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口裂け 9

ー/ー



 黒い怪物と、口裂け女のキス。

 牙と牙がガチャガチャと音を立てて触れ合い、互いの唾液が混ざり合う。

 口裂け女の喉に、亘(わたる)の舌が入り込む。牙の間を縫って進む。

 舌は長く、鋭く、そしてとても速かった。

 それは狩人の槍撃の如く、後頭部を貫通した。



 口裂け女の身体から力が抜け、次第に身体が薄れて消えていった。消えかけの瞬間、肉体が複数に分離するのが見えた。

 亘の融合状態は解除され、普通の人間の少年の姿に戻っていた。背中を刺された傷は、すっかり元通りだ。そして、その視線は、口裂け女がいた場所に向いている。

「霊体の分離⋯⋯やっぱり混合霊か」

 と呟く亘に、霊禍(れいか)が近づく。

「『やっぱり混合霊か』じゃねーんだよ。なんだ、キス作戦って。バカヤロ」

「ハサミを生成できると分かった時点で、何本も作るのは警戒していた。そこそこ賢い幽霊のようだったし、意表を突くには身体の内側から攻めるしかないかな、と思って」

「思ってから行動するまでの躊躇(ちゅうちょ)ってモンはねーの?」

 亘は黙り込んだ。躊躇とか、そういうことを問われると困る。なんとなく霊禍の顔が赤い理由もよくわからない。

「⋯⋯まぁ、勝てたからいいけど。」

 そう口にする霊禍の腕からは、血が流れ出ていた。突撃してからの着地でついた傷だろう、と亘は推察した。

 そして、その傷はオーラに包まれ、たちまち回復した。

 これが、不死鳥の力の本質。

 霊禍本人に限り、その身体の傷や病気を回復できる、というものだ。

 人知を超えた力だが、霊禍にとっては、歩きながら行える片手間の作業らしい。亘は霊禍の後を追い、河川敷の坂の上に移動した。

 そこには、呪物を埋めていた男が寝そべっていた。戦いは終わったというのに、未だに気絶している。

「オッサン、起きろ」

 霊禍に軽く蹴られて、男は目を覚ました。

「ぅあっ⋯⋯ごめ⋯⋯ごめんなさい⋯⋯」

 男は身を(よじ)り、後方へじりじりと下がっていく。

「なんであんな化け物を召喚しようと思ったの?」

「昔⋯⋯会ったんです⋯⋯口裂け女⋯⋯」

「もう一回会いたくなった?」

 男はコクリと頷いた。

「あっそ⋯⋯じゃあ、あの呪物を誰から受け取ったかも教えろ」

「ぁあ⋯⋯分かんないです⋯⋯ごめんなさい⋯⋯」

 男は過呼吸になりながら、じっと霊禍の方を見ている。

「オッサン⋯⋯泣いてんの?」

 頬をベタベタに濡らしながら、息を殺し、何も答えない。情けを乞うような視線だけが霊禍に刺さる。

「泣きてぇのはテメーにブッ殺された動物の方だろうが! とっとと答えろクソジジイ!」

 男の瞳が小刻みに揺れ、汗と涙が滝のように噴き出した。もはや霊禍の姿を見ることも辛いのか、うつ伏せになってしまう。

「女の人⋯⋯女の人です⋯⋯これ以上は⋯⋯ほんとに⋯⋯⋯⋯」

 ボソボソとそう言い残し、男はまた気絶した。

 霊禍は舌打ちした。

「女の人だぁ? 亘、心当たりあるか?」

「まったく」

「だよな⋯⋯」

 霊禍はしばらく黙った。

「ひとまず、このオッサンはいいや。そこのベンチに置いておこう」

「いいの? まだ何か知ってるかも」

「この様子じゃあなんも知らねーっぽいな。ウソはついてなかったし。」

 霊禍は超感覚を用いて心臓の鼓動音を聞くことで、嘘をついているかどうかを判別できる。

「残りの呪物も、一度口裂け女を殺しちまえば機能しない。もうコイツを追う意味は薄くなった」

 二人は男をベンチに寝かせ、川沿いの道を歩き始めた。

「ったく⋯⋯バカなジジイだ。口裂け女にもう一回会いたかったとか、意味わかんねーし。死んだやつは幽霊だろうと二度と蘇らねーっての」

 亘は黙っていた。

「どうした?」

「いや、別に」

 霊禍の判断や発言に、特に異論があるわけではなかった。

 だが、同時に、違和感があった。今まで対決してきた数多(あまた)の幽霊や霊能力者とは一線を画す複雑な因果が、この事件に絡みついているように思えた。

 この男と過去に出会った口裂け女、呪物を渡したという謎の女、そして何より、この男にここまでの行動を起こさせた情念の正体。

 今の二人には、何もわからない。

