第21話 選ばれた子
ー/ー白い部屋の前まで戻ったところで、通路の向こう側に人影が差した。
白い上着ではない。だが、さっきの男たちと同じく、この地下を回す側の人間だと分かる。
リゼが白布の陰へセシアを押し込む。
人影は白い部屋へ入らず、そのまま待機室の方へ向かった。
「……十九番、起こせ」
低い声が、通路越しに聞こえた。
セシアの胸が大きく打つ。
十九番。
記録室で見た。
エナの紙の上にあった言葉。
今夜照会
今まさに、その順番が始まっている。
白布の陰からわずかに覗く。
待機室の中ははっきりとは見えない。
けれど、動きだけは分かった。
白くない服の男が一人、寝台の端にしゃがみ込み、誰かの肩をゆする。もう一人が木札を確認している。
小さな声がした。
「……やだ」
震える、かすれた声だった。
セシアの喉が詰まる。
それがエナなのだと、分かってしまう。
男は無理に怒鳴らなかった。
ただ慣れた手つきで腕を取る。抵抗させないように立たせ、ふらつく身体を壁際へ寄せる。その穏やかさが、余計に恐ろしい。
白い部屋へ連れていくつもりだ。
リゼが目だけで問いかけてくる。
どうする。
答えは、もうセシアの中にあった。
ここで引けば、今夜選ばれるのはエナになる。
そう分かってしまった以上、ただ持ち帰るだけでは終われない。
セシアは、ほんのわずかに頷いた。
リゼの目が細くなる。止めはしない。
ただ、無茶だけはするなと伝えるように、一瞬だけ手首を握った。
男たちがエナを白い部屋の方へ連れていく。
今しかない。
待機室の中に残る気配は三つ。
眠っているか、動けないか、ただ黙っているか。いずれにせよ、すぐには騒がれない。
リゼが先に動いた。
白布の反対側から、わざと小さく木札を落とす。
乾いた音が、通路に跳ねた。
「誰だ」
男の一人が振り向く。
その一瞬の間に、セシアは待機室へ滑り込んだ。
寝台の端にいた小さな子が、目だけを動かしてこちらを見る。
セシアは息を整え、低く囁く。
「静かにしてください」
その声に、子どもは驚いた顔をした。だが叫ばない。叫び方を忘れたような静けさで、ただ見ている。
待機室の中央、小机の上に木札と薄い板が並んでいる。
番号札と、簡単な順番表らしい。
十九 白室
二十六 待機
十二 保留
エナは十九。
次に動くのは二十六。
その紙の端に、さらに小さく刻まれた追記がある。
照会後、上へ
セシアの背中が冷える。
白い部屋で終わりではない。
あそこは確認の場所で、その先がある。
『……たすけて』
胸の奥へ、声が落ちる。
目の前の子ではない。
通路の向こう、白い部屋へ連れていかれたエナの方からだ。
セシアは机の上の紙を掴み、祈祷書へ挟んだ。
その時、待機室の端にいた別の子が、ほんの少しだけ口を動かす。
「……エナ」
声だった。
それがあまりにも小さくて、逆に心臓が強く鳴った。
「大丈夫です」
そう言ってしまってから、自分でも嘘だと思った。
でも、何も言わないままではいられなかった。
通路ではまだリゼが男の気を引いている。
「鍵落としてるよ」
「なんだと」
「そっちじゃなくて、白布の向こう」
淡々とした声。
軽口にも聞こえるが、時間を稼いでいるのが分かる。
セシアは待機室を出た。
白い部屋の扉は半開きになっている。
その隙間から見えたのは、中央の低い台に座らされたエナの姿だった。
年はミナより少し上だろうか。
頬がこけ、手首が細い。
けれど、まだ完全には折れていない目をしている。
白い部屋には、白い上着の男が一人いた。
初めて見る顔だった。
年齢は三十代の半ばくらい。痩せていて、整った横顔をしている。怒っているわけでもない。むしろ穏やかで、声も静かだった。
「手を見せて」
その言い方が、やけに優しい。
