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第26話 北へ出る荷

ー/ー



白い家を見張るのは、白い家へ入るよりずっと退屈で、ずっと疲れた。

朝から昼まで、ほとんど何も起こらないように見える時間が続く。
けれど、その「何もなさ」が本当ではないと知っているせいで、セシアはかえって目を逸らせなかった。

隠れ場所を移してから半日。
ミナ、エナ、ルイの三人は古い染物屋の二階に残し、セシアとリゼだけが町外れへ戻っていた。

見張りに使っているのは、白い家から二つ通りを隔てた空き家だった。壁の一部が崩れ、窓は片方しか残っていない。床板も抜けかけているが、表から覗き込まれにくく、白い家の正面と側面の両方を遠目に見られる。

リゼは窓枠の陰にしゃがみ、膝の上へ木炭で簡単な印をつけていた。通った荷車、白い上着の人数、門が開いた時刻。必要なことだけを短く残している

「午前だけで二台」

低く言う。

「昨日より多いですか」

「昨日と同じくらい。でも、今日は出る方を見たい」

セシアも頷く。

白い家へ運び込まれる箱や布は、もう何度も見た。
問題はそこから何が出ていくかだった。

白い家の前を、町の人間が荷を担いで横切る。女が洗濯桶を運ぶ。白くない服の職員らしい男が裏へ回る。正面から見れば、ただの療養施設の昼だ。

だが、門の脇に立つ白い上着の男だけが、その空気を壊していた。

静かだ。
怒ってはいない。
それでも、あの白さを見た人間は、すぐに視線を逸らす。

町は白い家を知っている。
そして、知っているまま黙っている。

「……あの人、昨日の」

セシアが小さく言う。

門のそばに立った白い上着の男は、昨夜地下で対峙したあの男ではなかった。だが、同じ種類の静けさをまとっている。白い上着を着た人間は、皆ああいう顔になるのかと思うほどだった。

リゼは首を振る。

「違う。でも、配置が変わってる」

「配置?」

「昨日は門と側面と裏でばらけてた。今日は門の前が厚い」

その言葉に、セシアはもう一度白い家を見る。

たしかに、正面に集められている。
見られたくないものが出る日は、むしろ人目を遠ざけるために目立つ場所を固めるのかもしれない。

昼を少し回ったころ、白い家の側面で動きがあった。

搬入口の扉が開く。
白くない服の男が二人、木箱を担いで出てくる。昨日見たものより小さな箱だった。ひとつ、ふたつ、みっつ。荷台へ積み上げる。

そのあとに、白い上着の男が一人出てきた。
箱の数を目で確認し、荷台の後ろへ何か小さな木札を差し込む。

「……札」

セシアが呟く。

リゼの目が細くなる。

「見たいね」

「でも、近づけません」

「近づかなくていい。出た先で見る」

そう言ってから、リゼは窓枠の下へ身体を沈めた。

「次の荷が動いたら追う」

「白い家の正面からですか」

「いや、最初は横。町を抜けるまで距離を取る」

荷車が出るのを待つあいだ、時間は妙に長く感じられた。

白い家は相変わらず穏やかな顔をしている。
それが腹立たしかった。

中で何が起きていても、あの白い壁は何も知らない顔で立っている。静かで、正しく見えて、何も悪いことなどしていないように。

だが、その静けさの下にトマがまだいる。

白い部屋を通り、番号で呼ばれ、順番を待たされるかもしれない。

そのことを思うだけで、セシアの胸はじわじわと冷たくなった。

やがて荷車が動いた。

箱を積んだ荷台。
御者。
脇に白い上着の男が一人。

ごく普通の配送に見える。
だが荷台の布はきつく縛られ、木札は奥まった位置に差し込まれていて、見せたくない何かを隠している感じがした。

リゼが立ち上がる。

「行くよ」

二人は空き家を出た。

町の人の流れに混じるようにしながら、荷車と一定の距離を保つ。近づきすぎれば気づかれる。離れすぎれば見失う。荷車は大通りを通らず、白い家のある側から町の北へ向かう細い道を選んだ。

