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門外不出のカムイユカㇻ

ー/ー



「……熊を殺すなと抗議の電話が来とるじゃと? そんなもん、いちいち相手にしておれるか! 生け捕りにして送ってやるから、責任持って飼育しろとでも言うておけ!!」

 そんな怒号と、その後に続く豪快な笑い声で目を覚ました。
 俺たちのボス――武蔵川(むさしがわ)照平(しょうへい)の声だ。誰かと電話で話していたようだった。
 俺が寝かせられていたのは、自宅ではないが、見慣れた和室。熊狩りの仕事を終えてここへ帰着する途中で俺はバッテリー切れを迎えたらしく、そこで記憶が途絶えていた。手近にあったスマホで日付を確認すると、今回は丸二日近く眠っていたようだ。

 ……やべえ。今日ゼミあったのに寝過ごした。

 親切にも誰かが着替えまでさせてくれている。十中八九、疾風(はやて)、即ちレラだろう。

 ふと、美味そうな香りが鼻をついた。ニラをより強烈にしたような匂いと、ジューシーな脂の匂い。襖を隔てた向こうから、複数人の賑やかな声がする。腹が減っていることに気付き、布団から這い出した。

「あっ、虎太郎(コタロー)起きた? って、わーお。芸術的な寝ぐせ」

 囲炉裏の縁に座ったフンペ――もとい、瀬名(せな)朝陽(あさひ)が俺を見るなり笑った。真っ黒な隊服ではない、カジュアルな私服姿だ。あの仕事の後一度家に帰り、駆除した熊の供養のため、またここへ集まったのだろう。
 ゆったりしたパーカーと、デニムのショートパンツ……から伸びる生足。当然ヘルメットとゴーグルも外し、何も考えていなさそうな素顔を晒している。
 その横で胡坐をかき、碗に入った汁物を無心にかき込んでいるのはレラ。本名は瀬名疾風。朝陽をそのまま男にして、ややチャラさを足したようなルックス。こいつらは双子の兄妹だ。
 そして囲炉裏の上座に座るのは、つるっぱげのジジイ――もとい照平爺さん。“カパッチㇼ”のコードネームが意味する鷲のごとき鋭い眼光が俺を一瞥したかと思うと、突然ニカッと破顔した。

「ご苦労じゃったの。まあ、熊鍋でも食え」

 この屋敷は、俺たちコタンコㇿ・エージェンシーの活動拠点。そして、代表を務める照平爺さんの自宅でもある。屋敷と言えば聞こえはいいが、山奥に建つポツンと一軒家だ。しかも相当古い。昔ながらの囲炉裏があるし、便所は汲み取り式(ぼっとん)

 ふと壁へ目をやると、三体の熊の頭部が毛皮付きで丁寧に祀られていた。俺たちが倒したやつらだ。頭骨を砕いてしまったが、繋ぎ合わせて修復してある。
 囲炉裏の鍋で煮炊きされているのも、あの熊たちの肉をギョウジャニンニクと一緒に煮込んだ汁物――カムイオハウだった。調理は俺の母と、朝陽たちの母親がしてくれたらしい。

「ダイちゃんが解体して、肉の一部を持ってきてくれたのよ」

 供養の宴の輪に混じり、母から碗を受け取る。温かい汁をゆっくり啜ると、肉と根菜の出汁、それとシンプルな塩味が寝起きの身体に染みわたった。小さく息をついた俺に、朝陽が声をかけてきた。

「今、うちのお母さんが英雄叙事詩(カムイユカㇻ)始めるとこだったんだよ」

 文字を持たないアイノは、言い伝えを代々口承で受け継いできた。朝陽と疾風の母親である(かすみ)おばちゃんは、現代においてそのユカㇻを()れる数少ない伝承者だ。

「わたしは人間の手によって造られた、月の神(クンネチュㇷ゚カムイ)の名を借りる者です――」

 歌うような節回しの語りが始まった。
 それは、俺たちのルーツ――遺伝子の改造によって人為的に生み出された“留守番の神”の物語だ。
 照平爺さんが囲炉裏の縁を棒で叩いてリズムを取り、合いの手を入れている。


