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第15話 逃がした夜

ー/ー



夜の町外れは、昼よりも静かだった。

人の気配が薄いのは昼間から同じだったが、夜になるとそれがさらに際立つ。遠くに灯りはある。家の中で誰かが生きている気配も、まったくないわけではない。

それでも、この辺りだけは妙に音が少ない。

犬の鳴き声すらしない。

セシアは息を潜めながら、暗がりの中で白い家を見上げた。

昼間よりも、なお白い。

月明かりを受けた壁が、暗闇の中でぼんやりと浮かび上がっている。その姿は穏やかで、静かで、外から見れば本当に“病人を預かる家”にしか見えなかった。

だからこそ、余計に気味が悪い。

「……まだ戻れるよ」

隣で、リゼが小さく言った。

冗談めいた声ではなかった。
本気で、一度だけ確認している声だった。

セシアは目を逸らさないまま答える。

「戻りません」

その返事は、自分でも驚くほど迷いがなかった。

怖い。
見つかるかもしれない。
捕まればどうなるか分からない。

でも、もう知ってしまっている。

名簿から消された子どもがいる。
地下から声が聞こえる。
ここで選ばれているものがある。

それを知ったまま、見なかったことにはできない。

リゼは一瞬だけ黙り、それから肩をすくめた。

「じゃ、行こうか」

二人は昼間と同じく、裏手の小屋の方から近づいた。

夜は視界が悪い分、隠れやすい。だが、そのぶん一つの物音が大きい。草を踏む音、布が擦れる音、呼吸の乱れすら目立つ気がした。

白い家の裏手に回り込む。

建物の壁に沿って、小屋の影へ滑り込む。

今夜は明かりが少ない。
だが完全に無人というわけではなかった。

窓の一つに、灯りが見える。

「見張りはいるね」

リゼが囁く。

「……はい」

「だから短く済ませる。見つけたら、全部じゃなくて連れて出せるかを優先する」

セシアは小さく頷いた。

その言葉の意味は重かった。

今夜の目的は証拠ではない。
もし本当に誰かが地下にいるなら、まずそこへ辿り着くこと。そして、可能なら外へ出すこと。

小屋の中へ入る。

昨日と同じ匂い。
乾いた木と、古い布と、閉じ込められた空気の匂い。

リゼが床板を持ち上げる。

その下の隠し空間から、昼間確認した書類の束が見える。だが、今夜の二人の視線はそれより奥だった。

隠し空間の奥、右側の板壁。

昼間、セシアが下を感じたあたりだ。

「……ここ」

セシアが囁くと、リゼが手を当てる。

軽く押す。
動かない。

もう少し力を込める。

わずかに、ずれる。

「当たり」

リゼが低く言った。

板を外すと、その向こうに狭い通路が現れた。

大人一人が身をかがめて通れる程度の幅。土と石でできた粗い空間で、ひんやりと冷たい空気が流れてくる。

地下だ。

セシアの喉が強く鳴りそうになるのを、必死で押さえた。

「……行ける?」

リゼが聞く。

セシアは頷く。

「はい」

「じゃあ前は私。あんたは後ろで、聞こえたらすぐ言って」

その言葉に、セシアは一瞬だけ目を見開いた。

自然だった。

自分にできることを前提にしてくれている。

「……分かりました」

通路へ入る。

土が湿っている。
壁はざらつき、ところどころ木の補強が入っていた。急ごしらえではなく、ある程度継続的に使われている空間だと分かる。

数歩進むだけで、空気が変わる。

地上の白い静けさとは違う。
ここには、隠されたものの気配がある。

息苦しい。

胸の奥がざわつく。

『……いや』

落ちてくる。

小さな声。
近い。

「……聞こえました」

セシアが小さく言う。

「どっち」

「前です」

リゼは頷き、そのまま進む。

やがて通路は少し広がり、低い木の扉の前に出た。

鍵はかかっていない。

リゼがゆっくり押し開ける。

中は、狭い部屋だった。

地下牢というほどではない。
だが、部屋と呼ぶにはあまりにも寒々しい。

石壁。
粗末な寝台。
毛布。