だからこそ、余計に気味が悪い。
エナは怯えながらも手を出す。
男はその指先を見て、次に顔を上げ、ほんの少しだけ歩かせるように顎で示した。
「もう少し前に」
セシアの脳裏に、白祈院の記憶が重なる。
体調確認。
祝福の反応。
見るための歩かせ方。
あれも同じだったのかもしれない。
『……いや』
エナの声が、胸の奥へ落ちる。
セシアは息を浅くした。
ここで引けば、エナはそのまま“上”へ送られる。
でも正面から踏み込めば、待機室の子まで巻き込むかもしれない。
リゼが、通路の向こうでわざと強く棚を揺らした。
何かが崩れる音。
白い部屋の男が一瞬だけ顔を上げる。
その隙を逃さず、セシアは扉の内側へ踏み込んだ。
「その子を離してください」
自分でも驚くほど、声は震えていなかった。
白い上着の男がゆっくり振り向く。
穏やかな顔だった。
目だけが冷たい。
その目で見られた瞬間、セシアは背筋に走る寒気を覚えた。
選ぶ側の目だ。
男は驚きも怒りも見せなかった。
ただ、セシアを見て、次に祈祷書へ視線を落とす。
「……夜の見舞い客にしては、遅すぎる」
その静かな声が、かえって嫌だった。
「その子を連れていきます」
セシアが言うと、男はほんのわずかに首を傾げる。
「連れていけると思うのかい」
問いかけなのに、答えを求めていない声だった。
最初から否定している。
その時、リゼが通路の陰から低く言った。
「思うかどうかじゃない。連れてく」
男の視線がそちらへ流れた瞬間、セシアはエナの手を掴んだ。
細くて、冷たい。
でも生きている手だ。
「走れますか」
エナは答えない。
だが、掴まれた瞬間に強く震えた。
それでも、足は動いた。
白い上着の男が一歩だけ前へ出る。
そこで初めて、顔にかすかな苛立ちが浮いた。
「待て」
短い一言だった。
その圧だけで、従ってしまいそうな声。
けれど、セシアは止まらない。
白い上着ではない。だが、さっきの男たちと同じく、この地下を回す側の人間だと分かる。
リゼが白布の陰へセシアを押し込む。
人影は白い部屋へ入らず、そのまま待機室の方へ向かった。
「……十九番、起こせ」
低い声が、通路越しに聞こえた。
セシアの胸が大きく打つ。
十九番。
記録室で見た。
エナの紙の上にあった言葉。
今夜照会
今まさに、その順番が始まっている。
白布の陰からわずかに覗く。
待機室の中ははっきりとは見えない。
けれど、動きだけは分かった。
白くない服の男が一人、寝台の端にしゃがみ込み、誰かの肩をゆする。もう一人が木札を確認している。
小さな声がした。
「……やだ」
震える、かすれた声だった。
セシアの喉が詰まる。
それがエナなのだと、分かってしまう。
男は無理に怒鳴らなかった。
ただ慣れた手つきで腕を取る。抵抗させないように立たせ、ふらつく身体を壁際へ寄せる。その穏やかさが、余計に恐ろしい。
白い部屋へ連れていくつもりだ。
リゼが目だけで問いかけてくる。
どうする。
答えは、もうセシアの中にあった。
ここで引けば、今夜選ばれるのはエナになる。
そう分かってしまった以上、ただ持ち帰るだけでは終われない。
セシアは、ほんのわずかに頷いた。
リゼの目が細くなる。止めはしない。
ただ、無茶だけはするなと伝えるように、一瞬だけ手首を握った。
男たちがエナを白い部屋の方へ連れていく。
今しかない。
待機室の中に残る気配は三つ。
眠っているか、動けないか、ただ黙っているか。いずれにせよ、すぐには騒がれない。
リゼが先に動いた。
白布の反対側から、わざと小さく木札を落とす。
乾いた音が、通路に跳ねた。
「誰だ」
男の一人が振り向く。
その一瞬の間に、セシアは待機室へ滑り込んだ。
寝台の端にいた小さな子が、目だけを動かしてこちらを見る。
セシアは息を整え、低く囁く。
