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第5話 忍び寄る影

ー/ー



 心なしか足取りも重たく食卓に足を運んだイヴリンとは対象的にコリンはてきぱきと手際よく朝食の配膳を進める。
 
 柔らかな湯気を立ち上らせている玉ねぎのスープを器によそい、石造りの窯でかりかりに焼かれたパンと燻製肉を葉野菜の盛り付けられた皿に乗せる。薄く油を引いた鉄製の平鍋に、新鮮なイルグニールの卵を黄身を割ってしまわないように割り入れて石窯に入れる。あらかじめ蒸らしておいたイヴリンのお気に入りのハーブティーをカップに注ぎ、卵にちょうどいい感じに火が通ったらミトンで鉄鍋を掴んで取り出して、燻製肉の上に目玉焼きをそっと乗せる。つやつやの黄身に塩をぱらりと振って今日の朝食が完成。
 
これを二人分用意して、既に食卓についているイヴリンの前とその向かい、コリンの座る椅子の前に並べる。
 
「……」
 
 目の前に食事を用意されたにも関わらず、頬杖をついて虚空をぼんやりと眺めているイヴリン。その様子にコリンは目をぱちくりとさせ、次の瞬間に半目になった。

「──お三方にご連絡を」
「え、あ、いや、今のは違うんだよ?コリン」
 
 ぎくりと体を強張らせて慌ててコリンに視線を向けて、取り繕うように微笑むイヴリンをコリンは尚もじとりと見つめる。徹夜で構築していた仮説なるものが随分とイヴリンの思考を支配しているんだろうなというのはコリンにも想像がついた。
 
「今日の朝ご飯も美味しそうだね、ありがとう」
 
 あからさまに話題を変えようと、いつものゆったりとした話し方ではなく若干の早口になるイヴリンにコリンはひとつ息をつく。
 
 こうなったら長いんだよなぁ……。
 
 そんな事を考えながら、イヴリンの向かいに腰掛けた。
 
 *

 コリンの主な仕事はイヴリンの身の回りの世話である。炊事洗濯はもちろんのこと、身支度の手伝いや外出時の供もその仕事の範疇に含まれる。朝から晩までイヴリンについて回ることもあれば、邸宅で家事に勤しむ日もある。忙しないけれど穏やかな日々。
 けれどコリンはこの日常を好ましく感じていた。
 そして今日のコリンの最も重要な仕事は。
 
「今日は街にお買い物に行ってきます」
「あらら、何日か前にも行っていなかった?」
 
 ぼんやりとしていた表情から一転して美味しそうに食事をしていたイヴリンが視線をパンからコリンに向ける。
 
「保冷庫の備蓄がいくつかなくなってしまって……あと、パンもそろそろ」
 
 コリンの頭の中に浮かぶのは空間に冷気を付与する魔法が刻まれた魔法石が組み込まれた食料保管庫。とその中に備蓄されている食料の数々。
 
 卵はある。燻製肉もある。果物もある。生肉はない。葉野菜もない。根菜は少々。
 
 視線を斜め上の空間に向けながらどれを買ってこようかと吟味していく。
 
「大荷物になりそうなら私も行くよ」
 
 ハーブティーを片手に微笑むイヴリンを見て更にコリンは考える。
 確かに色々と買わなければいけないけれど、イヴリンの手を借りてまで大量に買い込むかと言われれば保冷庫の空きがない。
 そもそもこの広い邸宅に二人暮らしなのだから、そこまでの量を買わなくてもいい。それに、少量を短い間隔で買うことによって、イヴリンに常に新鮮な食料で用意した食事を提供できる。そちらの利点をコリンはより重要視していた。
 食事と睡眠は大切なのだから、と教えてくれたのは他ならぬイヴリンなのだから。
 
「……いえ、ぼく一人で大丈夫です。もし大荷物になりそうなら一度戻ってきて買ったものを片付けてからまた行きます」
「もう、余計大変じゃない?一度ですべて終わった方が楽だよ?」
 
 イヴリンの言葉にコリンはふるふると首を横に振った。
 
「ご主人様はさっきの続きでもどうぞ」
 
 その言葉にきょとんとしたイヴリンの表情がじわじわとほころぶ。
 さっきあんなにお小言を言っていたのに、とでも言いたげなイヴリンの表情を見ないふりをしてコリンはスープを口に運ぶ。
 研究をしないでくれとは言っていない。イヴリンの研究は王国の繁栄につながるということを理解していないコリンではない。
 ただ──徹夜してまでやってくれるなということで。研究をしている時や魔女としての勤めを果たしている時のイヴリンの真剣な眼差しや立ち居振る舞いが大好きで。
 
