう……ですね。当主の異母姉として、ハオリュウを傍で支えます。あの子が、ひとりでこなしていた社交も、私で代理がきくものもあるはずなので、少しは楽をさせてあげることができると思います」
「ちょっ!? それって、メイシアは藤咲の屋敷に戻ってきて、貴族として生きる、ってことよね? ……え? 待って、ルイフォンとは、どうなるの!?」
「互いに交わることのない、本来の道を歩むことになります。――勿論、こっそり逢うことはできますから、その……」
「なんですってぇ!?」
柳眉の吊り上がっていくミンウェイに、メイシアの声が掻き消される。
「駄目よ! あなたたちは、一緒にいなきゃ!」
そのとき――。
「ミンウェイ、やめろ!」
ルイフォンが鋭く叫んだ。
「メイシアは腹を括ったんだ。――すべてを理解した上で、な」
ここでミンウェイを睨みつければ、それは八つ当たりだ。
だから、彼は目を伏せた。怒気を抑え、低く唸るように告げる。
「『平民の恋人と暮らしていた、貴族令嬢』が、元の世界に戻ったとき、上流階級の奴らは蔑み、嘲りの目で見るだろう」
ルイフォンはメイシアの肩を抱き寄せた。黒絹の髪に指を滑らせ、くしゃりと撫でる。
「ハオリュウに『傷物の異母姉を妻にしてやる』と、恩着せがましく言い寄り、内心では、後ろ盾のない年少のハオリュウを操って、藤咲家の実権を握ってやろうと企む輩も出てくるはずだ」
「な……、何……それ……?」
ミンウェイが唇をわななかせ、言葉にならない憤りを持て余す。
当然だろう。ルイフォンだって、これからメイシアが屈辱を味わうのだと思うと、腸が煮えくり返る。
だから――。
「心配するな」
金の鈴を煌めかせ、覇気に満ちた顔で宣言する。
「俺が頃合いを見て、メイシアをさらいに藤咲家に行く」
メイシアは離れ離れの覚悟を決めていたようだが、そんな覚悟は必要ない。
正々堂々と、我儘に。自分たちらしく生きるのだ。
「藤咲家にも貴族の体面ってもんがあるだろうから、今すぐに、ってわけにはいかねぇ。けど、あと数年もすれば、世間が何を言おうとも、どこ吹く風でいられる藤咲家が出来上がっているはずだ。ハオリュウが当主なんだからな。――そうなりゃ、何も問題ねぇだろ?」
「ルイフォン!?」
鈴を振るようなメイシアの声が、高く裏返った。黒曜石の瞳が大きく見開かれ、やがて透明な涙で潤んでいく。
「初心に帰って、駆け落ちしようぜ」
今となっては懐かしい出来ごとだが、ふたりの想いが通じ合った直後には、そんな話もあったのだ。
「メイシアはずっと、家のことをハオリュウに任せきりにしたって、気にしていただろ? だから、ちょうどいい機会だと思って、しばらく手伝ってこいよ」
「ルイフォン、ありがとう……!」
恥ずかしがり屋のメイシアが、周りを気にすることなく、ルイフォンの胸に飛び込んだ。その背に腕を回し、彼は高らかに告げる。
「それじゃ、行動開始だ!」
ルイフォンの宣戦布告で、この場はお開きとなった。
「そもそも、ハオリュウの罪状が『父と異母姉の殺害』というのが、おかしいんです。ハオリュウに罪を着せたいのなら、『異母姉と共謀して、父を殺した』にすべきでした」
「どういうこと……?」
母親の胸で泣いていたクーティエが顔を上げた。
どうやら、摂政の目的が『ハオリュウを亡き者にすること』ではないと、半信半疑ながらも、信じるほうに賭けてみることにしたらしい。かすれた声ではあるものの、目つきが変わっていた。
ルイフォンは口の端を上げ、「つまりさ」と、メイシアの言に続ける。
「メイシアは、ハオリュウに殺された『被害者』ってことになっているから、無罪を証言できる立場にある。これが、父親の殺害の片棒を担いだ『共犯者』にされちまっていたら、そうはいかなかった。共犯者の証言なんて、なんの信用もないからな」
「あ……! そうよね」
クーティエが、ぽんと手を叩く。
「だいたいさ。渓谷の事故では、メイシアの親父さんは『死亡』で、メイシアは『行方不明』なんだぜ? そして、摂政は、『メイシアが生きていて、恋人のもとにいる』ことを知っている」
ハオリュウは事故を発表したとき、『異母姉の遺体は発見されなかった』とした。本当は生きている異母姉を、完全に『死者』にしてしまうことに躊躇いがあったのだ。
そして、もしも、いつか。なんらかの事情で、異母姉が生き返りたくなったときの保険にと、『行方不明』という形を取った。
