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第4話 コリンの一日

ー/ー



 ルウシャの東から太陽が昇り始め、空が白み始める頃に集落に点在する鶏舎からイルグニールの夜明けを告げるけたたましい鳴き声が響き渡る。
 イルグニールの鳴き声はかなりの広範囲に響き、雄ともなればルウシャだけではなくその外の森にまで響くらしいという噂が囁かれている。ともあれ、イルグニールの鳴き声でルウシャの人々は寝床から体を起こし、一日の始まりに向けて支度を始める。
 
「ふぁ……」
 
 それはルウシャで最も大きな邸宅の一室で眠っていたコリンもまた例外ではない。
 柔らかなベッドの上に座り込み、眠気で再び閉じそうになる瞼をくしくしと擦る。大きなあくびと伴に両腕を頭のうえで限界まで伸ばし、脱力。
 何度かのあくびを繰り返しながら洗面台へ行き、顔を洗って歯を磨く。そこまでをしてやっとコリンに襲いかかっていた眠気は霧散した。
 癖のある髪は毎朝あちこちに跳ねたい放題に跳ねていて、整えるのに時間がかかる。
 イヴリンの朝食を準備しなければいけないコリンにとっては髪を整えるほんの僅かの時間すら惜しく思えるが、みっともない格好でイヴリンの前に出ることもそれはそれでいけないことだとも理解していた。
 
 けれど。
 
「うぅ……どうしても直らない……でももう朝ごはんの支度をしないと……」
 
 こんな事を呟きながら鏡とにらめっこをしているのもいつものことなのであった。
 結局、頑固な寝癖は今日も大人しくなることはなかった。
 
「はぁ……」
 
 ぴん、と跳ねた寝癖をぴょこぴょこと揺らしながらコリンはとぼとぼと歩く。脳裏に浮かぶのは主人であるイヴリンの髪。
 
 癖という言葉を知らないようなまっすぐに伸びた新緑の髪。ブラシが常に引っかかる自分とは違って滑らかで柔らかい指通り。
 イヴリンの身支度の手伝いをする度に目を奪われている、というのも比喩ではないほどコリンはイヴリンの髪をじっと見つめることが多かった。
 目的の部屋にたどり着くまでに通りがかった窓ガラスに映り込む自身の姿を見てコリンは思う。
 
 もし、ご主人様みたいにまっすぐの髪だったら。
 
 癖のない髪の自分自身を想像してみる。
 
「……うまく想像できないや」
 
 起きてから何度目になるかわからないため息を吐き出して、そうして再び足を動かす。
 目的地は主人であるイヴリンの寝室。朝食の支度をして、イヴリンを起こして身支度の手伝いをするのがコリンの朝一番の仕事だった。
 
「おはようございます、ご主人様」
 
 三回のノックの後にイヴリンの寝室の扉を開ける。
 
 寝台と、衣服棚と、大きな本棚と、広いテーブルと椅子。それだけの部屋でイヴリンは寝起きをしている。いつもであればコリンがイヴリンを起こすために部屋を訪れると光を遮る重たいカーテンが部屋を真っ暗にしていて、盛り上がった布団が緩やかに上下している。はず。
 
 だが今朝のイヴリンの寝室には薄明かりが灯っていた。
 広いテーブルに置かれたランプが暖色の明かりを灯していて、その傍らには開かれたまま平積みになっている本。椅子に腰掛けてそのうちの一冊のページを左手で捲りながら右手で羽ペンを走らせ、何かを書き記している寝間着姿のイヴリン。コリンが開いた扉に対して背を向けているため、表情は伺い知れない。
 
 ああ、またやってる。
 
 コリンは思わず出そうになるため息を飲み込んだ。
 
「ご主人様、」
 
 扉を閉じてコリンはイヴリンの背中に声を掛ける。イヴリンの肩がぴくりと揺れて、声の主であるコリンを振り返る。
 
「コリン……?どうしたの?」
 
 きょとんとした表情の後に穏やかに微笑んで、イヴリンはコリンを手招きする。手招きされるがままにイヴリンの傍に歩み寄ったコリンはそのままイヴリンに抱き寄せられ、膝の上に座らされた。頑固な寝癖がついたままの頭を撫でて、イヴリンの頬がコリンの頭に寄せられる。
 
「怖い夢でも見てしまったかな。……大丈夫、忘れてしまおうね」
 
 優しく、言い聞かせるようにコリンの頭を撫でながらイヴリンは話す。イヴリンの体温に包まれ、コリンの体からふっと力が抜けてそのまま意識を委ねてしまいそうになる寸でのところでコリンはイヴリンの腕の中で身動ぎをする。この部屋へ来た本来の目的を忘れてはいけない。
 
