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口裂け 8

ー/ー



 夕日が差している。

 グレイヴの霊体が、糸のように解け、亘(わたる)の肉体に結びついてゆく。

 肉体は徐々に巨大化していき、黒く変色していく。

 その容貌は、あまりにもアンバランスだった。

 細長い胴体、犬のような頭部に鋭い牙、そしてもっとも目を引くのが、異常なまでに長い四肢。

 見る者にある種の諦念すら抱かせる、全長三メートルほどの怪物。何の変哲もない少年だった亘は、そんな(おぞ)ましい存在へと変貌を遂げた。

 対する口裂け女は、霊禍(れいか)の一撃など無かったかのように、平気そうに直立していた。右手にはハサミ。広い口の中には鋭い牙が見える。

「ひとまず任せた。私はオッサンを運んどく」

 霊禍にそう言われ、亘は男が気絶していることに気づいた。しかしすぐに視線を前方に向け直す。

 黒色(こくしょく)の長身が地を蹴り、山なりに跳ぶ。重力加速度の乗った鋭い一撃が、口裂け女を押しつぶそうとした。

 しかし、口裂け女は、手元のハサミ一つでそれを止めた。地面はひび割れたが、相手は無傷。

 亘の脳内に焦りがないわけではなかった。融合体の一撃が効かなかったことなど、今まで一度もなかったのだから。

 それでも亘は攻撃を()めない。顔面にパンチ。姿勢を(わず)かに崩す。少しは効いたか、と思うが、自分の拳の方にも、口裂け女の牙による傷が生じていた。

 トレンチコートが揺れる。口裂け女に高速で背後に回り込まれたが、強化された動体視力でなんとか認識できた。

 ハサミでの突きを、すんでのところで受け止める。攻撃の重みがズシリと腕に響くも、どうにか相手の手を殴り、ハサミを遠くへ飛ばす。

 武器を手放させ、優位に立ったと思ったのも(つか)()、口裂け女の手には新しいハサミが握られていた。

 きっと、何本でも新しく生成できるのだろう、と諦める。そうである以上、そういう前提で戦うしかない。

 一旦、距離を取る。

 面倒な相手だ。



 亘には時間が無かった。

 。ここで倒しきれなければ、勝機は薄くなる。

 残り、三十秒。

「オッサンは逃がし終えた。一緒に攻めるぞ」

 気づくと、隣に霊禍が居た。

「策がある。数秒でいいから動きを止めてくれ」

「おう」

 この二人に、それ以上の言葉は必要なかった。

 霊禍の周囲に、紫炎(しえん)が発生した。そのオーラは次第に大きくなり、背中に翼のような形を作り出した。

 不死鳥(フェニックス)の名を冠する悪魔が、霊禍に与えた力。それがこのオーラだ。

 亘にも詳しいことは分からないが、過去の事件の影響で、この力を扱えるようになったらしい。

 そのオーラは変幻自在。形・密度・質量に至るまで、幅広く変更できる。

 その翼が、空を切った。

 ただ一直線に、最高速度で突っ切る。

 口裂け女は身体をねじり、ハサミを構えている。

 霊禍は流星の如く突撃し、口裂け女がそれを迎え撃つ。

 ⋯⋯はずだった。

 結果は、素通り。

 霊禍は口裂け女の真横を通り過ぎただけで、衝突は起きなかった。

 ただ一つ、触れたものは──オーラの翼部分。

 そして、その付着部には、葡萄色の炎が付着し、後方へと伸びている。

 口裂け女がその意味を理解した時には、すでに地面へと倒れていた。

 最高速度の霊禍が、オーラをロープのように伸ばして、口裂け女を引っ張る。

 いくらタフな口裂け女といえども、その圧倒的なスピードには耐えることができなかった。

 そして姿勢を崩した口裂け女に、亘は重い一撃を放とうと前進している。

 ──しかし、霊禍は目撃していた。

 すれ違うほんの刹那、トレンチコートの隙間から見えた彼女の肌。

 口裂け女の体表に、ハサミが鱗のように敷き詰められているのを。

「亘! そいつは──」

 停止した霊禍がそう叫んだ時には、もう遅かった。
 
 亘はもう既に、口裂け女の眼前にまで迫っていた。

 このまま攻撃すれば──刃に自分から突っ込むことになる。いくら怪物と化している亘といえど、あの威力のハサミに突っ込めば無事では済まない。

 霊禍の脳裏には、最悪のパターンが浮かんでいた。攻撃が通らず、そのまま時間切れになって、亘が殺されてしまう光景。

 だが同時に、霊禍には分かっていた。

 墓山亘が、この程度のことを想定していない(はず)がない。



 亘の鋭い牙が、口裂け女に迫る。

 その牙は、頭部に照準を定め、確実に、近づく。

 口裂け女の、裂けた口元に迫り、

