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船上のバス停

ー/ー



 小学生の頃から、私はずっとある夢を定期的に見ていた。と言っても、高校生になる前までのことではあるのだが。キッカケはきっと、母に連れられて美術館へ行った際に見たポストカードだろうと思う。間違いなくその絵に影響を受けていたに違いないほど、状況が一致していた。
 
 夢の内容は、大まかには同じもの。
 
 まず、夜だった。朝や昼であったことは一度としてない。星が出ていたか否かは曖昧に溶けている。しかし月が出ていたことだけは間違いない。
 次に、船の上にいた。毎回毎回、必ず船が夜の海に浮かび、進むことも流されることもせずにそこにあった。まるで海底から隆起した山の頂を、そのまま船の形に整えたのではないかというほどに、一切揺れることもなく。だから、「あった」なのだ。

 ここまででも、すでに夢らしい「あり得なさ」が野放しにされているが、決定的なのは別にある。
 その船上には、必ず赤いバス停看板が置かれていたのだ。調べたところ、この形状は『ひまわり型』と呼ばれるものらしい。どうしてか、それがバス停であるものと、夢の私は当然と受け入れていた。

 船には必ず人がいた。影法師がそのまま立ち尽くしているような、そんな黒いシルエット。それが、そのバス停看板に並んでいた。私はこの夢において、必ずこの列に並んでいるようだった。
 人影は、その手に必ず何かの光源を持ってもいた。それはランタンのようなものであることもあったが、多くの場合は蝋燭の灯る燭台を持つか、あるいは素手でそのまま蝋燭を握っていたような気がする。

 静かだったと思う。
 私はいつしか、それがいつもの夢であることを受け入れるようになっていたようにも思う。
 ただただ静かに、なぜか来るものと見做していた、しかし来るはずのないバスを待っていた。
 波のような音が、あったかもしれない。
 夏にはどこからか鈴虫の鳴き声も聞いたかもしれない。

 やはり記憶は溶けている。

 このバスを待っているときの記憶や、決して列を外れても飛ばしてもならないという戒めめいた感情は覚えているのに、どうやってこの夢から覚めたかはどうにも分からなかった。思い出せないというよりも、そもそも記憶していたのかも怪しいほどに、これに関しては曖昧どころでなくポッカリと存在が確認できない。
 どうしてあの夢を見なくなったのだろうか。高校生の頃には、おそらく見なくなっていたと思う。

 私は、バスに乗ったのだろうか。
 待っていたそれが来て、私にとってのあの夢は終わりを告げたのだろうか。
 分からない。思い出せない。覚えていない。

 私はこの夢を、長く忘却していた。
 「過去の出来事」にも「思い出」にも分類されなかったこの夢は、思い出そうという試みそのものが適さなかった。それを、どうして今頃になって思い出したのか。

 もっとも、実を言うとこの記憶自体が正しいものであるか分からないところがあった。実に心許ないことに、私はこれらの記憶が妄想でないことを証明する方法が、すぐには頭に浮かばなかった。他人に対しては当然として、それは自分自身に対してすらも確信が持てない。

 そこで、久しぶりにこの夢について思い出した(少なくとも主観上は「思い出し」た)私は、母にこの夢について話してみることにした。これだけ特徴的な夢である。それも、少なくとも複数回導かれてもいるヘンな夢。当時の私が母に話していないとも限らないと思った。

 しかし……結局母は何も知らなかった。沈黙するばかりの母に、ともすればややムキになった私は、予定した以上に詳細な夢の情報を語り聞かせもしたが、母の反応に特段の変化もなかった。
 ならばと私はアプローチを変え、美術館の話へと話題を切り替える工夫にでた。でたのだが……やはりこれもダメだった。小学生頃、私はたびたび母に連れられて美術館や個展に足を運んでいたため、一体どこでのことなのかを特定する術がなかったのだ。ポストカードの話にも、母は特段の覚えはないという。確かに、ポストカードを手にしていた記憶はあるものの、それを買って欲しいとねだった記憶も、買い与えられた覚えもない。ただ適当に手に取ってそれを眺め、記憶に留めて元の場所に戻した可能性も大いにあるのだ。
 八方塞がりだった。

