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第十三編 ある日の終わり

ー/ー



 パルメ商会の船を降りて、すぐに港街を出ると。
 あたりはあっという間に森と化していた。

 土の街道を左右から挟むように生えた、杉の木たち。
 街道の端には、まだ残っている雪たちがちらほら見えて。
 ときどきシルヴィカが踏むと、それらはジャクッと音を立てたた。

 ——アスタ島。

 それは極東にある島であり。
 この旅の目的地『ツイの街』がある島。

 白桜の時期には、どうにか間に合いそうだったが。
 シルヴィカの足取りは、いつもよりどこか重く。
 それに合わせるかのように、気持ちも沈んでいた。

 旅の終わりが、寂しかったのかもしれない。
 終わりのあとが、不安なのかもしれない。

『この旅が終わったら、自分はどうするのか』
 その答えはまだ、出そうになかった。

 街道に差し込む日の光は、雲に阻まれてぼんやり。
 その真っ白な空を、シルヴィカは見上げると。
「なんだか、フィナリアみたい……」
 なんて洩らしながら、あたりをキョロキョロと見渡して。
 それからほんの少しだけ、歩みを速める。

 前から後ろへと流れる風景に。
 シルヴィカはたまに目をやると。

 徐々に、徐々に道は細くなっていき。
 気づけば道端に、倒木や草も混じってきて。
 雲越しの光も、どんどん弱くなってきていた。

 そうしてやがて、視界も薄暗くなって。
 雲にぼんやり浮かんだ薄明が、森の木たちに隠れる頃。

 シルヴィカは適当な場所を見繕ってから。
 そこでたき火を起こして。
 火が安定してくると。
 炎や火の粉に触れないように、そっと地図を広げる。

 地図にははっきりと、『ツイの街』の名が書いてあった。

 パチパチと鳴っている炎へ、事前に集めておいた枯れ枝を投げ込むと。
 炎は一瞬揺らいだあとに、音が少し大きくなる。

 このペースで歩き続ければ、明後日には目的地に着くだろう。
 そんな予測を立てながら、シルヴィカは革水筒を取り出すと、水の口の中に注いで。
 それから、手帳をウエストポーチから出して、軽くページをめくった。

 始めのほうには、マコトのカルテ代わりに書いたメモがあって。
 そこから少しめくると、『アンネ・ミック・ヨールズ・ラトアイア』という走り書き。

 さらにページをめくっていくと、古物商レイエカの店への簡単な地図があり。
 フィナリアの風景を思い出して描いた落書きや。
 薬師の村キュエイマの場所を記したメモ。

 ガイノがいきなり落書きしてきた変な鳥。
 ツタの病の症状に関するメモ書きや。
『ヨーグの街 ロウイ』というメモ。

 市場で補給するもののリスト。
 マコトに教えてもらった乗合馬車の時刻表。
 ページが破られた跡。

 そして、ラネの街でマーと会えそうな場所のリストがあった。

 シルヴィカはその一つ一つに、いろんな思いを感じながら眺めていき。
「旅が終わったら、最後に何か書いてもいいかも」
 なんて思いつきながら、手帳を閉じると。
 カバンを漁って、買ったばかりのものを取り出す。

 それはこの島に着いたときに適当に買ったもので、羊羹というらしいお菓子。
 シルヴィカは何やら乾燥した葉っぱのような包みを開きながら、それを取り出すと。
 プルプルとした黒いものが、中から出てきたので。
 シルヴィカはそれをかじろうとして、すぐに。

「——っ⁉︎ ううぇえっ⁉︎」
 という変な叫び声を上げた。

 というのも、シルヴィカの視線の先では、何やら知らない影があり。
 濡羽色をした長い髪と、黒曜石のような色の瞳が特徴的なその人物は。
 どうやら年端もいかない少女のようで。
 この地方でよく見るワフクを着た彼女は。
 何を考えているのかわからない、まったくの無の表情で、たき火にただ手を当てていた。

 その叫び声を聞いて、少女は一瞬シルヴィカのほうを見るが。
 すぐにまたたき火のほうへ向き直し、火に当たる。

 そんな彼女に困惑しながらも、シルヴィカはその少女ににじり寄り。
「えっと、君は……?」
 なんて首をかしげてみるが。

 少女はシルヴィカのほうを見もせずに。
「ネリネ」とだけ言って。
「どこから来たの?」
 という問いには、沈黙という答えを返していた。

 そんな彼女を横目に、シルヴィカはあごへ指を当てて。
 真っ暗闇の中で、ぼうっときらめく炎の、パチパチという音だけがただ響く。

 ネリネの背後をぬるりと通った、たぬきに視線が吸われたあと。
 シルヴィカはネリネに羊羹を向けながら。
「……食べる?」と微笑んでみると。

 ネリネはじっとシルヴィカのほうを見て。
 それからうなずき、羊羹を手に取る。

 それからシルヴィカは水筒から水を飲みつつ。
「美味しい?」とかネリネに言いながら。
 しばらく、彼女のことを見守っていたが。
 当のネリネ自身は、気にもしていないかのように、ちまちまと羊羹をかじっていた。

 * * * * *

 そして、翌日の朝。
 シルヴィカは髪を整えて、ネリネの様子をふと見ると。

 真っ白なマントにくるまった彼女は、何やらうなされているようで。
 そんなネリネの様子に、シルヴィカは少し目を伏せるが。
 まつ毛の間からこぼれるしずくを見て、すぐにネリネの肩を揺らした。

「ネリネさん、朝だよ」なんて、優しい声をかけ続け。
 やがてネリネが目をこすって、あくびをすると。
「疲れ、残ってない?」と首をかしげる。

 ネリネは目元の違和感に、まぶたをパチパチとさせて。
 シルヴィカはそんな彼女にタオルを渡すと。
「顔、洗っておいで」と言った。

 そうしてしばらくネリネの準備が終わるのを待つと。
「お家の場所わかる?」なんてシルヴィカは訊いてみたが。
 ネリネは相変わらずながら、何も言わなくて。

 しかし、何か本人なりの理屈はあるのか、出発したシルヴィカに付いてきていて。
 それに気づいたシルヴィカは、少し、歩調を遅くした。

 街道を進むシルヴィカと、その後ろをペタペタ追いかけるネリネ。
 シルヴィカと手をつなごうとしたが、本人に拒否されて。

 それでもなんとかめげないように。
「羊羹、好きなの?」とか。
「もう年末だねぇ」とか。
 そんな言葉をたびたびかけてみたのだが。

 ネリネのほうからの答えは、ほとんど返ってこず。
 唯一彼女から返ってきた回答は。
「疲れてない?」という問いに対する。
「ううん」という答えだけだった。

 それすら歩調から察するに嘘だったので。
「この辺道きついらしいから……」なんて言いながら。
 シルヴィカはネリネを、無理矢理おんぶして運ぶはめになった。

 しばらく二人が、そんなふうな旅をしばらく続けていると。
 いつのまにか杉たちは影を潜めていて。
 その代わりのように、あたりには竹がたくさん生え。
 ときどき、はるか上から落ちた雪がバサバサと鳴らしていた。