小さな水差し。

そして、部屋の隅に、小さな影がうずくまっていた。

子どもだった。

七つか、八つ。
細い腕。
薄い服。
顔を上げたその目が、暗がりの中でわずかに揺れる。

セシアの息が止まりかける。

「……ミナ」

思わず、その名前が出た。

子どもの肩がびくりと揺れた。

「え……」

かすれた声だった。

ちゃんと、生きている声だ。

セシアは数歩だけ近づいた。

「……あなた、ミナですか」

子どもはすぐには答えなかった。
だが、その目が怯えと戸惑いの中で揺れている。

「……なんで、知ってるの」

セシアの胸の奥が痛んだ。

その一言だけで、この子がここでどう扱われてきたのか、少しだけ分かってしまう。

名前を呼ばれることすら、もう普通じゃなくなっている。

「あなたの字を見ました」

できるだけ静かに言う。

「紙に、書いてあったから」

ミナの目が揺れる。

リゼは扉の外を警戒しながら、低く言った。

「話はあと。歩ける?」

ミナは反射的に身を縮めた。

「だめ」

「だめ?」

「だめ……見つかったら、また」

その言葉に、セシアの喉が詰まる。

また。

つまり、ここに入れられたのは一度ではないのかもしれない。

セシアはしゃがみ込んだ。
ミナと目線を合わせる。

「……外に出たいですか」

その問いに、ミナの唇が小さく震える。

返事はすぐにはなかった。
でも、それは“分からない”からではなく、“言っていいか分からない”沈黙に見えた。

「……出たい」

ようやく出た声は、とても小さかった。

「でも……ここにいたら、選ばれなくてすむから」

その言葉に、セシアの背中が冷える。

選ばれなくてすむ。

白祈院と、同じだ。

選ばれることは、救いではない。
むしろ、何かを奪われることだと、この子はもう知っている。

「……ミナ」

セシアはゆっくりと言う。

「ここにいたら、なくなってしまいます」

自分でも、どうしてそんな言い方をしたのか分からなかった。
でも、それがいちばん近い気がした。

「名前も、声も、ここにいたことも」

ミナの目が大きく揺れる。

その時だった。

通路の向こうで、微かな音がした。

足音。

リゼが一瞬で表情を変える。

「来る」

短い一言だった。

セシアの心臓が跳ねる。

「ミナ、立てますか」

「……こわい」

「分かってます」

セシアは手を差し出した。

「でも、今しかないです」

ミナの手は細く、冷たかった。
一瞬だけ躊躇ったあと、ようやくその小さな手がセシアの指に触れる。

その瞬間、胸の奥へいくつもの断片が落ちた。

暗い廊下。
白い手。
「静かにしなさい」という声。
選ばれた子。
戻ってこなかった子。

セシアは息を呑む。

だが今は、それを受け止めるより先に動かなければならない。

「行きます」

ミナを支えるようにして立たせる。

軽い。
軽すぎる。

リゼが先に通路へ出て、低く舌打ちした。

「まずい、もう近い」

足音は確かに近づいていた。
白い家の上側からではなく、この地下へ降りてくる方向からだ。

つまり、ここへ来る人間がいる。

「戻るよ」

リゼが言う。

「来た道で」

三人で通路を引き返す。

ミナはふらつきながらも必死についてくる。セシアはその小さな手を離さないようにしながら、暗い通路を急いだ。

後ろから、扉の開く音がした。

誰かが地下室へ入った。

「……いない?」

男の声だった。

白い上着の男かどうかまでは分からない。
でも、探している声だ。

リゼが小さく舌打ちする。

「走れる?」

セシアは答える代わりに、ミナの背を押した。

狭い通路を抜け、小屋の中へ戻る。

床板を押し上げる。

先にリゼが出る。
次にセシア。
最後にミナを引き上げる。

その瞬間、通路の奥から人の気配が近づくのが分かった。

「急いで!」

リゼが囁く。

小屋の正面からは出られない。

昼間見つけた、板壁の隙間。
そこへ三人で身を滑らせる。

狭い。
服が引っかかる。
ミナの息が荒い。