 だが、そんな停滞は思いの外長く続かなかった。少なくともこの夢の存在は間違いないと言えるものを、私は見つけ出すことに成功したのだ。

 絵だ。
 当時の日記帳や授業のノートに描かれた絵。

 小学生の頃、私は所謂『問題児』だった。
 授業に興味が湧かず、興味のないものに向き合うことがどうしてもできなかった私は、静かにしていることを期待されて、黙々とラクガキをすることを黙認されていた。絵とは言っても鉛筆で描かれた色味のないものだ。今はどうか知らないが、当時の私の通う小学校は黒の鉛筆しか持ってくることを許されていなかったから、ラクガキは必然的にモノクロとなる。

 ヨレた日記帳やらノートやらに、それはたびたび、さまざまな濃さで描かれていた。
 たまに妙な工夫をして屋根を描き加えるなどの変化はあったが、ほとんど記憶にあるままの状況が、薄ら寒さすら覚える執拗さで描かれていた。ポストカードのイラストを思い出しながら描いたことは遠く思い出しかけていたが、これほどに影響されていたことはまるで覚えていなかった。現にその絵を目にして尚、その執着は思い出せなかった。まるで実感もない、しかし間違いなく自分が描いた絵。自分とこの絵の作者が、意図しない繋がれ方をされたような不快感があった。

 分かったことはこれだけ。
 本当にオチも何もなく、たったこれだけ。
 なぜだか変に硬い文になっていた気がする。私自身がこの夢を特別視しているのが理由かもしれない。ただ、いくら特別視したところで、実際に起きたことは大したことのない記憶違いに他ならない。

 にも拘らず、こうしてキーボードを叩きながらも、妙な妄想が頭のどこか遠い内側に居座っている。
 
 ————今もあそこには影法師たちがいて、私の代わりの誰かと共に、ああしてバスを待っているんじゃないだろうか?

