避雷針
ー/ーテスト休みが終わって学校に行くと、僕は担任の先生に呼び出されたり、全校集会があったり、忙しなかった。この一件で、スマホ持ち込み禁止の校則が無くなったらしい。数Bの点数は思っていたより悪くはなかった。
休み時間、クラスメートは誰も話しかけてこなかった。三島さんと仲の良かった女子が気まずそうに、僕のことを見ていた。ここに、三島さんが居たら。心臓が縮み上がるような喪失感に襲われる。教室のどこにも三島さんは居なかった。当たり前だ。放課後、教室から下駄箱に向かう途中、トイレから笑い声が聞こえた。
「三島死んだ時斉藤飛び込んでたんでしょ」
「え、陰キャ超調子乗ってんじゃん」
僕は早足に通り過ぎようとしたが、髪を染め制服を着崩した集団がちょうどトイレから出てくる。
「おっ本人登場〜」
無視して通り過ぎようとしたら、肩をグッと掴まれる。
「おい聞こえてんだろ?」
この時の僕は言い返せるような勇気も強さもなかった。目をそらして、ただなるだけマシな形で解放されるのを祈るばかりだった。
「こいつシカトしやがって」
不良は僕の顔を一発殴った。血の味。三対一じゃ逃げられそうもない。僕は彼らの気の済むまで耐えることにした。台風とか嵐みたいなもんで、こういう時は歯を食いしばってマシになることを祈りながら耐えるしかない。
「おい! こそこそ書いてる小説みたいに剣で戦えよ!」
「え、痛~そんなの書いてんの? はずかし~」
「お前が死ね! クラスで浮いてんだから誰も気にしねえよ」
「母親もろくでもねえし」
「あの女、三島の葬式でもスカしてたもんな」
心を無にしてひたすら耐えるのは小さい時から得意だ。でも、こういうとき、小説の主人公だったら、やり返すのに。せめて、三島さんがいたら……僕は殴り返せたかもしれなかった。でも今の僕は。カッコつけることすらできず、死にかけの虫みたいで、あまりにも弱くて、情けなかった。 しばらく耐えていると、急に殴る蹴るが収まった。
「なんだよ、オレたちに文句あんのかよ」
腫れた目に映ったのは竹刀袋を提げた正吾だった。黙って、じりじりと不良たちに近づいていく。不良たちは気圧されて下がっていく。
「謝れ」
「はあ? 舐めたこと言ってっと……」
不良のうちの一人が急に宙を舞って、残りの二人に衝突した。
「おい、こいつ、寺田じゃねえかよ馬鹿! こいつ、めんどくせえぞ……」
「謝れ。早く、こいつに謝れよ」
不良たちは廊下を走って逃げていった。正吾は見送ると、黙って僕に手を差し伸べた。
「……ありがとう」
「なんで……やり返さない」
手を取る僕に正吾は目も合わさなかった。
「僕と正吾じゃ、表示されてる選択肢の数が違うんだよ」
「そんなわけないだろ! やり返せよ! 効かなくてもいいから、少しでも抵抗しろよ!」
正吾が珍しく声を荒らげた。僕はゆっくりと首を振った。
「僕はもう、懲りたんだよ。強くなりたいとか……かっこよくなりたいとか……」
正吾は何も言わなかった。三島さんのおかげだったんだ。不相応にも、カッコよくなりたいとか、思えたのって。痛む身体を引きずって、階段を降りる。学校を出る。夕日は分厚い雲に隠れていた。僕らはしばらく言葉をかわさなかったけれど、それは決して居心地の悪いものではなかった。
「お前……あんまり抱え込みすぎんなよ」
別れしなに海岸通りの交差点でぽつりと零して、正吾は自転車で走っていった。僕よりも正吾の方が、あの小説の主人公に近いな……と思った瞬間に、どこか仄暗い気持ちに覆われた。
家に戻る。母さんは今日もいない。適当に冷蔵庫の中の食材をめんつゆで炒めて流し込む。自分の部屋の机の上には小説のノートの書きかけのページが開かれている。最後の行の下に、「続き待ってるね」と書かれたうさぎの付箋が貼られている。僕はしばらくこの後の展開を考えていた。でも、どんなに考えても、考えても、この小説の主人公が雷に打たれて死ぬ展開しか思いつかなかった。三島さんは溌剌とした冒険譚が好きだった。ごめん。三島さん。やっぱり、僕には無理だったんだ。
ノートを閉じて、雑にゴミ箱に突っ込んだ。
三島さんの無邪気な笑顔や、真剣に本を読んでいる時のあの理知的な眼差しが、フラッシュバックする。まだ読んでない本とか、読みたかった本とか、沢山あっただろうな。鼻の奥がツン、と痛くなる。しばらく、顔をぐちゃぐちゃにして泣き叫んだ。
突然、窓の外が光った。轟音。外はいつの間にか大雨になっていた。気がつくと僕は、ジャージにサンダルのまま、傘も差さずに夜道を歩いていた。あんなに怖かったはずの雷鳴にも、今は何も感じない。三島さんを迎えに行こう、と思った。この稲光は全て僕に落ちるべきだ。そんな気がしてならなかった。
『そんなことして、何になるんだよ』
たぶん、あの小説の主人公なら、やらない。自分の中でも理屈は通らないのは分かっていたけど、僕は足早に海岸へと向かった。やがて南堤防に着くと、僕は迷わず走って飛び込んだ。雷鳴。別の場所に落ちた。
「下手くそ!」
僕は雷雲に悪態をつきながら、沖の方に泳いでいく。そして立ち泳ぎのまま避雷針になった気分で、左手を挙げた。雨が腕を撫でる。少し寒かったけど、僕は昔から我慢するのだけは得意だった。
数え切れないくらい、雷は街に落ちた。でもひとつたりとも僕の左腕には落ちない。身体が震える。どれくらいたったんだろう。早く、僕に、落ちろよ。三島さんには落ちたのに。僕に落ちさえすれば、母さんも安心して再婚できるだろう。そんな言い訳めいたことを思いながら、本当は逃げたかっただけなことに、自分でも気づき始めていた。あの日だってそうだ。三島さんの優しさから、自分の情けなさから逃げて。というか、ずっとそうだ。でもそれしか選択肢がないんだよ。おれには。足が動かなくなってきた。左腕はもう挙げられなかった。こんなところにいるわけないのに、正吾の声が聞こえる気がする。あいつだったら、もっと上手くやれてたんだろうな。僕には、こうすることしかできなかったんだ。
三島さん、ごめん。おれ、三島さんに続き、読ませられなかったな。
僕は意識を失った。
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