焦燥のゆくえ
ー/ー この街は、軍の駐屯地を抱える駐屯都市だ。
背の高い塀の門には軍旗が掲げられ、サーベルを腰に下げた門番が立っていた。
通りにも軍服姿の者は珍しくなく、他の街や村より、空気は少しだけ硬い。
クロードは身元確認を済ませたあと、門番に一枚の身分証を見せた。
「すまん。これを届けに来た」
門番はそれを受け取り、記された名前を見て顔をしかめた。
「……これを、どこで?」
「十日前、この街へ来る途中で死んでいるのを見つけた。一日待ったが、蘇生しなかった」
「そうか。遺体は?」
「埋めた」
「分かった。これは軍から教会へ死亡届を出したのち、家族の元へ送られる」
「そうか。頼む」
クロードはもう一つ、ポケットからドッグタグを取り出した。
「これも、家族の元へ送ってもらえないか」
門番はそれを見ると、わずかに目を伏せて首を振った。
「……すまんな。それは、家族じゃなく、別の相手に渡してやってくれ」
「あんた、知っているのか」
「新兵の頃の友人だった」
門番は懐からマッチ箱を取り出して差し出した。
「この街で歌っている女だ。彼女に渡してやってほしい」
「……そうか」
クロードはそれを受け取り、箱に書かれた店名に目を落とした。
「分かった」
━━━━━ * * * * * ━━━━━
クロードは街で安宿を取ると、その足でギルドへ向かった。
木戸を押し開けると、中は大勢の人で賑わっていた。
壁の掲示板の前では、依頼書を見比べながら仕事を選ぶ者たちがいる。
窓口では、獲物を持ち込んで換金している者がいた。
別の列では、新たな依頼を申請する者が受付係と言葉を交わしている。
冒険者だけではない。
商人、職人、技術者、学者━━さまざまな職の者たちがこの場所を行き交っていた。
クロードも掲示板の前に立ち、いくつか貼られた紙に目を通していた。
そのうちの一枚に、ふと視線が止まる。
『この絵の瓶の捜索』
そう書かれた紙には、瓶らしきものの絵が描かれていた。
だが、その形はどこか奇妙だった。
背の高い三角屋根を載せた、塔のような形をしていた。
その屋根と胴のあいだは妙にくびれていて、見たことのない輪郭をしている。
香水瓶にも見えた。
だが、簡単に描かれたその絵には、装飾らしいものは何ひとつない。
クロードがしばらくその紙を眺めていると、ふいに横から肩へ手が置かれた。
「君、この依頼に興味があるのかい?」
肩を叩いたのは、背中まである長い金髪の男だった。
年の頃は、クロードと変わらないだろう。
痩せた身体には不釣り合いな、ぶかぶかの膝丈の衣をまとっている。
「ほら、面白い形をしているだろう?」
まつ毛の長い切れ長の目が、近すぎる距離でクロードをのぞきこんだ。
「これはねぇ、隙間なく密閉されているんだ。ほら、ここが大きくくびれているだろう?」
男は依頼書の輪郭線を、細く節のある指でゆっくりなぞる。
「ここで割るようにできているのさ。実に面白い」
時折声を裏返らせながらも、その喋りは妙に流暢で早い。
ねっとりと耳にまとわりつく声に、クロードはかすかな嫌悪を覚えた。
「詳しいな」
クロードの言葉に、男はにたりと口元を歪めた。
「そう。そうさ。詳しいだろう?」
嬉しそうに目を細める。
「これは僕が作ったんだからねぇ」
クロードはわずかに眉をひそめた。
「……これは何なんだ?」
その問いに、男の目がぎょろりと見開かれた。
「興味がある?」
男は嬉しそうに口元を歪め、さらにクロードの間近まで顔を寄せてきた。
「そうかい、そうかい。興味があるのかい。フヒヒ……」
依頼書の絵を指先で軽くつつき、にたりと笑う。
「これはねぇ……」
男は両手を大きく広げた。
「ドッカーン」
そのまま、くるりと一回転して胸に手を当てる。
まるで舞台役者のような仕草だった。
「貴族の御屋敷くらい、簡単に━━そう、実に簡単に吹き飛ばせる薬、なのさ。ヒヒヒヒヒ……」