 ネリネを背中から降ろすと、シルヴィカはウエストポーチから地図を取り出し。
「あの街は……あった、『エンの街』」
 向こうに見えてる街で買い物するんだけど、ネリネさんは何か——

 なんて言おうとしたのだが、すぐにシルヴィカはネリネに駆け寄り。
「どうしたの⁉︎」と言って、彼女の額に手を当てた。

 というのも、ネリネはなぜか震えており。
 その顔も、ひどく青ざめていたのだ。
「だるさはある?」とか。
「どこか痛いところは?」とか。
 シルヴィカはいくつか質問をするが。
 ネリネはそのたびに首を横へ振り。

 しばらく考え込んでからシルヴィカが。
「エンの街に、行きたくないの……?」と言うと。
 ネリネはそれにぎこちなく、うなずいて。

「……わかった。ここで待っていられる?」
 シルヴィカは自分の言葉に、ネリネがうなずくのを見ると。
 獣避けの鈴を彼女に手渡し、一人で街へと向かった。

 一人にするのは心配だったが。
 補給を欠かすことも、できなかった。

 * * * * *

 エンの街へたどり着くと、街の中は大騒ぎになっていて。

 木造の平たい家たちが建ち並ぶその街では。
 多くの人たちが、何やら不安そうに立ち話をしていたので。
 甘物屋の店主にふと。
「何か、あったんですか?」
 なんてシルヴィカが訊いてみると。

 店主のおじさんは眉根を寄せながら。
「実はなぁ……」と教えてくれた。

 なんでも、この街には『シドウ』という姓の領主がいるそうで。
 その家系の長男が、何者かによって背後から刺されたらしかった。

「今でこそ薬師が診ているらしいが、聞いた話によると危篤だそうでな」
 妹のほうも行方不明だし、うちの街はどうなるのかねぇ。
 あんたも、さっさとこの街出たほうがいいよ。
 いつ犯人に会うかわからないんだからさ。

 そう店主は苦笑いをすると、紙の小袋を用意してくれて。
「しっかし、この買いかたは始めて見たよ」とか言いながら。
 袋の中に、どっさりと羊羹を詰めていた。

「羊羹好きの、その、親戚の子に会うんですよ」
「なるほどなぁ、いっぱい食わせてやんなよ」

 そんな会話を交わしながら、シルヴィカは袋を受け取り。
 ガサッと鳴ったその袋を掴むと、その重みで一瞬腕が沈んだ。

 シルヴィカは店主に大貨を一枚手渡すと、彼に頭を下げて。
 すぐに街を出ようとしたのだが、やはり店主の話が気がかりで。
 ほんの少しだけ、聞き込みをすることにして。

 適当な人たちに声をかけては、この街のことを訊いてみると。
「シドウ様だろ? 大変らしいな」とか。
「強盗らしいじゃない、ああ怖い」だとか。
 そんなことを親切に言ってくれる人もいれば。

「こう言っちゃなんだが、因果応報だよ」や。
「どのみちこの街も終わりかねぇ」みたいな。
 なんだか聴いてるほうまで暗くなるようなことを言う人もいて。

 シルヴィカはそんな彼らの話を、歩きながら頭の中で統合し。
「やっぱり……」と洩らしながら、ネリネのもとへ向かう。

 街の堀に架けられた橋を越えて。
 街道をどんどん戻っていくと。
 やがて竹が増えてきて。

 微かに、りん、りん……と。
 そんな音が聞こえてきたので、それを辿り。
 音の原因へ、ゆっくり歩み寄ると。
 鈴を鳴らしていたネリネが、静かにシルヴィカのほうを見た。

 シルヴィカは彼女に笑みを向けて。
 大量の羊羹を見せると。
 ネリネはしばらくうつむいて。
「だ、ダメなお店だった……?」と言うシルヴィカに。
 小さく首を横に振りながら、獣避けの鈴をずいっと返してきた。

 シルヴィカはそれを受け取ると、ゆっくりとまた歩き出し。
 立ち止まってるネリネへ振り向いてから。
「ちょっと、近道するから」なんて手を差し出して。
 それをネリネは、何やら考え込んでから、おずおずと掴んだ。

 * * * * *

 それからシルヴィカはしばらく、ネリネを抱っこした状態で。
 ヒーヒー言いながらも、彼女をがっしりと両腕で掴み。
 エンの街を迂回するようなルートで、竹やぶの中を進んでいた。

 はるか頭上にある竹の葉から、微かに漏れる陽光は。
 もうすっかり、橙色に染まっていて。
 徐々に光量を失っていくその竹やぶの中を。
 顔を真っ赤にしながら歩くシルヴィカへ。
 ネリネはじっと、視線を向ける。

「も、もうちょっとで着くから……っ」
 シルヴィカはそんなことを、笑いながらネリネに言って。

 ネリネもそれにうなずくと、シルヴィカの肩にうずくまるが。
「あっ、その姿勢ちょっときつい……」というシルヴィカの声に反応して。
 すぐにその姿勢を戻してくれた。

 シルヴィカは、ネリネの様子を伺いながら。
 できるだけ速くやぶを抜けられるように。
 それでもあまり揺れないように。
 どんどん歩みを進めていき。

 やがて目に入った、土道の上に入ると。
 シルヴィカはネリネをゆっくりと降ろして。

「計算通り!」なんて笑う。
 ネリネは相変わらず無表情だったが。
 ずっとシルヴィカのほうを見つめていて。
 その視線に気づいたシルヴィカは、目を逸らしながら。

「お、おおよそ、計算通りだったから……」
 と付け加えた。

 やぶを抜けると、もうエンの街は見えなくなっていて。
 シルヴィカはしばらくネリネの手を引くと、やがて立ち止まり。
「今日はここに泊まろっか」と言って、枯れ木を集め始める。

 その後たき火を起こして、ネリネとともにそれを囲むと。
 シルヴィカは彼女に羊羹を手渡し。
 それをネリネは、少し躊躇してから受け取った。

 それからしばらく二人は、無言でたき火を見つめていて。
 そんな静かな時間を過ごしながら、シルヴィカはふと、ネリネの視線を感じたので。
 シルヴィカはネリネのいるほうへ、そっと視線を向けると。
「羊羹、買い過ぎたね……」なんて苦笑いをする。

 感じていた通り、ネリネの視線はずっとシルヴィカに向いており。
 シルヴィカは少しの間、あごに指を当てると。
「どうしたの……?」なんて首をかしげて。

 ネリネは一瞬目を見開くと、すぐにうつむいて。
 そんな様子を、シルヴィカが見つめているうちに。
 彼女はようやく、その口を開いた。

「……なんで、訊かないの?」

 ネリネのその言葉に、シルヴィカはゆっくり距離を詰め。
 彼女のすぐ隣に移動をすると。

「言うのが、つらいと思ったの」と返して。
 それから、ネリネの肩に手を置いた。

 彼女の肩は冷たく、震えていて。
 シルヴィカは目を伏せながら、言葉を紡ぐ。

「それに、なんとなくわかるんだよ」
 つらいことがあったんだなって。
 今も苦しいんだなって。

 ネリネはそんなシルヴィカの言葉に。
 何度かうなずいているようで。

 それから彼女は、小さく。
「わたし、わたしね……」なんて。
 震えた声で、言っていて。

 それに対してシルヴィカは何も言わず、ただ彼女の次の言葉を待つ。
 着物の隙間から見えた、彼女の細いその腕には、いくつかの痣ができていて。
 ネリネは袖口を引っ張って、その痣を覆い隠すと。