「北ですね」

「うん。まっすぐ」

白い家から北へ。

祈祷書の中の紙が、胸元でかすかに擦れる。

北舎。

昨日見つけたその言葉が、急に現実味を帯びる。

荷車は町の中心を避けるように進んだ。古い倉庫が並ぶ一角を抜け、使われなくなった井戸の脇を通り、さらに北側の外れへ出る。

そこは人の少ない場所だった。

石壁の低い建物がいくつか固まり、その奥に、やけに白い壁をした細長い建物がある。白い家ほど整ってはいない。

もっと実務的で、倉庫のように味気ない。

けれど、壁の白さと窓の少なさが妙に目を引いた。

荷車はその建物の脇で止まった。

「……あれ」

セシアが息を飲む。

入口の上に、小さな木板が掛かっていた。風雨で文字は薄れている。だが、近くの壁に寄りかかるように見れば、どうにか読めた。

北舎

セシアの胸が強く打つ。

「……ありました」

リゼも同じものを見ていたらしい。

「うん。しかも思ったより、あからさま」

北舎。
白い家の紙の中にあった言葉が、今、建物の名としてそこにある。

荷車から箱が下ろされる。
白くない服の男が二人。
白い上着の男が一人、帳面を持っている。

白い家の延長だ。

「どうしますか」

セシアが聞くと、リゼは少しだけ考えた。

「今日は中まで行かない」

すぐに続ける。

「場所が分かった。それで十分」

「でも」

「ここで焦ると、白い家と同じになる」

その一言に、セシアは口を閉じた。

たしかにそうだった。
北舎は見つけた。
それだけで、今までよりずっと進んでいる。

今ここで飛び込めば、また全部を落とすかもしれない。

セシアは視線を北舎へ戻す。

その入口の影で、一瞬だけ誰かが動いた。

子どもだった。

ほんの一瞬。
すぐに中へ引っ込んだ。
だが、見間違えるはずがない。

セシアの喉が詰まる。

「……います」

リゼの目が鋭くなる。

「見えた?」

「はい」

「子ども?」

セシアは頷いた。

トマかどうかまでは分からない。
でも、白い家から運ばれてきたのが箱だけではないと、それだけで十分だった。

北舎は倉庫ではない。
少なくとも、それだけではない。

白い家の先にある場所。
そしてその先でも、まだ名前は剥がされる。

「戻ろう」

リゼが低く言う。

今度はセシアもすぐに頷いた。

帰って伝えなければならない。
ミナにも、エナにも、ルイにも。
白い家の先が、実際にあったことを。

二人は来た道をそのまま戻った。町の中へ入るころには、北舎の白い壁はもう見えなくなっていたが、セシアの中にははっきり残っていた。

白い家は終点ではなかった。

その先に、北舎がある。
そしてたぶん、まだその先もある。

隠れ場所へ戻ると、ミナが真っ先に顔を上げた。

「……どうだった」

セシアは祈祷書を抱え直して答える。

「ありました」

「白い家の先です」

リゼが短く続ける。

「北舎って名前の建物があった。白い家から荷が出て、そこへ運ばれてた」

エナの顔色が変わる。
ルイも言葉を失ったまま、こちらを見る。

「……中には」

小さく聞いたのはルイだった。

「見えた」

セシアは正直に言う。

「子どもがいました」

部屋の空気が静かに重くなる。

トマかどうかは分からない。
でも、白い家から消えた先に、まだ子どもがいる。

それだけでもう、十分だった。

リゼが地図を広げる。
白い家から北へ伸びる道。
倉庫街。
その先の細長い建物。

「次はここ」

木炭で強く印をつける。

「白い家は入口だった。北舎は次の部屋」

セシアはその線を見つめた。

白の行方は、見え始めている。
もう、白い家だけを壊して終わりにはできない。

トマの名前は、まだ祈祷書の中にある。

