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第24話 底に残るもの

ー/ー



貸部屋へ戻った時には、夜の色がわずかに薄くなり始めていた。

朝にはまだ早い。
それでも、夜がずっと続くわけではないと分かるだけで、逆に息が詰まる。

扉を閉めた瞬間、ミナとエナが立ち上がった。
ルイはその二人の顔を見た途端、張りつめていた肩を小さく揺らす。

「……ルイ」

ミナが名前を呼ぶと、ルイはすぐには返事ができなかった。
地下から引き出され、走って、転びそうになりながらここまで来たのだ。今はまだ、自分がどこにいるのかを確かめるだけで精いっぱいなのかもしれない。

エナが寝台の端を少しずらす。

「……こっち」

その声もまだ弱い。
だが、白い家の下にいた時の声とは違っていた。

ルイはふらつきながら寝台へ座り込んだ。ミナが毛布を引き寄せて肩へかける。エナは何も言わずに水袋を差し出した。

その小さなやりとりを見て、セシアはようやく少しだけ息を吐いた。

二人は出せた。
けれど終わってはいない。

白い上着の男の声が、まだ耳の奥に残っている。

白祈院の子だったね。

その言葉を思い出すだけで、背筋が冷たくなった。

リゼは窓際へ行き、外を一度だけ確かめると、机の上へ地図と紙束を広げた。

今夜、白い家は二人の子を失っている。
警戒しないはずがない。

セシアは祈祷書から挟んでいた紙を取り出した。エナ、ルイ、トマ。上位照会の紙。自分の記録。そして、待機室の小机から掴んできた順番表の切れ端。

リゼが先にその切れ端を広げる。

「十九がエナ。二十六がルイだった」

ルイの肩がぴくりと揺れた。

「……その数字、呼ばれた」

掠れた声だった。

「白い人の前だと、名前じゃなくて……数字」

ミナが俯いたまま言う。

「わたしも」

エナも小さく頷く。

番号で呼ばれる時と、名前で呼ばれる時がある。
選ぶ側に見せる時だけ、名前が剥がされる。

そのやり方が嫌で、セシアは紙を持つ指に少しだけ力を込めた。

リゼは順番表を机に置き、隣へ上位照会の紙を並べる。

「十九と二十六の次があるか、そこを見たい」

紙の端にはいくつかの番号が並んでいた。今夜照会。保留解除。移送対象。短い言葉ばかりだが、それだけで十分すぎるほど意味が分かる。

セシアは別の紙を引き寄せる。
トマの記録だった。

トマ 九
反応薄
保留継続

その下に、細い字で追記がある。

再照会候補

喉の奥がひりつく。

「……トマは、まだ候補に残ってます」

「まだってことは、次に回る可能性があるってことだね」

リゼの声は低い。

セシアは頷いた。

「今夜じゃなくても……このままにしたら、また」

また鐘が鳴る。
また誰かが見られる。
また名前が消える。

エナが紙を見つめたまま小さく言う。

「トマ、歩くの遅いの」

セシアとリゼがそちらを見る。

「だから、いつも後にされる」

エナは膝の上で指を握りしめる。

「でも……遅い子は、あとでまとめて見られることがある」

その言い方が嫌だった。

あとでまとめて。
人のことを、荷物みたいに。

ルイも少し迷ってから口を開く。

「白い部屋のあと、戻らない子がいる」

「上へ行くって言われるやつですね」

セシアが静かに言うと、ルイは頷いた。

「……でも、どこに行くかは教えない」

部屋の中に沈黙が落ちる。

窓の外では、まだ夜が細く続いている。
けれどその夜は、もう終わりに向かっている。

白い家の側も、次の手を考えているはずだ。

「今夜は、もう戻れない」

リゼが言った。

その声に、誰も反論しない。

「顔も割れた。あの白いのにも見られた。さすがに今から三回目は無謀だね」

現実だった。

セシアにも分かっている。
今の状態で戻れば、今度こそ白い家の底に閉じ込められる側になるかもしれない。

それでも胸の奥がざらつくのは、トマの名前がまだ紙の上に残っているからだ。

「……でも、置いていけないです」

小さく言うと、リゼは頷いた。

「置いてかない。今夜は戻らないだけ」

その言葉に、ミナがようやく顔を上げる。

「……じゃあ、どうするの」

リゼは机の上の紙を揃え直した。

「夜が明けたら、まず移る。ここは長く使えない」

窓の外へ目を向ける。

「その上で、白い家から何が出るかを見る。箱か、人か、書類か。今夜二人抜けたから、あっちは順番を変えるかもしれない」

セシアは祈祷書の間に挟んだ自分の記録へ指を触れた。

セシア・エルシオン
反応残留
継続観察
現時点移送見送り

見送り。

その言葉の意味を、白い上着の男は知っていた。
