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第5回

ー/ー



 腹部に痛みが起きる。急速に目覚めゆく意識でまたかと思いながら目を開けた。

 思ったとおり、痛みの主は樋槻だが、しかしなぜか快晴の空を背にして立っている。陽は西へ傾きかけたばかり。
 まだ昼間じゃないか。

「どうした?」

 何かおかしいと、樋槻の姿に妙な違和感を感じ、踏みつけられたまま払うことも忘れて見上げてくるレンに、樋槻が訊く。

「……あたまが、おもい……」

 声が、自分の耳にもひどく虚ろに聞こえた。

「ああそうかよ。そんなの知ったことか」

 いつものように威勢よくかみついてこないレンの反応に、面白くないと口をへの字にして樋槻が足を退く。

(声……は同じ。服装も変わってるようには見えないし……)

 細部まで気を配り、下から順に見上げてゆく。
 いつもと違い周囲が明るいので、そんなに難しくはない。そう時をかけず、レンは違和感の元に気付いた。

 目が、金色をしているのだ。

 樋槻の双眸は、あの、角膜と結膜の区別も定かでないほど暗い闇に閉ざされた、魅魎特有の闇の目ではなくなっていた。
 夕方、腹を立てて去って行ったときは確かに闇色をしていたのに、今そこにおさまっているのは、淡い金色をした瞳。

 人間の、瞳。

「お、まえ……、その目……」

 まさかとの思いが熱くのどを焼いて、言葉が続かない。
 だがそのつぶやきに、樋槻は待ってましたと顔を突き出した。

「きれいだろ? 質もいいし。見つけたときは、運がいいと思ったね」

 得意気に胸を張る、いかにも鼻高々な樋槻の姿を見て、瞬問怒涛となってこみ上がった激情が、レンの中から怒り以外の何もかもを押し流した。

「きさま、奪ったな!」

 胸倉をつかんで斜面へ押しつける。

「人を襲ったのか! 殺して取ったな!
 なんてことを……きさまあっ!!」

 まくしたて、渾身の力で締めつける。
 感心するでなく、誉めるでなく。激高していきり立ったレンに、樋槻は気分を害したと眉を寄せ、突きとばした。

「ああ、取ったよ。当たり前じゃん。おとなしく差し出すなら目をとるだけでもよかったけど、抵抗するし、うるさいし。あんまりうっとうしいから手足折って魎鬼たちのエサにしてやった。
 ほんと、おまえらってば絶対ひとの言うこときかないもんな。逆らったってかないっこないの、分かりきってるのに。
 俺は、そういう身のほど知らずなばかが一番きらいなんだよ。自覚して、おとなしく差し出すか、さっさと死んじまえばよっぽど手間がはぶけるのに」
「……なんだと!!」

 崩れた襟元を正しながら当然とばかりに言ってくる、一向に悪びた様子のない姿に殺意の黒火が燃え上がる。砂上に置いてあった破魔の剣をつかみ取り、鞘走らせた。

「きさまこそいなくなれ!!」

 怒声をあげて上段から斬りかかる。レンの気が通った刀身はほのかな輝きを発し、ためらいの間もおかず樋槻を両断した。
 しかしそれは残像にすぎない。
 距離を取った樋槻の元へ、レンは走った。

「命を、なんだと思っている! きさまらの欲望を満足させるために人はいるんじゃない! だれも、そんなことのために生きてるわけじゃないんだぞ!」

 涙があふれ、声が震えた。
 怒りよりも憎しみ、憎しみよりも悲しみがあとからあとから突き上げて、胸が張り裂けそうになる。

 この小さな身ひとつにとどまるのは苦しいと、ひたすら出口を求めて暴れのたうつ感情のまま、剣をふるった。けれども乱れた心でふるう剣撃はかすりもせず、やすやすとすり抜けられるばかりで……。

 突如、忽然と樋槻の姿が消失する。

 どこへ転移したのか、行方を探ろうとする間もあけずにレンの体は砂丘へとたたきつけられた。

「あぁ……っ」
「うるさいんだよ、虫けらが」

 いら立ちにまみれた声がすぐそばで起きる。
 右手首をとられ、骨が折れそうなほど締めつけられた痛みに顔を歪めたレンの首には、もう片方の手がかかっていた。

「たかが人間ごときの分際で、この俺に意見しようなんて思いあがるな。言ったろ、おまえみたいなやつが一番きらいなんだよ。大した力もないくせに、えらそうな口ばかりききやがって。目に入るだけで虫酸が走る。
 今まで何度この手で引き裂いてやりたいと考えたか分かるか?」