「わたし、あのね、わたし……」
 そう、何度か言い淀んでから。

「家族を殺したの」
 とはっきり言った。

 ネリネの声はまた、平坦になっていて。
 シルヴィカは、その意味に気づきながらも。
「教えてくれる? あなたの事情を」と言い。

 それにネリネはうなずくと、静かに。
 ほんの小さな声で、語り出した。

 * * * * *

 ネリネのフルネームは、『シドウ・ネリネ』
 つまりはエンの街で領主をしている家系の出が、彼女だった。

 シドウ家は代々文武両道を信念としており。
 その後継者は、領民たちの期待を一身に受ける。
 シドウ家の領主という特権を支えるのは、常に後継者の努力であり。
 鍛錬により積み上げた、誰よりも高い能力そのものだったのだ。

 戦時になれば率先して民を守り。
 平時には豊かな生活を提供する。
 領主としての基本を極限まで突き詰める。

 それこそがシドウに生まれた者の宿命であり。
 ネリネには継承権がない都合上、彼女の兄が背負った宿命だった。

 後継者は常に努力を強制され、常にその過程を、結果を品定めされる。
 期待に応えるという、外からきた理由のために。
 ただ毎日、心身を痛めつけながら鍛え備える。
 ネリネの兄も、歴代の後継者たちと同じように、それを生まれたときから続けていた。

 しかし、どこの世においても、期待に応えることだけを続けられる人間は存在せず。
 そしてネリネの兄もまた人間であるために、例外ではなかった。

 常に強制される、終わらない努力の日々により。
 溜まったストレスの向かう先は、自由な妹だった。

 最初は嫌味を言われるだけだったらしい。
 しかし、それはやがて直接の暴言になって。
 陰ながらの嫌がらせへと変わり。
 ついには、暴力にも発展した。

 殴りや蹴りはよくあること。
 髪を無理矢理切られたこともあった。

 周りの人間も、兄が期待に応える代償としてそれに見て見ぬふりをして。
「これもお家のためなのですよ」
「まことにお労しく思います……」
「苦労をかけてしまうけど、許しておくれよ」
 そんな無責任な言葉をかけてきて、ネリネにはそれもつらかったが。

 殴る蹴るの暴力よりも、無責任な言葉たちよりも。
 着替えるときに、風呂に入るときに。
 否が応でも目に入る傷跡たちのほうが。
 ネリネの心を、より深くえぐっていった。

 ——もう、限界だった。

 ネリネはある日、急にその行動を起こしていて。
 そこに至るまでの過程は、まったく覚えていなかったが。
 その結果のほうは、ネリネの脳裏に刻まれてしまった。

 ある日の夜のこと、ネリネは気がつけば兄の部屋にいて。
「クソッ、お前っ、何やってんだお前ぇ‼︎」と、兄は言っていた。

 兄の背中からは、脇差がまるで最初から生えていたかのように刺さっていて。
 そこからどんどん、朱色が滲み広がって。
 赤く染まっていく着物を、兄は掻きむしり。
 脇差を抜こうともがきながら、床に倒れ込んでいた。

 兄はいろいろなことを叫びながら、ネリネに憎悪の目を向けて。
 あんなにも怖かった、絶対に逆らえなかった兄が。
 汚い血を床に垂らしながら、情けなく転がって。

 ネリネはそれを見つめているうちに、自分の中をふとよぎる。
 ——やれた。
 という言葉に、熱の引くような感覚があった。

 落ち着いていたはずの鼓動は、どんどん激しくなり。
 遠くのほうから聞こえてくる、大勢の足音に気づくと。
 ネリネは兄に背を向けて、そのまま外へと走っていった。

「ネリネ様⁉︎」という声がした気もした。
「刀は抜くな!」というのもあったかもしれない。

 でも、どうやってあの街を抜け出したのかは、自分でもわからない。
 街を、道を、竹林を。
 ただでたらめに、走って。
 そんなことをしているうちに。
 見慣れない森に入っていた。

 足が痛いなぁ、とか。
 これからどうしよう、とか。
 そんなことを思いながら、知らない道をさまよって。
 そのうち森の中に、小さな光が見えたので。
 それに向かって、何も考えずに歩いた。

 その光の正体が、たき火だと気づく頃に。
 ネリネは、亜麻色の髪をした女性に出会った。

 * * * * *

「——ちょうど、あのときだったんだね」
 シルヴィカはネリネにそう言うと、彼女はうなずいて。
「ずっと、寒かったから……」とこぼす。

 シルヴィカがネリネのほうを見ると。
 彼女は自分を抱きしめるように。
 縮こまるようになりながら。

「わたし、もう帰れないよ」
 なんでこんなこと、しちゃったんだろう。

 そんなことを、小さな声で言っていた。
 あたりはすっかり暗くなっていて。
 パチッと火の粉が跳ねると。
 それが地面に落ちていき。
 その小さな光は、徐々に消えていく。

 シルヴィカがネリネに視線を戻すと。
 彼女はやがてうつむきながら。
「こんなことなら……」
 と消え入りそうな声で言って。
 それをかき消すように、シルヴィカは。
 ネリネのことを、抱きしめた。