「危ないな」
それは薬のことか、目の前の男のことか。
「お前は誰だ?」
「僕? 僕はねぇ、この駐屯都市で薬師をしている」
男はにたりと笑う。
「名は、仲良くなったら教えてあげよう」
薬師と名乗ったその男は、依頼書をピッと取ると、クロードの胸に押しつけた。
そして、囁くような低い声で続ける。
「探すといい。そう、必死に、懸命に、探したまえ。……ただし、瓶を割ってはいけないよ。ヒヒヒヒヒ」
薬師は、気味の悪い笑い声を残し衣を翻して雑踏へ消えていった。
クロードは密かに息を吐き、こわばっていた肩の力を抜いた。
手の中の依頼書に目を落とす。
個人依頼にしては報酬がいい。
それに、薬師の言葉も引っかかっていた。
わずかに迷ったのち、クロードはその依頼書を持って受付カウンターへ向かった。
━━━━━ * * * * * ━━━━━
翌朝、クロードは依頼の控えを頼りに、大通りに面した一軒の店を訪ねた。
美しい色ガラスのはめ込まれた扉を開けると、女が「いらっしゃいませ」と迎えた。
「この依頼を受けた者だ」
「これ、父さんがギルドに出した依頼……ちょっと待ってて下さい」
そう言うと、店の奥の扉を開け、大きな声で「父さーん」と呼んだ。
しばらくして、清潔感のある服の、背の低い中年の男が、クロードの前へ出てくる。
「これはこれは。私の依頼を受けて下さったのですね」
「ああ。クロードという」
「立ち話も何ですから、どうぞ奥の応接間へ」
商人らしい柔らかな笑みを浮かべた男に案内され、クロードは奥の間へ通された。
応接間は上品な調度品で整えられ、座り心地の良さそうなソファーの間には一枚板で作られたローテーブルが置かれていた。
クロードは依頼書をその上に置き、商人の顔を見た。
「この探し物は、商品か何かか?」
「……いえ、それは商品ではありません」
「では、何だ?」
「それが……なんと言いますか、なくなってしまったのです」
「……」
商人は言いよどみ、落ち着かない様子で手を組んだり開いたりした。
「でも、それが一体何なのか、私にも分からないのです」
「分からない?」
「十日前、屋根の修理中に落ちましてね。目が覚めてから、それが頭にこびりついて離れないのです」
クロードは落ち着きを失った商人を、観察するように見つめた。
そこへ娘が香りの良い紅茶を運んでくる。
「どうぞ」
「ありがとう」
十日前━━。
それは、崖下の河原で兵士の死体を見つけた頃と重なる。
クロードはポケットからドッグタグを取り出し、静かに目を落とした。
娘が部屋を出ていってから、商人はクロードの持つドッグタグをじっと見つめていた。
その視線に気づき、クロードはドッグタグを目の高さまで持ち上げる。
「こいつが気になるのか?」
「あの……それを少し見せてくれませんか?」
「ああ」
クロードが手渡すと、商人は刻まれた名を親指で何度もなぞった。
「そいつ、知り合いか?」
「いえ、知りません。でも、覚えがあるような……」
商人は眉を寄せ、何かを思い出そうとするように目を閉じた。
「……だめだ、分からない。でも、朝にはなくなっていた……」
「朝?」
「上からの指令で、薬師から預かって、軍の研究施設まで届けるはずだったのです」
「…………」
その言葉に、クロードは先ほどの奇妙な男を思い出し、わずかに眉を上げた。
「でも、朝にはなくなっていた。探さなければ……」
商人は虚ろな目でどこか遠くを見つめ、もう一度「探さなければ……」と呟いた。
クロードが紅茶のカップを持ち上げると、受け皿が小さくカチリと鳴る。
その音に、商人ははっとしたようにクロードを見た。
「……あれ? どこまで話しましたっけ?」
「依頼は分かった。探してみよう」
「そうですか。助かります」
「ただ、探すのはこの街に滞在する間だけだ。見つからなかった場合は、それまでだ」
