第27話 北舎の窓
ー/ー北舎の名が、部屋の中にしばらく残った。
ミナも、エナも、ルイも、その二文字をすぐには口にできなかった。
白い家の先に、白い家とは別の建物がある。
しかもそこへ、白い家から荷が運ばれている。
それは、薄々感じていた流れに形を与えすぎていた。
白い家の先に子どもがいる。
それだけでもう、北舎を見ないふりはできなかった。
リゼが窓際から離れ、木箱の前へしゃがみ込む。
「まず整理するよ」
木炭の先で、白い家と北舎のあいだに一本の線を引く。
「白い家から箱が出る。白い上着が確認する。荷車が北へ行く。北舎で受け取る。ここまでは見た」
次に、紙の上の『上位照会済』を指で叩く。
「たぶん、白い家は入口。北舎が次の部屋」
「次の部屋……」
セシアが繰り返すと、リゼは頷いた。
「終点かどうかはまだ分からない。でも、白い家だけで話が終わってないのは確か」
ルイが小さく言った。
「……白い家のあと、すぐじゃなかった」
全員の視線がそちらへ向く。
ルイは少しだけ肩を縮めたが、続ける。
「白い部屋のあと……戻る時と、戻らない時がある。戻らない時、しばらく静かで、それから荷車の音がした」
「前に言ってたやつだね」
リゼが木炭を動かす。
「夜明け前の音」
ルイは頷く。
「窓ないから、外は見えなかった。でも、白い家の中じゃない感じ」
その曖昧さが、逆に本当っぽかった。
ここにいる三人は、全部を見ていたわけではない。
だからこそ、断片が断片のまま残っている。
それを繋ぐのが、自分たちの役目なのだとセシアは思う。
「北舎って、聞いたことある?」
リゼがミナへ聞く。
ミナはしばらく考えてから、小さく首を振った。
「……見たことない。でも、北って言ってる人はいた」
「白い人?」
「うん」
ミナの指が毛布の端をつまむ。
「北へ回すって」
リゼとセシアが目を合わせる。
言葉として繋がった。
白い家から北舎へ。
回す、という言い方まで同じなら、荷だけではない。
人も、記録も、そこで回されている。
「やっぱり、北舎は倉庫じゃない」
セシアが言うと、リゼが短く「うん」と返した。
それから、木箱の蓋に新しく線を書き足す。白い家から北舎。北舎から、さらに先へ続くかもしれない空白。
「今日は中へ入らない」
リゼはそれを、まず先に言った。
ミナが少しだけ顔を上げる。
エナは何も言わない。
セシアも、すぐには答えなかった。
入りたい。
それは本音だった。
白い家の底に残ったものを追うなら、北舎へもすぐ行きたかった。
だが、それを顔に出しただけで、リゼは分かってしまったらしい。
「分かってる。でも、今は場所が分かっただけで十分だよ」
「……はい」
「白い家と違って、北舎は外から見えにくい。出入りの数もまだ足りてない。下手に踏み込むと、今度は白い家みたいに二度目が効かない」
その言い方が正しいことは、セシアにも分かっていた。
白い家で二人を出せたのは、奇跡に近い。
同じやり方は、もう通じない。
それなら北舎は、最初から見誤らない方がいい。
エナが膝の上で手を握ったまま、ぽつりと聞く。
「……トマ、そこにいると思う?」
セシアはすぐには答えられなかった。
見えた子どもは一瞬だった。
トマかどうかも分からない。
だが、否定する理由はどこにもない。
「可能性はあります」
そう言うと、エナは小さく頷いた。
期待していいのか、まだ怖いのか、自分でも分からないみたいな顔だった。
ルイが、机の上の紙を見ながら言う。
「白い部屋のあと、戻らない子、歩く時に札つけられる」
セシアの背筋が冷える。
「札?」
「小さいの。布の中とか、腰のとこに」
運ぶための印だろうか。
それとも、数え間違えないためのものか。
どちらにしても、人を荷のように扱うやり方に変わりはない。
リゼが木炭を置いた。
「じゃあ次に見るのは三つ」
一本目の指を立てる。
「北舎に入る荷」
二本目。
「北舎から出る人」
三本目。
「札の流れ」
セシアは頷く。
どこへ送るのか。
誰を送るのか。
何で識別しているのか。
白の流れを追うなら、その三つを外せない。
その時、階下でまた小さな音がした。
今度は全員が一度で息を止めた。
昨日までなら、セシアとリゼだけが反応していたかもしれない。けれど今は、ミナもエナもルイも、身体が先に固まる。
リゼがすぐに立ち上がり、足音を殺して階段口まで行く。