「……シルヴィカ、さん?」

 耳元で聞こえたその声に、シルヴィカはギュッと目をつむると。
「……お兄様からのいじめ、イヤだったよね」
 なんて、彼女に言った。

 それにネリネは、微かにうなずき。
 シルヴィカはさらに、腕の力を強くしながら。

「怖かったよね」
 痛かったよね
 ……つらかったよね。

 まるで反芻するように、そう何度か言葉をかけると。
 やがてネリネは「うん……っ」と言って。
 それから、小さな嗚咽を洩らしていた。

 シルヴィカは彼女の背を優しい手つきで。
 トン、トン、と軽く叩きながら。
 その息づかいに、耳を傾ける。

「わたし、ずっと」
 ずっと、イヤで……っ。
 跡とか、消えるのかなって。

 ネリネの言った、涙混じりの。
 そんな声にシルヴィカは。
 閉じていたまぶたを開いて。
 それから視線を、わずかにネリネへ向ける。

「……ネリネさん」
 ずっと、我慢してたんだもんね。

 不安だったよね。
 寂しかったよね。

 でも、あなたがあなたを叱る必要はないんだよ。

 少なくとも私は、そんなことをしてほしくないの。

 今のあなたがどれだけつらくても。
 どれだけ自分が嫌いでも。
 どれだけ消えてしまいたくても。

 いつかそれすら思い出になるって。
『なんてことなかった』って言えるんだって。
 いつかそうやって乗り越えられるって、信じてほしいの。

 時間が解決してくれるって、信じてほしいの。
 信じて、生きてほしいの。

 きっと報われるって。
 待って、ほしいの。

 シルヴィカは言い聞かせるように、ネリネにそう言って。
 彼女はそれを聴いてからしばらくして、シルヴィカの背に手を回す。

 シルヴィカの心臓も、ネリネの心臓も。
 不規則なリズムを刻んでいて。

 そんな乱れたリズムたちが。
 だんだん、互いに同調していくと。
 ネリネの肌に、少しの熱が戻っていた。

 彼女がふいに、涙ぐんだ声で。
「待つって、いつまで?」と言って。
 シルヴィカがそんなネリネに、願うような口調で。
「いつまでも」と返したら。

「……長いなぁ」と、ネリネは言った。

 気がつくとたき火は、すっかり小さくなっていて。
 その橙色の光は、不安定に揺れながら。
 吹いた風に晒されて、ボボボと音を立てる。

 竹に混じった木々たちは、冷たい風に揺さぶられ。
 ざわざわとしたその声を、周りに反響させていき。
 シルヴィカは、ふわりと揺れたその髪を直しながらネリネからその身を離すと。
 ネリネは袖口を使って、乱暴な動きで目元を拭っていた。

 空の雲が動いたのか、月明かりが差し込んできて。
 シルヴィカとネリネは、その黄色い光に照らされると。
 それから二人は、恥ずかしそうに笑い。

「ねえ、シルヴィカさん」
 あなたも……いや、なんでもない。

 ネリネはシルヴィカに、そう言いかけて。
 シルヴィカはそれに対して、微笑み混じりに首をかしげた。

 * * * * *

 それから翌日になって、ツイの街に到着した二人は。
 木造のやしろを備えた、ある寺院に来ていた。

 そこは、どうやら孤児の引き取りをしているようで。
 ネリネ自身が、そこで暮らすことに決めたのだった。

 手続きを終えたネリネは、付き添いで来たシルヴィカの手を握りながら。
 大きな門を越えるまで、シルヴィカとともに歩くことにして。
 石で作られた中央の道を、重い足取りで歩く二人は。
 やがて門の前までくると、互いに目を合わせる。

「ほんとに、よかったの?」
「迷惑、かけたくないから」

 シルヴィカの問いに、ネリネはそう答えると。
 握ったままの手に、汗を滲ませていた。
 そんな様子の彼女を、シルヴィカは見下ろし。
 それから視点を合わせて、手を解くと。

 自分のペンダントをネリネに着け。
 ネリネは驚いた様子で、シルヴィカをじっと見つめるが。
 シルヴィカはそれに、優しい笑みを向けていて。

 それから彼女に耳打ちをすると。
 ネリネはそれを聞くなり。

「それ、本当……?」と言った。

「もちろん本当だよ」
 そんな答えを、シルヴィカは返すと。

「約束できる?」と言葉を続け。
 ネリネはそれに、力強くうなずき。

 二人はしばらく見つめ合ってから、ゆっくりと小指を近づけて、指切りをすると。
 それぞれの向かう方向へ、軽い足取りで向かっていく。

 シルヴィカがふと振り返ると、寺院のほうからネリネが大きく手を振っていて。
 それにシルヴィカは、負けないくらいの大きさで、手を振り返す。

「またね、シルヴィカさん!」
「うん、また!」

 二人はそんな言葉を、道越しに交わすと。
 やがてネリネは、寺院の中へ入って。
 シルヴィカは門を越えていく。

 二人の間で結ばれた、ほんの小さな口約束。
 それは、周りからすれば本当にくだらない約束で。
 いつか時間が経てば、ネリネだって忘れてしまうかもしれない。
 シルヴィカにとっても、別に忘れてもらって構わないものだ。

 でも、そのくだらない、あまりに単純な口約束は。
 生きる理由としてはこれ以上ないものなのだと、シルヴィカは知っていた。

 シルヴィカはツイの街中を、ぐるりと見渡したあとに。
 ふと、暖かな頭上へ目を向ける。

 透き通るような青空に、わた雲がふわりと浮いていて。
 真っ白な太陽が、さんさんと街を照らしている。
 それはまるで、冬の終わりを告げるようなきらめきであり。
 そんなきらめきのせいなのか。
 ——私も、旅を終わらせに行こう。
 なんて思えたシルヴィカは。
 街外れへと一歩を、踏み出す。

 場所はすでに調べていた。
 何度も何度も、聞き込んだ。

 背の低い石壁を越えて、堀の向こう側へと歩いていき。
 しばらく、ずっと、でこぼこな道を進んでいくと。
 だんだん道の先から冷たい風が吹いてくるようになって。

 長い上り坂の向こうに、何やら白い光が見えてきたかと思えば。
 近づく頃にはそれが晴れ間の空であることがわかってきて。

 深い色の草が生えた、ちょっとした森の中。
まだらに生えた木々たちの中に、その花はあった。

 太い幹は湾曲し、枝を大きく横に広げている。
 その大きな大きな樹たちには。

 真っ白で小さな花弁が。
 まるで寄り添うように生えていて。
 いくつか生えた樹たちの中央にある一本へ、シルヴィカは歩み寄ると。
 ゆらりと降り注ぐ花吹雪が、周りを白く染めていた。

 ——白桜(しろざくら)

 母の故郷『ツイの街』原産の花であり。
 両親と一緒に、観る約束をした花。
 シルヴィカはその樹を見上げて。
「お父様、お母様……」と、独り語りかける。

 私、ちゃんと果たしたよ。
 ちゃんと、たどり着いたよ。
 ちゃんと、ここまで来れたよ。

「……私ね、まだ自分のことは嫌いで」
 今だってあの日のこととか。
 この旅でできた後悔とか。

 ずっと、残ってる。

 生きてていいとか、思えないし。
 どうして私なんだろうって、今も思う。
 でも、でもね。

「——私、もう少しだけ頑張ってみようと思うんだ」

 新しい約束もできたから。
 一生かけて果たす約束もあるから。
 これからも、見守っていてほしいの。
 私がいつか、そっちに行くまで。

 ……長くなりそうだけど。
 真面目にやってたら、すぐだもんね。

 シルヴィカがそう語り終えると。
 急な突風に巻き上がり。
 白桜の花弁たちが、はらりと浮いて。

 シルヴィカの目元にじんわりと。
 滲んできたその涙は。
 やがて大粒になり、地面に落ちる。

「私、今日はめでたい日だから……っ」
 ずっと今日のこと、考えてたから。
 心配とか、させたくない、し。
 最後くらい、笑って終わろうって。
 思ってた、のに。
 ごめん、私、やっぱり。