「婿養子の縁談を持ってきた父親は死亡して、姉は密かに平民の恋人と暮らし、弟は念願の当主の座に収まっている。――これはどう考えても、『姉弟が共謀して父親を殺し、それぞれ望みのものを手に入れた』と解釈するほうが、理に適っているんだよ」
クーティエだけでなく、顔つきの変わってきた皆に、ルイフォンは調子づき、熱弁を振るう。
「そんなわけで、さっきメイシアが言ったように、ハオリュウの罪状が『父と異母姉の殺害』というのは、明らかに不自然なんだ。『本気で有罪にする気はない』という、摂政の意図が読み取れる。だから、これは――」
ルイフォンの指先が、とんっ、と目の前のテーブルを叩いた。
そして、鋭いテノールが響き渡る。
「『話し合いのテーブルを用意したから、無罪を主張しに表に出てこい』という、摂政からメイシアへの召致なんだ」
部屋のあちこちから、緊張を孕んだ息遣いが聞こえた。
不穏に揺れる、ざわめきの中、「ちょっと待ってくれ」と、シャンリーが困惑の声を上げる。
「ルイフォンの説明は、よく分かったよ。だが、摂政殿下が、格下を相手に、対等な話し合いの場を設けるなんて、殊勝なことをするとは思えん。――罠じゃないのか?」
性別不詳でありながら、整った造作がしかめられる。その顔は、疑い深いというよりも、心配性のそれだ。
「無論、罠の可能性はある」
シャンリーには悪いが、気休めを言っても仕方がない。
「そんなっ!」
クーティエの悲鳴が木霊した。しかし、ルイフォンは動じることなく、にやりと口角を上げる。
「けど、俺たちが動かなければ、摂政は、ハオリュウを罪人として処刑するだけだ。だったら行くしかねぇだろ?」
「そ、それは、……そうだけど。で、でもっ!」
不安と戸惑いを綯い交ぜにして、押し黙るクーティエ。その反応に満足しつつ、ルイフォンは畳み掛ける。
「そんなに心配するな。摂政は、あらかじめ、ハオリュウを無罪にする方法を提示した。こういう手段を採るってことは、摂政は歩み寄りの姿勢を望んでいるはずだ――というのがメイシアの見解だ。メイシアの言葉なら、俺は信じる」
そこまで言ったとき、ルイフォンの鼻先に干した草の香が押し寄せた。
「歩み寄りですって!? 馬鹿を言わないでよ! 藤咲の屋敷に、いきなり近衛隊が押しかけてきたのよ!?」
波打つ黒髪をなびかせ、ミンウェイが迫る。
すっかり藤咲家の一員となった『うち』という言い回しが微笑ましいが、柳眉を吊り上げた彼女に軽口を叩くわけにもいくまい。ルイフォンは少々残念に思いながら、肩をすくめた。
「まぁ、歩み寄りといったって、王族目線でのことだ。ミンウェイが納得できなくても仕方ねぇよ。問題は、貴族だったメイシアが動くかどうか――だからな」
ルイフォンが促すように傍らを見やると、メイシアが、こくんと頷いた。
「警察隊ではなく、近衛隊が来たというのであれば、ハオリュウに対する配慮を感じます。ですから、私は先に述べた通り、摂政殿下の呼びかけに応じます」
凛とした、澄んだ声だった。
彼女の心は既に決まっているのだと、誰もが認めざるを得なかった。
しんと静まり返った応接室に、レイウェンの低音が落とされる。
「メイシアさんが、王宮に行く必要があることは分かるよ。――けれど、それで、解決するわけではないのは、ルイフォンとメイシアさんなら気づいているね?」
甘やかでありながら、ぞくりと身が震えるような、冷涼とした響き。
すっと下がった室温に、戸惑うように顔色を変えたのは、名指しされたルイフォンとメイシア『以外の』者たちだった。
当のふたりは、落ち着き払った面差しをレイウェンへと向ける。
「ああ。分かっているさ」
ルイフォンは好戦的に嗤った。
「摂政が手に入れたいのは、メイシアじゃないからな。だから、『話し合いのテーブルを用意した』なんだ」
彼の弁を受け、メイシアが続ける。
「摂政殿下は、私を交渉の相手にしたいのでしょう。――彼の目的は、セレイエさんと『ライシェン』です。ハオリュウの身柄と引き換えに、要求してくるものと思われます」
「その要求に、君たちは、どう応えるつもりだい?」
間髪を容れずのレイウェンの問いかけは、当然のものだ。ルイフォンは、ばつが悪そうに癖の強い前髪を掻き上げた。
「正直なところ、まだ策はない。何しろ、ハオリュウの逮捕を聞いたのは、ついさっきなんだ」
