第28話 運ばれる先
ー/ー北舎を見張るのは、白い家を見るよりも難しかった
白い家は、あそこにあると分かっているぶん目で追いやすい。
だが北舎は違う。町の北外れ、倉庫や使われなくなった石造りの建物に紛れていて、気を抜けばただの細長い白壁にしか見えない。
だからこそ、リゼは夕方の光が弱まる前に位置を変えた。
「そこだと正面しか見えない」
そう言って、セシアを連れて回り込んだのは、北舎の斜め向かいにある崩れかけた塀の陰だった。雑草が伸び、石の一部は崩れている。人が長く隠れるには向かないが、短く様子を見るにはちょうどいい。
北舎は、昼間に見た時よりも白く見えた。
日が傾き、周囲の倉庫街が少しずつ色を失っていく中で、その建物だけが妙に輪郭を残している。窓は少ない。高い位置に小さくついているだけで、中の様子は外からは見えない。
正面の扉は閉じていた。
だが人の気配は消えていない。
「……静かですね」
セシアが言うと、リゼは頷いた。
「静かすぎるね」
その言い方が嫌だった。
白い家でも同じことを思った。
静かというのは、本来安らかなことのはずなのに、あの白い場所の静けさは何かを隠すためにある。
少しして、北舎の側面で動きがあった。
白くない服の男が一人、細い扉を開けて外へ出る。両手には空の木箱。使い終えたものらしく、軽い音を立てて重ねる。続けて別の男が水桶を持って出てきた。どちらも白い上着ではない。
「白いのがいない」
リゼが低く言う。
「昼は帳面持ってたのに」
「中にいるのかもしれません」
「うん。でも、表には出してない」
北舎の役割は、白い家よりさらに閉じているのかもしれない。
外から見える部分には、なるべく普通の職員しか出さない。
その時、扉の内側で何かがぶつかる音がした。
小さい。
でも、物ではない気がした。
セシアは無意識に身を乗り出しかける。リゼがすぐ袖を引いた。
「まだ」
短い声だった。
それで足が止まる。
白くない服の男が、扉の内側へ向かって低く何か言った。言葉までは聞き取れない。けれど叱るような調子ではなく、慣れた手つきで誰かを落ち着かせるような動きだった。
少しして、扉の陰に小さな影が見えた。
子どもだ。
昼に見たのと同じくらいの背丈。
顔までは見えない。
けれど、そこに人がいることだけははっきり分かった。
男が肩へ手を置き、すぐに影を中へ押し戻す。
セシアの喉が詰まる。
「……いました」
「うん」
リゼも見ていたらしい。
「しかも一人じゃないかも」
セシアは北舎の扉を見つめた。
扉の向こうに、複数の気配がある。
耳で聞こえるわけではない。
けれど、胸の奥がざわつく。
『……いや』
かすかな声が、落ちてきた。
遠い。
でも、白い家で聞いた時と同じ質の声だった。
セシアは目を閉じそうになるのを堪えた。
「……聞こえます」
「どんな感じ」
「近くはないです。でも……北舎の中だと思います」
リゼはそれを聞いて、視線を扉から高い窓へ移した。
「下じゃなくて、中」
「はい」
「なら、白い家みたいな地下じゃないかもね」
建物の役割が違うのかもしれない。
白い家が“選ぶ場所”なら、北舎は“留める場所”か、あるいは“送る前にまとめる場所”。
その時、通りの奥から車輪の音が聞こえた。
セシアとリゼは同時に視線を向ける。
小さな荷車だった。白い家から出たものほど大きくはない。だが、二人の男が慎重に押している。荷台には木箱が二つと、布で覆われた細長いものが一つ載っていた。
布の端がわずかに揺れる。
息を呑む。
物ではない。
誰かが横たわっているような形だった。
「……見た?」
リゼの声がいつもより低い。
「はい」
答えながら、セシアの指先が冷えていく。
男たちは北舎の正面ではなく、側面の扉の方へ荷車をつけた。白くない服の男が中から出てきて、布の上から手を置き、何かを確かめる。次に鍵を使って扉を大きく開き、荷台のものを中へ運び込む。
布の下から、ほんのわずかに足先が見えた。
子どもの靴だった。
セシアの胸が強く痛む。
「……あれも、運ばれてきた子です」
「うん」
「白い家から?」
「たぶんね」
リゼはしばらくそれを見たまま動かなかった。
布の中身が消え、扉が閉じられる。
それから、ようやく小さく息を吐く。
「北舎は受け口だ」
その言葉に、セシアは頷いた。
もう疑いではない。
白い家から出たものが、ここへ来る。