 優しいキスをした。


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 夕日が差している。
 グレイヴの霊体が、糸のように解け、亘《わたる》の肉体に結びついてゆく。
 肉体は徐々に巨大化していき、黒く変色していく。
 その容貌は、あまりにもアンバランスだった。
 細長い胴体、犬のような頭部に鋭い牙、そしてもっとも目を引くのが、異常なまでに長い四肢。
 見る者にある種の諦念すら抱かせる、全長三メートルほどの怪物。何の変哲もない少年だった亘は、そんな悍《おぞ》ましい存在へと変貌を遂げた。
 対する口裂け女は、霊禍《れいか》の一撃など無かったかのように、平気そうに直立していた。右手にはハサミ。広い口の中には鋭い牙が見える。
「ひとまず任せた。私はオッサンを運んどく」
 霊禍にそう言われ、亘は男が気絶していることに気づいた。しかしすぐに視線を前方に向け直す。
 黒色《こくしょく》の長身が地を蹴り、山なりに跳ぶ。重力加速度の乗った鋭い一撃が、口裂け女を押しつぶそうとした。
 しかし、口裂け女は、手元のハサミ一つでそれを止めた。地面はひび割れたが、相手は無傷。
 亘の脳内に焦りがないわけではなかった。融合体の一撃が効かなかったことなど、今まで一度もなかったのだから。
 それでも亘は攻撃を止《と》めない。顔面にパンチ。姿勢を僅《わず》かに崩す。少しは効いたか、と思うが、自分の拳の方にも、口裂け女の牙による傷が生じていた。
 トレンチコートが揺れる。口裂け女に高速で背後に回り込まれたが、強化された動体視力でなんとか認識できた。
 ハサミでの突きを、すんでのところで受け止める。攻撃の重みがズシリと腕に響くも、どうにか相手の手を殴り、ハサミを遠くへ飛ばす。
 武器を手放させ、優位に立ったと思ったのも束《つか》の間《ま》、口裂け女の手には新しいハサミが握られていた。
 きっと、何本でも新しく生成できるのだろう、と諦める。そうである以上、そういう前提で戦うしかない。
 一旦、距離を取る。
 面倒な相手だ。
 亘には時間が無かった。
 《《グレイヴとの融合は》》、《《一日三分限定の大技》》。ここで倒しきれなければ、勝機は薄くなる。
 残り、三十秒。
「オッサンは逃がし終えた。一緒に攻めるぞ」
 気づくと、隣に霊禍が居た。
「策がある。数秒でいいから動きを止めてくれ」
「おう」
 この二人に、それ以上の言葉は必要なかった。
 霊禍の周囲に、紫炎《しえん》が発生した。そのオーラは次第に大きくなり、背中に翼のような形を作り出した。
 不死鳥《フェニックス》の名を冠する悪魔が、霊禍に与えた力。それがこのオーラだ。
 亘にも詳しいことは分からないが、過去の事件の影響で、この力を扱えるようになったらしい。
 そのオーラは変幻自在。形・密度・質量に至るまで、幅広く変更できる。
 その翼が、空を切った。
 ただ一直線に、最高速度で突っ切る。
 口裂け女は身体をねじり、ハサミを構えている。
 霊禍は流星の如く突撃し、口裂け女がそれを迎え撃つ。
 ⋯⋯はずだった。
 結果は、素通り。
 霊禍は口裂け女の真横を通り過ぎただけで、衝突は起きなかった。
 ただ一つ、触れたものは──オーラの翼部分。
 そして、その付着部には、葡萄色の炎が付着し、後方へと伸びている。
 口裂け女がその意味を理解した時には、すでに地面へと倒れていた。
 最高速度の霊禍が、オーラをロープのように伸ばして、口裂け女を引っ張る。
 いくらタフな口裂け女といえども、その圧倒的なスピードには耐えることができなかった。
 そして姿勢を崩した口裂け女に、亘は重い一撃を放とうと前進している。
 ──しかし、霊禍は目撃していた。
 すれ違うほんの刹那、トレンチコートの隙間から見えた彼女の肌。
 口裂け女の体表に、ハサミが鱗のように敷き詰められているのを。
「亘! そいつは──」
 停止した霊禍がそう叫んだ時には、もう遅かった。
 亘はもう既に、口裂け女の眼前にまで迫っていた。
 このまま攻撃すれば──刃に自分から突っ込むことになる。いくら怪物と化している亘といえど、あの威力のハサミに突っ込めば無事では済まない。
 霊禍の脳裏には、最悪のパターンが浮かんでいた。攻撃が通らず、そのまま時間切れになって、亘が殺されてしまう光景。
 だが同時に、霊禍には分かっていた。
 墓山亘が、この程度のことを想定していない筈《はず》がない。
 亘の鋭い牙が、口裂け女に迫る。
 その牙は、頭部に照準を定め、確実に、近づく。
 口裂け女の、裂けた口元に迫り、
 優しいキスをした。