反論めいた愚痴を付け加えてしまったのは、痛いところを突かれたからだ。
負け惜しみのようだと思いつつ、「けど!」と、彼は言葉を重ねる。
「今回は、シュアンのときみたいに『秘密裏に助け出す』という選択肢はないんだ。――ハオリュウには、貴族の当主という立場がある。正々堂々と、表から解放されなければならない。つまり、摂政と正面から、やり合う必要があるってことだ」
ルイフォンはメイシアと視線を交わし、ふたりの決意を口にする。
「これから、作戦を模索する。けど、どんな策を採ったとしても、俺は『渓谷の事故のあと、メイシアを保護した経緯を説明する人間が必要だ』として、一緒に王宮に乗り込む。メイシアひとりで行かせたりはしない。俺たちは、『ふたり』で立ち向かう」
「なるほど。考えたね」
猛然と言い放つルイフォンに、レイウェンが穏やかに笑んだ。
「あら、そんな理由でルイフォンが同行できるなら、私は『渓谷から落ちたメイシアを診察した医者』としてついていくわ。事故が本当なら、当然、メイシアは怪我をしていたはずでしょう?」
本業は医者なのよ、とミンウェイが胸を張る。
「待て、ミンウェイ。俺は、摂政に認識されているんだ。だから、どんな口実でも、『鷹刀ルイフォン』が名乗りを上げれば、同行が許される」
「え? どういうこと?」
「摂政は、俺がメイシアの恋人であり、セレイエの異父弟だって、知っている。何より、摂政は以前、『鷹刀ルイフォンから『ライシェン』の居場所を聞き出せ』と、俺を名指しして、ハオリュウに命じたんだ」
「ああ、そうだったわね……?」
それが何か? とばかりに、ミンウェイは首をかしげる。
「ならば、摂政にとって、俺は『是非とも、会いたい相手』のはずだろ? でも、ミンウェイは……、正直に言って、摂政の眼中にない。――すまん」
「うっ……、そ、それはそうだと思うけど……、……酷いわ……」
ミンウェイは、不満げに口を曲げた。ちょっと悪かったかな、と思いつつ、ルイフォンは話を進める。
「まずは、鷹刀の屋敷に事態を伝え、情報収集の協力を要請する。息の掛かった者が、王宮に潜入しているはずだから、ハオリュウの状況も探ってもらおう。――シュアンのときのように、監視カメラを使えればよかったんだけど、今回は無理みたいだからさ」
貴族であるハオリュウは、シュアンとは違い、牢獄には入れられない。貴人としての配慮がなされ、プライバシーの保たれた王宮の一室に軟禁されているため、監視カメラを利用できないのだ。
そのとき、ユイランが口を開いた。
「女王陛下に、何か頼めないかしら? 少なくとも、王宮の様子くらいなら、教えてくれると思うの」
人懐っこい女王は、いつの間にか、リュイセンとだけでなく、ユイランとも頻繁にメッセージの遣り取りをするようになっていた。『あんな娘が欲しかった』という、ユイランの夢が叶うのか否かは不明だが、リュイセンが女王に渡した携帯端末は、なかなか良い仕事をしている。
ちなみに、女王は時々、ルイフォンにもメッセージをくれる。無邪気ではあっても無神経ではない彼女は、女装の件をさらりと流してくれたので、良好な関係を築くことができた。
数行ごとにリュイセンの名前が出てくる文面を送ってくるので、こちらからはリュイセンの黒歴史などを返してやっており、非常に喜ばれている。
「ああ、そうだな。あとで、アイリーと連絡を取る。それから、ヤンイェンも……かな」
それまで覇気に満ちていたテノールが、最後で沈んだ。自分で義兄の名を口にしておきながら顔を曇らせるなんて、様は無ぇなと、自嘲する。
ヤンイェンにはヤンイェンの事情があることは、百も承知している。しかし、どうにも態度のはっきりしない義兄は、単刀直入を良しとするルイフォンにとって、非常にやりにくい相手だった。
もっとも、ルイフォンの心情はさておいても、ヤンイェンの力を借りるのは難しそうに思われた。それというのも、ユイランとルイフォンが『仕立て屋とその助手』として会ったあと、ヤンイェンへの監視が更に強まったのだ。
ユイランは、セレイエとは不仲とされているが、やはり鷹刀一族。彼女と接触したからには、行動の自由を制限すべき、と摂政は考えたのだろう。現在、ヤンイェンは『体調を崩した』という名目で、自分の屋敷に幽閉同然の扱いで閉じ込められている。