 ご主人様のこの顔には勝てないや。
 
 うきうきとパンを口に運ぶイヴリンをちらりと見て、心の声と一緒にコリンはスープを飲み干した。

 *
 
「ありがとさん!焼き立てのパンは王国銅貨五枚ね!」
「はい」
 
 朝食を摂ってからコリンはすぐに邸宅を出発した。いつもパンを買っている店でちょうどパンが焼き上がったらしく、店の周囲にはバターと香ばしい小麦の香りが漂っていた。
パンは柔らかいし大きさもあって一番かさばるから、といつもは最後に買うのだけれど、焼き立ての香りとほのかに暖かくてふかふかのパンの誘惑にコリンは抗うことができなかった。
 
「コリンくん、この間魔女さまと散歩中に鶏舎で冒険者が怪我してたの助けたんだって?」
 
 パンを購入するための銅貨をパン屋の店主に渡した時にそう問いかけられて、コリンはポーションを使った時のことを思い出す。
 
「はい。イルグニールに蹴られたみたいで……ご主人様がポーションを使わなければ危なかったかもです」
「ひえ、そりゃあ災難だね。あの子ら体も大きいし、爪も素材になるからってそのままだしね」
 
 ぞっとする、とでも言いたげに店主が両腕を手でさする。
 
 イルグニールの蹴爪は当たりどころが悪ければ捕食者であるはずの大型の魔物ですら殺すと言われている。気に入らない鶏舎を蹴破って脱走した個体もいるという嘘のような話さえコリンは耳にしたことがある。それを思えば、店主の反応は当然のものなのかもしれない。
 
「魔物を家畜化したものですから、仕方ないですよね」
「まぁねぇ。だからこそ組合も魔物討伐の依頼を受ける前にイルグニールの世話をさせるんだろうけど」
 
 からからと笑う店主から大きなふかふかのパンが入った紙袋を受け取って、コリンは一礼してその場を後にした。
 
「次は……野菜にしようかな」
 
 そんな独り言を呟きながら目的地へと歩を進めるコリンの様子を伺う影が二つ、物陰に潜んでいた。

 * 

 想像以上に買い込んでしまった。
 
 帰路につくコリンの頭はそれでいっぱいだった。
 葉野菜と生肉を買って帰ろうとしたところで旅商人の露店に遭遇した。
 旅商人は外国の雑貨や布などを主に持ち込んでいたようだったが、王都で流行っている冒険譚や活劇物語、外国の童話や歴史創作物語なども商品として取り扱っていた。手が空いた時間には散步か読書か、というコリンにとって読んだことのない本はそれはそれは宝のような輝きを放って見えた。
 結果、露店の前にそこそこの時間居座ってあれこれと吟味してしまい、コリンの両手には大きなパン、葉野菜、生肉、本が数冊。
 
 手がつらい。気を抜いたら色々落としそう。気を抜かなくても少し均衡が崩れたら全部地面に落としそう。
 
 そんな事を考えながらえっほえっほと荷物を運んでいたコリンの目の前に長椅子が映った。路地の横の建物の壁に沿わせて置かれている長椅子。いつもなら農夫たちが休憩に使ったり、奥様方の井戸端会議の場所になったりしているその長椅子は、畑仕事や家畜の世話が忙しい時間帯だったというのもあって誰も座っていなかった。
 
「ちょ、ちょっと荷物整理……」
 
 これ幸いと長椅子に荷物を置き、どう持ったら一番辛くないかな、なんてことを考えていたコリンに、長椅子の横の路地からからり、と石が転がり出てきた。
 
「?」
 
 なにか動物でもいるのかな、とコリンが路地を覗いた瞬間。
 その小さな体は何者かの腕に捕らえられ、路地の奥へと引きずり込まれていった。
 長椅子には、コリンの置いた荷物だけが残されていた。

 *
 
 凝り固まった背中や肩をほぐすように、イヴリンはテーブルから顔を上げて両腕を天井に向けてぐっと伸ばした。
 だらりと両腕を脱力させて、肩をぐるぐると回す。長時間同じ姿勢で集中していたからか、首の近くの筋肉がごりごりと鳴っている。
 
「はあ、随分集中してしまったなぁ」
 
 首もぐるぐると回して、眼鏡をずらして目頭を抑える。
 そこまでやって、イヴリンは屋敷内の静けさが妙に気にかかった。
 この時間であればコリンが帰ってきているはず、と壁掛けの振り子時計を確認するも邸宅の中にはまるで人の気配がない。寄り道をしていたとしてももう日が落ちかけているこの時間に戻ってこないということは有り得ない。それは他ならないイヴリンがコリンにそうするようにと言いつけているからだ。
 しんと静まり返る西日の差し込む邸宅を歩き回る。普段使っていない部屋や物置まで探し回るがどこをどう探してもコリンの姿はない。
 
