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我が家のこの子

ー/ー



 我が家には、一本の桜が植っている。
 家が建ったときから、それは我が家の一員であり、庭の主人としてスクスクと成長した。
 春になると、私はどこの桜よりもまずこの子(私は我が家の桜をそう呼ぶことがあった)の蕾を目にして春を感じ、花開けば喜んだ。どこの立派な桜並木よりも、どんな年輪を重ねた巨木よりも、私はこの子のすんなりとした潔い姿が好きだった。捻れることなく、蛇行もせずに、ただただ緩やかな優しさで伸びてゆく。
 この子が一番美しいと、心から納得していた。花も咲かない時期にすら、その出たちだけで美しいと思えるのはこの子だけだった。

 そんな我が家の桜は、土との相性が良かったのか年々高く広く育ち、遂には近くを通る電線にその手を届かせかねないまでになっていた。近所の人からも、この頃にはずいぶん愛でられており、学校では友人にも知られた桜となっていた。

 無邪気に「すごいすごい」とはしゃぎ、誇らしく思っていたのは私だけ。いや、私と、私よりもっと小さな妹だけだった。大人である両親からすると、この子の枝は敷地の外へまで届き、道路の上に被さる日を恐れていた。花が散り、その薄い桃色の花びらが周囲に飛散するのも、迷惑になっていないかと気にかけていた。

 そんな中での電線の話だった。発見したのは父だった。
 夕食の折、「電線は流石にまずい」––––––––そういうことを、父は唸るような低い声で母に告げた。
 つまり、それがトドメであった。

 当時の私は、それはもう反対した。理屈は両親にあった。だから、後はもう感情をぶつけるだけ。独りよがりなそれは、この子の味方ではなく、もはや誰の助けにもならなかった。子供の浅はかな癇癪。そんなものは、父の瞬間的怒りの発露によって、呆気なく吹き散らされた。庭の主人がこの子なら、我が家の主人は父なのだ。
 ただ、今なら分かる。そもそも庭に桜を植えたのは父なのだ。そんな父の気持ちを何も斟酌せず寄り添わず、そんな感情が届くはずもなかったのだ。

 業者を呼ぶと告げられ、それを明日へと迎えた最後の日、私は何をすることもなく、ただただ家の中で過ごした。庭に出るでもなく、泣いて縋るでもなく、ただただ寝転がり、ジリジリと明日を迎えようとしていた。
 そうしていても、2階の窓辺から離れないのが未練だった。2階の窓からは、空と電線、そしてこの子の枝葉が見えていた。顔を覗かせてくれるようでもあり、普段なら湧いてくる親近感は、しかしその時に限ってはただただ虚しさと悔しさに姿を変えていた。

 悲しみと無力感と、消えない後悔。そんなものが私に頑なに窓を開けさせず、この子を“切る”という選択肢を当然のように持っている両親も信じられず…………翌日業者の手によってその作業が行われるとき、私の心はそれを見ることを拒否し、ただただ終わった後の結果だけを、その空間だけを呆然と目にしていた。

 庭が広かった。
 空も広かった。
 それを快く思う気持ちは、カケラもなかった。

 私の中には、今でも進級や進学の時期に不安な背中を見送ってくれた、あの美しい桜の姿が残っている。手を振るようにそよぐこの子の姿を、私ははっきりと覚えている。
 そんな都合の良い場面ばかりを、今さらのように想起しては悲しみに暮れたのは、やはり10代特有の不安定さだったのだろうか。ずいぶんおセンチなものである。
 不安定な私は、こんな場所に架かっていた電線こそを恨まずにはいられなかったし、口にも態度にも出さなかったが、そんなぶつけようのない負の感情を抱きながらも、友人へ感情を吐露したり、先生へ両親に関する愚痴を告げ口がごとく繰り返す日々を数日過ごすと、すっかりと傷が癒えてしまったのが懐かしい。そんな自身に気づくたび、私は何か申し訳ない気がしたものだった。