「いえ、それでも十分です。前金はそのままお納め下さい」
商人はにこやかに答えた。
話を終え、クロードが店を出ようとした時、商人の娘に呼び止められた。
「あの、すみません」
「なんだ?」
「あの、父のことで……お聞きしたいことが……」
娘はちらちらと奥の間を気にしている。
そのそぶりに、クロードはわずかに目を細めた。
「場所を変えよう」
二人は店を出て、近くの公園へ向かった。
木陰にあるベンチに座ると、娘もためらいがちにクロードの隣へ腰を下ろした。
「俺に何を聞きたい?」
「……父は……十日前、店の屋根の修理の途中で足を踏み外しました。打ちどころが悪く、亡くなってしまったんです。けれど、幸い教会で蘇生が叶って……戻ってきてくれました」
娘は道行く人々を見つめ、いったん口を閉ざした。
「でも、それからなんです。あの変な形の瓶がない、ないって。毎朝家中を探し回るようになったんです」
「毎朝……?」
「ええ。まだ日が昇らない時間に」
娘はうつむき、膝の上で手を握りしめた。
「あまりにも慌てた様子で……でも、一旦落ち着くと、以前と変わらない父に戻るんです」
クロードは娘を一瞥してから、視線を通りへ向けた。
「あんた……蘇生者が、蘇生の後に、性格や行動が変わった、とか聞いたことはあるか?」
「いえ……いや、そういえばそんな噂を聞いたことがあります」
「魂は、本来、神代国(かみよのくに)に流れる魂の川へ還る。この国では、死ねば魂はそこへ戻る」
娘は黙ってクロードの言葉に耳を傾けていた。
「神がその魂を帰す道を、神道という」
「ええ、教会の教えですね」
「しかし、魂を帰す時、他の魂が混じることがある」
「……えっ?」
「魂の川は流れているからな」
そこでクロードは口を閉ざし、娘へ視線を向けた。
膝の上で固く組まれた白い手が、かすかに震えている。
「まさか……父の魂は、他の誰かのものだと……?」
「いや、そうじゃない。ほとんどは本人の魂だろう」
娘はおそるおそるクロードを見上げた。
「ただ、そこに別の魂が混じっている」
「……父は……蘇生してから、自分のことを『私』って言うようになったんです。以前は『儂』って言ってたのに……」
クロードはポケットからドッグタグを取り出し、そこに刻まれた名を静かに指でなぞった。
「父は……もう、元には戻らないのでしょうか」
「……ああ」
娘は立ち上がり、クロードの前で深く頭を下げた。
「お願いです。父の探し物を見つけて下さい。父がそれで少しでも落ち着けるなら……」
クロードはフラップキャップのつばを下げ、目元を隠した。
「可能な限り」
それから娘と別れ、街の南側へ向かった。
そのあたりは、裕福でも貧民でもない、普通の市井の人々が暮らす地域だった。
向かい合った建物のあいだにはロープが渡され、洗濯物を干している家も多い。
その街角に、少し大きめの建物があった。
「医院長はいるか」
クロードは扉を開け、ベッドが並ぶ室内へ足を踏み入れた。
奥の扉を開けると、消毒液の匂いが鼻をついた。
診察台の向こうには古びた衝立があり、その向こうから「おう、クロードか」と声がした。
衝立の向こうにいたのは、禿げた頭に白衣をまとい、腹だけは立派に突き出た小柄な老人だった。
「医院長、いたのか」
「久しぶりじゃな。この街にいつ来た?」
「昨日」
「そうか。元気にしとるようじゃの」
医院長はそう言って、酒の入ったグラスを軽く傾けた。
「あんたも相変わらず酒びたりなんだな」
クロードが椅子に座ると、医院長は勧めるようにグラスを差し出した。
だが、クロードは小さく首を振って辞退する。
「あんた、こういった瓶を知らないか?」
クロードは依頼書の絵を差し出した。
医院長はそれを見て、「アンプルじゃな」と面白くなさそうに言った。
脇の棚の鍵を開け、ひとつの小瓶を取り出してクロードに見せる。