 しかし、この事件の裏に渦巻く陰謀に、これから二人は巻き込まれていくことになるのだった。



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 黒い怪物と、口裂け女のキス。
 牙と牙がガチャガチャと音を立てて触れ合い、互いの唾液が混ざり合う。
 口裂け女の喉に、亘《わたる》の舌が入り込む。牙の間を縫って進む。
 舌は長く、鋭く、そしてとても速かった。
 それは狩人の槍撃の如く、後頭部を貫通した。
 口裂け女の身体から力が抜け、次第に身体が薄れて消えていった。消えかけの瞬間、肉体が複数に分離するのが見えた。
 亘の融合状態は解除され、普通の人間の少年の姿に戻っていた。背中を刺された傷は、すっかり元通りだ。そして、その視線は、口裂け女がいた場所に向いている。
「霊体の分離⋯⋯やっぱり混合霊か」
 と呟く亘に、霊禍《れいか》が近づく。
「『やっぱり混合霊か』じゃねーんだよ。なんだ、キス作戦って。バカヤロ」
「ハサミを生成できると分かった時点で、何本も作るのは警戒していた。そこそこ賢い幽霊のようだったし、意表を突くには身体の内側から攻めるしかないかな、と思って」
「思ってから行動するまでの躊躇《ちゅうちょ》ってモンはねーの?」
 亘は黙り込んだ。躊躇とか、そういうことを問われると困る。なんとなく霊禍の顔が赤い理由もよくわからない。
「⋯⋯まぁ、勝てたからいいけど。」
 そう口にする霊禍の腕からは、血が流れ出ていた。突撃してからの着地でついた傷だろう、と亘は推察した。
 そして、その傷はオーラに包まれ、たちまち回復した。
 これが、不死鳥の力の本質。
 霊禍本人に限り、その身体の傷や病気を回復できる、というものだ。
 人知を超えた力だが、霊禍にとっては、歩きながら行える片手間の作業らしい。亘は霊禍の後を追い、河川敷の坂の上に移動した。
 そこには、呪物を埋めていた男が寝そべっていた。戦いは終わったというのに、未だに気絶している。
「オッサン、起きろ」
 霊禍に軽く蹴られて、男は目を覚ました。
「ぅあっ⋯⋯ごめ⋯⋯ごめんなさい⋯⋯」
 男は身を捩《よじ》り、後方へじりじりと下がっていく。
「なんであんな化け物を召喚しようと思ったの?」
「昔⋯⋯会ったんです⋯⋯口裂け女⋯⋯」
「もう一回会いたくなった?」
 男はコクリと頷いた。
「あっそ⋯⋯じゃあ、あの呪物を誰から受け取ったかも教えろ」
「ぁあ⋯⋯分かんないです⋯⋯ごめんなさい⋯⋯」
 男は過呼吸になりながら、じっと霊禍の方を見ている。
「オッサン⋯⋯泣いてんの?」
 頬をベタベタに濡らしながら、息を殺し、何も答えない。情けを乞うような視線だけが霊禍に刺さる。
「泣きてぇのはテメーにブッ殺された動物の方だろうが! とっとと答えろクソジジイ!」
 男の瞳が小刻みに揺れ、汗と涙が滝のように噴き出した。もはや霊禍の姿を見ることも辛いのか、うつ伏せになってしまう。
「女の人⋯⋯女の人です⋯⋯これ以上は⋯⋯ほんとに⋯⋯⋯⋯」
 ボソボソとそう言い残し、男はまた気絶した。
 霊禍は舌打ちした。
「女の人だぁ? 亘、心当たりあるか?」
「まったく」
「だよな⋯⋯」
 霊禍はしばらく黙った。
「ひとまず、このオッサンはいいや。そこのベンチに置いておこう」
「いいの? まだ何か知ってるかも」
「この様子じゃあなんも知らねーっぽいな。ウソはついてなかったし。」
 霊禍は超感覚を用いて心臓の鼓動音を聞くことで、嘘をついているかどうかを判別できる。
「残りの呪物も、一度口裂け女を殺しちまえば機能しない。もうコイツを追う意味は薄くなった」
 二人は男をベンチに寝かせ、川沿いの道を歩き始めた。
「ったく⋯⋯バカなジジイだ。口裂け女にもう一回会いたかったとか、意味わかんねーし。死んだやつは幽霊だろうと二度と蘇らねーっての」
 亘は黙っていた。
「どうした?」
「いや、別に」
 霊禍の判断や発言に、特に異論があるわけではなかった。
 だが、同時に、違和感があった。今まで対決してきた数多《あまた》の幽霊や霊能力者とは一線を画す複雑な因果が、この事件に絡みついているように思えた。
 この男と過去に出会った口裂け女、呪物を渡したという謎の女、そして何より、この男にここまでの行動を起こさせた情念の正体。
 今の二人には、何もわからない。
 しかし、この事件の裏に渦巻く陰謀に、これから二人は巻き込まれていくことになるのだった。