 シルヴィカはそう言いながら、指で目元を拭うが。
 涙は全然、止まってくれなくて、それどころか、溢れるばかりで。
 やがて、シルヴィカは。

「一緒に、来たかったよ……っ」と。
 子どものように、その嗚咽を洩らした。

 シルヴィカをなだめるように。
 そよ風が微かに吹いてきて。
 亜麻色の髪が、ふわりとなびくと。
 その上に三枚、花びらが乗る。

 白桜の咲く森の中。
 花吹雪が舞うその森で。
 シルヴィカはしばらく、ただ泣いていて。
 その真っ白な大地を、ただ静かに。
 小さな、嗚咽が響いていた。

 やがて、頭の花びらに気づくと。
 取ったそれをギュッと握って、それから。

「ありがとう……」
 なんて微笑む。

 その目に浮かんだ涙は。
 照らす太陽の光を、白く反射していて。
 シルヴィカは白桜を眺めてから、深く息をすると——

「——行ってきます!」
 と舞い散る白に向けて言った。


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 そうしてやがて、視界も薄暗くなって。
 雲にぼんやり浮かんだ薄明が、森の木たちに隠れる頃。
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 そこでたき火を起こして。
 火が安定してくると。
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 炎は一瞬揺らいだあとに、音が少し大きくなる。
 このペースで歩き続ければ、明後日には目的地に着くだろう。
 そんな予測を立てながら、シルヴィカは革水筒を取り出すと、水の口の中に注いで。
 それから、手帳をウエストポーチから出して、軽くページをめくった。
 始めのほうには、マコトのカルテ代わりに書いたメモがあって。
 そこから少しめくると、『アンネ・ミック・ヨールズ・ラトアイア』という走り書き。
 さらにページをめくっていくと、古物商レイエカの店への簡単な地図があり。
 フィナリアの風景を思い出して描いた落書きや。
 薬師の村キュエイマの場所を記したメモ。
 ガイノがいきなり落書きしてきた変な鳥。
 ツタの病の症状に関するメモ書きや。
『ヨーグの街 ロウイ』というメモ。
 市場で補給するもののリスト。
 マコトに教えてもらった乗合馬車の時刻表。
 ページが破られた跡。
 そして、ラネの街でマーと会えそうな場所のリストがあった。
 シルヴィカはその一つ一つに、いろんな思いを感じながら眺めていき。
「旅が終わったら、最後に何か書いてもいいかも」
 なんて思いつきながら、手帳を閉じると。
 カバンを漁って、買ったばかりのものを取り出す。
 それはこの島に着いたときに適当に買ったもので、羊羹というらしいお菓子。
 シルヴィカは何やら乾燥した葉っぱのような包みを開きながら、それを取り出すと。
 プルプルとした黒いものが、中から出てきたので。
 シルヴィカはそれをかじろうとして、すぐに。
「——っ⁉︎ ううぇえっ⁉︎」
 という変な叫び声を上げた。
 というのも、シルヴィカの視線の先では、何やら知らない影があり。
 濡羽色をした長い髪と、黒曜石のような色の瞳が特徴的なその人物は。
 どうやら年端もいかない少女のようで。
 この地方でよく見るワフクを着た彼女は。
 何を考えているのかわからない、まったくの無の表情で、たき火にただ手を当てていた。
 その叫び声を聞いて、少女は一瞬シルヴィカのほうを見るが。
 すぐにまたたき火のほうへ向き直し、火に当たる。
 そんな彼女に困惑しながらも、シルヴィカはその少女ににじり寄り。
「えっと、君は……?」
 なんて首をかしげてみるが。
 少女はシルヴィカのほうを見もせずに。
「ネリネ」とだけ言って。
「どこから来たの?」
 という問いには、沈黙という答えを返していた。
 そんな彼女を横目に、シルヴィカはあごへ指を当てて。
 真っ暗闇の中で、ぼうっときらめく炎の、パチパチという音だけがただ響く。
 ネリネの背後をぬるりと通った、たぬきに視線が吸われたあと。
 シルヴィカはネリネに羊羹を向けながら。
「……食べる?」と微笑んでみると。
 ネリネはじっとシルヴィカのほうを見て。
 それからうなずき、羊羹を手に取る。
 それからシルヴィカは水筒から水を飲みつつ。
「美味しい?」とかネリネに言いながら。
 しばらく、彼女のことを見守っていたが。
 当のネリネ自身は、気にもしていないかのように、ちまちまと羊羹をかじっていた。
 * * * * *
 そして、翌日の朝。
 シルヴィカは髪を整えて、ネリネの様子をふと見ると。
 真っ白なマントにくるまった彼女は、何やらうなされているようで。
 そんなネリネの様子に、シルヴィカは少し目を伏せるが。
 まつ毛の間からこぼれるしずくを見て、すぐにネリネの肩を揺らした。
「ネリネさん、朝だよ」なんて、優しい声をかけ続け。
 やがてネリネが目をこすって、あくびをすると。
「疲れ、残ってない?」と首をかしげる。
 ネリネは目元の違和感に、まぶたをパチパチとさせて。
 シルヴィカはそんな彼女にタオルを渡すと。
「顔、洗っておいで」と言った。
 そうしてしばらくネリネの準備が終わるのを待つと。
「お家の場所わかる?」なんてシルヴィカは訊いてみたが。
 ネリネは相変わらずながら、何も言わなくて。
 しかし、何か本人なりの理屈はあるのか、出発したシルヴィカに付いてきていて。
 それに気づいたシルヴィカは、少し、歩調を遅くした。
 街道を進むシルヴィカと、その後ろをペタペタ追いかけるネリネ。
 シルヴィカと手をつなごうとしたが、本人に拒否されて。
 それでもなんとかめげないように。
「羊羹、好きなの?」とか。
「もう年末だねぇ」とか。
 そんな言葉をたびたびかけてみたのだが。
 ネリネのほうからの答えは、ほとんど返ってこず。
 唯一彼女から返ってきた回答は。
「疲れてない?」という問いに対する。
「ううん」という答えだけだった。
 それすら歩調から察するに嘘だったので。
「この辺道きついらしいから……」なんて言いながら。
 シルヴィカはネリネを、無理矢理おんぶして運ぶはめになった。
 しばらく二人が、そんなふうな旅をしばらく続けていると。
 いつのまにか杉たちは影を潜めていて。
 その代わりのように、あたりには竹がたくさん生え。
 ときどき、はるか上から落ちた雪がバサバサと鳴らしていた。
 ネリネを背中から降ろすと、シルヴィカはウエストポーチから地図を取り出し。
「あの街は……あった、『エンの街』」
 向こうに見えてる街で買い物するんだけど、ネリネさんは何か——
 なんて言おうとしたのだが、すぐにシルヴィカはネリネに駆け寄り。