 今だってこのまま首をねじり落としてやりたいのだと言うように、容赦なく締めつけてくる。反駁(はんばく)どころか満足な呼吸もできず、逆流した気泡に喉がつまり、目がくらんだ。
 痺れて感覚の失せた手から剣がこぼれる。

 樋槻がこんな乱暴な手段に出たのは初めてだった。どんなに気を損ねていようと主君からの命令を尊重し、それなりに手加減したり無視するなどしていたのに。
 つまりはそれを凌駕するほどの怒りを導いてしまったということか。

 もともと魅魎は主我的な好戦的生物。自己犠牲や抑圧に堪えられる精神構造はしていない。

 このまま死ぬのか……激痛と酸欠で気を失う寸前で解放され、レンはぐったりとその場にくず折れた。痛むのどに両手をあて、げほげほと咳きこむ。
 警鐘さながらに強い動悸がどくんどくんと全身に響く中、胃液と涙をぐちゃぐちゃに吐き出して、ようやく落ち着いたときにはもう、樋槻はいなくなっていた。
 またどこかで何かに八つ当たりしているかと思うと、殺されなかったことすらくやしくて奥歯を噛みしめる。

 くやしい。あたしにもっと力があったらあんなこと絶対させなかった! 今だって絶対させやしないのに。
 どうして……!

 砂をこぶしで打つ。

 殺してやりたい。
 心底からそう思った。
 自分を抑えこんだ手。あの指で、えぐり出したのか。その者が最後にとらえた光は、愉悦に満ちたあの顔だったのだろうか。

 そう思うと、御しがたい震えが全身を揺さぶった。
 被害者の受けた痛みや恐怖の、何十分の1だってあいつに味あわせてやることのできない自分の無力さがなさけなくて、腹立たしくて。

 どうしてこんな気持ちにならないといけないんだろう。
 殺したあいつこそ感じなくてはいけない罪悪感を、どうしてあたしが。

「ごめんなさい……ごめ……」

 とめどもなく涙があふれる。
 砂嵐のごとく莫大な感情の乱れに、ひどい頭痛がした。憤怒も憎悪も哀切もごちゃごちゃにまざりあって、もはやレン自身何が何だか分からない。
 赤い指の跡がついてしきりとうずく手首にまで腹が立って、地へ打ちつけた。

「っつぅ……」

 走った激痛に手を庇いこんで、斜面を転がり落ちる。
 めちゃくちゃだ。そう思っても、もう立ち上がる気力もない。

 なぜこんなことになってしまったのか。
 砂漠を歩きとおすなんて無茶をして、あんなこと、言われて。その上こんな気持ちまで我慢しないといけないなんて。
 何ひとついいことなんかない。魅魔の元まで着いたとして、だからどうなるというのか? 配下の魘魅にも歯がたたないのに。殺されるに決まってるのに。


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 絶望し、悲嘆にくれるレンの耳に、今度ははっきりと鈴の音が聞こえた。
 目を開け、そちらへ顔を向ける。

 だんだんと近付いてくる、砂の上をすべるような、軽い足音と気配。
 樋槻ではない。だれ? と誰何(すいか)する間もなく、抗いがたい強烈な睡魔が彼女を襲う。

 こんな場で出会う確率は人間より人外のやからのほうがはるかに高い。術中に落ちてはいけないと、頑なに閉じることを拒んだ、揺れる視界に入った人影は、歪み、ぼやけて、どんな顔をしているかすら分からない。