「薬入れじゃ」
「薬……」
「こいつを作れるのは、この街に一人しかおらん」
「薬師……か?」
「知っとるのか」
クロードはわずかに眉をひそめた。
「あいつは頭がイカれておる。ただし、腕はいい」
「あんたと一緒だな」
「ばかもん。ワシをあいつと一緒にするな」
手に持ったグラスの酒をくいっとあおった。
医院長はクロードの持つ依頼書に目を落としたまま言った。
「その依頼者、十日前に蘇生しとるぞ」
「ああ。それで、魂が少し混じっているみたいだ」
「……ふん」
医院長は鼻を鳴らした。
「神の恵みか、神の呪いか。不憫じゃの」
「神の気まぐれだ」
クロードがそう言うと、医院長は苦いものでも飲み下すように、またグラスを傾けた。
「アンプルに入っている薬は危ない物が多い」
「薬師は爆発すると言っていた」
医院長は「ふん」と鼻を鳴らす。
「奴なら作りかねんな」
「あと……依頼者の魂に混じった者が言っていた。軍の研究施設に運んでいたと」
そこで初めて、医院長の手が止まった。
「会話できたのか」
「こいつを見せてから、口調が変わった」
クロードはポケットからドッグタグを取り出し、医院長に見せた。
「俺が発見した死体は、まだ温かかった。それが十日前の早朝だ」
「死んだ頃も同じ、か。あり得ん話ではないな」
クロードはドッグタグに刻まれた名前を、静かに指でなぞった。
「十中八九、この兵士で間違いないだろう」
「話せるくらいに魂が混じってるとすりゃ、依頼人の人格が変わっちまうぞ」
「ああ。目を閉じさせてやらなきゃならない」
クロードはドッグタグをポケットに戻し、立ち上がった。
「行くのか」
「ああ」
フラップキャップをまぶかにかぶったクロードを、医院長が「おい」と呼び止めた。
「お前のここ……神道痕はどうなっとる?」
親指を立てて、自分の胸をトンとつつく。
クロードはしばらく無言で医院長を睨んでいたが、「変わりない」とだけ言って、診察室を後にした。
医院の扉を開けると、そこに一人の人物が立っていた。
ギルドで声をかけてきた、あの男。
薬師だった。
「お前……」
「おやおや、君は先ほどの、瓶の捜索人」
薬師の言葉に、クロードはわずかに眉を上げた。
「クロードだ」
「クロードくん……ああ、君がクロードくんか。以前、医院長の話で聞き及んでいるよ」
薬師が三日月のように唇をつり上げた。
顔に張りついたその笑みは、見る者を不安にさせるような圧迫感を帯びている。
「あのアンプルには何が入っていた?」
「言っただろう? 危ない……そう、危ない薬だと」
「そんな物を、なぜ軍が?」
「泡沫の神。君も知ってるだろう?」
薬師はそこで言葉を切った。
「生まれたばかりの神、幼き神、残酷な神━━泡沫の神。蘇生を持つ我々人間が、最も恐れる厄災さ」
薬師はさっと距離を縮め、覗き込むようにクロードの灰色の目を見た。
「あの神には善悪も何もない。赤子が玩具で遊ぶように、人の魂を器へ戻す」
さらに顔を寄せ、囁く。
「その器が、どんなに壊れていても……ね」
クロードの頬を冷たい汗が流れた。
「不完全蘇生体……か」
「そう、そうだよ君。泡沫の神は、どれだけ壊れた器でも蘇生させる」
「…………」
「肉片、骨の一片であっても蘇生する。それを止められる方法はただ一つ。ヒヒヒ……蘇生する器を焼き払い、灰にしてしまうことだ。泡沫の神に与えないためにね」
薬師は張りついた笑顔のまま、さっとクロードから離れ、丁寧に一礼した。
「あのアンプルには、空気に触れると広範囲を高温で焼き払う薬剤が封じられ、術式が組まれている」
顔を上げると、わざとらしく眉を寄せる。
「見つけたまえ。……そう、必死に、懸命に。ただし、アンプルを割ってはいけないよ……フヒヒ」
薬師はくるりと回り、足取り軽く雑踏のほうへ去っていった。
それを見送って、クロードは住宅街の空を見上げた。
