最終話
ー/ーその日、私は4日ぶりに愛すべき我が家へ帰ってきた。
当たり前だけど、朝出て行った時そのままの乱雑な部屋だった。閉め切っていた部屋の窓をあけてざっと片づける。それからお風呂に入って、ベッドに転がって。ようやく心の底から安堵して、すぐに眠りについた。
翌日は冒険者食堂に無断欠勤を謝罪しに行った。昨日のうちにオルブライトさんが出向いて事情を説明してくれたおかげで、マスターもおかみさんもベッティも、私の帰りを温かく迎え入れてくれた。勿論、解雇されることもなく明日から出勤できることになった。
おかみさんは少し休んでからでもと言ってくれたけど、今は早く愛すべき日常に戻りたかった。
「無遅刻無欠勤でよく働いてくれるスミレが、何の連絡もなしに休むなんて絶対に可笑しいと思ってたんだよ。クラトさんが物騒なこと言ってたもんだから、スミレが危ないって常連客が大騒ぎしてね。大変だったんだよ。」
「それはご迷惑をおかけしました。」
「いいんだよ。あいつら、みんなあんたのことが好きなのさ。一番に助けたもんがスミレちゃんと結婚する権利を得るだなんて馬鹿げた争いが起こってね。全く、身の程を知れって話だよ。若いのに女神祭にも行かず休みは家にこもりっきりだなんて心配したけど、あんなにいい男がいたなんてねぇ。」
うっとりするおかみさんに、私は思わず「えっ?」と突っ込まずにはいられなかった。
「あの、なにか行き違いがあるようなのですが、彼はかけもちしてる仕事の上司で。」
「いいや、行き違いなんてあるもんか。だってあの人、昨日ちゃんとあんたのこと最愛の人だって言ってたよ。」
私は思わず頭を抱えた。おかみさんには照れていると思われたけど、ベッティは気の毒そうに私の肩を叩いた。
「スミレって自覚なしにモテると思ってたけど、まさかあんな大物まで惹きつけるなんてねぇ。諦めなよ。あの人本気だったよ。誰がスミレに求婚するかモメてる冒険者たちをすごい勢いで睨んでたからね。」
貴族ともあろう人がまさかそんなことを。と思ったけど、あのオルブライトさんだ。その光景が容易に想像できすぎる。
「本当に頭が痛くなってきたよ。」
「いいじゃん。すっごくハンサムだし、優しいし、おまけに高給取りでしょ?あの手のタイプは絶対に諦めないよ。賭けてもいいけど、絶対にスミレの仕事あがりに迎えにくるね。」
「ベッティ、怖いこと言わないでよ…!」
「微笑ましい話でしょ。」
ベッティが笑った通り、それからオルブライトさんは本当に冒険者食堂での仕事終わりに合わせて迎えにくるようになった。外交総務室での出勤日には、家までの送迎馬車を手配してくれる。
ここまでしてもらわなくても、と思ったけど、絶対にゆずってはくれなかった。
「俺のせいで危ない目に合わせちゃったから、これくらいさせてよ。それに口説くのは勤務時間外にしろっていったのはスミレちゃんだよ?」
店の灯りが消えていく大通りを並んで歩きながら、オルブライトさんはそう言って笑った。口説くと宣言したけれど、帰り道に話すのはありふれた、些細な話ばかりだった。
私の歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれる彼の顔を見上げると、すごく柔らかいまなざしがあった。
仕事中は変わらずいつも通りのやりとりをしているつもりだったのに、いつのまにかこんな風に見られていたんだ。大事に想われてるのが伝わってきて、なんだか泣きそうだ。
「そういえば、例の300万は無事支払ってもらえました。」
むず痒い気持ちを振り払うように、私はレオからの示談金が小切手で支払われたことを切り出した。
「それは良かったけど、本当によかったの?」