「どうしたの⁉︎」と言って、彼女の額に手を当てた。
 というのも、ネリネはなぜか震えており。
 その顔も、ひどく青ざめていたのだ。
「だるさはある?」とか。
「どこか痛いところは?」とか。
 シルヴィカはいくつか質問をするが。
 ネリネはそのたびに首を横へ振り。
 しばらく考え込んでからシルヴィカが。
「エンの街に、行きたくないの……?」と言うと。
 ネリネはそれにぎこちなく、うなずいて。
「……わかった。ここで待っていられる?」
 シルヴィカは自分の言葉に、ネリネがうなずくのを見ると。
 獣避けの鈴を彼女に手渡し、一人で街へと向かった。
 一人にするのは心配だったが。
 補給を欠かすことも、できなかった。
 * * * * *
 エンの街へたどり着くと、街の中は大騒ぎになっていて。
 木造の平たい家たちが建ち並ぶその街では。
 多くの人たちが、何やら不安そうに立ち話をしていたので。
 甘物屋の店主にふと。
「何か、あったんですか?」
 なんてシルヴィカが訊いてみると。
 店主のおじさんは眉根を寄せながら。
「実はなぁ……」と教えてくれた。
 なんでも、この街には『シドウ』という姓の領主がいるそうで。
 その家系の長男が、何者かによって背後から刺されたらしかった。
「今でこそ薬師が診ているらしいが、聞いた話によると危篤だそうでな」
 妹のほうも行方不明だし、うちの街はどうなるのかねぇ。
 あんたも、さっさとこの街出たほうがいいよ。
 いつ犯人に会うかわからないんだからさ。
 そう店主は苦笑いをすると、紙の小袋を用意してくれて。
「しっかし、この買いかたは始めて見たよ」とか言いながら。
 袋の中に、どっさりと羊羹を詰めていた。
「羊羹好きの、その、親戚の子に会うんですよ」
「なるほどなぁ、いっぱい食わせてやんなよ」
 そんな会話を交わしながら、シルヴィカは袋を受け取り。
 ガサッと鳴ったその袋を掴むと、その重みで一瞬腕が沈んだ。
 シルヴィカは店主に大貨を一枚手渡すと、彼に頭を下げて。
 すぐに街を出ようとしたのだが、やはり店主の話が気がかりで。
 ほんの少しだけ、聞き込みをすることにして。
 適当な人たちに声をかけては、この街のことを訊いてみると。
「シドウ様だろ? 大変らしいな」とか。
「強盗らしいじゃない、ああ怖い」だとか。
 そんなことを親切に言ってくれる人もいれば。
「こう言っちゃなんだが、因果応報だよ」や。
「どのみちこの街も終わりかねぇ」みたいな。
 なんだか聴いてるほうまで暗くなるようなことを言う人もいて。
 シルヴィカはそんな彼らの話を、歩きながら頭の中で統合し。
「やっぱり……」と洩らしながら、ネリネのもとへ向かう。
 街の堀に架けられた橋を越えて。
 街道をどんどん戻っていくと。
 やがて竹が増えてきて。
 微かに、りん、りん……と。
 そんな音が聞こえてきたので、それを辿り。
 音の原因へ、ゆっくり歩み寄ると。
 鈴を鳴らしていたネリネが、静かにシルヴィカのほうを見た。
 シルヴィカは彼女に笑みを向けて。
 大量の羊羹を見せると。
 ネリネはしばらくうつむいて。
「だ、ダメなお店だった……?」と言うシルヴィカに。
 小さく首を横に振りながら、獣避けの鈴をずいっと返してきた。
 シルヴィカはそれを受け取ると、ゆっくりとまた歩き出し。
 立ち止まってるネリネへ振り向いてから。
「ちょっと、近道するから」なんて手を差し出して。
 それをネリネは、何やら考え込んでから、おずおずと掴んだ。
 * * * * *
 それからシルヴィカはしばらく、ネリネを抱っこした状態で。
 ヒーヒー言いながらも、彼女をがっしりと両腕で掴み。
 エンの街を迂回するようなルートで、竹やぶの中を進んでいた。
 はるか頭上にある竹の葉から、微かに漏れる陽光は。
 もうすっかり、橙色に染まっていて。
 徐々に光量を失っていくその竹やぶの中を。
 顔を真っ赤にしながら歩くシルヴィカへ。
 ネリネはじっと、視線を向ける。
「も、もうちょっとで着くから……っ」
 シルヴィカはそんなことを、笑いながらネリネに言って。
 ネリネもそれにうなずくと、シルヴィカの肩にうずくまるが。
「あっ、その姿勢ちょっときつい……」というシルヴィカの声に反応して。
 すぐにその姿勢を戻してくれた。
 シルヴィカは、ネリネの様子を伺いながら。
 できるだけ速くやぶを抜けられるように。
 それでもあまり揺れないように。
 どんどん歩みを進めていき。
 やがて目に入った、土道の上に入ると。
 シルヴィカはネリネをゆっくりと降ろして。
「計算通り!」なんて笑う。
 ネリネは相変わらず無表情だったが。
 ずっとシルヴィカのほうを見つめていて。
 その視線に気づいたシルヴィカは、目を逸らしながら。
「お、おおよそ、計算通りだったから……」
 と付け加えた。
 やぶを抜けると、もうエンの街は見えなくなっていて。
 シルヴィカはしばらくネリネの手を引くと、やがて立ち止まり。
「今日はここに泊まろっか」と言って、枯れ木を集め始める。
 その後たき火を起こして、ネリネとともにそれを囲むと。
 シルヴィカは彼女に羊羹を手渡し。
 それをネリネは、少し躊躇してから受け取った。
 それからしばらく二人は、無言でたき火を見つめていて。
 そんな静かな時間を過ごしながら、シルヴィカはふと、ネリネの視線を感じたので。
 シルヴィカはネリネのいるほうへ、そっと視線を向けると。
「羊羹、買い過ぎたね……」なんて苦笑いをする。
 感じていた通り、ネリネの視線はずっとシルヴィカに向いており。
 シルヴィカは少しの間、あごに指を当てると。
「どうしたの……?」なんて首をかしげて。
 ネリネは一瞬目を見開くと、すぐにうつむいて。
 そんな様子を、シルヴィカが見つめているうちに。
 彼女はようやく、その口を開いた。
「……なんで、訊かないの?」
 ネリネのその言葉に、シルヴィカはゆっくり距離を詰め。
 彼女のすぐ隣に移動をすると。
「言うのが、つらいと思ったの」と返して。
 それから、ネリネの肩に手を置いた。
 彼女の肩は冷たく、震えていて。
 シルヴィカは目を伏せながら、言葉を紡ぐ。
「それに、なんとなくわかるんだよ」
 つらいことがあったんだなって。
 今も苦しいんだなって。
 ネリネはそんなシルヴィカの言葉に。
 何度かうなずいているようで。
 それから彼女は、小さく。
「わたし、わたしね……」なんて。
 震えた声で、言っていて。
 それに対してシルヴィカは何も言わず、ただ彼女の次の言葉を待つ。
 着物の隙間から見えた、彼女の細いその腕には、いくつかの痣ができていて。
 ネリネは袖口を引っ張って、その痣を覆い隠すと。
「わたし、あのね、わたし……」