「静かにしてください」
その声に、子どもは驚いた顔をした。だが叫ばない。叫び方を忘れたような静けさで、ただ見ている。
待機室の中央、小机の上に木札と薄い板が並んでいる。
番号札と、簡単な順番表らしい。
十九 白室
二十六 待機
十二 保留
エナは十九。
次に動くのは二十六。
その紙の端に、さらに小さく刻まれた追記がある。
照会後、上へ
セシアの背中が冷える。
白い部屋で終わりではない。
あそこは確認の場所で、その先がある。
『……たすけて』
胸の奥へ、声が落ちる。
目の前の子ではない。
通路の向こう、白い部屋へ連れていかれたエナの方からだ。
セシアは机の上の紙を掴み、祈祷書へ挟んだ。
その時、待機室の端にいた別の子が、ほんの少しだけ口を動かす。
「……エナ」
声だった。
それがあまりにも小さくて、逆に心臓が強く鳴った。
「大丈夫です」
そう言ってしまってから、自分でも嘘だと思った。
でも、何も言わないままではいられなかった。
通路ではまだリゼが男の気を引いている。
「鍵落としてるよ」
「なんだと」
「そっちじゃなくて、白布の向こう」
淡々とした声。
軽口にも聞こえるが、時間を稼いでいるのが分かる。
セシアは待機室を出た。
白い部屋の扉は半開きになっている。
その隙間から見えたのは、中央の低い台に座らされたエナの姿だった。
年はミナより少し上だろうか。
頬がこけ、手首が細い。
けれど、まだ完全には折れていない目をしている。
白い部屋には、白い上着の男が一人いた。
初めて見る顔だった。
年齢は三十代の半ばくらい。痩せていて、整った横顔をしている。怒っているわけでもない。むしろ穏やかで、声も静かだった。
「手を見せて」
その言い方が、やけに優しい。
だからこそ、余計に気味が悪い。
エナは怯えながらも手を出す。
男はその指先を見て、次に顔を上げ、ほんの少しだけ歩かせるように顎で示した。
「もう少し前に」
セシアの脳裏に、白祈院の記憶が重なる。
体調確認。
祝福の反応。
見るための歩かせ方。
あれも同じだったのかもしれない。
『……いや』
エナの声が、胸の奥へ落ちる。
セシアは息を浅くした。
ここで引けば、エナはそのまま“上”へ送られる。
でも正面から踏み込めば、待機室の子まで巻き込むかもしれない。
リゼが、通路の向こうでわざと強く棚を揺らした。
何かが崩れる音。
白い部屋の男が一瞬だけ顔を上げる。
その隙を逃さず、セシアは扉の内側へ踏み込んだ。
「その子を離してください」
自分でも驚くほど、声は震えていなかった。
白い上着の男がゆっくり振り向く。
穏やかな顔だった。
目だけが冷たい。
その目で見られた瞬間、セシアは背筋に走る寒気を覚えた。
選ぶ側の目だ。
男は驚きも怒りも見せなかった。
ただ、セシアを見て、次に祈祷書へ視線を落とす。
「……夜の見舞い客にしては、遅すぎる」
その静かな声が、かえって嫌だった。
「その子を連れていきます」
セシアが言うと、男はほんのわずかに首を傾げる。
「連れていけると思うのかい」
問いかけなのに、答えを求めていない声だった。
最初から否定している。
その時、リゼが通路の陰から低く言った。
「思うかどうかじゃない。連れてく」
男の視線がそちらへ流れた瞬間、セシアはエナの手を掴んだ。
細くて、冷たい。
でも生きている手だ。
「走れますか」
エナは答えない。
だが、掴まれた瞬間に強く震えた。
それでも、足は動いた。
白い上着の男が一歩だけ前へ出る。
そこで初めて、顔にかすかな苛立ちが浮いた。
「待て」
短い一言だった。
その圧だけで、従ってしまいそうな声。
けれど、セシアは止まらない。

リゼが通路へ飛び込み、男の前へ木箱を蹴り出した。
箱が床を滑り、男の足を止める。
「今!」