それでも、なんとか外の細い空間へ抜けた。

直後、小屋の中で床板の音がした。

誰かが出てきた。

セシアは反射的にミナを抱き寄せる。

リゼが先導し、塀沿いに低く走る。

夜の空気が肺に刺さる。

怖い。
見つかる。
でも、今は止まれない。

裏手の低い塀を越える。

リゼが先に飛び、手を差し伸べる。セシアがミナを押し上げる。次に自分が登る。

その時、背後で声が上がった。

「いたぞ!」

セシアの全身が強張る。

見つかった。

「走って!」

リゼの声が飛ぶ。

三人で草地を駆ける。ミナは途中で何度も足をもつれさせ、そのたびにセシアが支えた。

町外れの崩れた石壁まで来て、ようやく白い家の視線から外れる。

それでも止まらず、さらに暗い路地まで入ってから、ようやく三人は息をついた。

ミナはその場に座り込み、肩を震わせていた。

セシアも息が上がって、肺が焼けるように痛い。

リゼがまず周囲を確認し、それから短く言った。

「……追ってきてない」

その一言で、ようやく少しだけ呼吸が戻る。

セシアはミナの前にしゃがみ込んだ。

ミナはまだ怯えた目をしていたが、さっき地下で見た時よりは少しだけ“生きている顔”に戻っていた。

「……大丈夫ですか」

ミナはすぐには頷けなかった。
でも、小さく小さく、首を動かした。

「……ほんとに、出た」

その呟きが、セシアの胸に深く刺さる。

ほんとに、出た。

そんなふうに言わなければならない場所に、この子はいた。

リゼが低く息を吐く。

「これで終わりじゃないね」

セシアも分かっていた。

ミナを一人出せたから終わりではない。

むしろ、これで確定した。

あの白い家の下には、本当に隠されていたものがある。
そして、それはたぶんミナ一人じゃない。

「……まだ、います」

セシアが呟く。

胸の奥には、まだ薄い声の残響があった。

遠い。
けれど、消えていない。

リゼも頷く。

「うん。だから、次は“どう潰すか”を考える」

その言葉に、セシアはミナを見た。

小さな身体。
細い手首。
怯えの残る目。

それでも、この子はここにいる。

名前を失わずに、ここに。

セシアはそっと、自分の祈祷書を抱え直した。

拾ってしまったものが、またひとつ増えた。

でも、今はそれでいいと思えた。


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夜の町外れは、昼よりも静かだった。
人の気配が薄いのは昼間から同じだったが、夜になるとそれがさらに際立つ。遠くに灯りはある。家の中で誰かが生きている気配も、まったくないわけではない。
それでも、この辺りだけは妙に音が少ない。
犬の鳴き声すらしない。
セシアは息を潜めながら、暗がりの中で白い家を見上げた。
昼間よりも、なお白い。
月明かりを受けた壁が、暗闇の中でぼんやりと浮かび上がっている。その姿は穏やかで、静かで、外から見れば本当に“病人を預かる家”にしか見えなかった。
だからこそ、余計に気味が悪い。
「……まだ戻れるよ」
隣で、リゼが小さく言った。
冗談めいた声ではなかった。
本気で、一度だけ確認している声だった。
セシアは目を逸らさないまま答える。
「戻りません」
その返事は、自分でも驚くほど迷いがなかった。
怖い。
見つかるかもしれない。
捕まればどうなるか分からない。
でも、もう知ってしまっている。
名簿から消された子どもがいる。
地下から声が聞こえる。
ここで選ばれているものがある。
それを知ったまま、見なかったことにはできない。
リゼは一瞬だけ黙り、それから肩をすくめた。
「じゃ、行こうか」
二人は昼間と同じく、裏手の小屋の方から近づいた。
夜は視界が悪い分、隠れやすい。だが、そのぶん一つの物音が大きい。草を踏む音、布が擦れる音、呼吸の乱れすら目立つ気がした。
白い家の裏手に回り込む。
建物の壁に沿って、小屋の影へ滑り込む。
今夜は明かりが少ない。
だが完全に無人というわけではなかった。
窓の一つに、灯りが見える。
「見張りはいるね」