 そう、何度か言い淀んでから。
「家族を殺したの」
 とはっきり言った。
 ネリネの声はまた、平坦になっていて。
 シルヴィカは、その意味に気づきながらも。
「教えてくれる? あなたの事情を」と言い。
 それにネリネはうなずくと、静かに。
 ほんの小さな声で、語り出した。
 * * * * *
 ネリネのフルネームは、『シドウ・ネリネ』
 つまりはエンの街で領主をしている家系の出が、彼女だった。
 シドウ家は代々文武両道を信念としており。
 その後継者は、領民たちの期待を一身に受ける。
 シドウ家の領主という特権を支えるのは、常に後継者の努力であり。
 鍛錬により積み上げた、誰よりも高い能力そのものだったのだ。
 戦時になれば率先して民を守り。
 平時には豊かな生活を提供する。
 領主としての基本を極限まで突き詰める。
 それこそがシドウに生まれた者の宿命であり。
 ネリネには継承権がない都合上、彼女の兄が背負った宿命だった。
 後継者は常に努力を強制され、常にその過程を、結果を品定めされる。
 期待に応えるという、外からきた理由のために。
 ただ毎日、心身を痛めつけながら鍛え備える。
 ネリネの兄も、歴代の後継者たちと同じように、それを生まれたときから続けていた。
 しかし、どこの世においても、期待に応えることだけを続けられる人間は存在せず。
 そしてネリネの兄もまた人間であるために、例外ではなかった。
 常に強制される、終わらない努力の日々により。
 溜まったストレスの向かう先は、自由な妹だった。
 最初は嫌味を言われるだけだったらしい。
 しかし、それはやがて直接の暴言になって。
 陰ながらの嫌がらせへと変わり。
 ついには、暴力にも発展した。
 殴りや蹴りはよくあること。
 髪を無理矢理切られたこともあった。
 周りの人間も、兄が期待に応える代償としてそれに見て見ぬふりをして。
「これもお家のためなのですよ」
「まことにお労しく思います……」
「苦労をかけてしまうけど、許しておくれよ」
 そんな無責任な言葉をかけてきて、ネリネにはそれもつらかったが。
 殴る蹴るの暴力よりも、無責任な言葉たちよりも。
 着替えるときに、風呂に入るときに。
 否が応でも目に入る傷跡たちのほうが。
 ネリネの心を、より深くえぐっていった。
 ——もう、限界だった。
 ネリネはある日、急にその行動を起こしていて。
 そこに至るまでの過程は、まったく覚えていなかったが。
 その結果のほうは、ネリネの脳裏に刻まれてしまった。
 ある日の夜のこと、ネリネは気がつけば兄の部屋にいて。
「クソッ、お前っ、何やってんだお前ぇ‼︎」と、兄は言っていた。
 兄の背中からは、脇差がまるで最初から生えていたかのように刺さっていて。
 そこからどんどん、朱色が滲み広がって。
 赤く染まっていく着物を、兄は掻きむしり。
 脇差を抜こうともがきながら、床に倒れ込んでいた。
 兄はいろいろなことを叫びながら、ネリネに憎悪の目を向けて。
 あんなにも怖かった、絶対に逆らえなかった兄が。
 汚い血を床に垂らしながら、情けなく転がって。
 ネリネはそれを見つめているうちに、自分の中をふとよぎる。
 ——やれた。
 という言葉に、熱の引くような感覚があった。
 落ち着いていたはずの鼓動は、どんどん激しくなり。
 遠くのほうから聞こえてくる、大勢の足音に気づくと。
 ネリネは兄に背を向けて、そのまま外へと走っていった。
「ネリネ様⁉︎」という声がした気もした。
「刀は抜くな!」というのもあったかもしれない。
 でも、どうやってあの街を抜け出したのかは、自分でもわからない。
 街を、道を、竹林を。
 ただでたらめに、走って。
 そんなことをしているうちに。
 見慣れない森に入っていた。
 足が痛いなぁ、とか。
 これからどうしよう、とか。
 そんなことを思いながら、知らない道をさまよって。
 そのうち森の中に、小さな光が見えたので。
 それに向かって、何も考えずに歩いた。
 その光の正体が、たき火だと気づく頃に。
 ネリネは、亜麻色の髪をした女性に出会った。
 * * * * *
「——ちょうど、あのときだったんだね」
 シルヴィカはネリネにそう言うと、彼女はうなずいて。
「ずっと、寒かったから……」とこぼす。
 シルヴィカがネリネのほうを見ると。
 彼女は自分を抱きしめるように。
 縮こまるようになりながら。
「わたし、もう帰れないよ」
 なんでこんなこと、しちゃったんだろう。
 そんなことを、小さな声で言っていた。
 あたりはすっかり暗くなっていて。
 パチッと火の粉が跳ねると。
 それが地面に落ちていき。
 その小さな光は、徐々に消えていく。
 シルヴィカがネリネに視線を戻すと。
 彼女はやがてうつむきながら。
「こんなことなら……」
 と消え入りそうな声で言って。
 それをかき消すように、シルヴィカは。
 ネリネのことを、抱きしめた。
「……シルヴィカ、さん?」
 耳元で聞こえたその声に、シルヴィカはギュッと目をつむると。
「……お兄様からのいじめ、イヤだったよね」
 なんて、彼女に言った。
 それにネリネは、微かにうなずき。
 シルヴィカはさらに、腕の力を強くしながら。
「怖かったよね」
 痛かったよね
 ……つらかったよね。
 まるで反芻するように、そう何度か言葉をかけると。
 やがてネリネは「うん……っ」と言って。
 それから、小さな嗚咽を洩らしていた。
 シルヴィカは彼女の背を優しい手つきで。
 トン、トン、と軽く叩きながら。
 その息づかいに、耳を傾ける。
「わたし、ずっと」
 ずっと、イヤで……っ。
 跡とか、消えるのかなって。
 ネリネの言った、涙混じりの。
 そんな声にシルヴィカは。
 閉じていたまぶたを開いて。
 それから視線を、わずかにネリネへ向ける。
「……ネリネさん」
 ずっと、我慢してたんだもんね。
 不安だったよね。
 寂しかったよね。
 でも、あなたがあなたを叱る必要はないんだよ。
 少なくとも私は、そんなことをしてほしくないの。
 今のあなたがどれだけつらくても。
 どれだけ自分が嫌いでも。
 どれだけ消えてしまいたくても。
 いつかそれすら思い出になるって。
『なんてことなかった』って言えるんだって。
 いつかそうやって乗り越えられるって、信じてほしいの。
 時間が解決してくれるって、信じてほしいの。
 信じて、生きてほしいの。
 きっと報われるって。
 待って、ほしいの。
 シルヴィカは言い聞かせるように、ネリネにそう言って。
 彼女はそれを聴いてからしばらくして、シルヴィカの背に手を回す。
 シルヴィカの心臓も、ネリネの心臓も。
 不規則なリズムを刻んでいて。
 そんな乱れたリズムたちが。
 だんだん、互いに同調していくと。
