銀の滴降る降るまわりに
ー/ー 水彩絵の具が撒き散らされたように、にわかに世界が色彩を増した。
礼拝を捧げ、千里眼を開いた俺の目には、あらゆる生命体が“色”という形で映る。
「どお、“河烏”。いる? 目視じゃ見つからんわ」
声をかけてきたのは、緑がかった蒼い光の持ち主――コードネーム“風”。俺のすぐ横でヤンキー座りしながら額に手をかざしている。
俺は小さく頷き、建物が点在する西の方へ目線を向けた。
「……あの赤い屋根の牧舎。デカいのが一頭……家畜を狙って隙を伺ってる。それとあと二頭……たぶん子熊」
掌を開いて天に向け、ゆっくり上下動――礼拝の動作を繰り返しながら答えると、レラが立ち上がって肩を回し始めた。
「おっけぇい。んじゃ、突撃しちゃう? 三頭なら二人で行けるっしょ」
だが、レンガ造りのサイロの上から広大な酪農地をぐるりと見渡したあと、俺は首を少し横に傾けた。
「“鯨”が……なるべく仕事回してくれって言うから声かけたら、すぐ行くからちょっと待ってろって」
「マジか。んな悠長なこと言ってていいのかよ。人里にヒグマいんだぞ、ヒグマ」
何も答えずにいると、レラはそんな俺の様子を伺うように一瞥したあと、口元に薄ら笑いを浮かべた。
「カッケンさあ、無意識かも知らんけど、フンペに甘いよなあ。愛のチカラってやつ……」
それ以上のムダ口を制すべくギロリと睨みつけると、レラは「おー怖」と、おどけるように肩をすくめた。こいつは仕事が終わったらしばく。
「……で、あいつ今、どこにいるって?」
「さっき電話したら、『クジラのお腹から出てきたとこ』って言ってた」
「あ?」
その時だった。
銀の滴降る降るまわりに
金の滴降る降るまわりに―― ※
歌うように軽やかな女の声が耳に飛び込んできた。
同時に、牧草地の間を縫ってぴょんぴょんと駆けてくる影が見えた。俺の目には、大地を跳ねる蒼いトビウオのように映る。その影は最後、一歩を大きく蹴り出したかと思うと、夕陽を背にして空高く舞い上がった。宙返りをした時、背中の幾何学模様が黄昏に映えた。
鮮烈。
俺たちのいるサイロの上へ音もなく着地した動作を目にして、不意にそんな単語が浮かんで消えた――……が。
「お待た♪」
俺やレラと同じ、全身黒い救助隊風の服装のトビウオ――もといフンペ。そいつは口をもぐもぐさせながら現れ、皮だけ残ったバナナを胸ポケットにしまった。
「……ヒグマだけでなく、空飛ぶゴリラまで現れたように見えるんだが」
「腹が減っては熊狩りもできぬ、ってね」
顔の大部分が隠れているが、唯一見える口元にヘラッとした笑みが浮かぶ。
すると、レラが顔をしかめながら鼻をフンフン動かし始めた。
「フンペお前、なんか匂わない? 生臭いっつーか」
「そうなの! 先輩がクジラの死骸が上がった現場に連れてってくれてさあ! 生態調査手伝ってきたとこ。お腹切って中に入って、胃の内容物とか調べてきたから。それの匂いかも」
熱っぽくそう語るフンペ。黒いゴーグルの奥で目をキラキラさせているのが想像に難くない。
「シャワーくらい浴びてこいや! くっせえなあもう」
「うるさいなあ。そんな時間なかったし。だいたい、これはクジラの命の匂いなの。それを臭い臭いって失礼だし、レラの靴下の方がよっぽど臭いから」
「はぁァ!? おまっ、お兄様に向かってなんつーことを……臭くねーし!!」
この兄妹に緊張感なんてのを求めても無駄ということは、とうの昔から知っている。なので俺は諸々を飲み込み、ゴーグルを装着しグローブをキュッとはめた。
「どうでもいいから、早く熊狩り始めよう! 逃げられちゃうよ!」
遅れてきた奴が言うな。
―――――――――――――――――――
※知里幸恵『アイヌ神謡集』より引用