札がつき、帳面がつき、子どもまで運ばれてくる。
白の流れは、本当に続いていた。
日がさらに傾く。
北舎の高い窓のひとつに、ほんの短く人影が映った。
細い首。
小さな肩。
トマかどうかは分からない。
でも、あの中にまだ残っている名前があることだけは、もう間違いなかった。
「戻ろう」
リゼが言う。
今度はセシアもすぐ頷く。
これ以上ここに居れば、見る側ではなく、見られる側になる。
北舎の形は分かった。
扉の位置も、人の出入りも、白い家との繋がりも。
それで十分だった。
来た道を戻りながら、セシアは一度だけ振り返る。
北舎の白い壁は、夕闇の中でも輪郭を失わなかった。
そこに、白い家の先がある。
隠れ場所へ戻ると、ミナが真っ先に顔を上げた。
エナもルイも、その目の色だけで何かあったと分かったらしい。
「……どうだった」
セシアは祈祷書を抱えたまま答える。
「運ばれていました」
三人の顔が強張る。
「白い家から来たと思います。布をかけられて……北舎の側面から中へ」
ルイが小さく息を呑んだ。
エナは膝の上で指を握りしめる。
ミナだけが、しばらく言葉を出せなかった。
リゼが地図の上へ新しい印をつける。
白い家から北舎へ。
側面の扉。
荷の入る位置。
高窓。
「受け口で間違いない」
木炭の先で北舎を囲む。
「白い家で選ばれて、北舎でまとめられる」
「その先は……?」
セシアが聞くと、リゼは首を振った。
「まだ見えない。でも、ここを越えないとその先も見えない」
ミナがやっと声を出した。
「……トマ、いるかな」
セシアは少しだけ目を伏せる。
見えた影は一瞬だった。
確信はない。
でも、嘘はつきたくなかった。
「いるかもしれません」
そう言うと、ミナは小さく頷いた。
希望とも諦めともつかない顔だった。
エナが木箱の上の地図を見つめる。
「白い家から出たら、終わりじゃなかった」
「はい」
セシアも地図を見る。
白い流れはまだ終わっていない。
ルイが小さく聞く。
「……行くの?」
その問いに、セシアは迷わなかった
「行きます」
北舎へ
そしてその先へ
トマの名前が祈祷書の中にある限り、ここで立ち止まる理由はなかった。
白い家は、あそこにあると分かっているぶん目で追いやすい。
だが北舎は違う。町の北外れ、倉庫や使われなくなった石造りの建物に紛れていて、気を抜けばただの細長い白壁にしか見えない。
だからこそ、リゼは夕方の光が弱まる前に位置を変えた。
「そこだと正面しか見えない」
そう言って、セシアを連れて回り込んだのは、北舎の斜め向かいにある崩れかけた塀の陰だった。雑草が伸び、石の一部は崩れている。人が長く隠れるには向かないが、短く様子を見るにはちょうどいい。
北舎は、昼間に見た時よりも白く見えた。
日が傾き、周囲の倉庫街が少しずつ色を失っていく中で、その建物だけが妙に輪郭を残している。窓は少ない。高い位置に小さくついているだけで、中の様子は外からは見えない。
正面の扉は閉じていた。
だが人の気配は消えていない。
「……静かですね」
セシアが言うと、リゼは頷いた。
「静かすぎるね」
その言い方が嫌だった。
白い家でも同じことを思った。
静かというのは、本来安らかなことのはずなのに、あの白い場所の静けさは何かを隠すためにある。
少しして、北舎の側面で動きがあった。
白くない服の男が一人、細い扉を開けて外へ出る。両手には空の木箱。使い終えたものらしく、軽い音を立てて重ねる。続けて別の男が水桶を持って出てきた。どちらも白い上着ではない。
「白いのがいない」
リゼが低く言う。
「昼は帳面持ってたのに」
「中にいるのかもしれません」
「うん。でも、表には出してない」
北舎の役割は、白い家よりさらに閉じているのかもしれない。
外から見える部分には、なるべく普通の職員しか出さない。
その時、扉の内側で何かがぶつかる音がした。
小さい。
でも、物ではない気がした。
セシアは無意識に身を乗り出しかける。リゼがすぐ袖を引いた。
「まだ」
短い声だった。
それで足が止まる。
白くない服の男が、扉の内側へ向かって低く何か言った。言葉までは聞き取れない。けれど叱るような調子ではなく、慣れた手つきで誰かを落ち着かせるような動きだった。
少しして、扉の陰に小さな影が見えた。
子どもだ。
昼に見たのと同じくらいの背丈。
顔までは見えない。
けれど、そこに人がいることだけははっきり分かった。