 ネリネの肌に、少しの熱が戻っていた。
 彼女がふいに、涙ぐんだ声で。
「待つって、いつまで?」と言って。
 シルヴィカがそんなネリネに、願うような口調で。
「いつまでも」と返したら。
「……長いなぁ」と、ネリネは言った。
 気がつくとたき火は、すっかり小さくなっていて。
 その橙色の光は、不安定に揺れながら。
 吹いた風に晒されて、ボボボと音を立てる。
 竹に混じった木々たちは、冷たい風に揺さぶられ。
 ざわざわとしたその声を、周りに反響させていき。
 シルヴィカは、ふわりと揺れたその髪を直しながらネリネからその身を離すと。
 ネリネは袖口を使って、乱暴な動きで目元を拭っていた。
 空の雲が動いたのか、月明かりが差し込んできて。
 シルヴィカとネリネは、その黄色い光に照らされると。
 それから二人は、恥ずかしそうに笑い。
「ねえ、シルヴィカさん」
 あなたも……いや、なんでもない。
 ネリネはシルヴィカに、そう言いかけて。
 シルヴィカはそれに対して、微笑み混じりに首をかしげた。
 * * * * *
 それから翌日になって、ツイの街に到着した二人は。
 木造のやしろを備えた、ある寺院に来ていた。
 そこは、どうやら孤児の引き取りをしているようで。
 ネリネ自身が、そこで暮らすことに決めたのだった。
 手続きを終えたネリネは、付き添いで来たシルヴィカの手を握りながら。
 大きな門を越えるまで、シルヴィカとともに歩くことにして。
 石で作られた中央の道を、重い足取りで歩く二人は。
 やがて門の前までくると、互いに目を合わせる。
「ほんとに、よかったの?」
「迷惑、かけたくないから」
 シルヴィカの問いに、ネリネはそう答えると。
 握ったままの手に、汗を滲ませていた。
 そんな様子の彼女を、シルヴィカは見下ろし。
 それから視点を合わせて、手を解くと。
 自分のペンダントをネリネに着け。
 ネリネは驚いた様子で、シルヴィカをじっと見つめるが。
 シルヴィカはそれに、優しい笑みを向けていて。
 それから彼女に耳打ちをすると。
 ネリネはそれを聞くなり。
「それ、本当……?」と言った。
「もちろん本当だよ」
 そんな答えを、シルヴィカは返すと。
「約束できる?」と言葉を続け。
 ネリネはそれに、力強くうなずき。
 二人はしばらく見つめ合ってから、ゆっくりと小指を近づけて、指切りをすると。
 それぞれの向かう方向へ、軽い足取りで向かっていく。
 シルヴィカがふと振り返ると、寺院のほうからネリネが大きく手を振っていて。
 それにシルヴィカは、負けないくらいの大きさで、手を振り返す。
「またね、シルヴィカさん!」
「うん、また!」
 二人はそんな言葉を、道越しに交わすと。
 やがてネリネは、寺院の中へ入って。
 シルヴィカは門を越えていく。
 二人の間で結ばれた、ほんの小さな口約束。
 それは、周りからすれば本当にくだらない約束で。
 いつか時間が経てば、ネリネだって忘れてしまうかもしれない。
 シルヴィカにとっても、別に忘れてもらって構わないものだ。
 でも、そのくだらない、あまりに単純な口約束は。
 生きる理由としてはこれ以上ないものなのだと、シルヴィカは知っていた。
 シルヴィカはツイの街中を、ぐるりと見渡したあとに。
 ふと、暖かな頭上へ目を向ける。
 透き通るような青空に、わた雲がふわりと浮いていて。
 真っ白な太陽が、さんさんと街を照らしている。
 それはまるで、冬の終わりを告げるようなきらめきであり。
 そんなきらめきのせいなのか。
 ——私も、旅を終わらせに行こう。
 なんて思えたシルヴィカは。
 街外れへと一歩を、踏み出す。
 場所はすでに調べていた。
 何度も何度も、聞き込んだ。
 背の低い石壁を越えて、堀の向こう側へと歩いていき。
 しばらく、ずっと、でこぼこな道を進んでいくと。
 だんだん道の先から冷たい風が吹いてくるようになって。
 長い上り坂の向こうに、何やら白い光が見えてきたかと思えば。
 近づく頃にはそれが晴れ間の空であることがわかってきて。
 深い色の草が生えた、ちょっとした森の中。
まだらに生えた木々たちの中に、その花はあった。
 太い幹は湾曲し、枝を大きく横に広げている。
 その大きな大きな樹たちには。
 真っ白で小さな花弁が。
 まるで寄り添うように生えていて。
 いくつか生えた樹たちの中央にある一本へ、シルヴィカは歩み寄ると。
 ゆらりと降り注ぐ花吹雪が、周りを白く染めていた。
 ——|白桜《しろざくら》。
 母の故郷『ツイの街』原産の花であり。
 両親と一緒に、観る約束をした花。
 シルヴィカはその樹を見上げて。
「お父様、お母様……」と、独り語りかける。
 私、ちゃんと果たしたよ。
 ちゃんと、たどり着いたよ。
 ちゃんと、ここまで来れたよ。
「……私ね、まだ自分のことは嫌いで」
 今だってあの日のこととか。
 この旅でできた後悔とか。
 ずっと、残ってる。
 生きてていいとか、思えないし。
 どうして私なんだろうって、今も思う。
 でも、でもね。
「——私、もう少しだけ頑張ってみようと思うんだ」
 新しい約束もできたから。
 一生かけて果たす約束もあるから。
 これからも、見守っていてほしいの。
 私がいつか、そっちに行くまで。
 ……長くなりそうだけど。
 真面目にやってたら、すぐだもんね。
 シルヴィカがそう語り終えると。
 急な突風に巻き上がり。
 白桜の花弁たちが、はらりと浮いて。
 シルヴィカの目元にじんわりと。
 滲んできたその涙は。
 やがて大粒になり、地面に落ちる。
「私、今日はめでたい日だから……っ」
 ずっと今日のこと、考えてたから。
 心配とか、させたくない、し。
 最後くらい、笑って終わろうって。
 思ってた、のに。
 ごめん、私、やっぱり。
 シルヴィカはそう言いながら、指で目元を拭うが。
 涙は全然、止まってくれなくて、それどころか、溢れるばかりで。
 やがて、シルヴィカは。
「一緒に、来たかったよ……っ」と。
 子どものように、その嗚咽を洩らした。
 シルヴィカをなだめるように。
 そよ風が微かに吹いてきて。
 亜麻色の髪が、ふわりとなびくと。
 その上に三枚、花びらが乗る。
 白桜の咲く森の中。
 花吹雪が舞うその森で。
 シルヴィカはしばらく、ただ泣いていて。
 その真っ白な大地を、ただ静かに。
 小さな、嗚咽が響いていた。
 やがて、頭の花びらに気づくと。
 取ったそれをギュッと握って、それから。
「ありがとう……」
 なんて微笑む。
 その目に浮かんだ涙は。
 照らす太陽の光を、白く反射していて。
 シルヴィカは白桜を眺めてから、深く息をすると——
「——行ってきます!」
 と舞い散る白に向けて言った。