リゼが囁く。
「……はい」
「だから短く済ませる。見つけたら、全部じゃなくて連れて出せるかを優先する」
セシアは小さく頷いた。
その言葉の意味は重かった。
今夜の目的は証拠ではない。
もし本当に誰かが地下にいるなら、まずそこへ辿り着くこと。そして、可能なら外へ出すこと。
小屋の中へ入る。
昨日と同じ匂い。
乾いた木と、古い布と、閉じ込められた空気の匂い。
リゼが床板を持ち上げる。
その下の隠し空間から、昼間確認した書類の束が見える。だが、今夜の二人の視線はそれより奥だった。
隠し空間の奥、右側の板壁。
昼間、セシアが下を感じたあたりだ。
「……ここ」
セシアが囁くと、リゼが手を当てる。
軽く押す。
動かない。
もう少し力を込める。
わずかに、ずれる。
「当たり」
リゼが低く言った。
板を外すと、その向こうに狭い通路が現れた。
大人一人が身をかがめて通れる程度の幅。土と石でできた粗い空間で、ひんやりと冷たい空気が流れてくる。
地下だ。
セシアの喉が強く鳴りそうになるのを、必死で押さえた。
「……行ける?」
リゼが聞く。
セシアは頷く。
「はい」
「じゃあ前は私。あんたは後ろで、聞こえたらすぐ言って」
その言葉に、セシアは一瞬だけ目を見開いた。
自然だった。
自分にできることを前提にしてくれている。
「……分かりました」
通路へ入る。
土が湿っている。
壁はざらつき、ところどころ木の補強が入っていた。急ごしらえではなく、ある程度継続的に使われている空間だと分かる。
数歩進むだけで、空気が変わる。
地上の白い静けさとは違う。
ここには、隠されたものの気配がある。
息苦しい。
胸の奥がざわつく。
『……いや』
落ちてくる。
小さな声。
近い。
「……聞こえました」
セシアが小さく言う。
「どっち」
「前です」
リゼは頷き、そのまま進む。
やがて通路は少し広がり、低い木の扉の前に出た。
鍵はかかっていない。
リゼがゆっくり押し開ける。
中は、狭い部屋だった。
地下牢というほどではない。
だが、部屋と呼ぶにはあまりにも寒々しい。
石壁。
粗末な寝台。
毛布。
小さな水差し。
そして、部屋の隅に、小さな影がうずくまっていた。
子どもだった。
七つか、八つ。
細い腕。
薄い服。
顔を上げたその目が、暗がりの中でわずかに揺れる。
セシアの息が止まりかける。
「……ミナ」
思わず、その名前が出た。
子どもの肩がびくりと揺れた。
「え……」
かすれた声だった。
ちゃんと、生きている声だ。
セシアは数歩だけ近づいた。
「……あなた、ミナですか」
子どもはすぐには答えなかった。
だが、その目が怯えと戸惑いの中で揺れている。
「……なんで、知ってるの」
セシアの胸の奥が痛んだ。
その一言だけで、この子がここでどう扱われてきたのか、少しだけ分かってしまう。
名前を呼ばれることすら、もう普通じゃなくなっている。
「あなたの字を見ました」
できるだけ静かに言う。
「紙に、書いてあったから」
ミナの目が揺れる。
リゼは扉の外を警戒しながら、低く言った。
「話はあと。歩ける?」
ミナは反射的に身を縮めた。
「だめ」
「だめ?」
「だめ……見つかったら、また」
その言葉に、セシアの喉が詰まる。
また。
つまり、ここに入れられたのは一度ではないのかもしれない。
セシアはしゃがみ込んだ。
ミナと目線を合わせる。
「……外に出たいですか」
その問いに、ミナの唇が小さく震える。
返事はすぐにはなかった。
でも、それは“分からない”からではなく、“言っていいか分からない”沈黙に見えた。
「……出たい」
ようやく出た声は、とても小さかった。
「でも……ここにいたら、選ばれなくてすむから」
その言葉に、セシアの背中が冷える。
選ばれなくてすむ。
白祈院と、同じだ。
選ばれることは、救いではない。
むしろ、何かを奪われることだと、この子はもう知っている。
「……ミナ」
セシアはゆっくりと言う。
「ここにいたら、なくなってしまいます」
自分でも、どうしてそんな言い方をしたのか分からなかった。
でも、それがいちばん近い気がした。
「名前も、声も、ここにいたことも」