エナを引いて、白い部屋を飛び出す。
待機室の前を通る。
その瞬間、寝台の端にいた子どもがセシアを見ていた。助けを求めるでもなく、ただ見ているだけの目だった。
胸が痛む。
だが今は、全員は無理だ。
セシアは奥歯を噛み、エナの手を離さずに走った。
リゼがすぐ後ろにつく。
通路の奥で、人の声が重なる。
「誰だ!」
「白の部屋から出すな!」
追われる音が近づく。
台所奥の扉まで辿り着いた時、鍵は開いたままだった。
さっきの管理役が戻る前だったのだろう。
リゼが扉を押し開ける。
三人で駆け上がる。
階段。
水場。
台所の薄暗い明かり。
誰もいない。
搬入口まで戻るのは危険だった。
リゼは迷わず台所の反対側へ曲がる。
「こっち!」
使用人用の細い通路を抜ける。
途中で桶を蹴りそうになり、セシアは身を強張らせた。エナの息は浅く、今にも崩れそうだ。
裏手の扉。
押し開ける。
夜気が流れ込む。
その瞬間、背後で怒鳴り声が上がった。
「いたぞ!」
三人で走る。
塀沿い。
箱の陰。
低い壁。
リゼが先に乗り越え、エナを引き上げる。次にセシア。足元の土が崩れ、危うく滑りそうになるが、どうにか越える。
向こう側へ落ちた瞬間、膝に衝撃が走った。
痛い。
だが止まれない。
白い家から少しずつ距離が開く。
それでも、追う声はすぐには消えなかった。
ようやく暗い路地へ滑り込み、人気のない裏通りまで来て、三人はやっと足を止めた。
エナが壁に手をついたまま、激しく咳き込む。
セシアも息が上がって、喉が焼けるようだった。
リゼが素早く周囲を見回し、低く言う。
「……たぶんまいたかな」
たぶん。
その言葉の重さを、誰も口にしない。
エナはまだ状況を呑み込めていないようだった。
細い肩が震え、セシアとリゼを見比べる。
「……なんで」
その問いに、セシアは一瞬だけ言葉に詰まる。
なんで助けたのか。
なんで自分の名前でもないのに、ここまで来たのか。
答えは、もう決まっていた。
「名前があったからです」
掠れた声で言う。
エナの目が揺れる。
「……なまえ」
「消されたくないので」
それだけ言うと、エナはしばらく何も言わなかった。
やがて、ごく小さく唇を震わせる。
「……わたし、選ばれるんだと思ってた」
その一言が、セシアの胸に深く刺さった。
白祈院にいた頃の自分も、少しだけ似たことを思っていた気がしたからだ。選ばれることが救いかもしれないと、どこかで期待していた。
でも違う。
少なくとも、あの白い部屋で行われていたことは救いではなかった。
「……外に行けるって、言われてた」
エナの声は震えていた。
「いい子なら、上に行けるって」
リゼが短く息を吐く。
「そうやって従わせてたんだね」
セシアは祈祷書を抱え直した。
中には持ち出した記録がある。ミナのもの。エナのもの。トマのもの。上位照会の紙。そして、自分の名前のある紙。
重い。
でも、手放したくはなかった。
それらは全部、消されそうになっていたものだからだ。
「戻りましょう」
セシアが言うと、リゼが頷く。
「うん。でも今夜は、もう一回入るには厳しい」
その言葉に、セシアは目を伏せる。
分かっている。
エナは助けられた。だが、待機室にはまだ残っていた。目だけをこちらへ向けていた子どもたちがいる。
今夜一度戻れば、今度こそ終わるかもしれない。
それでも、胸の奥にはまだ薄い声が残っていた。
取りこぼした名前が、まだ底にある。
エナが小さく言う。
「……まだ、いる」
セシアは頷いた。
「はい」
「ルイと……トマ」
その名前を聞いた瞬間、祈祷書の重みがまた増した気がした。
名前がある。
だから、終われない。
白い家の夜は、まだ終わっていない。
箱が床を滑り、男の足を止める。
「今!」
エナを引いて、白い部屋を飛び出す。