「これ以上はお互い消耗するだけですからね。それに、レオもあれはあれで優秀な文官なのでしょう?されたことをなかったことにはできませんが、無職になって逆恨みされるより、人材難の王宮で馬車馬のように働いてもらった方がずっといいと思うんです。大きな貸しを作ったと思えばいずれ仕事で役立つ時も来るでしょう。」
これは本心だった。同じ世代に出来すぎる相手がいて、本人の努力ではどうにもならないこともあっただろうと、少しだけレオに同情したから。
こっぴどく失恋でもすればいいのに、くらいには思ってるけど。
「頼もしいなぁ。俺がスミレちゃんに惚れてなかったら、なにがなんでも正規職員に引き抜いてたと思うよ。」
「それは口説かれるよりも嬉しいですね。」
「それ、本気で言ってる?」
オルブライトさんの口調は冗談めかしているけど、すごく複雑な表情で目じりを下げる。この顔をされると、どうにも困る。嘘がつけない。
「…おなじくらい嬉しい、に訂正します。」
諦めたように本音を漏らすと、ふわりと抱きしめられた。遠慮がちに、逃げる余地を十分に作ってある抱擁を心地良いと感じてしまう。
「そう思ってくれてるなら嬉しいな。スミレちゃん、安心して俺に落ちておいで。」
耳元に低い声を注がれて、同じようにふわりと解放された。なんだかもう、色々手遅れなのかもしれない。
それから一か月後、私は相変わらず仕事をかけもちして、休みの日は全力でだらだら過ごしていた。
オルブライトさんへの気持ちは固まっているけど、彼は貴族の生まれだ。もし特別な関係になってしまえば、この生活は終わりにしなきゃいけない。
そんな悩みを抱えていたある日、ふいに私の家のドアを誰かがノックした。最近この家の周りはなにかと騒がしい。
先週隣の部屋の住人が引っ越していったと思ったら、一昨日には新しい入居者が引っ越ししてきた。住人はまだ見ていないけど、ちょうど出勤する時に荷運び人が家具を搬入しているところだった。
人気の物件だもんね。引っ越し関連の誰かかなとドアを開けると、そこに立っていたのはオルブライトさんだった。
この光景、2度目だな…。
さすがに2回目ともなると慌てることもなく、私は落ち着いて「どうしたんですか?」と尋ねた。
「お休みのところすみません。先日隣に引っ越してきたノエル・オルブライトと申します。どうぞよろしくお願いいたします。」
何かの冗談だろうか。
「結構です。」
私はそっとドアを閉めようとした。
「ねぇ、ちょっと待ってよなんで閉めるの?」
「いえ、不審者かと。」
「違うよね?昨日職場で会ったよね?」
「…そうでしたね。もう一度聞きますけど一体何の御用でしょう?」
「いやだから、本当に引っ越してきたんだってば。ほら!」
オルブライトさんが指刺したのは、確かに隣の部屋だった。
「スミレちゃんが休日を一人で過ごしたいって気持ちは大事にしたい。でも俺はスミレちゃんの傍にいたい。で、俺が隣に越してくれば万事解決だと思わない?」
「ちょっとくらいは思うかもしれませんが、実行には至りませんね。」
「とにかくそういうことだから、これからは隣人としてよろしく。」
「…よくご実家が許しましたね。」
「まぁ三男だし騎士団に入った時に一度家を出てるからね。いつまでも独身でふらふらしてるより、相手の身分を問わずいい人がいるなら連れて来いって快く送り出してくれたよ。」
そうだった、この人末っ子だったんだ。私は長女だったから、末っ子に許された自由がまぶしい。
オルブライトさんは私に鍋を差し出した。まだ温かい。
「これ、お近づきの印ね。二ホンでは引っ越しをすると食べ物か薬品をふるまうんでしょ?」
「薬品じゃなくて洗剤ですけど、ありがとうございます。すごくいい匂いがするけど、どうしたんですか?」
「俺が作った東国風の煮込み。」
「オルブライトさん、料理できたんですか?」
「騎士団にいた時は野営で食事当番があったから、それなりにはね。」