そこへ辿り着くための道が、ようやく一本、見えた気がした。


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白い家を見張るのは、白い家へ入るよりずっと退屈で、ずっと疲れた。
朝から昼まで、ほとんど何も起こらないように見える時間が続く。
けれど、その「何もなさ」が本当ではないと知っているせいで、セシアはかえって目を逸らせなかった。
隠れ場所を移してから半日。
ミナ、エナ、ルイの三人は古い染物屋の二階に残し、セシアとリゼだけが町外れへ戻っていた。
見張りに使っているのは、白い家から二つ通りを隔てた空き家だった。壁の一部が崩れ、窓は片方しか残っていない。床板も抜けかけているが、表から覗き込まれにくく、白い家の正面と側面の両方を遠目に見られる。
リゼは窓枠の陰にしゃがみ、膝の上へ木炭で簡単な印をつけていた。通った荷車、白い上着の人数、門が開いた時刻。必要なことだけを短く残している
「午前だけで二台」
低く言う。
「昨日より多いですか」
「昨日と同じくらい。でも、今日は出る方を見たい」
セシアも頷く。
白い家へ運び込まれる箱や布は、もう何度も見た。
問題はそこから何が出ていくかだった。
白い家の前を、町の人間が荷を担いで横切る。女が洗濯桶を運ぶ。白くない服の職員らしい男が裏へ回る。正面から見れば、ただの療養施設の昼だ。
だが、門の脇に立つ白い上着の男だけが、その空気を壊していた。
静かだ。
怒ってはいない。
それでも、あの白さを見た人間は、すぐに視線を逸らす。
町は白い家を知っている。
そして、知っているまま黙っている。
「……あの人、昨日の」
セシアが小さく言う。
門のそばに立った白い上着の男は、昨夜地下で対峙したあの男ではなかった。だが、同じ種類の静けさをまとっている。白い上着を着た人間は、皆ああいう顔になるのかと思うほどだった。
リゼは首を振る。
「違う。でも、配置が変わってる」
「配置?」
「昨日は門と側面と裏でばらけてた。今日は門の前が厚い」
その言葉に、セシアはもう一度白い家を見る。
たしかに、正面に集められている。
見られたくないものが出る日は、むしろ人目を遠ざけるために目立つ場所を固めるのかもしれない。
昼を少し回ったころ、白い家の側面で動きがあった。
搬入口の扉が開く。
白くない服の男が二人、木箱を担いで出てくる。昨日見たものより小さな箱だった。ひとつ、ふたつ、みっつ。荷台へ積み上げる。
そのあとに、白い上着の男が一人出てきた。
箱の数を目で確認し、荷台の後ろへ何か小さな木札を差し込む。
「……札」
セシアが呟く。
リゼの目が細くなる。
「見たいね」
「でも、近づけません」
「近づかなくていい。出た先で見る」
そう言ってから、リゼは窓枠の下へ身体を沈めた。
「次の荷が動いたら追う」
「白い家の正面からですか」
「いや、最初は横。町を抜けるまで距離を取る」
荷車が出るのを待つあいだ、時間は妙に長く感じられた。
白い家は相変わらず穏やかな顔をしている。
それが腹立たしかった。
中で何が起きていても、あの白い壁は何も知らない顔で立っている。静かで、正しく見えて、何も悪いことなどしていないように。
だが、その静けさの下にトマがまだいる。
白い部屋を通り、番号で呼ばれ、順番を待たされるかもしれない。
そのことを思うだけで、セシアの胸はじわじわと冷たくなった。
やがて荷車が動いた。
箱を積んだ荷台。
御者。
脇に白い上着の男が一人。
ごく普通の配送に見える。
だが荷台の布はきつく縛られ、木札は奥まった位置に差し込まれていて、見せたくない何かを隠している感じがした。
リゼが立ち上がる。
「行くよ」
二人は空き家を出た。