陽はすでに真上に昇っていた。
ふと腹を押さえる。
そういえば、まだ何も食べていない。
クロードは商店街のほうへ歩き出した。
━━━━━ * * * * * ━━━━━
街の食堂に入ると、席のほとんどは軍服姿の男たちで埋まっていた。
長テーブルの奥に一席だけ空きがあり、クロードはそこへ座る。
給仕の男が水の入ったコップをコトンと置き、「いらっしゃい」と声をかけてきた。
クロードは店のおすすめを頼み、水を飲んだ。
ほどなく、周囲の話し声が耳に入ってくる。
「東の泡沫の神は消えたらしい」
「そいつは良かった」
安堵するような声だったが、長くは続かない。
「で、次はどこだ」
「分からん。泡沫の神は、いつどこで湧くか読めんからな」
「個体の神と違って、土地も選ばんしな」
誰かがパンをちぎりながら、小さく舌打ちした。
「ありゃ神じゃねぇ。厄災だよ。厄災」
「前線の不完全体を焼き払ったら、しばらく休暇だな」
兵士たちは皿の上の料理をつつきながら、そんな話を当たり前のように交わしていた。
クロードはパン粥をスプーンですくい、無言で口に入れた。
神は数え切れないほどいる。
多くの神は人間に無関心で、誕生や蘇生に関わる神はそう多くない。
そして成熟した神は、生きることが不可能なほど損壊した器に魂を戻すことはない。
しかし、生まれて間もない神は違う。
幼いがゆえに、あたりかまわず魂を器へ戻してしまう。
それが肉片であっても、骨の一片であっても、そこに命は灯る。
蘇生したものは、もはや原形を留めない。
痛みと苦しみにのたうち回り、やがて群れ、波となって生者を襲う。
そして、生まれたての神の多くは、人間界に災いだけを残し、泡のように弾けて消えていく。
それを人々は厄災と呼んだ。
不完全に蘇生された者たちは神に問う。
『なぜ……』
痛みや苦しみに肉をよじらせ、生者に問う。
『なぜ……』
やがてそれは人の形も心も失い、哀しみの波となって生者へ押し寄せる。
それを食い止め、死者の世界へ送るために、兵士たちは焼き払う。
かつての仲間も、友人も、家族も。
食事を終えると、クロードは再びギルドへ向かった。
あの兵士が死んでいた辺りに、何か手がかりがあるはずだった。
掲示板に貼られた依頼書を一通り見て回る。
山中に関するものがいくつかあった。
薬草や鉱物の採集、獣の討伐━━その中に、盗賊討伐の依頼も混じっている。
大きな街に近い街道には、追い剥ぎや盗賊が出ることがある。
野宿している旅人や、荷を運ぶ者を狙う輩も少なくない。
軍の荷を運んでいたあの兵士も、こいつらに襲われたのではないか。
奪われた荷を取り戻そうとして探し回り、その末に崖から足を踏み外した━━そんな筋書きが、クロードの中で静かに形を結んだ。
一枚の依頼書がクロードの目にとまった。
『盗賊のアジトの特定』
それは、個人や店から持ち込まれた依頼書とは書式が違っていた。
ギルド自身が出した依頼だ。
それだけ、この街の周辺で盗賊被害が続いているのだろう。
「……これなら、やれそうだな」
クロードはその依頼書を取り、受付へ向かった。
━━━━━ * * * * * ━━━━━
街で数日分の野宿の支度を整えると、クロードは一旦安宿を引き払った。
背負った革のリュックは、いつもより重い。
街を出る前に、もう一度医院へ向かう。
医院長は入口の脇に椅子を出し、酒を飲んでいた。
「もう街を出るのか」
「いや、盗賊のアジトを探しに行く」
医院長は「ふん……」と、少し思案するような顔をした。
「ちょっと待ってろ」
そう言って建物の中へ入り、しばらくして戻ってくる。
「これを持って行け」
「……これは?」
掌に収まる大きさのプレートには術式が刻まれ、青い石がはめ込まれていた。
「守りの術式具じゃ」
「軍不出の術具じゃないのか?」
「そこはホレ、人脈っちゅうもんじゃ」
