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第4回

ー/ー



 東の砂丘の稜線から、地を分かつ白線のように朝日が伸びてきて、レンは足を止めた。

 まーたおねんねかよ! こぉのトログズナマケ! ――と、ひと通りの悪態をたれて樋槻が消える。
 今度はどんな気まぐれが働いたのか、一晩中つきまとわれたため、普段以上に休憩がとれなかったレンは、気配が消えるか消えないかのうらにその場にへたりこんでしまう。

 連日酷使され続けた足にさらに負担をかけるようなことをしたせいで、ふくらはぎの筋肉が痙攣を起こしていた。

「つっ……」

 ぱんぱんに張ったふくらはぎをどうにかなだめようとしたものの、触れるだけで裂けるような痛みが走る。じんじんうずく両足を投げ出して、ふうと息をついた。

 幸いここの砂丘は斜面が密接していて、陽が傾いても直射日光は届きそうにない。
 穴を掘る手間がはぶけると、安心して寝転がった数瞬後。息が整うのも待ちきれないようにレンは深い眠りにおちていた。


◆◆◆


「あ、あの……、汚れるよ? 今の僕、汚いから」

 部屋の前で待ちぶせていて、上着の裾をはっしとつかんだレンの行動にとまどいながら、()はそう言った。
 確かに、砂にまみれて湿った何かがマントにも服にもブーツにも付着している上、なにやら肉が腐ったような、鼻の奥にツンとくる悪臭までしている。
 だがレンは気にせず、裾を持つ手にぎゅっと力を込めた。

「今日、何の日か、知ってるわよね……?」

 その低音の責め句に、根っから正直者の彼は嘘でとりつくろうことも思いつかず、ぎくりと顔を強ばらせる。

「あたし、言ったわよね? 今日の祭式で走るから、絶対見にきてねって。
 なのにどうしてそんな格好してるの!? 今日は夜間の警備長と代わってもらうって言ったじゃない。
 それが、夜明け前から姿消して、こんな、あたしの目、盗むようなまねしていなくなって……」

 昼前、今日の約束がだめになったことを伝えにきた教え長が教えてくれた。彼の担当である西の方角で商隊が魅魎に襲われているとの通報が入り、相棒の翠珂(すいか)やほかの警備長たちとともに救出に向かったのだと。
 見に行けなくてごめん、と言付かったと、彼は言っていた。

 謝る必要はない。
 それは彼の職務で、人命を救うためであればこんな些細(ささい)な約束など反占にされて当然。
 しかたのないことだ。

 だから最初は、こんなことを言うためにここに来たわけじゃかった。
 1等を取れた報告と、そして無事な彼の姿を見たかっただけ。

 だけど、ここで彼の帰りを待つうちに、いやな考えがよぎった。

 本当にそうだろうか? もしこれで彼が傷ついたり、それこそ死んだりしても、あたしはしかたないって思えるんだろうか?
 だれより大切なひとなのに、あの人は違うんだろうか。あたしの命より大切な命なのに、彼には大切じゃないんだろうか。

 そう思うともう約束を破ってまでそこに行ったことに腹は立つし涙は出るし……。
 めちゃくちゃな論理だと分かっていたけど、こんな、疲れきってぼろぼろの姿で戻ってきた彼を見ると、黙っていられなかった。

「ち、違う。違うよ、そうじゃなくてね。これは、その……」

 こんなふうに責められるとは思ってもいなかったと、すっかりまごついてしまっている。
 わがまま言ったりするから、こんな、あわてさせてしまって。

 分かってるわ、しかたないことよね。
 早くそう言ってあげなくちゃと思う反面、こんなにも彼が動揺しているのが嬉しくて、俯いていた顔を上げられなかった。

 自分の言葉が彼に与える影響が、レンにはとても嬉しかったのだ。

「どう違うの? あたし、あなたに見てもらえると思って、すごく張り切って練習したのに。それが全部台なし。ひどいわ」

 そう、口では非難をしながらも、こらえきれず、ついに笑ってしまう。
 彼のほうも、最初はあせりまくっていたのだが、そのうちレンの肩が震えているのは怒りによるものでなく笑いのせいだと気付いて、ほっと息を()くと、手袋を脱いで彼女の頭をなでた。