「……コリン……?」
 
 キッチンにすら姿のない従者の名前が静かに響き、いつもは柔らかな優しさを滲ませている蜂蜜色の瞳が、無感情に細められた。


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 柔らかな湯気を立ち上らせている玉ねぎのスープを器によそい、石造りの窯でかりかりに焼かれたパンと燻製肉を葉野菜の盛り付けられた皿に乗せる。薄く油を引いた鉄製の平鍋に、新鮮なイルグニールの卵を黄身を割ってしまわないように割り入れて石窯に入れる。あらかじめ蒸らしておいたイヴリンのお気に入りのハーブティーをカップに注ぎ、卵にちょうどいい感じに火が通ったらミトンで鉄鍋を掴んで取り出して、燻製肉の上に目玉焼きをそっと乗せる。つやつやの黄身に塩をぱらりと振って今日の朝食が完成。
これを二人分用意して、既に食卓についているイヴリンの前とその向かい、コリンの座る椅子の前に並べる。
「……」
 目の前に食事を用意されたにも関わらず、頬杖をついて虚空をぼんやりと眺めているイヴリン。その様子にコリンは目をぱちくりとさせ、次の瞬間に半目になった。
「──お三方にご連絡を」
「え、あ、いや、今のは違うんだよ?コリン」
 ぎくりと体を強張らせて慌ててコリンに視線を向けて、取り繕うように微笑むイヴリンをコリンは尚もじとりと見つめる。徹夜で構築していた仮説なるものが随分とイヴリンの思考を支配しているんだろうなというのはコリンにも想像がついた。
「今日の朝ご飯も美味しそうだね、ありがとう」
 あからさまに話題を変えようと、いつものゆったりとした話し方ではなく若干の早口になるイヴリンにコリンはひとつ息をつく。
 こうなったら長いんだよなぁ……。
 そんな事を考えながら、イヴリンの向かいに腰掛けた。
 *
 コリンの主な仕事はイヴリンの身の回りの世話である。炊事洗濯はもちろんのこと、身支度の手伝いや外出時の供もその仕事の範疇に含まれる。朝から晩までイヴリンについて回ることもあれば、邸宅で家事に勤しむ日もある。忙しないけれど穏やかな日々。
 けれどコリンはこの日常を好ましく感じていた。
 そして今日のコリンの最も重要な仕事は。
「今日は街にお買い物に行ってきます」
「あらら、何日か前にも行っていなかった?」
 ぼんやりとしていた表情から一転して美味しそうに食事をしていたイヴリンが視線をパンからコリンに向ける。
「保冷庫の備蓄がいくつかなくなってしまって……あと、パンもそろそろ」
 コリンの頭の中に浮かぶのは空間に冷気を付与する魔法が刻まれた魔法石が組み込まれた食料保管庫。とその中に備蓄されている食料の数々。
 卵はある。燻製肉もある。果物もある。生肉はない。葉野菜もない。根菜は少々。
 視線を斜め上の空間に向けながらどれを買ってこようかと吟味していく。
「大荷物になりそうなら私も行くよ」
 ハーブティーを片手に微笑むイヴリンを見て更にコリンは考える。
 確かに色々と買わなければいけないけれど、イヴリンの手を借りてまで大量に買い込むかと言われれば保冷庫の空きがない。
 そもそもこの広い邸宅に二人暮らしなのだから、そこまでの量を買わなくてもいい。それに、少量を短い間隔で買うことによって、イヴリンに常に新鮮な食料で用意した食事を提供できる。そちらの利点をコリンはより重要視していた。
 食事と睡眠は大切なのだから、と教えてくれたのは他ならぬイヴリンなのだから。
「……いえ、ぼく一人で大丈夫です。もし大荷物になりそうなら一度戻ってきて買ったものを片付けてからまた行きます」
「もう、余計大変じゃない?一度ですべて終わった方が楽だよ?」
 イヴリンの言葉にコリンはふるふると首を横に振った。
「ご主人様はさっきの続きでもどうぞ」
 その言葉にきょとんとしたイヴリンの表情がじわじわとほころぶ。
 さっきあんなにお小言を言っていたのに、とでも言いたげなイヴリンの表情を見ないふりをしてコリンはスープを口に運ぶ。
 研究をしないでくれとは言っていない。イヴリンの研究は王国の繁栄につながるということを理解していないコリンではない。
 ただ──徹夜してまでやってくれるなということで。研究をしている時や魔女としての勤めを果たしている時のイヴリンの真剣な眼差しや立ち居振る舞いが大好きで。
 ご主人様のこの顔には勝てないや。
 うきうきとパンを口に運ぶイヴリンをちらりと見て、心の声と一緒にコリンはスープを飲み干した。