しばらく待ち、戻ってくる。
「大丈夫。風で板が鳴っただけ」
そう言っても、すぐには空気が解けなかった。
ミナが自分の肩を抱くようにして、小さく言う。
「……ずっと、こう?」
その問いに、誰もすぐには答えられなかった。
こう、とはたぶん、隠れて、怯えて、音に身体を強張らせながら過ごすことだ。
セシアは少しだけ考えてから、静かに言った。
「ずっとじゃないです」
それは願いではなく、そうしなければいけないという意味だった。
「終わらせます」
ミナはセシアを見た。
その目の中には、まだ信じきれない色も残っている。けれど、前より少しだけ違った。
エナが机の上の紙を見つめたまま、ぽつりと聞く。
「名前、まだ書いてある?」
セシアは祈祷書を開いた。
そこには、ミナ、エナ、ルイ、トマの名前が並んでいる。整った字ではない。書き急いだような線もある。けれど、それでよかった。
「あります」
そう見せると、ルイの指先が少しだけその頁へ伸びて、途中で止まる。
触れていいのか迷ったらしい。
「触っていいですよ」
セシアが言うと、ルイはほんの少しだけ指先で名前の近くを撫でた。
「……ここにある」
その呟きが胸に刺さる。
ここにある。
その当たり前を、あの白い場所は奪っていくのだ。
「トマも」
ミナが言った。
「トマも、ここにある」
セシアは頷いた。
今はそれしかできない。
でも、それだけでは終わらせない。
リゼがもう一度窓の隙間から外を見た。
白い家の方角はここからは見えない。
北舎も、もちろん見えない。
それでも、町のどこかで白い流れは今日も動いている。
「日が落ちる前に、もう一回北を見る」
リゼが言う。
「何回も言うけど今日は入らないよ。流れをみるだけだからね」
セシアも立ち上がった。
「私も行きます」
「よし」
短い返事だった。
そのやりとりに、少しだけいつもの調子が戻る。
ほんの少しだけだが、それで十分だった。
セシアは祈祷書を閉じた。
名前はまだそこにある。
白い家の先に、北舎があった。
その先にトマがいるかもしれない。
なら、追うしかない。
窓の外では、昼の光が少しずつ傾き始めていた。
ミナも、エナも、ルイも、その二文字をすぐには口にできなかった。
白い家の先に、白い家とは別の建物がある。
しかもそこへ、白い家から荷が運ばれている。
それは、薄々感じていた流れに形を与えすぎていた。
白い家の先に子どもがいる。
それだけでもう、北舎を見ないふりはできなかった。
リゼが窓際から離れ、木箱の前へしゃがみ込む。
「まず整理するよ」
木炭の先で、白い家と北舎のあいだに一本の線を引く。
「白い家から箱が出る。白い上着が確認する。荷車が北へ行く。北舎で受け取る。ここまでは見た」
次に、紙の上の『上位照会済』を指で叩く。
「たぶん、白い家は入口。北舎が次の部屋」
「次の部屋……」
セシアが繰り返すと、リゼは頷いた。
「終点かどうかはまだ分からない。でも、白い家だけで話が終わってないのは確か」
ルイが小さく言った。
「……白い家のあと、すぐじゃなかった」
全員の視線がそちらへ向く。
ルイは少しだけ肩を縮めたが、続ける。
「白い部屋のあと……戻る時と、戻らない時がある。戻らない時、しばらく静かで、それから荷車の音がした」
「前に言ってたやつだね」
リゼが木炭を動かす。
「夜明け前の音」
ルイは頷く。
「窓ないから、外は見えなかった。でも、白い家の中じゃない感じ」
その曖昧さが、逆に本当っぽかった。
ここにいる三人は、全部を見ていたわけではない。
だからこそ、断片が断片のまま残っている。
それを繋ぐのが、自分たちの役目なのだとセシアは思う。
「北舎って、聞いたことある?」
リゼがミナへ聞く。
ミナはしばらく考えてから、小さく首を振った。
「……見たことない。でも、北って言ってる人はいた」
「白い人?」
「うん」
ミナの指が毛布の端をつまむ。
「北へ回すって」
リゼとセシアが目を合わせる。
言葉として繋がった。
白い家から北舎へ。
回す、という言い方まで同じなら、荷だけではない。
人も、記録も、そこで回されている。
「やっぱり、北舎は倉庫じゃない」
セシアが言うと、リゼが短く「うん」と返した。
それから、木箱の蓋に新しく線を書き足す。白い家から北舎。北舎から、さらに先へ続くかもしれない空白。
「今日は中へ入らない」