礼拝を捧げ、千里眼を開いた俺の目には、あらゆる生命体が“色”という形で映る。
「どお、“河烏”。いる? 目視じゃ見つからんわ」
声をかけてきたのは、緑がかった蒼い光の持ち主――コードネーム“風”。俺のすぐ横でヤンキー座りしながら額に手をかざしている。
俺は小さく頷き、建物が点在する西の方へ目線を向けた。
「……あの赤い屋根の牧舎。デカいのが一頭……家畜を狙って隙を伺ってる。それとあと二頭……たぶん子熊」
掌を開いて天に向け、ゆっくり上下動――礼拝の動作を繰り返しながら答えると、レラが立ち上がって肩を回し始めた。
「おっけぇい。んじゃ、突撃しちゃう? 三頭なら二人で行けるっしょ」
だが、レンガ造りのサイロの上から広大な酪農地をぐるりと見渡したあと、俺は首を少し横に傾けた。
「“鯨”が……なるべく仕事回してくれって言うから声かけたら、すぐ行くからちょっと待ってろって」
「マジか。んな悠長なこと言ってていいのかよ。人里にヒグマいんだぞ、ヒグマ」
何も答えずにいると、レラはそんな俺の様子を伺うように一瞥したあと、口元に薄ら笑いを浮かべた。
「カッケンさあ、無意識かも知らんけど、フンペに甘いよなあ。愛のチカラってやつ……」
それ以上のムダ口を制すべくギロリと睨みつけると、レラは「おー怖」と、おどけるように肩をすくめた。こいつは仕事が終わったらしばく。
「……で、あいつ今、どこにいるって?」
「さっき電話したら、『クジラのお腹から出てきたとこ』って言ってた」
「あ?」
その時だった。
銀の滴降る降るまわりに
金の滴降る降るまわりに―― ※
歌うように軽やかな女の声が耳に飛び込んできた。
同時に、牧草地の間を縫ってぴょんぴょんと駆けてくる影が見えた。俺の目には、大地を跳ねる蒼いトビウオのように映る。その影は最後、一歩を大きく蹴り出したかと思うと、夕陽を背にして空高く舞い上がった。宙返りをした時、背中の幾何学模様が黄昏に映えた。
鮮烈。
俺たちのいるサイロの上へ音もなく着地した動作を目にして、不意にそんな単語が浮かんで消えた――……が。
「お待た♪」
俺やレラと同じ、全身黒い救助隊風の服装のトビウオ――もといフンペ。そいつは口をもぐもぐさせながら現れ、皮だけ残ったバナナを胸ポケットにしまった。
「……ヒグマだけでなく、空飛ぶゴリラまで現れたように見えるんだが」
「腹が減っては熊狩りもできぬ、ってね」
顔の大部分が隠れているが、唯一見える口元にヘラッとした笑みが浮かぶ。
すると、レラが顔をしかめながら鼻をフンフン動かし始めた。
「フンペお前、なんか匂わない? 生臭いっつーか」
「そうなの! 先輩がクジラの死骸が上がった現場に連れてってくれてさあ! 生態調査手伝ってきたとこ。お腹切って中に入って、胃の内容物とか調べてきたから。それの匂いかも」
熱っぽくそう語るフンペ。黒いゴーグルの奥で目をキラキラさせているのが想像に難くない。
「シャワーくらい浴びてこいや! くっせえなあもう」
「うるさいなあ。そんな時間なかったし。だいたい、これはクジラの命の匂いなの。それを臭い臭いって失礼だし、レラの靴下の方がよっぽど臭いから」
「はぁァ!? おまっ、お兄様に向かってなんつーことを……臭くねーし!!」
この兄妹に緊張感なんてのを求めても無駄ということは、とうの昔から知っている。なので俺は諸々を飲み込み、ゴーグルを装着しグローブをキュッとはめた。
「どうでもいいから、早く熊狩り始めよう! 逃げられちゃうよ!」
遅れてきた奴が言うな。
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※知里幸恵『アイヌ神謡集』より引用
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