「眠りなさい」

 すずしやかな夏風のように耳に障りのいい美声がして、またひとつ鈴の音が聞こえる。

「眠って、夢を、記憶を、紡ぎなさい。おまえの夢はとてもきれい。きっと、まだまだたくさんの珠ができるわ。その珠を使って、首飾りでもつくりましょうか」

 くすくす、くすくす。
 穢れを知らない子どものように無邪気で凶悪な笑みが、形の良い朱唇からこぼれる。

 珠にとりまかれた女妖(じょよう)の、期待もあらわな視線と蔑みの微笑を受けながら、レンは夢という泥土の中へ埋没していった。


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 腹部に痛みが起きる。急速に目覚めゆく意識でまたかと思いながら目を開けた。
 思ったとおり、痛みの主は樋槻だが、しかしなぜか快晴の空を背にして立っている。陽は西へ傾きかけたばかり。
 まだ昼間じゃないか。
「どうした?」
 何かおかしいと、樋槻の姿に妙な違和感を感じ、踏みつけられたまま払うことも忘れて見上げてくるレンに、樋槻が訊く。
「……あたまが、おもい……」
 声が、自分の耳にもひどく虚ろに聞こえた。
「ああそうかよ。そんなの知ったことか」
 いつものように威勢よくかみついてこないレンの反応に、面白くないと口をへの字にして樋槻が足を退く。
(声……は同じ。服装も変わってるようには見えないし……)
 細部まで気を配り、下から順に見上げてゆく。
 いつもと違い周囲が明るいので、そんなに難しくはない。そう時をかけず、レンは違和感の元に気付いた。
 目が、金色をしているのだ。
 樋槻の双眸は、あの、角膜と結膜の区別も定かでないほど暗い闇に閉ざされた、魅魎特有の闇の目ではなくなっていた。
 夕方、腹を立てて去って行ったときは確かに闇色をしていたのに、今そこにおさまっているのは、淡い金色をした瞳。
 人間の、瞳。
「お、まえ……、その目……」
 まさかとの思いが熱くのどを焼いて、言葉が続かない。
 だがそのつぶやきに、樋槻は待ってましたと顔を突き出した。
「きれいだろ? 質もいいし。見つけたときは、運がいいと思ったね」
 得意気に胸を張る、いかにも鼻高々な樋槻の姿を見て、瞬問怒涛となってこみ上がった激情が、レンの中から怒り以外の何もかもを押し流した。
「きさま、奪ったな!」
 胸倉をつかんで斜面へ押しつける。
「人を襲ったのか! 殺して取ったな!
 なんてことを……きさまあっ!!」
 まくしたて、渾身の力で締めつける。
 感心するでなく、誉めるでなく。激高していきり立ったレンに、樋槻は気分を害したと眉を寄せ、突きとばした。
「ああ、取ったよ。当たり前じゃん。おとなしく差し出すなら目をとるだけでもよかったけど、抵抗するし、うるさいし。あんまりうっとうしいから手足折って魎鬼たちのエサにしてやった。
 ほんと、おまえらってば絶対ひとの言うこときかないもんな。逆らったってかないっこないの、分かりきってるのに。
 俺は、そういう身のほど知らずなばかが一番きらいなんだよ。自覚して、おとなしく差し出すか、さっさと死んじまえばよっぽど手間がはぶけるのに」
「……なんだと!!」
 崩れた襟元を正しながら当然とばかりに言ってくる、一向に悪びた様子のない姿に殺意の黒火が燃え上がる。砂上に置いてあった破魔の剣をつかみ取り、鞘走らせた。
「きさまこそいなくなれ!!」
 怒声をあげて上段から斬りかかる。レンの気が通った刀身はほのかな輝きを発し、ためらいの間もおかず樋槻を両断した。
 しかしそれは残像にすぎない。
 距離を取った樋槻の元へ、レンは走った。
「命を、なんだと思っている! きさまらの欲望を満足させるために人はいるんじゃない! だれも、そんなことのために生きてるわけじゃないんだぞ!」
 涙があふれ、声が震えた。
 怒りよりも憎しみ、憎しみよりも悲しみがあとからあとから突き上げて、胸が張り裂けそうになる。
 この小さな身ひとつにとどまるのは苦しいと、ひたすら出口を求めて暴れのたうつ感情のまま、剣をふるった。けれども乱れた心でふるう剣撃はかすりもせず、やすやすとすり抜けられるばかりで……。
 突如、忽然と樋槻の姿が消失する。
 どこへ転移したのか、行方を探ろうとする間もあけずにレンの体は砂丘へとたたきつけられた。
「あぁ……っ」
「うるさいんだよ、虫けらが」
 いら立ちにまみれた声がすぐそばで起きる。