町の人の流れに混じるようにしながら、荷車と一定の距離を保つ。近づきすぎれば気づかれる。離れすぎれば見失う。荷車は大通りを通らず、白い家のある側から町の北へ向かう細い道を選んだ。
「北ですね」
「うん。まっすぐ」
白い家から北へ。
祈祷書の中の紙が、胸元でかすかに擦れる。
北舎。
昨日見つけたその言葉が、急に現実味を帯びる。
荷車は町の中心を避けるように進んだ。古い倉庫が並ぶ一角を抜け、使われなくなった井戸の脇を通り、さらに北側の外れへ出る。
そこは人の少ない場所だった。
石壁の低い建物がいくつか固まり、その奥に、やけに白い壁をした細長い建物がある。白い家ほど整ってはいない。
もっと実務的で、倉庫のように味気ない。
けれど、壁の白さと窓の少なさが妙に目を引いた。
荷車はその建物の脇で止まった。
「……あれ」
セシアが息を飲む。
入口の上に、小さな木板が掛かっていた。風雨で文字は薄れている。だが、近くの壁に寄りかかるように見れば、どうにか読めた。
北舎
セシアの胸が強く打つ。
「……ありました」
リゼも同じものを見ていたらしい。
「うん。しかも思ったより、あからさま」
北舎。
白い家の紙の中にあった言葉が、今、建物の名としてそこにある。
荷車から箱が下ろされる。
白くない服の男が二人。
白い上着の男が一人、帳面を持っている。
白い家の延長だ。
「どうしますか」
セシアが聞くと、リゼは少しだけ考えた。
「今日は中まで行かない」
すぐに続ける。
「場所が分かった。それで十分」
「でも」
「ここで焦ると、白い家と同じになる」
その一言に、セシアは口を閉じた。
たしかにそうだった。
北舎は見つけた。
それだけで、今までよりずっと進んでいる。
今ここで飛び込めば、また全部を落とすかもしれない。
セシアは視線を北舎へ戻す。
その入口の影で、一瞬だけ誰かが動いた。
子どもだった。
ほんの一瞬。
すぐに中へ引っ込んだ。
だが、見間違えるはずがない。
セシアの喉が詰まる。
「……います」
リゼの目が鋭くなる。
「見えた?」
「はい」
「子ども?」
セシアは頷いた。
トマかどうかまでは分からない。
でも、白い家から運ばれてきたのが箱だけではないと、それだけで十分だった。
北舎は倉庫ではない。
少なくとも、それだけではない。
白い家の先にある場所。
そしてその先でも、まだ名前は剥がされる。
「戻ろう」
リゼが低く言う。
今度はセシアもすぐに頷いた。
帰って伝えなければならない。
ミナにも、エナにも、ルイにも。
白い家の先が、実際にあったことを。
二人は来た道をそのまま戻った。町の中へ入るころには、北舎の白い壁はもう見えなくなっていたが、セシアの中にははっきり残っていた。
白い家は終点ではなかった。
その先に、北舎がある。
そしてたぶん、まだその先もある。
隠れ場所へ戻ると、ミナが真っ先に顔を上げた。
「……どうだった」
セシアは祈祷書を抱え直して答える。
「ありました」
「白い家の先です」
リゼが短く続ける。
「北舎って名前の建物があった。白い家から荷が出て、そこへ運ばれてた」
エナの顔色が変わる。
ルイも言葉を失ったまま、こちらを見る。
「……中には」
小さく聞いたのはルイだった。
「見えた」
セシアは正直に言う。
「子どもがいました」
部屋の空気が静かに重くなる。
トマかどうかは分からない。
でも、白い家から消えた先に、まだ子どもがいる。
それだけでもう、十分だった。
リゼが地図を広げる。
白い家から北へ伸びる道。
倉庫街。
その先の細長い建物。
「次はここ」
木炭で強く印をつける。
「白い家は入口だった。北舎は次の部屋」
セシアはその線を見つめた。
白の行方は、見え始めている。
もう、白い家だけを壊して終わりにはできない。
トマの名前は、まだ祈祷書の中にある。
そこへ辿り着くための道が、ようやく一本、見えた気がした。