「朝です、ご主人様」
 
 コリンの言葉にイヴリンの動きがぴたりと止まる。
 
「……」
 
 イヴリンは、次の言葉を発することはなかった。

 * 

「ごめんってば……寝ようかなって思ったら新しい仮説を思いついて……」
 
 寝間着から着替えたイヴリンはローブを揺らめかせながらコリンの後ろをついて歩く。心なしか早歩きのコリンに置いていかれまいとイヴリンも知らず知らずのうちに早足になる。
 
「今月に入って何回目ですか、ご主人様」
 
 コリンががイヴリンを振り返らずに無感情に言う。その声色をしっかりと認識したイヴリンの脳裏に危険信号が灯る。
 
「本当にごめんってば……確かに今月は少し多かったけれど……」
「……少し?」
「う、」
「今月はもう二十日を数えました。ご主人様はそのうち十日以上、徹夜で調べ物をしていました」
 
 足を止めてイヴリンを振り返ったコリンがイヴリンを見上げる。責めるでも拗ねるでもなく、ただただじっと見上げてくるコリンのこの視線を直に向けられてしまうとイヴリンはなにか重大な過ちを犯したような気になってしまうために、視線を泳がせる。
 こんな理由があって、ということをどれほど伝えても、でも徹夜をしましたよね。と返されてしまって、いつもイヴリンははい、としか答えられなくなってしまう。
 イヴリンが徹夜をしたときには主人と従者の立ち位置が逆転するのがこの二人の常だった。
 
「で、でもほら……前から言っているけれど、魔女は体に蓄えている魔力のお陰で頑丈だから……一日二日くらい寝なくても平気だから……」
 
 しどろもどろになりながらイヴリンはコリンに伝えるが、コリンの放った一言によっていよいよ愛想笑いのまま凍りつくことになった。
 
「ヴィエラ様かクラリッサ様。どちらにされますか。お二人でなければお忙しい所を承知の上でオリガ様にお声掛けします。お一人にというのがお嫌でしたらお三方に揃ってお願いをしますが」
「ちゃんと寝るよ」
 
 コリンが話し終えるや否やの即答だった。
 
「そうしてください」
 
 寝る、の言質を取ったコリンは先程までの早歩きではなく、イヴリンの横に立ってゆっくりと歩き始める。コリンからこれ以上の小言が飛んでこないことを悟ったイヴリンは肩に入った力を抜くように一つ息をついた。
 
 コリンが口にした三人の名前。
 
 ヴィエラ、クラリッサ、オリガ。
 
 このアルドゥイン王国の繁栄を支える魔女達で、イヴリンにとっては同じ位を戴く同朋。
 
 ──それと同時に、私生活においてはコリン以上に頭の上がらない存在である。
 
 魔女はその体内に内包、循環する膨大な魔力によって多少の無理が通ってしまう頑強な体を持ち、ほとんど不老と言って差し支えないほどの時を生きる存在である。一日二日の徹夜や絶食では何ということはないし、頭部や心臓の破壊、魔力の枯渇でもない限り命を落とすことはない。
 
 その無理の通る体を最大限に活用、もとい悪用しているのがイヴリンだった。
 
 イヴリンは魔法やマナの原理の研究、魔法を人々の生活や冒険者の使用する道具に転用する技術に強い興味と関心を持っている。その研究に熱が入るあまりに徹夜絶食は当たり前、資料として開いた本は開いたままでテーブルの上に平積みあるいは床に放置。着替えた服も寝台や床に放り投げてそのまま山となり、長い髪も乱雑に一纏めにして絡まり放題。魔法を用いた道具を思いつけば形になるまで手と独り言が止まらない。
 
 そんな生活を魔女となった当初より続けていたイヴリンだったが、ある時その惨状を目の当たりにした同朋の魔女達に懇々と説教を食らった。
 
 獣の魔女ヴィエラ曰く。
 
「え……お風呂も面倒……?それはちょっと……ダメよ、イヴ……」
 
 祈りの魔女クラリッサ曰く。
 
「研究に身を捧げるということは素晴らしいことですし、王国の繁栄のためにとなさってくださっていることは理解しておりますが……限度という言葉がございまして……」
 
 力の魔女オリガ曰く。
 
「いついかなる時も規範となる。それが私達のあるべき姿だと思うが?」
 
 三方向から浴びせられる呆れと憐れみと正論に、イヴリンは何も言い返せなかった。
 その説教が余程疲弊したのか、強烈な記憶として刻まれたのか。あるいはその両方か。
 当時に比べれば頻度は減ったものの、それでも徹夜や絶食の日数が増える度にコリンが同朋の名を口にすると途端に借りてきた猫のようになっていた。
 