リゼはそれを、まず先に言った。
ミナが少しだけ顔を上げる。
エナは何も言わない。
セシアも、すぐには答えなかった。
入りたい。
それは本音だった。
白い家の底に残ったものを追うなら、北舎へもすぐ行きたかった。
だが、それを顔に出しただけで、リゼは分かってしまったらしい。
「分かってる。でも、今は場所が分かっただけで十分だよ」
「……はい」
「白い家と違って、北舎は外から見えにくい。出入りの数もまだ足りてない。下手に踏み込むと、今度は白い家みたいに二度目が効かない」
その言い方が正しいことは、セシアにも分かっていた。
白い家で二人を出せたのは、奇跡に近い。
同じやり方は、もう通じない。
それなら北舎は、最初から見誤らない方がいい。
エナが膝の上で手を握ったまま、ぽつりと聞く。
「……トマ、そこにいると思う?」
セシアはすぐには答えられなかった。
見えた子どもは一瞬だった。
トマかどうかも分からない。
だが、否定する理由はどこにもない。
「可能性はあります」
そう言うと、エナは小さく頷いた。
期待していいのか、まだ怖いのか、自分でも分からないみたいな顔だった。
ルイが、机の上の紙を見ながら言う。
「白い部屋のあと、戻らない子、歩く時に札つけられる」
セシアの背筋が冷える。
「札?」
「小さいの。布の中とか、腰のとこに」
運ぶための印だろうか。
それとも、数え間違えないためのものか。
どちらにしても、人を荷のように扱うやり方に変わりはない。
リゼが木炭を置いた。
「じゃあ次に見るのは三つ」
一本目の指を立てる。
「北舎に入る荷」
二本目。
「北舎から出る人」
三本目。
「札の流れ」
セシアは頷く。
どこへ送るのか。
誰を送るのか。
何で識別しているのか。
白の流れを追うなら、その三つを外せない。
その時、階下でまた小さな音がした。
今度は全員が一度で息を止めた。
昨日までなら、セシアとリゼだけが反応していたかもしれない。けれど今は、ミナもエナもルイも、身体が先に固まる。
リゼがすぐに立ち上がり、足音を殺して階段口まで行く。
しばらく待ち、戻ってくる。
「大丈夫。風で板が鳴っただけ」
そう言っても、すぐには空気が解けなかった。
ミナが自分の肩を抱くようにして、小さく言う。
「……ずっと、こう?」
その問いに、誰もすぐには答えられなかった。
こう、とはたぶん、隠れて、怯えて、音に身体を強張らせながら過ごすことだ。
セシアは少しだけ考えてから、静かに言った。
「ずっとじゃないです」
それは願いではなく、そうしなければいけないという意味だった。
「終わらせます」
ミナはセシアを見た。
その目の中には、まだ信じきれない色も残っている。けれど、前より少しだけ違った。
エナが机の上の紙を見つめたまま、ぽつりと聞く。
「名前、まだ書いてある?」
セシアは祈祷書を開いた。
そこには、ミナ、エナ、ルイ、トマの名前が並んでいる。整った字ではない。書き急いだような線もある。けれど、それでよかった。
「あります」
そう見せると、ルイの指先が少しだけその頁へ伸びて、途中で止まる。
触れていいのか迷ったらしい。
「触っていいですよ」
セシアが言うと、ルイはほんの少しだけ指先で名前の近くを撫でた。
「……ここにある」
その呟きが胸に刺さる。
ここにある。
その当たり前を、あの白い場所は奪っていくのだ。
「トマも」
ミナが言った。
「トマも、ここにある」
セシアは頷いた。
今はそれしかできない。
でも、それだけでは終わらせない。
リゼがもう一度窓の隙間から外を見た。
白い家の方角はここからは見えない。
北舎も、もちろん見えない。
それでも、町のどこかで白い流れは今日も動いている。
「日が落ちる前に、もう一回北を見る」
リゼが言う。
「何回も言うけど今日は入らないよ。流れをみるだけだからね」
セシアも立ち上がった。
「私も行きます」
「よし」
短い返事だった。
そのやりとりに、少しだけいつもの調子が戻る。
ほんの少しだけだが、それで十分だった。
セシアは祈祷書を閉じた。
名前はまだそこにある。
白い家の先に、北舎があった。
その先にトマがいるかもしれない。
なら、追うしかない。
窓の外では、昼の光が少しずつ傾き始めていた。
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