男が肩へ手を置き、すぐに影を中へ押し戻す。
セシアの喉が詰まる。
「……いました」
「うん」
リゼも見ていたらしい。
「しかも一人じゃないかも」
セシアは北舎の扉を見つめた。
扉の向こうに、複数の気配がある。
耳で聞こえるわけではない。
けれど、胸の奥がざわつく。
『……いや』
かすかな声が、落ちてきた。
遠い。
でも、白い家で聞いた時と同じ質の声だった。
セシアは目を閉じそうになるのを堪えた。
「……聞こえます」
「どんな感じ」
「近くはないです。でも……北舎の中だと思います」
リゼはそれを聞いて、視線を扉から高い窓へ移した。
「下じゃなくて、中」
「はい」
「なら、白い家みたいな地下じゃないかもね」
建物の役割が違うのかもしれない。
白い家が“選ぶ場所”なら、北舎は“留める場所”か、あるいは“送る前にまとめる場所”。
その時、通りの奥から車輪の音が聞こえた。
セシアとリゼは同時に視線を向ける。
小さな荷車だった。白い家から出たものほど大きくはない。だが、二人の男が慎重に押している。荷台には木箱が二つと、布で覆われた細長いものが一つ載っていた。
布の端がわずかに揺れる。
息を呑む。
物ではない。
誰かが横たわっているような形だった。
「……見た?」
リゼの声がいつもより低い。
「はい」
答えながら、セシアの指先が冷えていく。
男たちは北舎の正面ではなく、側面の扉の方へ荷車をつけた。白くない服の男が中から出てきて、布の上から手を置き、何かを確かめる。次に鍵を使って扉を大きく開き、荷台のものを中へ運び込む。
布の下から、ほんのわずかに足先が見えた。
子どもの靴だった。
セシアの胸が強く痛む。
「……あれも、運ばれてきた子です」
「うん」
「白い家から?」
「たぶんね」
リゼはしばらくそれを見たまま動かなかった。
布の中身が消え、扉が閉じられる。
それから、ようやく小さく息を吐く。
「北舎は受け口だ」
その言葉に、セシアは頷いた。
もう疑いではない。
白い家から出たものが、ここへ来る。
札がつき、帳面がつき、子どもまで運ばれてくる。
白の流れは、本当に続いていた。
日がさらに傾く。
北舎の高い窓のひとつに、ほんの短く人影が映った。
細い首。
小さな肩。
トマかどうかは分からない。
でも、あの中にまだ残っている名前があることだけは、もう間違いなかった。
「戻ろう」
リゼが言う。
今度はセシアもすぐ頷く。
これ以上ここに居れば、見る側ではなく、見られる側になる。
北舎の形は分かった。
扉の位置も、人の出入りも、白い家との繋がりも。
それで十分だった。
来た道を戻りながら、セシアは一度だけ振り返る。
北舎の白い壁は、夕闇の中でも輪郭を失わなかった。
そこに、白い家の先がある。
隠れ場所へ戻ると、ミナが真っ先に顔を上げた。
エナもルイも、その目の色だけで何かあったと分かったらしい。
「……どうだった」
セシアは祈祷書を抱えたまま答える。
「運ばれていました」
三人の顔が強張る。
「白い家から来たと思います。布をかけられて……北舎の側面から中へ」
ルイが小さく息を呑んだ。
エナは膝の上で指を握りしめる。
ミナだけが、しばらく言葉を出せなかった。
リゼが地図の上へ新しい印をつける。
白い家から北舎へ。
側面の扉。
荷の入る位置。
高窓。
「受け口で間違いない」
木炭の先で北舎を囲む。
「白い家で選ばれて、北舎でまとめられる」
「その先は……?」
セシアが聞くと、リゼは首を振った。
「まだ見えない。でも、ここを越えないとその先も見えない」
ミナがやっと声を出した。
「……トマ、いるかな」
セシアは少しだけ目を伏せる。
見えた影は一瞬だった。
確信はない。
でも、嘘はつきたくなかった。
「いるかもしれません」
そう言うと、ミナは小さく頷いた。
希望とも諦めともつかない顔だった。
エナが木箱の上の地図を見つめる。
「白い家から出たら、終わりじゃなかった」
「はい」
セシアも地図を見る。
白い流れはまだ終わっていない。
ルイが小さく聞く。
「……行くの?」
その問いに、セシアは迷わなかった
「行きます」
北舎へ
そしてその先へ
トマの名前が祈祷書の中にある限り、ここで立ち止まる理由はなかった。
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