 右手首をとられ、骨が折れそうなほど締めつけられた痛みに顔を歪めたレンの首には、もう片方の手がかかっていた。
「たかが人間ごときの分際で、この俺に意見しようなんて思いあがるな。言ったろ、おまえみたいなやつが一番きらいなんだよ。大した力もないくせに、えらそうな口ばかりききやがって。目に入るだけで虫酸が走る。
 今まで何度この手で引き裂いてやりたいと考えたか分かるか?」
 今だってこのまま首をねじり落としてやりたいのだと言うように、容赦なく締めつけてくる。|反駁《はんばく》どころか満足な呼吸もできず、逆流した気泡に喉がつまり、目がくらんだ。
 痺れて感覚の失せた手から剣がこぼれる。
 樋槻がこんな乱暴な手段に出たのは初めてだった。どんなに気を損ねていようと主君からの命令を尊重し、それなりに手加減したり無視するなどしていたのに。
 つまりはそれを凌駕するほどの怒りを導いてしまったということか。
 もともと魅魎は主我的な好戦的生物。自己犠牲や抑圧に堪えられる精神構造はしていない。
 このまま死ぬのか……激痛と酸欠で気を失う寸前で解放され、レンはぐったりとその場にくず折れた。痛むのどに両手をあて、げほげほと咳きこむ。
 警鐘さながらに強い動悸がどくんどくんと全身に響く中、胃液と涙をぐちゃぐちゃに吐き出して、ようやく落ち着いたときにはもう、樋槻はいなくなっていた。
 またどこかで何かに八つ当たりしているかと思うと、殺されなかったことすらくやしくて奥歯を噛みしめる。
 くやしい。あたしにもっと力があったらあんなこと絶対させなかった! 今だって絶対させやしないのに。
 どうして……!
 砂をこぶしで打つ。
 殺してやりたい。
 心底からそう思った。
 自分を抑えこんだ手。あの指で、えぐり出したのか。その者が最後にとらえた光は、愉悦に満ちたあの顔だったのだろうか。
 そう思うと、御しがたい震えが全身を揺さぶった。
 被害者の受けた痛みや恐怖の、何十分の1だってあいつに味あわせてやることのできない自分の無力さがなさけなくて、腹立たしくて。
 どうしてこんな気持ちにならないといけないんだろう。
 殺したあいつこそ感じなくてはいけない罪悪感を、どうしてあたしが。
「ごめんなさい……ごめ……」
 とめどもなく涙があふれる。
 砂嵐のごとく莫大な感情の乱れに、ひどい頭痛がした。憤怒も憎悪も哀切もごちゃごちゃにまざりあって、もはやレン自身何が何だか分からない。
 赤い指の跡がついてしきりとうずく手首にまで腹が立って、地へ打ちつけた。
「っつぅ……」
 走った激痛に手を庇いこんで、斜面を転がり落ちる。
 めちゃくちゃだ。そう思っても、もう立ち上がる気力もない。
 なぜこんなことになってしまったのか。
 砂漠を歩きとおすなんて無茶をして、あんなこと、言われて。その上こんな気持ちまで我慢しないといけないなんて。
 何ひとついいことなんかない。魅魔の元まで着いたとして、だからどうなるというのか? 配下の魘魅にも歯がたたないのに。殺されるに決まってるのに。
 |あ《・》|た《・》|し《・》|は《・》|な《・》|ぜ《・》|こ《・》|ん《・》|な《・》|こ《・》|と《・》|を《・》|し《・》|て《・》|る《・》|ん《・》|だ《・》|ろ《・》|う《・》|?《・》
 絶望し、悲嘆にくれるレンの耳に、今度ははっきりと鈴の音が聞こえた。
 目を開け、そちらへ顔を向ける。
 だんだんと近付いてくる、砂の上をすべるような、軽い足音と気配。
 樋槻ではない。だれ? と|誰何《すいか》する間もなく、抗いがたい強烈な睡魔が彼女を襲う。
 こんな場で出会う確率は人間より人外のやからのほうがはるかに高い。術中に落ちてはいけないと、頑なに閉じることを拒んだ、揺れる視界に入った人影は、歪み、ぼやけて、どんな顔をしているかすら分からない。
「眠りなさい」
 すずしやかな夏風のように耳に障りのいい美声がして、またひとつ鈴の音が聞こえる。
「眠って、夢を、記憶を、紡ぎなさい。おまえの夢はとてもきれい。きっと、まだまだたくさんの珠ができるわ。その珠を使って、首飾りでもつくりましょうか」
 くすくす、くすくす。
 穢れを知らない子どものように無邪気で凶悪な笑みが、形の良い朱唇からこぼれる。
 珠にとりまかれた|女妖《じょよう》の、期待もあらわな視線と蔑みの微笑を受けながら、レンは夢という泥土の中へ埋没していった。