複雑なスパイスの匂い。これ絶対それなりに作ったものじゃない、めちゃめちゃ美味しいことが確定してる丁寧な煮込みだ。
「ありがとうございます…!」
鍋を受け取ろうとしたけど、なぜかオルブライトさんは手を離してくれない。強引に鍋を引き寄せようとしたけどびくともしなくて、この人くれる気あるんだろうかと見上げると、気持ち悪いくらいにっこにこのオルブライトさんがいた。
「ちなみに、俺の部屋には実家から持ってきたいいワインと、さっき買ってきた焼き立てのパンと、豆とトマトのマリネも冷えてるんだけど、こない?」
「いえ、遠慮しておきます。だって部屋に入ったら、それは…。」
「大丈夫、そんなすぐに手は出さないって。」
「そうじゃなくて、その…私の気持ちの落としどころと言うか。」
甘えて部屋にいって、美味しいものをご馳走になってさよならなんて。部屋に入るということは、オルブライトさんと付き合う覚悟を決めるということだ。
じゃあ部屋に入らず鍋だけもらうのはどうかって話なんだんだけど。
ぐるぐる悩んでいる私の頭をオルブライトさんがくしゃりと撫でた。
「難しく考えなくていいよ。人を好きになるのに、いちいち解釈つけたりしないでしょ。大丈夫、俺はキミを残して先に死んだりしないから。」
「え…?」
「スミレちゃんはさ、残された人に悲しい思いをさせたくないのと同じくらい、自分が置いていかれるのも嫌なんでしょ?」
「…そう、なんでしょうか。」
「そうだよ。」
そんなこと、考えてもみなかった。だってこの世界で誰かと一生を共にするなんて考えたこともなかったから。でも、言われてみればこれ以上独りぼっちになるのは耐えられないかもしれない。
さすが仕事のできる上司だな。私が気付かなかったことまで、ちゃんと見てくれていたんだ。
「でも、絶対どっちかが先に死にますよね?」
「それはまあ…これから長い時間をかけて落としどころを見つけていくっていうのでどうかな?」
ね?と首を傾けるオルブライトさんを見上げていたら、彼に対する気持ちに胸がぎゅっと潰れそうだった。
「絶対に私を1人にしないって約束してくれますか?」
「うん。そのために引っ越してきたんだよ。」
どうしよう、声が震えてしまう。
「…私を雇ってくれたのが。」
「うん?」
「あの時助けにきてくれたのが、この世界で初めて好きになったのがオルブライトさんで良かったです。」
「えっ?ほんとに?ちょっと待って、今鍋置いてくるから、そしたら抱きしめてもいい?」
「いえ、部屋に行きますから温かいうちに食べましょう。」
「スミレちゃん?もっとこう、情緒とかないかな?」
鍋をもってしょんぼりする上司を前に、心がほぐれて笑ってしまう。
「つべこべ言ってないで行きましょう、ノエルさん?」
ああ、私は多分この人にぐずぐずにハマってしまうんだろうな。悔しいから、情緒なんてしばらくしまっておこう。
「えっ、今名前でよんでくれたの?もう一回よんで?あと食べ終わったら俺の気の済むまで抱きしめてもいい?っていうか絶対ぎゅうぎゅうするからね?」
「さっきすぐに手は出さないって言いましたよね?」
「ぐっ…!言ったけど!」
「いいから入りましょ。」
鍋から手を離せないオルブライトさんの腕に手をまわして、私たちは彼の部屋へ入った。
今日はちゃんと。パンはお皿に載せて食べよう、と思いながら。
〈完〉
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
おすすめ作品を読み込み中です…
作者の他の作品
この作者の他作品はありません。
この作品と似た作品
似た傾向の作品は見つかりませんでした。
この作品を読んだ人が読んでいる作品
読者の傾向からおすすめできる作品がありませんでした。
おすすめ作品は現在準備中です。
おすすめ作品の取得に失敗しました。時間をおいて再度お試しください。