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「……熊を殺すなと抗議の電話が来とるじゃと? そんなもん、いちいち相手にしておれるか! 生け捕りにして送ってやるから、責任持って飼育しろとでも言うておけ!!」
 そんな怒号と、その後に続く豪快な笑い声で目を覚ました。
 俺たちのボス――|武蔵川《むさしがわ》|照平《しょうへい》の声だ。誰かと電話で話していたようだった。
 俺が寝かせられていたのは、自宅ではないが、見慣れた和室。熊狩りの仕事を終えてここへ帰着する途中で俺はバッテリー切れを迎えたらしく、そこで記憶が途絶えていた。手近にあったスマホで日付を確認すると、今回は丸二日近く眠っていたようだ。
 ……やべえ。今日ゼミあったのに寝過ごした。
 親切にも誰かが着替えまでさせてくれている。十中八九、|疾風《はやて》、即ちレラだろう。
 ふと、美味そうな香りが鼻をついた。ニラをより強烈にしたような匂いと、ジューシーな脂の匂い。襖を隔てた向こうから、複数人の賑やかな声がする。腹が減っていることに気付き、布団から這い出した。
「あっ、|虎太郎《コタロー》起きた? って、わーお。芸術的な寝ぐせ」
 囲炉裏の縁に座ったフンペ――もとい、|瀬名《せな》|朝陽《あさひ》が俺を見るなり笑った。真っ黒な隊服ではない、カジュアルな私服姿だ。あの仕事の後一度家に帰り、駆除した熊の供養のため、またここへ集まったのだろう。
 ゆったりしたパーカーと、デニムのショートパンツ……から伸びる生足。当然ヘルメットとゴーグルも外し、何も考えていなさそうな素顔を晒している。
 その横で胡坐をかき、碗に入った汁物を無心にかき込んでいるのはレラ。本名は瀬名疾風。朝陽をそのまま男にして、ややチャラさを足したようなルックス。こいつらは双子の兄妹だ。
 そして囲炉裏の上座に座るのは、つるっぱげのジジイ――もとい照平爺さん。“カパッチㇼ”のコードネームが意味する鷲のごとき鋭い眼光が俺を一瞥したかと思うと、突然ニカッと破顔した。
「ご苦労じゃったの。まあ、熊鍋でも食え」
 この屋敷は、俺たちコタンコㇿ・エージェンシーの活動拠点。そして、代表を務める照平爺さんの自宅でもある。屋敷と言えば聞こえはいいが、山奥に建つポツンと一軒家だ。しかも相当古い。昔ながらの囲炉裏があるし、便所は|汲み取り式《ぼっとん》。
 ふと壁へ目をやると、三体の熊の頭部が毛皮付きで丁寧に祀られていた。俺たちが倒したやつらだ。頭骨を砕いてしまったが、繋ぎ合わせて修復してある。
 囲炉裏の鍋で煮炊きされているのも、あの熊たちの肉をギョウジャニンニクと一緒に煮込んだ汁物――カムイオハウだった。調理は俺の母と、朝陽たちの母親がしてくれたらしい。
「ダイちゃんが解体して、肉の一部を持ってきてくれたのよ」
 供養の宴の輪に混じり、母から碗を受け取る。温かい汁をゆっくり啜ると、肉と根菜の出汁、それとシンプルな塩味が寝起きの身体に染みわたった。小さく息をついた俺に、朝陽が声をかけてきた。
「今、うちのお母さんが|英雄叙事詩《カムイユカㇻ》始めるとこだったんだよ」
 文字を持たないアイノは、言い伝えを代々口承で受け継いできた。朝陽と疾風の母親である|霞《かすみ》おばちゃんは、現代においてそのユカㇻを|演《や》れる数少ない伝承者だ。
「わたしは人間の手によって造られた、|月の神《クンネチュㇷ゚カムイ》の名を借りる者です――」
 歌うような節回しの語りが始まった。
 それは、俺たちのルーツ――遺伝子の改造によって人為的に生み出された“留守番の神”の物語だ。
 照平爺さんが囲炉裏の縁を棒で叩いてリズムを取り、合いの手を入れている。