記録で自分を知っていた。
ということは、白い家の上にいる誰かもまた、自分のことを知っているかもしれない。

白祈院から逃げたつもりでいて、記録の中ではまだ消えていなかったのだ。

「……あのひと、僕たちのこと分かってたの?」

ルイの小さな声に、セシアは一瞬だけ目を閉じた。

「私のことは」

それだけ言ってから、言葉を選ぶ。

「白祈院にいたことを知っていました」

ミナもエナも、息を止めたようにこちらを見る。

ルイはまだよく分からないらしい。
けれど、知らなくても感じるものはあるのだろう。空気がさらに重くなる。

エナが小さく聞く。

「……じゃあ、追ってくる?」

セシアはすぐに答えられなかった。

追ってくる。
たぶんそうだ。

でも、ここで黙ってしまう方がもっと駄目だと思った。

「来るかもしれません」

正直に言う。

「でも、それでも名前は残ります」

机の上の紙へ視線を落とす。
ミナ。エナ。ルイ。トマ。

四つの名前がある。

「消されたくないから、持ってきました」

ルイがその紙を見たまま、ぽつりと言う。

「……名前、外にあるんだ」

その一言で、セシアの胸が締めつけられる。

この子たちは、名前が自分の外に残ることを当たり前だと思えないのだ。

「あります」

静かに答える。

「ここに」

エナが震える声で続ける。

「……トマも、残る?」

セシアは迷わなかった。

「残します」

その言葉が、今の自分の本音だった。

全員を今すぐ助けられない。
でも、なかったことにはしない。

それだけは、もう譲れなかった。

リゼが地図を畳みながら言う。

「次は白い家そのものを見るだけじゃ足りない」

その声は、少しだけ低かった。

「記録がどこへ流れるのか。人がどこへ運ばれるのか。上がどこにあるのか。そこまで追わないと、また別の白い家が出てくる」

セシアは頷く。

白い家の底は、地下の床で終わっていなかった。
その先へ繋がっている。

白祈院。
上位照会。
移送対象。

白い場所はひとつじゃない。

窓の外が少しだけ白んだ。

夜が終わる。

けれど、白い家の夜が終わったわけではない。
底に残ったものは、まだそこにある。

セシアは祈祷書を閉じた。

紙が重なり合う音が、小さく鳴る。

ミナも、エナも、ルイも、机の上の紙を見ていた。
そしてその先にある、まだ戻ってこない名前を。

トマ。

その名だけが、部屋の中に静かに残り続けていた。

仲間と名前を確認する


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貸部屋へ戻った時には、夜の色がわずかに薄くなり始めていた。
朝にはまだ早い。
それでも、夜がずっと続くわけではないと分かるだけで、逆に息が詰まる。
扉を閉めた瞬間、ミナとエナが立ち上がった。
ルイはその二人の顔を見た途端、張りつめていた肩を小さく揺らす。
「……ルイ」
ミナが名前を呼ぶと、ルイはすぐには返事ができなかった。
地下から引き出され、走って、転びそうになりながらここまで来たのだ。今はまだ、自分がどこにいるのかを確かめるだけで精いっぱいなのかもしれない。
エナが寝台の端を少しずらす。
「……こっち」
その声もまだ弱い。
だが、白い家の下にいた時の声とは違っていた。
ルイはふらつきながら寝台へ座り込んだ。ミナが毛布を引き寄せて肩へかける。エナは何も言わずに水袋を差し出した。
その小さなやりとりを見て、セシアはようやく少しだけ息を吐いた。
二人は出せた。
けれど終わってはいない。
白い上着の男の声が、まだ耳の奥に残っている。
白祈院の子だったね。
その言葉を思い出すだけで、背筋が冷たくなった。
リゼは窓際へ行き、外を一度だけ確かめると、机の上へ地図と紙束を広げた。
今夜、白い家は二人の子を失っている。
警戒しないはずがない。
セシアは祈祷書から挟んでいた紙を取り出した。エナ、ルイ、トマ。上位照会の紙。自分の記録。そして、待機室の小机から掴んできた順番表の切れ端。
リゼが先にその切れ端を広げる。
「十九がエナ。二十六がルイだった」
ルイの肩がぴくりと揺れた。
「……その数字、呼ばれた」
掠れた声だった。
「白い人の前だと、名前じゃなくて……数字」
ミナが俯いたまま言う。
「わたしも」
エナも小さく頷く。
番号で呼ばれる時と、名前で呼ばれる時がある。
選ぶ側に見せる時だけ、名前が剥がされる。
そのやり方が嫌で、セシアは紙を持つ指に少しだけ力を込めた。
リゼは順番表を机に置き、隣へ上位照会の紙を並べる。
「十九と二十六の次があるか、そこを見たい」