ルイフォンがメッセージを送っても、返事が来るのは、よくて三日後だ。『極めて健康であるのだが、医師が張り付いていて、なかなか返信できない』ということだ。
どうにかして監視の目をかいくぐる手段はないものかと、ヤンイェンの屋敷の情報を集めてみれば、主治医の診療記録が出てきた。療養中の症状がぶり返したとかで、高熱が続いていることになっている。無論、偽造だろう。わざわざ書類を作らされる医者も、御苦労なことである。
「ともかく、情報収集だな。皆、いろいろと協力を頼む」
ルイフォンがそう言うと、メイシアがミンウェイに向かって頭を下げた。
「ミンウェイさん。私が『生き返る』と、藤咲家も慌ただしくなると思います。緋扇さんや執事に、よろしくお願いしますと、お伝えください」
「分かったわ。……でも、メイシアが『生き返る』と、今までと、どう変わるの?」
ミンウェイとしては、軽い気持ちで尋ねたのだろう。しかし、その瞬間、メイシアの顔が、ぎくりと強張った。そして、その表情を音で表したような、硬質な声が響く。
「貴族としての、あるべき生活に戻ります」
「えっ……と? 具体的には?」
雰囲気の一変したメイシアに、ミンウェイは戸惑い、小首をかしげた。
「そう……ですね。当主の異母姉として、ハオリュウを傍で支えます。あの子が、ひとりでこなしていた社交も、私で代理がきくものもあるはずなので、少しは楽をさせてあげることができると思います」
「ちょっ!? それって、メイシアは藤咲の屋敷に戻ってきて、貴族として生きる、ってことよね? ……え? 待って、ルイフォンとは、どうなるの!?」
「互いに交わることのない、本来の道を歩むことになります。――勿論、こっそり逢うことはできますから、その……」
「なんですってぇ!?」
柳眉の吊り上がっていくミンウェイに、メイシアの声が掻き消される。
「駄目よ! あなたたちは、一緒にいなきゃ!」
そのとき――。
「ミンウェイ、やめろ!」
ルイフォンが鋭く叫んだ。
「メイシアは腹を括ったんだ。――すべてを理解した上で、な」
ここでミンウェイを睨みつければ、それは八つ当たりだ。
だから、彼は目を伏せた。怒気を抑え、低く唸るように告げる。
「『平民の恋人と暮らしていた、貴族令嬢』が、元の世界に戻ったとき、上流階級の奴らは蔑み、嘲りの目で見るだろう」
ルイフォンはメイシアの肩を抱き寄せた。黒絹の髪に指を滑らせ、くしゃりと撫でる。
「ハオリュウに『傷物の異母姉を妻にしてやる』と、恩着せがましく言い寄り、内心では、後ろ盾のない年少のハオリュウを操って、藤咲家の実権を握ってやろうと企む輩も出てくるはずだ」
「な……、何……それ……?」
ミンウェイが唇をわななかせ、言葉にならない憤りを持て余す。
当然だろう。ルイフォンだって、これからメイシアが屈辱を味わうのだと思うと、腸が煮えくり返る。
だから――。
「心配するな」
金の鈴を煌めかせ、覇気に満ちた顔で宣言する。
「俺が頃合いを見て、メイシアをさらいに藤咲家に行く」
メイシアは離れ離れの覚悟を決めていたようだが、そんな覚悟は必要ない。
正々堂々と、我儘に。自分たちらしく生きるのだ。
「藤咲家にも貴族の体面ってもんがあるだろうから、今すぐに、ってわけにはいかねぇ。けど、あと数年もすれば、世間が何を言おうとも、どこ吹く風でいられる藤咲家が出来上がっているはずだ。ハオリュウが当主なんだからな。――そうなりゃ、何も問題ねぇだろ?」
「ルイフォン!?」
鈴を振るようなメイシアの声が、高く裏返った。黒曜石の瞳が大きく見開かれ、やがて透明な涙で潤んでいく。
「初心に帰って、駆け落ちしようぜ」
今となっては懐かしい出来ごとだが、ふたりの想いが通じ合った直後には、そんな話もあったのだ。
「メイシアはずっと、家のことをハオリュウに任せきりにしたって、気にしていただろ? だから、ちょうどいい機会だと思って、しばらく手伝ってこいよ」
「ルイフォン、ありがとう……!」
恥ずかしがり屋のメイシアが、周りを気にすることなく、ルイフォンの胸に飛び込んだ。その背に腕を回し、彼は高らかに告げる。
「それじゃ、行動開始だ!」
ルイフォンの宣戦布告で、この場はお開きとなった。
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