ミナの目が大きく揺れる。
その時だった。
通路の向こうで、微かな音がした。
足音。
リゼが一瞬で表情を変える。
「来る」
短い一言だった。
セシアの心臓が跳ねる。
「ミナ、立てますか」
「……こわい」
「分かってます」
セシアは手を差し出した。
「でも、今しかないです」
ミナの手は細く、冷たかった。
一瞬だけ躊躇ったあと、ようやくその小さな手がセシアの指に触れる。
その瞬間、胸の奥へいくつもの断片が落ちた。
暗い廊下。
白い手。
「静かにしなさい」という声。
選ばれた子。
戻ってこなかった子。
セシアは息を呑む。
だが今は、それを受け止めるより先に動かなければならない。
「行きます」
ミナを支えるようにして立たせる。
軽い。
軽すぎる。
リゼが先に通路へ出て、低く舌打ちした。
「まずい、もう近い」
足音は確かに近づいていた。
白い家の上側からではなく、この地下へ降りてくる方向からだ。
つまり、ここへ来る人間がいる。
「戻るよ」
リゼが言う。
「来た道で」
三人で通路を引き返す。
ミナはふらつきながらも必死についてくる。セシアはその小さな手を離さないようにしながら、暗い通路を急いだ。
後ろから、扉の開く音がした。
誰かが地下室へ入った。
「……いない?」
男の声だった。
白い上着の男かどうかまでは分からない。
でも、探している声だ。
リゼが小さく舌打ちする。
「走れる?」
セシアは答える代わりに、ミナの背を押した。
狭い通路を抜け、小屋の中へ戻る。
床板を押し上げる。
先にリゼが出る。
次にセシア。
最後にミナを引き上げる。
その瞬間、通路の奥から人の気配が近づくのが分かった。
「急いで!」
リゼが囁く。
小屋の正面からは出られない。
昼間見つけた、板壁の隙間。
そこへ三人で身を滑らせる。
狭い。
服が引っかかる。
ミナの息が荒い。
それでも、なんとか外の細い空間へ抜けた。
直後、小屋の中で床板の音がした。
誰かが出てきた。
セシアは反射的にミナを抱き寄せる。
リゼが先導し、塀沿いに低く走る。
夜の空気が肺に刺さる。
怖い。
見つかる。
でも、今は止まれない。
裏手の低い塀を越える。
リゼが先に飛び、手を差し伸べる。セシアがミナを押し上げる。次に自分が登る。
その時、背後で声が上がった。
「いたぞ!」
セシアの全身が強張る。
見つかった。
「走って!」
リゼの声が飛ぶ。
三人で草地を駆ける。ミナは途中で何度も足をもつれさせ、そのたびにセシアが支えた。
町外れの崩れた石壁まで来て、ようやく白い家の視線から外れる。
それでも止まらず、さらに暗い路地まで入ってから、ようやく三人は息をついた。
ミナはその場に座り込み、肩を震わせていた。
セシアも息が上がって、肺が焼けるように痛い。
リゼがまず周囲を確認し、それから短く言った。
「……追ってきてない」
その一言で、ようやく少しだけ呼吸が戻る。
セシアはミナの前にしゃがみ込んだ。
ミナはまだ怯えた目をしていたが、さっき地下で見た時よりは少しだけ“生きている顔”に戻っていた。
「……大丈夫ですか」
ミナはすぐには頷けなかった。
でも、小さく小さく、首を動かした。
「……ほんとに、出た」
その呟きが、セシアの胸に深く刺さる。
ほんとに、出た。
そんなふうに言わなければならない場所に、この子はいた。
リゼが低く息を吐く。
「これで終わりじゃないね」
セシアも分かっていた。
ミナを一人出せたから終わりではない。
むしろ、これで確定した。
あの白い家の下には、本当に隠されていたものがある。
そして、それはたぶんミナ一人じゃない。
「……まだ、います」
セシアが呟く。
胸の奥には、まだ薄い声の残響があった。
遠い。
けれど、消えていない。
リゼも頷く。
「うん。だから、次は“どう潰すか”を考える」
その言葉に、セシアはミナを見た。
小さな身体。
細い手首。
怯えの残る目。
それでも、この子はここにいる。
名前を失わずに、ここに。
セシアはそっと、自分の祈祷書を抱え直した。
拾ってしまったものが、またひとつ増えた。
でも、今はそれでいいと思えた。