紙の端にはいくつかの番号が並んでいた。今夜照会。保留解除。移送対象。短い言葉ばかりだが、それだけで十分すぎるほど意味が分かる。
セシアは別の紙を引き寄せる。
トマの記録だった。
トマ 九
反応薄
保留継続
その下に、細い字で追記がある。
再照会候補
喉の奥がひりつく。
「……トマは、まだ候補に残ってます」
「まだってことは、次に回る可能性があるってことだね」
リゼの声は低い。
セシアは頷いた。
「今夜じゃなくても……このままにしたら、また」
また鐘が鳴る。
また誰かが見られる。
また名前が消える。
エナが紙を見つめたまま小さく言う。
「トマ、歩くの遅いの」
セシアとリゼがそちらを見る。
「だから、いつも後にされる」
エナは膝の上で指を握りしめる。
「でも……遅い子は、あとでまとめて見られることがある」
その言い方が嫌だった。
あとでまとめて。
人のことを、荷物みたいに。
ルイも少し迷ってから口を開く。
「白い部屋のあと、戻らない子がいる」
「上へ行くって言われるやつですね」
セシアが静かに言うと、ルイは頷いた。
「……でも、どこに行くかは教えない」
部屋の中に沈黙が落ちる。
窓の外では、まだ夜が細く続いている。
けれどその夜は、もう終わりに向かっている。
白い家の側も、次の手を考えているはずだ。
「今夜は、もう戻れない」
リゼが言った。
その声に、誰も反論しない。
「顔も割れた。あの白いのにも見られた。さすがに今から三回目は無謀だね」
現実だった。
セシアにも分かっている。
今の状態で戻れば、今度こそ白い家の底に閉じ込められる側になるかもしれない。
それでも胸の奥がざらつくのは、トマの名前がまだ紙の上に残っているからだ。
「……でも、置いていけないです」
小さく言うと、リゼは頷いた。
「置いてかない。今夜は戻らないだけ」
その言葉に、ミナがようやく顔を上げる。
「……じゃあ、どうするの」
リゼは机の上の紙を揃え直した。
「夜が明けたら、まず移る。ここは長く使えない」
窓の外へ目を向ける。
「その上で、白い家から何が出るかを見る。箱か、人か、書類か。今夜二人抜けたから、あっちは順番を変えるかもしれない」
セシアは祈祷書の間に挟んだ自分の記録へ指を触れた。
セシア・エルシオン
反応残留
継続観察
現時点移送見送り
見送り。
その言葉の意味を、白い上着の男は知っていた。
記録で自分を知っていた。
ということは、白い家の上にいる誰かもまた、自分のことを知っているかもしれない。
白祈院から逃げたつもりでいて、記録の中ではまだ消えていなかったのだ。
「……あのひと、僕たちのこと分かってたの?」
ルイの小さな声に、セシアは一瞬だけ目を閉じた。
「私のことは」
それだけ言ってから、言葉を選ぶ。
「白祈院にいたことを知っていました」
ミナもエナも、息を止めたようにこちらを見る。
ルイはまだよく分からないらしい。
けれど、知らなくても感じるものはあるのだろう。空気がさらに重くなる。
エナが小さく聞く。
「……じゃあ、追ってくる?」
セシアはすぐに答えられなかった。
追ってくる。
たぶんそうだ。
でも、ここで黙ってしまう方がもっと駄目だと思った。
「来るかもしれません」
正直に言う。
「でも、それでも名前は残ります」
机の上の紙へ視線を落とす。
ミナ。エナ。ルイ。トマ。
四つの名前がある。
「消されたくないから、持ってきました」
ルイがその紙を見たまま、ぽつりと言う。
「……名前、外にあるんだ」
その一言で、セシアの胸が締めつけられる。
この子たちは、名前が自分の外に残ることを当たり前だと思えないのだ。
「あります」
静かに答える。
「ここに」
エナが震える声で続ける。
「……トマも、残る?」
セシアは迷わなかった。
「残します」
その言葉が、今の自分の本音だった。
全員を今すぐ助けられない。
でも、なかったことにはしない。
それだけは、もう譲れなかった。
リゼが地図を畳みながら言う。
「次は白い家そのものを見るだけじゃ足りない」
その声は、少しだけ低かった。
「記録がどこへ流れるのか。人がどこへ運ばれるのか。上がどこにあるのか。そこまで追わないと、また別の白い家が出てくる」
セシアは頷く。
白い家の底は、地下の床で終わっていなかった。
その先へ繋がっている。
白祈院。
上位照会。
移送対象。
白い場所はひとつじゃない。
窓の外が少しだけ白んだ。
夜が終わる。
けれど、白い家の夜が終わったわけではない。
底に残ったものは、まだそこにある。
セシアは祈祷書を閉じた。
紙が重なり合う音が、小さく鳴る。
ミナも、エナも、ルイも、机の上の紙を見ていた。
そしてその先にある、まだ戻ってこない名前を。
トマ。
その名だけが、部屋の中に静かに残り続けていた。