「ごめんね」

 そっと髪に口付けられる。
 今の彼の顔が見たくて。もう我慢できないと、急ぎ仰いで。視線をあわせた。

「嘘よ。今の、全部嘘。ちゃんと伝言は聞いたし、納得したから。
 怒ってなんか、いないわ。困らせてごめんなさい。
 でも、次は必ず守ってね」

 ほおについたすり傷を包み込むように手をあて、そう告げた瞬間。


 宙空を裂いて響き渡る鈴の音と嗤い声に反応して、全身の毛が逆立った。


「レン?」

 反射的、引きはがすように身を離したレンに不審がって彼が問う。
 レンは頭から冷水を浴びせかけられた思いでがたがた震えてその場にしゃがみこんだ。

「……なに? 今のは……。一体どこから……」

 (うめ)き、口走るが、あの心臓が凍りつくような気配はもはや跡形もなく、どこからも感じ取れない。

    オカシイ、ココニアンナケハイナド。

「貧血? 立てる?」
「あ……、ええ……」

 心配そうに差し出された手を借りて立ち上がる。

    ソウダ、アリエナイ。
    ココハソンナバメンデハナイ。
    ココデアノヒトガイウノダ。
    「絶対」ト。

 しかしレンは、結局その言葉を聞くことはできなかった。


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 東の砂丘の稜線から、地を分かつ白線のように朝日が伸びてきて、レンは足を止めた。
 まーたおねんねかよ! こぉのトログズナマケ! ――と、ひと通りの悪態をたれて樋槻が消える。
 今度はどんな気まぐれが働いたのか、一晩中つきまとわれたため、普段以上に休憩がとれなかったレンは、気配が消えるか消えないかのうらにその場にへたりこんでしまう。
 連日酷使され続けた足にさらに負担をかけるようなことをしたせいで、ふくらはぎの筋肉が痙攣を起こしていた。
「つっ……」
 ぱんぱんに張ったふくらはぎをどうにかなだめようとしたものの、触れるだけで裂けるような痛みが走る。じんじんうずく両足を投げ出して、ふうと息をついた。
 幸いここの砂丘は斜面が密接していて、陽が傾いても直射日光は届きそうにない。
 穴を掘る手間がはぶけると、安心して寝転がった数瞬後。息が整うのも待ちきれないようにレンは深い眠りにおちていた。
◆◆◆
「あ、あの……、汚れるよ? 今の僕、汚いから」
 部屋の前で待ちぶせていて、上着の裾をはっしとつかんだレンの行動にとまどいながら、|彼《・》はそう言った。
 確かに、砂にまみれて湿った何かがマントにも服にもブーツにも付着している上、なにやら肉が腐ったような、鼻の奥にツンとくる悪臭までしている。
 だがレンは気にせず、裾を持つ手にぎゅっと力を込めた。
「今日、何の日か、知ってるわよね……?」
 その低音の責め句に、根っから正直者の彼は嘘でとりつくろうことも思いつかず、ぎくりと顔を強ばらせる。
「あたし、言ったわよね? 今日の祭式で走るから、絶対見にきてねって。
 なのにどうしてそんな格好してるの!? 今日は夜間の警備長と代わってもらうって言ったじゃない。
 それが、夜明け前から姿消して、こんな、あたしの目、盗むようなまねしていなくなって……」
 昼前、今日の約束がだめになったことを伝えにきた教え長が教えてくれた。彼の担当である西の方角で商隊が魅魎に襲われているとの通報が入り、相棒の|翠珂《すいか》やほかの警備長たちとともに救出に向かったのだと。
 見に行けなくてごめん、と言付かったと、彼は言っていた。
 謝る必要はない。
 それは彼の職務で、人命を救うためであればこんな|些細《ささい》な約束など反占にされて当然。
 しかたのないことだ。
 だから最初は、こんなことを言うためにここに来たわけじゃかった。
 1等を取れた報告と、そして無事な彼の姿を見たかっただけ。
 だけど、ここで彼の帰りを待つうちに、いやな考えがよぎった。
 本当にそうだろうか? もしこれで彼が傷ついたり、それこそ死んだりしても、あたしはしかたないって思えるんだろうか?
 だれより大切なひとなのに、あの人は違うんだろうか。あたしの命より大切な命なのに、彼には大切じゃないんだろうか。
 そう思うともう約束を破ってまでそこに行ったことに腹は立つし涙は出るし……。
 めちゃくちゃな論理だと分かっていたけど、こんな、疲れきってぼろぼろの姿で戻ってきた彼を見ると、黙っていられなかった。
「ち、違う。違うよ、そうじゃなくてね。これは、その……」
 こんなふうに責められるとは思ってもいなかったと、すっかりまごついてしまっている。
 わがまま言ったりするから、こんな、あわてさせてしまって。
 分かってるわ、しかたないことよね。
 早くそう言ってあげなくちゃと思う反面、こんなにも彼が動揺しているのが嬉しくて、俯いていた顔を上げられなかった。
 自分の言葉が彼に与える影響が、レンにはとても嬉しかったのだ。
「どう違うの? あたし、あなたに見てもらえると思って、すごく張り切って練習したのに。それが全部台なし。ひどいわ」
 そう、口では非難をしながらも、こらえきれず、ついに笑ってしまう。
 彼のほうも、最初はあせりまくっていたのだが、そのうちレンの肩が震えているのは怒りによるものでなく笑いのせいだと気付いて、ほっと息を|吐《と》くと、手袋を脱いで彼女の頭をなでた。
「ごめんね」
 そっと髪に口付けられる。
 今の彼の顔が見たくて。もう我慢できないと、急ぎ仰いで。視線をあわせた。
「嘘よ。今の、全部嘘。ちゃんと伝言は聞いたし、納得したから。
 怒ってなんか、いないわ。困らせてごめんなさい。
 でも、次は必ず守ってね」
 ほおについたすり傷を包み込むように手をあて、そう告げた瞬間。
 宙空を裂いて響き渡る鈴の音と嗤い声に反応して、全身の毛が逆立った。
「レン?」
 反射的、引きはがすように身を離したレンに不審がって彼が問う。
 レンは頭から冷水を浴びせかけられた思いでがたがた震えてその場にしゃがみこんだ。
「……なに? 今のは……。一体どこから……」
 |呻《うめ》き、口走るが、あの心臓が凍りつくような気配はもはや跡形もなく、どこからも感じ取れない。
    オカシイ、ココニアンナケハイナド。
「貧血? 立てる?」
「あ……、ええ……」
 心配そうに差し出された手を借りて立ち上がる。
    ソウダ、アリエナイ。
    ココハソンナバメンデハナイ。
    ココデアノヒトガイウノダ。
    「絶対」ト。
 しかしレンは、結局その言葉を聞くことはできなかった。