 しかし、すでに述べたように大きかった桜の木は、今も我が家の庭に植っている。『挿し木』。我が家の桜は、そんな技法によってずいぶんと可愛らしいサイズとなって帰って来た。
 同じ場所に植え直してあげようと思ったが、そこは大きな沈丁花が幅を利かせており、大きかった頃ならともかくとして、今のこの子では勝てそうになかった。きっと枯れてしまう。ずっと一緒に育った沈丁花によって枯らされるなんて、そのどちらにとっても残酷すぎた。
 だから、少し違う場所に、植木鉢に入れた状態で置いておくことにしたのだった。両親は植える場所を探す私に対して、好きにさせてくれていた。それを謝罪や贖罪じみたものと受け取っていた私だったが、今にして思えば植えられる場所など知れていたから、口を出すまでもなかっただけに決まっていた。

 そうして適切な、当時の私にとっては選び出した、しかし両親にとっては予定調和であるその場所へと植木鉢を置いて、すっかりと仕事を終えた気持ちになっていた。適当なタイミングで植木鉢から解放して植え直そうとも思っていたにも拘らず、日常の中ですっかりその責務を失念してしまい、そのまま数年が経ってしまう。植木鉢の底にある穴から根を伸ばし、もうどうやっても引き抜けないところまでその根は張り巡らされていた。それが、今日である。
 枝葉は高く伸びて、すでに1階の屋根をも越えるまでになっている。かつての姿をなぞるように、この子はすくすくよく伸びる。

 それでも、この子は決して花を咲かせなかった。透き通る薄い葉を芽吹かせこそすれ、毎年新しい生活を見送ってくれた薄桃色だけは見せてはくれない。
 それでも私は夢見ている。
 いつまでここにいられるかは分からないけれど、いつかまた、あの美しく花を纏う姿を見上げることを、夢見ている。