待機室の前を通る。
その瞬間、寝台の端にいた子どもがセシアを見ていた。助けを求めるでもなく、ただ見ているだけの目だった。
胸が痛む。
だが今は、全員は無理だ。
セシアは奥歯を噛み、エナの手を離さずに走った。
リゼがすぐ後ろにつく。
通路の奥で、人の声が重なる。
「誰だ!」
「白の部屋から出すな!」
追われる音が近づく。
台所奥の扉まで辿り着いた時、鍵は開いたままだった。
さっきの管理役が戻る前だったのだろう。
リゼが扉を押し開ける。
三人で駆け上がる。
階段。
水場。
台所の薄暗い明かり。
誰もいない。
搬入口まで戻るのは危険だった。
リゼは迷わず台所の反対側へ曲がる。
「こっち!」
使用人用の細い通路を抜ける。
途中で桶を蹴りそうになり、セシアは身を強張らせた。エナの息は浅く、今にも崩れそうだ。
裏手の扉。
押し開ける。
夜気が流れ込む。
その瞬間、背後で怒鳴り声が上がった。
「いたぞ!」
三人で走る。
塀沿い。
箱の陰。
低い壁。
リゼが先に乗り越え、エナを引き上げる。次にセシア。足元の土が崩れ、危うく滑りそうになるが、どうにか越える。
向こう側へ落ちた瞬間、膝に衝撃が走った。
痛い。
だが止まれない。
白い家から少しずつ距離が開く。
それでも、追う声はすぐには消えなかった。
ようやく暗い路地へ滑り込み、人気のない裏通りまで来て、三人はやっと足を止めた。
エナが壁に手をついたまま、激しく咳き込む。
セシアも息が上がって、喉が焼けるようだった。
リゼが素早く周囲を見回し、低く言う。
「……たぶんまいたかな」
たぶん。
その言葉の重さを、誰も口にしない。
エナはまだ状況を呑み込めていないようだった。
細い肩が震え、セシアとリゼを見比べる。
「……なんで」
その問いに、セシアは一瞬だけ言葉に詰まる。
なんで助けたのか。
なんで自分の名前でもないのに、ここまで来たのか。
答えは、もう決まっていた。
「名前があったからです」
掠れた声で言う。
エナの目が揺れる。
「……なまえ」
「消されたくないので」
それだけ言うと、エナはしばらく何も言わなかった。
やがて、ごく小さく唇を震わせる。
「……わたし、選ばれるんだと思ってた」
その一言が、セシアの胸に深く刺さった。
白祈院にいた頃の自分も、少しだけ似たことを思っていた気がしたからだ。選ばれることが救いかもしれないと、どこかで期待していた。
でも違う。
少なくとも、あの白い部屋で行われていたことは救いではなかった。
「……外に行けるって、言われてた」
エナの声は震えていた。
「いい子なら、上に行けるって」
リゼが短く息を吐く。
「そうやって従わせてたんだね」
セシアは祈祷書を抱え直した。
中には持ち出した記録がある。ミナのもの。エナのもの。トマのもの。上位照会の紙。そして、自分の名前のある紙。
重い。
でも、手放したくはなかった。
それらは全部、消されそうになっていたものだからだ。
「戻りましょう」
セシアが言うと、リゼが頷く。
「うん。でも今夜は、もう一回入るには厳しい」
その言葉に、セシアは目を伏せる。
分かっている。
エナは助けられた。だが、待機室にはまだ残っていた。目だけをこちらへ向けていた子どもたちがいる。
今夜一度戻れば、今度こそ終わるかもしれない。
それでも、胸の奥にはまだ薄い声が残っていた。
取りこぼした名前が、まだ底にある。
エナが小さく言う。
「……まだ、いる」
セシアは頷いた。
「はい」
「ルイと……トマ」
その名前を聞いた瞬間、祈祷書の重みがまた増した気がした。
名前がある。
だから、終われない。
白い家の夜は、まだ終わっていない。
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