 なぜか私には、そんな妄想が確たる事実にしか思えずにいる。


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 小学生の頃から、私はずっとある夢を定期的に見ていた。と言っても、高校生になる前までのことではあるのだが。キッカケはきっと、母に連れられて美術館へ行った際に見たポストカードだろうと思う。間違いなくその絵に影響を受けていたに違いないほど、状況が一致していた。
 夢の内容は、大まかには同じもの。
 まず、夜だった。朝や昼であったことは一度としてない。星が出ていたか否かは曖昧に溶けている。しかし月が出ていたことだけは間違いない。
 次に、船の上にいた。毎回毎回、必ず船が夜の海に浮かび、進むことも流されることもせずにそこにあった。まるで海底から隆起した山の頂を、そのまま船の形に整えたのではないかというほどに、一切揺れることもなく。だから、「あった」なのだ。
 ここまででも、すでに夢らしい「あり得なさ」が野放しにされているが、決定的なのは別にある。
 その船上には、必ず赤いバス停看板が置かれていたのだ。調べたところ、この形状は『ひまわり型』と呼ばれるものらしい。どうしてか、それがバス停であるものと、夢の私は当然と受け入れていた。
 船には必ず人がいた。影法師がそのまま立ち尽くしているような、そんな黒いシルエット。それが、そのバス停看板に並んでいた。私はこの夢において、必ずこの列に並んでいるようだった。
 人影は、その手に必ず何かの光源を持ってもいた。それはランタンのようなものであることもあったが、多くの場合は蝋燭の灯る燭台を持つか、あるいは素手でそのまま蝋燭を握っていたような気がする。
 静かだったと思う。
 私はいつしか、それがいつもの夢であることを受け入れるようになっていたようにも思う。
 ただただ静かに、なぜか来るものと見做していた、しかし来るはずのないバスを待っていた。
 波のような音が、あったかもしれない。
 夏にはどこからか鈴虫の鳴き声も聞いたかもしれない。
 やはり記憶は溶けている。
 このバスを待っているときの記憶や、決して列を外れても飛ばしてもならないという戒めめいた感情は覚えているのに、どうやってこの夢から覚めたかはどうにも分からなかった。思い出せないというよりも、そもそも記憶していたのかも怪しいほどに、これに関しては曖昧どころでなくポッカリと存在が確認できない。
 どうしてあの夢を見なくなったのだろうか。高校生の頃には、おそらく見なくなっていたと思う。
 私は、バスに乗ったのだろうか。
 待っていたそれが来て、私にとってのあの夢は終わりを告げたのだろうか。
 分からない。思い出せない。覚えていない。
 私はこの夢を、長く忘却していた。
 「過去の出来事」にも「思い出」にも分類されなかったこの夢は、思い出そうという試みそのものが適さなかった。それを、どうして今頃になって思い出したのか。
 もっとも、実を言うとこの記憶自体が正しいものであるか分からないところがあった。実に心許ないことに、私はこれらの記憶が妄想でないことを証明する方法が、すぐには頭に浮かばなかった。他人に対しては当然として、それは自分自身に対してすらも確信が持てない。
 そこで、久しぶりにこの夢について思い出した(少なくとも主観上は「思い出し」た)私は、母にこの夢について話してみることにした。これだけ特徴的な夢である。それも、少なくとも複数回導かれてもいるヘンな夢。当時の私が母に話していないとも限らないと思った。
 しかし……結局母は何も知らなかった。沈黙するばかりの母に、ともすればややムキになった私は、予定した以上に詳細な夢の情報を語り聞かせもしたが、母の反応に特段の変化もなかった。
 ならばと私はアプローチを変え、美術館の話へと話題を切り替える工夫にでた。でたのだが……やはりこれもダメだった。小学生頃、私はたびたび母に連れられて美術館や個展に足を運んでいたため、一体どこでのことなのかを特定する術がなかったのだ。ポストカードの話にも、母は特段の覚えはないという。確かに、ポストカードを手にしていた記憶はあるものの、それを買って欲しいとねだった記憶も、買い与えられた覚えもない。ただ適当に手に取ってそれを眺め、記憶に留めて元の場所に戻した可能性も大いにあるのだ。
 八方塞がりだった。
 だが、そんな停滞は思いの外長く続かなかった。少なくともこの夢の存在は間違いないと言えるものを、私は見つけ出すことに成功したのだ。
 絵だ。
 当時の日記帳や授業のノートに描かれた絵。
 小学生の頃、私は所謂『問題児』だった。
 授業に興味が湧かず、興味のないものに向き合うことがどうしてもできなかった私は、静かにしていることを期待されて、黙々とラクガキをすることを黙認されていた。絵とは言っても鉛筆で描かれた色味のないものだ。今はどうか知らないが、当時の私の通う小学校は黒の鉛筆しか持ってくることを許されていなかったから、ラクガキは必然的にモノクロとなる。
 ヨレた日記帳やらノートやらに、それはたびたび、さまざまな濃さで描かれていた。
 たまに妙な工夫をして屋根を描き加えるなどの変化はあったが、ほとんど記憶にあるままの状況が、薄ら寒さすら覚える執拗さで描かれていた。ポストカードのイラストを思い出しながら描いたことは遠く思い出しかけていたが、これほどに影響されていたことはまるで覚えていなかった。現にその絵を目にして尚、その執着は思い出せなかった。まるで実感もない、しかし間違いなく自分が描いた絵。自分とこの絵の作者が、意図しない繋がれ方をされたような不快感があった。
 分かったことはこれだけ。
 本当にオチも何もなく、たったこれだけ。
 なぜだか変に硬い文になっていた気がする。私自身がこの夢を特別視しているのが理由かもしれない。ただ、いくら特別視したところで、実際に起きたことは大したことのない記憶違いに他ならない。
 にも拘らず、こうしてキーボードを叩きながらも、妙な妄想が頭のどこか遠い内側に居座っている。
 ————今もあそこには影法師たちがいて、私の代わりの誰かと共に、ああしてバスを待っているんじゃないだろうか?
 なぜか私には、そんな妄想が確たる事実にしか思えずにいる。