医院長がニヤリと笑う。
「あの薬師が作ったモンが絡んでるなら、そいつを持っといて損はなかろう」
「……礼を言う」
「ふん。誰かの前で、お前が神道痕で蘇生したら面倒じゃからな」
クロードはフラップキャップをまぶかにし、小さく頷いた。
街の門で手続きを済ませると、クロードは元来た山へ向かった。
あの兵士を埋めた辺りまでは遠い。
ある程度整備された山道とはいえ、クロードの足でも片道一週間はかかる。
乗合の幌馬車を使えば、三日ほどで着ける距離だ。
クロードと同じ馬車に乗り合わせたのは、他に三人だった。
子どもを二人連れた母親と、人のよさそうな笑みを浮かべた男が一人。
ゴトゴトと音を立てて進む馬車に揺られているうちに、退屈した子どもがぐずりはじめた。
「まだ先は長いんだから、少し寝てなさい」
母親が周囲に気を遣いながら子どもをたしなめる。
その言葉に、同乗していた男がにこやかに答えた。
「いいですよ。子どもは退屈に弱いですからな」
クロードも「そうだな」と言って、母親を安心させた。
「じゃあ、おじさんが面白いお話をしてあげよう」
男は自分の荷から綺麗な表紙の本を取り出し、子どもに見せながら読み聞かせを始めた。
クロードはそれを聞きながら、休むために目を閉じた。
それから幾度か夜営を挟みながら、幌馬車は山道を進んだ。
そろそろ、あの兵士を埋めた辺りまで来ている。
クロードは御者の男に声をかけ、次の休憩場所で降ろしてくれと伝えた。
幌馬車を降り、クロードはあの河原の辺りまで歩いた。
山道を少し外れるだけで、そこは崖になっている。
所々に低木が生えていて、気を抜けば足を踏み外しそうだった。
夜明け前の暗い時間にアンプルを探していたのなら、なおさら危険だったはずだ。
高さがあるぶん川の音は遠く、崖の縁は思うよりずっと近い。
兵士も、気づいた時には遅かったのかもしれない。
川沿いを歩いていく先に、土がわずかに盛り上がった場所があった。
あの兵士を埋めた場所だ。
クロードはフラップキャップを取り、胸に当てたまましばらく黙祷した。
その時、遠くで悲鳴のような声が上がった。
クロードは急いで河原から岩場をよじ登り、山道へ戻る。
声のした方角は、幌馬車が進んでいった先だった。
クロードは山道を走った。
息を切らしながら駆けた先で、クロードの目に飛び込んできたのは、倒れた御者と母親だった。
御者は喉を掻き切られ、すでに絶命している。
母親は浅く、途切れがちな呼吸を繰り返していた。
「おい!!」
「……あの子……たち……が……」
母親は、いなくなった子どもたちを追うように手を伸ばす。
だが、その指先は空を掴んだまま、力なく落ちた。
クロードはその手の先へ視線を向けた。
山道の脇に細い獣道がある。
そこには靴跡と、何かを引きずったような跡が続いていた。
クロードはリュックの中からナイフを取り出し、獣道へと入った。
しばらく進むと、子どもの泣き声がかすかに聞こえてくる。
音を立てぬよう身をかがめて進むと、少し開けた場所の奥に洞窟が見えた。
「うるせぇ!! ガキども!!」
怒鳴り声の主は、幌馬車で同乗していたあの男だった。
男が地面に転がった大きな麻袋を蹴ると、中から悲鳴が上がる。
クロードはしばらく身を潜めたまま、洞窟の様子を窺った。
「ったく、ガキはうるさくてたまらん。黙らせとけ。ただし傷はつけるなよ」
洞窟の中から出てきた男が、子どもを攫った男にそう指示した。
「へいへい」
攫った男はポケットから小瓶を取り出すと、麻袋に数滴、液体を垂らした。
しばらく続いていた子どもの泣き声が、次第に弱くなり、やがて消える。
「いい夢見ろよ。この次目を覚ましたら、地獄が待ってるからな」
猫なで声でそう囁くと、男はぺっと唾を吐いた。
「アニキ、そろそろ商品も揃ったことだし、運び出すか」
洞窟の奥から出てきた別の男が、にやにやしながら言った。