 今現在、イヴリンの部屋が綺麗に整頓されて、洗濯物も溜まらずに、イヴリン自身の身なりも整えられて艷やかな髪を保っているのは。懇々と説教をされたという記憶と、コリンの日々の涙ぐましい努力の上に成り立っているものだった。


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 イルグニールの鳴き声はかなりの広範囲に響き、雄ともなればルウシャだけではなくその外の森にまで響くらしいという噂が囁かれている。ともあれ、イルグニールの鳴き声でルウシャの人々は寝床から体を起こし、一日の始まりに向けて支度を始める。
「ふぁ……」
 それはルウシャで最も大きな邸宅の一室で眠っていたコリンもまた例外ではない。
 柔らかなベッドの上に座り込み、眠気で再び閉じそうになる瞼をくしくしと擦る。大きなあくびと伴に両腕を頭のうえで限界まで伸ばし、脱力。
 何度かのあくびを繰り返しながら洗面台へ行き、顔を洗って歯を磨く。そこまでをしてやっとコリンに襲いかかっていた眠気は霧散した。
 癖のある髪は毎朝あちこちに跳ねたい放題に跳ねていて、整えるのに時間がかかる。
 イヴリンの朝食を準備しなければいけないコリンにとっては髪を整えるほんの僅かの時間すら惜しく思えるが、みっともない格好でイヴリンの前に出ることもそれはそれでいけないことだとも理解していた。
 けれど。
「うぅ……どうしても直らない……でももう朝ごはんの支度をしないと……」
 こんな事を呟きながら鏡とにらめっこをしているのもいつものことなのであった。
 結局、頑固な寝癖は今日も大人しくなることはなかった。
「はぁ……」
 ぴん、と跳ねた寝癖をぴょこぴょこと揺らしながらコリンはとぼとぼと歩く。脳裏に浮かぶのは主人であるイヴリンの髪。
 癖という言葉を知らないようなまっすぐに伸びた新緑の髪。ブラシが常に引っかかる自分とは違って滑らかで柔らかい指通り。
 イヴリンの身支度の手伝いをする度に目を奪われている、というのも比喩ではないほどコリンはイヴリンの髪をじっと見つめることが多かった。
 目的の部屋にたどり着くまでに通りがかった窓ガラスに映り込む自身の姿を見てコリンは思う。
 もし、ご主人様みたいにまっすぐの髪だったら。
 癖のない髪の自分自身を想像してみる。
「……うまく想像できないや」
 起きてから何度目になるかわからないため息を吐き出して、そうして再び足を動かす。
 目的地は主人であるイヴリンの寝室。朝食の支度をして、イヴリンを起こして身支度の手伝いをするのがコリンの朝一番の仕事だった。
「おはようございます、ご主人様」
 三回のノックの後にイヴリンの寝室の扉を開ける。
 寝台と、衣服棚と、大きな本棚と、広いテーブルと椅子。それだけの部屋でイヴリンは寝起きをしている。いつもであればコリンがイヴリンを起こすために部屋を訪れると光を遮る重たいカーテンが部屋を真っ暗にしていて、盛り上がった布団が緩やかに上下している。はず。
 だが今朝のイヴリンの寝室には薄明かりが灯っていた。
 広いテーブルに置かれたランプが暖色の明かりを灯していて、その傍らには開かれたまま平積みになっている本。椅子に腰掛けてそのうちの一冊のページを左手で捲りながら右手で羽ペンを走らせ、何かを書き記している寝間着姿のイヴリン。コリンが開いた扉に対して背を向けているため、表情は伺い知れない。
 ああ、またやってる。
 コリンは思わず出そうになるため息を飲み込んだ。
「ご主人様、」
 扉を閉じてコリンはイヴリンの背中に声を掛ける。イヴリンの肩がぴくりと揺れて、声の主であるコリンを振り返る。
「コリン……?どうしたの?」
 きょとんとした表情の後に穏やかに微笑んで、イヴリンはコリンを手招きする。手招きされるがままにイヴリンの傍に歩み寄ったコリンはそのままイヴリンに抱き寄せられ、膝の上に座らされた。頑固な寝癖がついたままの頭を撫でて、イヴリンの頬がコリンの頭に寄せられる。
「怖い夢でも見てしまったかな。……大丈夫、忘れてしまおうね」
 優しく、言い聞かせるようにコリンの頭を撫でながらイヴリンは話す。イヴリンの体温に包まれ、コリンの体からふっと力が抜けてそのまま意識を委ねてしまいそうになる寸でのところでコリンはイヴリンの腕の中で身動ぎをする。この部屋へ来た本来の目的を忘れてはいけない。
「朝です、ご主人様」
 コリンの言葉にイヴリンの動きがぴたりと止まる。
「……」