 今日も玄関を出て、視界にこの子を迎える。

 今年も花は咲かなかった。
 それは拗ねてでもいるようで、私はゆっくりとその日を待っている。



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 我が家には、一本の桜が植っている。
 家が建ったときから、それは我が家の一員であり、庭の主人としてスクスクと成長した。
 春になると、私はどこの桜よりもまずこの子(私は我が家の桜をそう呼ぶことがあった)の蕾を目にして春を感じ、花開けば喜んだ。どこの立派な桜並木よりも、どんな年輪を重ねた巨木よりも、私はこの子のすんなりとした潔い姿が好きだった。捻れることなく、蛇行もせずに、ただただ緩やかな優しさで伸びてゆく。
 この子が一番美しいと、心から納得していた。花も咲かない時期にすら、その出たちだけで美しいと思えるのはこの子だけだった。
 そんな我が家の桜は、土との相性が良かったのか年々高く広く育ち、遂には近くを通る電線にその手を届かせかねないまでになっていた。近所の人からも、この頃にはずいぶん愛でられており、学校では友人にも知られた桜となっていた。
 無邪気に「すごいすごい」とはしゃぎ、誇らしく思っていたのは私だけ。いや、私と、私よりもっと小さな妹だけだった。大人である両親からすると、この子の枝は敷地の外へまで届き、道路の上に被さる日を恐れていた。花が散り、その薄い桃色の花びらが周囲に飛散するのも、迷惑になっていないかと気にかけていた。
 そんな中での電線の話だった。発見したのは父だった。
 夕食の折、「電線は流石にまずい」––––––––そういうことを、父は唸るような低い声で母に告げた。
 つまり、それがトドメであった。
 当時の私は、それはもう反対した。理屈は両親にあった。だから、後はもう感情をぶつけるだけ。独りよがりなそれは、この子の味方ではなく、もはや誰の助けにもならなかった。子供の浅はかな癇癪。そんなものは、父の瞬間的怒りの発露によって、呆気なく吹き散らされた。庭の主人がこの子なら、我が家の主人は父なのだ。
 ただ、今なら分かる。そもそも庭に桜を植えたのは父なのだ。そんな父の気持ちを何も斟酌せず寄り添わず、そんな感情が届くはずもなかったのだ。
 業者を呼ぶと告げられ、それを明日へと迎えた最後の日、私は何をすることもなく、ただただ家の中で過ごした。庭に出るでもなく、泣いて縋るでもなく、ただただ寝転がり、ジリジリと明日を迎えようとしていた。
 そうしていても、2階の窓辺から離れないのが未練だった。2階の窓からは、空と電線、そしてこの子の枝葉が見えていた。顔を覗かせてくれるようでもあり、普段なら湧いてくる親近感は、しかしその時に限ってはただただ虚しさと悔しさに姿を変えていた。
 悲しみと無力感と、消えない後悔。そんなものが私に頑なに窓を開けさせず、この子を“切る”という選択肢を当然のように持っている両親も信じられず…………翌日業者の手によってその作業が行われるとき、私の心はそれを見ることを拒否し、ただただ終わった後の結果だけを、その空間だけを呆然と目にしていた。
 庭が広かった。
 空も広かった。
 それを快く思う気持ちは、カケラもなかった。
 私の中には、今でも進級や進学の時期に不安な背中を見送ってくれた、あの美しい桜の姿が残っている。手を振るようにそよぐこの子の姿を、私ははっきりと覚えている。
 そんな都合の良い場面ばかりを、今さらのように想起しては悲しみに暮れたのは、やはり10代特有の不安定さだったのだろうか。ずいぶんおセンチなものである。
 不安定な私は、こんな場所に架かっていた電線こそを恨まずにはいられなかったし、口にも態度にも出さなかったが、そんなぶつけようのない負の感情を抱きながらも、友人へ感情を吐露したり、先生へ両親に関する愚痴を告げ口がごとく繰り返す日々を数日過ごすと、すっかりと傷が癒えてしまったのが懐かしい。そんな自身に気づくたび、私は何か申し訳ない気がしたものだった。
 しかし、すでに述べたように大きかった桜の木は、今も我が家の庭に植っている。『挿し木』。我が家の桜は、そんな技法によってずいぶんと可愛らしいサイズとなって帰って来た。
 同じ場所に植え直してあげようと思ったが、そこは大きな沈丁花が幅を利かせており、大きかった頃ならともかくとして、今のこの子では勝てそうになかった。きっと枯れてしまう。ずっと一緒に育った沈丁花によって枯らされるなんて、そのどちらにとっても残酷すぎた。
 だから、少し違う場所に、植木鉢に入れた状態で置いておくことにしたのだった。両親は植える場所を探す私に対して、好きにさせてくれていた。それを謝罪や贖罪じみたものと受け取っていた私だったが、今にして思えば植えられる場所など知れていたから、口を出すまでもなかっただけに決まっていた。
 そうして適切な、当時の私にとっては選び出した、しかし両親にとっては予定調和であるその場所へと植木鉢を置いて、すっかりと仕事を終えた気持ちになっていた。適当なタイミングで植木鉢から解放して植え直そうとも思っていたにも拘らず、日常の中ですっかりその責務を失念してしまい、そのまま数年が経ってしまう。植木鉢の底にある穴から根を伸ばし、もうどうやっても引き抜けないところまでその根は張り巡らされていた。それが、今日である。
 枝葉は高く伸びて、すでに1階の屋根をも越えるまでになっている。かつての姿をなぞるように、この子はすくすくよく伸びる。
 それでも、この子は決して花を咲かせなかった。透き通る薄い葉を芽吹かせこそすれ、毎年新しい生活を見送ってくれた薄桃色だけは見せてはくれない。
 それでも私は夢見ている。
 いつまでここにいられるかは分からないけれど、いつかまた、あの美しく花を纏う姿を見上げることを、夢見ている。
 今日も玄関を出て、視界にこの子を迎える。
 今年も花は咲かなかった。
 それは拗ねてでもいるようで、私はゆっくりとその日を待っている。