「そうだな。人間の在庫は、とっとと売りさばかねぇとな」
「こいつも早めに流さねえと、軍に嗅ぎつけられちまうしな」
そう言って、男は木枠に嵌め込まれたアンプルを持ち出してきた。
クロードは藪に身を潜めたまま、三人の盗賊の動向を探った。
他に人の気配はない。
盗賊は三人。子どもは洞窟の中。アンプルもある。
一人で飛び込むには、あまりに分が悪い。
「おいお前、そのガキどもと乗ってきた馬車は?」
「まだそこら辺にいるんじゃないですかね」
「丁度いい。そいつで運ぶ。確保しとけ」
「へいへい」
二人の盗賊は洞窟の中へ引っ込み、子どもを攫った男だけが獣道の方へ歩いてきた。
クロードは木の陰に身を寄せ、息を潜めた。
男は何も気づかぬまま通り過ぎ、山道へ向かっていった。
その背を追い、道が開けた瞬間を狙う。
ナイフの柄で後頭部を強く打ちつけると、男は振り向く間もなく昏倒した。
倒れた男のポケットから、子どもを眠らせた薬を取り出し、アジトへ戻った。
クロードはハイネックの襟で口元を隠し、瓶の蓋を外して洞窟の入口へ投げた。
瓶が割れる音に気づき、男が警戒しながら出てくる。
だが、入口に飛び散った薬を吸い込んだ途端、そのまま白目を剥いて崩れ落ちた。
「誰だ!?」
頭目の男が大型のナイフを手に、洞窟から出てきた。
眠り薬を吸ったはずなのに、足取りはまだしっかりしている。
クロードは木の陰に身を潜めた。
「軍の犬か!? 出て来い!!」
そう怒鳴ると、男は麻袋を持ち上げ、ナイフの切っ先を向けた。
どっ、と鈍い音がして、男がふと下を見る。
腹には、クロードのナイフが深々と突き刺さっていた。
手から、子どもの入った麻袋が落ちる。
その瞬間、クロードは藪から駆け出し、男へ体当たりした。
倒れこんだ勢いのまま、腹からナイフを引き抜く。
真っ赤な血が噴水のように噴き出した。
「……ぐっ」
男はもんどり打って倒れ、それでもクロードを睨みながら、近くの石や木切れを手当たり次第に投げた。
その手が、あのアンプルを掴んだ。
クロードは目を見開き、入口近くの麻袋へ駆け寄った。
子どもたちを庇うように、その上へ身を伏せる。
カシャン。
音がした。
永遠とも感じる一瞬の後。
轟音が鼓膜を叩きつけ、灼けつく熱が辺りを呑み込んだ。
次の瞬間、一帯が炎に包まれる。
立ち上った巨大な火柱は、遠くの駐屯都市からも見えた。
━━━━━ * * * * * ━━━━━
「君、君ぃ。起きたまえよ、君」
耳の奥で痛みと一緒に、不快な声が響いていた。
「こんな事で死んでたら、人生面白くないぞ、君」
どれほど気を失っていたのか。
クロードは重い瞼をこじ開けた。
目の前にあったのは、あの薬師のはりついた笑顔だった。
「よしよし。気がついたかい?」
周囲を見回す。
自分が倒れていた場所を中心に、そこだけがかろうじて残り、他は一面焼け野原になっていた。
「俺……は……」
身を起こすと、下敷きになっていた麻袋がごそりと動いた。
子どもは生きている。
「面白い見物ができそうだと思ってね。君の後を追ってきたんだ」
クロードは露骨に顔をしかめた。
「医院長に感謝したまえ。守りの術式具のおかげで、命拾いをしたんだからね」
辺りには数人の兵士がいて、現場の検分をしていた。
子どもたちも兵士の手で保護されていく。
「しかし……あれは失敗作だったな。守りの術式具で防げるとは。まだ改良の余地がある」
薬師は「フヒヒ……」と高く笑った。
「温度は良さそうだね。綺麗に灰になっている」
そう言って、足元に転がる人型の炭を踏んだ。
炭化したそれは、ぱきりと軽い音を立てて簡単に崩れる。
「ちょっと、現場壊さないで下さいよ」
兵士が呆れたように注意した。
━━━━━ * * * * * ━━━━━
クロードと子どもたちは、軍の馬車で駐屯都市まで戻った。