 イヴリンは、次の言葉を発することはなかった。
 * 
「ごめんってば……寝ようかなって思ったら新しい仮説を思いついて……」
 寝間着から着替えたイヴリンはローブを揺らめかせながらコリンの後ろをついて歩く。心なしか早歩きのコリンに置いていかれまいとイヴリンも知らず知らずのうちに早足になる。
「今月に入って何回目ですか、ご主人様」
 コリンががイヴリンを振り返らずに無感情に言う。その声色をしっかりと認識したイヴリンの脳裏に危険信号が灯る。
「本当にごめんってば……確かに今月は少し多かったけれど……」
「……少し?」
「う、」
「今月はもう二十日を数えました。ご主人様はそのうち十日以上、徹夜で調べ物をしていました」
 足を止めてイヴリンを振り返ったコリンがイヴリンを見上げる。責めるでも拗ねるでもなく、ただただじっと見上げてくるコリンのこの視線を直に向けられてしまうとイヴリンはなにか重大な過ちを犯したような気になってしまうために、視線を泳がせる。
 こんな理由があって、ということをどれほど伝えても、でも徹夜をしましたよね。と返されてしまって、いつもイヴリンははい、としか答えられなくなってしまう。
 イヴリンが徹夜をしたときには主人と従者の立ち位置が逆転するのがこの二人の常だった。
「で、でもほら……前から言っているけれど、魔女は体に蓄えている魔力のお陰で頑丈だから……一日二日くらい寝なくても平気だから……」
 しどろもどろになりながらイヴリンはコリンに伝えるが、コリンの放った一言によっていよいよ愛想笑いのまま凍りつくことになった。
「ヴィエラ様かクラリッサ様。どちらにされますか。お二人でなければお忙しい所を承知の上でオリガ様にお声掛けします。お一人にというのがお嫌でしたらお三方に揃ってお願いをしますが」
「ちゃんと寝るよ」
 コリンが話し終えるや否やの即答だった。
「そうしてください」
 寝る、の言質を取ったコリンは先程までの早歩きではなく、イヴリンの横に立ってゆっくりと歩き始める。コリンからこれ以上の小言が飛んでこないことを悟ったイヴリンは肩に入った力を抜くように一つ息をついた。
 コリンが口にした三人の名前。
 ヴィエラ、クラリッサ、オリガ。
 このアルドゥイン王国の繁栄を支える魔女達で、イヴリンにとっては同じ位を戴く同朋。
 ──それと同時に、私生活においてはコリン以上に頭の上がらない存在である。
 魔女はその体内に内包、循環する膨大な魔力によって多少の無理が通ってしまう頑強な体を持ち、ほとんど不老と言って差し支えないほどの時を生きる存在である。一日二日の徹夜や絶食では何ということはないし、頭部や心臓の破壊、魔力の枯渇でもない限り命を落とすことはない。
 その無理の通る体を最大限に活用、もとい悪用しているのがイヴリンだった。
 イヴリンは魔法やマナの原理の研究、魔法を人々の生活や冒険者の使用する道具に転用する技術に強い興味と関心を持っている。その研究に熱が入るあまりに徹夜絶食は当たり前、資料として開いた本は開いたままでテーブルの上に平積みあるいは床に放置。着替えた服も寝台や床に放り投げてそのまま山となり、長い髪も乱雑に一纏めにして絡まり放題。魔法を用いた道具を思いつけば形になるまで手と独り言が止まらない。
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 獣の魔女ヴィエラ曰く。
「え……お風呂も面倒……?それはちょっと……ダメよ、イヴ……」
 祈りの魔女クラリッサ曰く。
「研究に身を捧げるということは素晴らしいことですし、王国の繁栄のためにとなさってくださっていることは理解しておりますが……限度という言葉がございまして……」
 力の魔女オリガ曰く。
「いついかなる時も規範となる。それが私達のあるべき姿だと思うが?」
 三方向から浴びせられる呆れと憐れみと正論に、イヴリンは何も言い返せなかった。
 その説教が余程疲弊したのか、強烈な記憶として刻まれたのか。あるいはその両方か。
 当時に比べれば頻度は減ったものの、それでも徹夜や絶食の日数が増える度にコリンが同朋の名を口にすると途端に借りてきた猫のようになっていた。
 今現在、イヴリンの部屋が綺麗に整頓されて、洗濯物も溜まらずに、イヴリン自身の身なりも整えられて艷やかな髪を保っているのは。懇々と説教をされたという記憶と、コリンの日々の涙ぐましい努力の上に成り立っているものだった。