 *
「ありがとさん!焼き立てのパンは王国銅貨五枚ね!」
「はい」
 朝食を摂ってからコリンはすぐに邸宅を出発した。いつもパンを買っている店でちょうどパンが焼き上がったらしく、店の周囲にはバターと香ばしい小麦の香りが漂っていた。
パンは柔らかいし大きさもあって一番かさばるから、といつもは最後に買うのだけれど、焼き立ての香りとほのかに暖かくてふかふかのパンの誘惑にコリンは抗うことができなかった。
「コリンくん、この間魔女さまと散歩中に鶏舎で冒険者が怪我してたの助けたんだって?」
 パンを購入するための銅貨をパン屋の店主に渡した時にそう問いかけられて、コリンはポーションを使った時のことを思い出す。
「はい。イルグニールに蹴られたみたいで……ご主人様がポーションを使わなければ危なかったかもです」
「ひえ、そりゃあ災難だね。あの子ら体も大きいし、爪も素材になるからってそのままだしね」
 ぞっとする、とでも言いたげに店主が両腕を手でさする。
 イルグニールの蹴爪は当たりどころが悪ければ捕食者であるはずの大型の魔物ですら殺すと言われている。気に入らない鶏舎を蹴破って脱走した個体もいるという嘘のような話さえコリンは耳にしたことがある。それを思えば、店主の反応は当然のものなのかもしれない。
「魔物を家畜化したものですから、仕方ないですよね」
「まぁねぇ。だからこそ組合も魔物討伐の依頼を受ける前にイルグニールの世話をさせるんだろうけど」
 からからと笑う店主から大きなふかふかのパンが入った紙袋を受け取って、コリンは一礼してその場を後にした。
「次は……野菜にしようかな」
 そんな独り言を呟きながら目的地へと歩を進めるコリンの様子を伺う影が二つ、物陰に潜んでいた。
 * 
 想像以上に買い込んでしまった。
 帰路につくコリンの頭はそれでいっぱいだった。
 葉野菜と生肉を買って帰ろうとしたところで旅商人の露店に遭遇した。
 旅商人は外国の雑貨や布などを主に持ち込んでいたようだったが、王都で流行っている冒険譚や活劇物語、外国の童話や歴史創作物語なども商品として取り扱っていた。手が空いた時間には散步か読書か、というコリンにとって読んだことのない本はそれはそれは宝のような輝きを放って見えた。
 結果、露店の前にそこそこの時間居座ってあれこれと吟味してしまい、コリンの両手には大きなパン、葉野菜、生肉、本が数冊。
 手がつらい。気を抜いたら色々落としそう。気を抜かなくても少し均衡が崩れたら全部地面に落としそう。
 そんな事を考えながらえっほえっほと荷物を運んでいたコリンの目の前に長椅子が映った。路地の横の建物の壁に沿わせて置かれている長椅子。いつもなら農夫たちが休憩に使ったり、奥様方の井戸端会議の場所になったりしているその長椅子は、畑仕事や家畜の世話が忙しい時間帯だったというのもあって誰も座っていなかった。
「ちょ、ちょっと荷物整理……」
 これ幸いと長椅子に荷物を置き、どう持ったら一番辛くないかな、なんてことを考えていたコリンに、長椅子の横の路地からからり、と石が転がり出てきた。
「?」
 なにか動物でもいるのかな、とコリンが路地を覗いた瞬間。
 その小さな体は何者かの腕に捕らえられ、路地の奥へと引きずり込まれていった。
 長椅子には、コリンの置いた荷物だけが残されていた。
 *
 凝り固まった背中や肩をほぐすように、イヴリンはテーブルから顔を上げて両腕を天井に向けてぐっと伸ばした。
 だらりと両腕を脱力させて、肩をぐるぐると回す。長時間同じ姿勢で集中していたからか、首の近くの筋肉がごりごりと鳴っている。
「はあ、随分集中してしまったなぁ」
 首もぐるぐると回して、眼鏡をずらして目頭を抑える。
 そこまでやって、イヴリンは屋敷内の静けさが妙に気にかかった。
 この時間であればコリンが帰ってきているはず、と壁掛けの振り子時計を確認するも邸宅の中にはまるで人の気配がない。寄り道をしていたとしてももう日が落ちかけているこの時間に戻ってこないということは有り得ない。それは他ならないイヴリンがコリンにそうするようにと言いつけているからだ。
 しんと静まり返る西日の差し込む邸宅を歩き回る。普段使っていない部屋や物置まで探し回るがどこをどう探してもコリンの姿はない。
「……コリン……?」
 キッチンにすら姿のない従者の名前が静かに響き、いつもは柔らかな優しさを滲ませている蜂蜜色の瞳が、無感情に細められた。