軍への報告が終わるまでのあいだ、薬師は面白い見世物でも眺めるように、ずっとクロードの側にいた。
ようやく解放され、街へ出る。
すでに街では、遠くに立ち上った火柱のことが噂になっていた。
「……どこまでついて来る気だ?」
「君はどこへ行くのだい?」
「依頼人の所へ行く」
アンプルは見つけた。
だが、取り戻すことはできなかった。
しかも軍からは、箝口令が敷かれている。
「君にこれをあげよう」
薬師はクロードの前でくるりと回り、懐から木枠に嵌め込まれたアンプルを取り出した。
洞窟の男が持っていたあのアンプルと同じ物だつた。
「……これは?」
「捜索を頑張った君への、ご褒美だ」
「…………」
「安心したまえ。中身はただの粉だ。無害な瓶さ」
そう言って、薬師はそれをクロードの胸に押しつけた。
「持って行くといい。そして、それを探していた魂を眠らせてやるといい」
アンプルを見つめたまま、クロードは小さく息を吐いた。
「……そうだな」
━━━━━ * * * * * ━━━━━
商店街の店に着くと、店先を掃いていた娘が気づき、慌てて父を呼びに店の奥へ引っ込んだ。
応接間で、クロードは商人の男にアンプルを渡した。
「これです……!! ああ、良かった。見つかったんですね」
「ああ」
クロードはポケットからドッグタグを取り出し、商人の目の高さにぶら下げた。
すると、商人の視線がゆっくりと曖昧に宙をさまよう。
「このタグの持ち主だな?」
「……はい」
「俺がこれを持っている意味は分かるか?」
「……はい。私は死んだんですね」
「……そうだ」
商人の目が伏せられる。
「瓶を見つけてくれて……ありがとうございます」
「眠れそうか」
「……はい」
その返事を最後に、ふっと商人の目の焦点が合った。
商人は少し戸惑ったように瞬きをし「……儂は……?」と呟いた。
それから憑きものが落ちたような、すっきりした顔になって言った。
「クロードさん、残りの依頼金と、依頼書へのサイン、お渡ししますね」
「……ああ」
クロードはポケットにしまったドッグタグを、指で静かになでた。
その後、ギルドから呼び出しがあった。
軍から報告が入ったらしい。
盗賊のアジトを見つけたことと、一味を殲滅したことへの報奨金が渡された。
━━━━━ * * * * * ━━━━━
日が暮れ、夜の帳が街に降りてくる。
商店街の店が戸を閉め、道行く人の姿もまばらになった。
クロードは宿に荷物を置き、夜風に頬を撫でられながら道を歩いた。
この時間に開いているのは、飲み屋が多い。
ランプの明かりがこぼれる店の看板を見上げる。
「ここか」
木戸を押し開けると、カランとドアベルが鳴った。
「いらっしゃい」
店内を見回し、クロードはカウンターの男に尋ねた。
「この店に歌姫はいるか?」
「ああ、今ちょっと幕間だが、彼女に何か用か?」
「届け物がある。会えるか?」
クロードがポケットからドッグタグを取り出すと、男は目を見開き、カーテンの向こうへ声をかけた。
「だれ? 私に届け物って」
カーテンの向こうから、赤茶の巻き毛を揺らした美しい女が現れた。
クロードは握った拳を彼女に差し出した。
女は伺うようにクロードを見上げ、手のひらを上にして両手を差し出す。
「これを、あんたに」
ドッグタグの鎖が、チャリ、と乾いた音を立てて、女の小さな手のひらに落ちた。
ひとつ、ふたつ、透き通った涙がその上に落ちた。
「彼は」
「神の御許に」
「……そう」
女はいくつもの涙を落としながら、「ありがとう……おかえり」と呟き、カーテンの向こうへ消えていった。
「……邪魔したな」
クロードはカウンターの男にそう告げると、店を出た。
夜の街は、静かに眠りへ落ちていった。
━ 終 ━
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